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X 不気味な男-III
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――今すべき事は、この男に攻撃する事では無い。確実に、エルを自宅に連れ戻す事だ。
何とか冷静へと思考を運び、小さく息を吐く。
「そうでしたか。それは失礼しました。では、私達はこれで」
穏やかに、穏やかに、そう心の中で言い聞かせながら、彼に会釈をする。そして強く、エルの腕を引いた。
「――妻、ね」
擦れ違いざま、男が見せた奇妙な笑み。そして、耳元で囁いた言葉。
それはあまりに冷やかで、狂気的で、一気に全身から血の気が引いた。
この男は危険だ、一刻も早くここから離れなければ。そんな感情に駆り立てられ、半ば引き摺る様にエルの手を引きながら石畳を蹴った。
そこで、はたと気付く。
そうだあの男は、パーティーでバルコニーに居たエルに熱烈な視線を向けていた男だ。
角を曲がる際、もう一度馬車の方へ視線を向ける。もしかすると、あの男は今後の脅威になるかもしれない。もし本当にそうなるのなら、何かしら手を打たなければ。
しかし、もうそこには男の姿は無かった。ガラガラと音を立て、男が乗っているであろう馬車が隣町の方向へと走り去っていく。
――様々な建物の前を通り過ぎ、辺りは小さな店のみとなった。酒屋(パブ)から男の笑い声や怒鳴り声、グラスがぶつかる音が聞こえてくる。
漸く、自宅の近くまで戻ってくる事が出来た。辺りに不審な人物も居らず、後を付けられている気配も無い。とりまず今は、心配要らないだろう。
人気のない道で足を止め、するりと彼女の腕から手を離す。
「――セ、セドリック……」
息を切らせた彼女が、俺の名を呼ぶ。
「あ、あの……」
彼女の呼びかけに、ゆっくりと振り返り身体を彼女の方へ向けた。
まずは、怪我が無いかの確認だ。そして次に、彼女の心のケアをしなければ。
――しかし。
「お前、なんでちゃんと付いてこなかったんだよ!」
周囲に響いた、自身の怒声。
違う、彼女をこの様に怒鳴りつけるつもりは無かった。もう少し穏やかに、注意に留めるつもりだった。
そもそもあの男の様子を見るに、彼女に非は無いだろう。あの男が無理に彼女を捕らえたに違いない。
だが、彼女を責める言葉は止まらない。
「今自分に置かれた状況分かってんのか、屋敷の人間に見つかったら、お前も俺も終わりなんだぞ!」
自身の声に、彼女の肩がびくりと震えた。
この様に、声を荒げたのはいつぶりだろうか。自由奔放なマーシャにすら、この様に怒鳴った事は無かった。
それは自身の立場を危惧しているからか、それとも、彼女を手放したくなかったからなのか。
常に謙虚で、大人しい彼女は自身の言葉になんと返すか。ごめんなさいと、涙ながらに謝るのではないだろうか。罪悪感が胸の中に広がっていくのを感じ、言葉にならない痛みを覚える。
しかし、彼女は自身の想像とは真逆の言葉を口にした。
何とか冷静へと思考を運び、小さく息を吐く。
「そうでしたか。それは失礼しました。では、私達はこれで」
穏やかに、穏やかに、そう心の中で言い聞かせながら、彼に会釈をする。そして強く、エルの腕を引いた。
「――妻、ね」
擦れ違いざま、男が見せた奇妙な笑み。そして、耳元で囁いた言葉。
それはあまりに冷やかで、狂気的で、一気に全身から血の気が引いた。
この男は危険だ、一刻も早くここから離れなければ。そんな感情に駆り立てられ、半ば引き摺る様にエルの手を引きながら石畳を蹴った。
そこで、はたと気付く。
そうだあの男は、パーティーでバルコニーに居たエルに熱烈な視線を向けていた男だ。
角を曲がる際、もう一度馬車の方へ視線を向ける。もしかすると、あの男は今後の脅威になるかもしれない。もし本当にそうなるのなら、何かしら手を打たなければ。
しかし、もうそこには男の姿は無かった。ガラガラと音を立て、男が乗っているであろう馬車が隣町の方向へと走り去っていく。
――様々な建物の前を通り過ぎ、辺りは小さな店のみとなった。酒屋(パブ)から男の笑い声や怒鳴り声、グラスがぶつかる音が聞こえてくる。
漸く、自宅の近くまで戻ってくる事が出来た。辺りに不審な人物も居らず、後を付けられている気配も無い。とりまず今は、心配要らないだろう。
人気のない道で足を止め、するりと彼女の腕から手を離す。
「――セ、セドリック……」
息を切らせた彼女が、俺の名を呼ぶ。
「あ、あの……」
彼女の呼びかけに、ゆっくりと振り返り身体を彼女の方へ向けた。
まずは、怪我が無いかの確認だ。そして次に、彼女の心のケアをしなければ。
――しかし。
「お前、なんでちゃんと付いてこなかったんだよ!」
周囲に響いた、自身の怒声。
違う、彼女をこの様に怒鳴りつけるつもりは無かった。もう少し穏やかに、注意に留めるつもりだった。
そもそもあの男の様子を見るに、彼女に非は無いだろう。あの男が無理に彼女を捕らえたに違いない。
だが、彼女を責める言葉は止まらない。
「今自分に置かれた状況分かってんのか、屋敷の人間に見つかったら、お前も俺も終わりなんだぞ!」
自身の声に、彼女の肩がびくりと震えた。
この様に、声を荒げたのはいつぶりだろうか。自由奔放なマーシャにすら、この様に怒鳴った事は無かった。
それは自身の立場を危惧しているからか、それとも、彼女を手放したくなかったからなのか。
常に謙虚で、大人しい彼女は自身の言葉になんと返すか。ごめんなさいと、涙ながらに謝るのではないだろうか。罪悪感が胸の中に広がっていくのを感じ、言葉にならない痛みを覚える。
しかし、彼女は自身の想像とは真逆の言葉を口にした。
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