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暁ばかり憂きものは
思いの重さ 参
しおりを挟む夢なんかじゃない。起こったことは現実だった。
旦那や女将、権さんも「陰間や遊女を巡っての刃傷沙汰は良くあることだ」って言ったけど、流石の俺でもこれだけは「はいそうですか」とは言えないよ。
人ひとり、死んでるんだよ……?
俺の前に転がった首と吹き出した血飛沫が瞼に染みついて離れない。 一人でいるとどうにかなりそうで、その晩はずっと権さんにしがみつきながら吐き続けた。
吐く物がなにもなくなって、意識が朦朧としたのか、気を失ったのかはわからない。いつの間にか目は閉じていて、重い頭を二、三度振り、次に目を開くと、自分の部屋で布団に寝かされていた。
その布団の傍らに、保科様が静かに座っている。
「……保科様……」
これは夢? そうだよね、だってお姿が滲んでいる。
ならばどうか醒めないで。夢ならもう少しだけ消えないで……。
「俺のそばにいて……」
けれど、シャボン玉の膜の中の保科様は霞んでいく。
いやだ、どこにも行かないで……!
俺は必死で手を伸ばした。
「百合」
そこに触れた暖かさ。
それは俺の腕を取り、上半身を抱き起こした。
体にかかる心地いい重み。
懐かしい優しい香り。
広い暖かい胸。
「百合……!」
愛しい人の声。
俺の頭と腰を抱える力強い腕。
頬には滑らかな肌の感触。
「ほんもの……?」
片腕を曲げると、がっしりとした背中に触れ、肩甲骨の形を感じた。もう片方の腕も同じようにすると、確かに感じる保科様の体温。
「……っ……百合、辛い目に合ったな。守ってやれず済まない……」
耳元で、愛しい人の声がする。
「……う……っ……保科、様ぁ……」
薄い壁続きの部屋。出入口の襖の外には恐らく権さんや保科様のお付きの人もいる。
けれど俺は、初めて保科様に抱きしめられた日のように、溢れる涙を止めることも、声を抑えることもできなかった。
保科様も同じくなにも言わずに、ただ俺を強く抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。
自然と横抱きに抱かれて、すっぽりと保科様の体に埋もれていると安心できた。涙はまだ滲むけど、嗚咽は出なくなり、自分の中の大きな塊は溶けた気がした……全てではないけれど。
「百合、すぐに来てやれなくてすまなかった。あとの処理に追われて」
俺が落ち着いたのを見計らって保科様が言った。
俺は、涙で濡れてしまった襟元に顔をすり付けて「ううん」と返事をした。
「ここのところ目立った刃傷はなかったので気を抜いていた。私の管理不足だ。君達に辛い思いはさせたくないのに不甲斐ない」
「……」
君達
ふ、と冷静な自分が現れる。
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「謝らないで下さい。こんなことになるなんて、誰にもわからないから……」
保科様の胸から顔を上げ、腕を突っ張って少し体を後ろへずらした。
本当はこのまま離れたくない。なにもかも取っぱらって「悠理」としてこの胸に癒されたい……でも、許されないから。
「百合?」
完全に保科様から体を離し、正座して頭を下げる。
「処理で大変な中、わざわざ一陰間の為にご訪問下さりありがとうございました。此度の私の不始末によりご迷惑をお掛けしましたこと、心よりお詫び申し上げます。私は大丈夫ですので、どうぞ保科様もお休み下さい」
大丈夫なんかじゃない。辛いし怖い。逃げ出したい……でも、震えるな、俺の声!
保科様は小さいため息のような息を吐いた。
「……そうか。わかった。此度のことは百合の不始末ではない。気に病むだろうが一刻も早く傷を癒されよ。あぁそれと……」
ガチャ、と言う鈍い音に顔を上げる。
「既に手入れは済んでいる……お前の打刀だ」
目の前に百合の鍔の刀が置かれて、あの時の光景がブワッと脳裏に広がった。
保科様から頂いた、俺の大事なお守り。いつも、保科様がそばで見守っていてくれると、毎晩話しかけていた大切な宝物。
「……や……やだ……」
なのになぜこんなに汚らわしく感じるのだろう。なぜこんなに怖いんだろう。見ているだけで体中が凍りそうだ。
「百合、これが嫌なら新しい物を……」
「いりません! 俺は刀なんかもう欲しくない……! 早く持って帰ってください!」
整えたはずの呼吸がまた荒ぶり、体が震え出す。
「……わかった」
保科様は静かに言い、刀を持ったまま立ち上がり、襖を開けた。
保科様が帰ってしまうけど、俺にはお見送りの言葉さえ出てこなかった。
背中に向け、心の中で「ごめんなさい」を繰り返す。
「百合」
最後に振り返った保科様の横顔が辛そうに見えたのは、涙で景色が歪んでいるからだろうか。
「後日、鍔は外して届けさせる。これだけは持っていて欲しい」
言うと、俺の返事は待たずに部屋から出た。お付きの方と権さんが立ち上がる影が見える。
それから影はもう一つ。
「保科様、お務めご苦労様でございました。お気をつけてお戻り下さい。百合のことは、私が責任を持ちますゆえ、ご心配されませぬよう」
「楓……。そうか。……あぁ、頼む……」
楓もいたのか……?
影がすれ違って、保科様の足音が遠のいて行く。代わりに楓が部屋に入って襖を静かに閉めた。
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