枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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暁ばかり憂きものは

大華 楓 参

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 回り舞台・花道の拡大など、俺が提案した舞台装置の工事は着々と進んでいた。
  また、工事のあいだは華屋の見世の使用が制限されていたものの、保科家大旦那様の力で、他の茶屋経営の見世で競合舞台をやったりもして、互いの見世の評判が上がるなどの副産物が得られている。

 楓はその競合舞台でも、他の見世の芸子達に圧倒的な差をつけて人気を博していた。もうこの界隈で楓に叶う女形もいなければ、楓を知らない関係者もいない。

 楓は十八になるはずで、あと二年のうちには年季が明ける。そうなれば江戸に三座ある、いずれかの本歌舞伎座で華々しくデビューをするのだろう。
 実際最近は座敷や褥仕事を減らし、その時間を使って関係筋のお偉方達と今後を含む話をしているのだと聞いている。

  「なんだか遠くなったなー」
 少し前に楓のことで悩んだのが無駄だったと思うくらいに、俺達二人のあいだにはなにも起こらなくなった。
 物理的に一緒にいる時間が減るとキスをすることもなくなったし、俺は俺で褥仕事を再開したから、一緒に布団に潜ることも自然になくなった。

 あの時は事件のこともあって一時的に気持ちが昂っていたんだろう。陰間なんかやってると、やっぱり気持ちが乙女になるんだと、今や自分の中では過去の笑い話になっていた。


  ***


  「百合、今夜は保科様が見えるからな」

  「保科様が? 俺のところに!?」

 旦那が陰間の調整帳簿を開き、俺の褥仕事の欄に筆で記入をしている。

  「お前だけではないさ。若草から順に回られる。けど、お前には少し時間が欲しいとおっしやってたから、一番最後に入って頂くよ。お客が終わったら権に布団上げと片付けを手伝ってもらって粗相のないようにな」

 心が騒めく。
 保科様が俺に時間を割いて下さるなんて。
 俺は「保科様」が大旦那様ではなく、忠彬様であることを確認し、夜を待った。



  「ねぇ権さん。やっぱり風呂に入る時間はないかな?」
 いつもならお客が一人終われば、孔内洗浄も兼ねて風呂場に行くのだけど、保科様の滞在時間は長くはないらしく、縮緬和紙で体液を拭き取っただけ。前のお客の残り香がしそうな体で保科様に会いたくなかった。

  「ねぇよ。すぐにいらっしゃる。気にすんな。素人の娘じゃあるまいし」

  「えー、どうにかしてよぉ」

  「まったくおめぇは……」
 言いつつ、権さんは湯の入ったたらいを用意してくれて、濡らした手拭いで身体を拭くよう言ってくれた。

 緋襦袢を脱ぎ、上半身から順に拭いていく。なのに権さんたら、途中で出入口の襖を開けて換気をし出したのだ。

  「ちょっと権さん、俺、裸……」
  「百合? 入って良いか」

 いっ……! ほ、保科様。

  「……。……すまない。着替えが終わるまで待とう」
 部屋に入りかけていた保科様はすぐに体の向きを変え、襖の向こうに身を隠した。

  「~~~~!」
 最悪だぁ。こんな恥ずかしいところを見られるなんて。久しぶりの再会を二流ドラマ展開にした権さんが恨めしい。

 権さんは俺の殺気に気づいてか、片付けが終わると「ごゆっくり」と愛想笑いをして早々に下に降りていった。


  「すいません、保科様。お見苦しいところを……」

  「あぁ……私もすまない。状況を測るべきだったな」
 恥ずかしさで身を縮める俺とは違い、余裕の表情の保科様は真っすぐに俺を見て微笑んだ。

 胸がぎゅっとする。保科様は微笑み一つで俺の胸を乱す。どうしたって愛しい人。

  「百合の活躍は耳に入っているよ。頑張りを嬉しく思っている……良く立ち直ってくれたな」

  「いえ……自分だけの力では……楓にもたくさん助けてもらいました」

  「……そう、か。それはなにより」

 ?
 保科様、一瞬空気が変わった?

  「今日はお前にこれを……」

 いや、気のせいか。

 保科様は懐を探り、綺麗な金糸の布の包みを取り出した。片手のひらに乗せ、包みを解いていく。

  「あ……」
 中には百合を型どった、刀のつば
 事件の日に殺傷に使われてしまい、俺が自分の意思で手放した、保科様から頂いた刀の鍔。でも、刀に付いていた時とは違い、白や翠の色が入れられて、鮮やかな百合の細工飾りになっていた。

  「見るのも辛いだろうが、これは百合に持っていて欲しいのだ。刀からは外し、こうして化粧も施した。だから新しいものとして受け取ってはくれないか」

 保科様は無理に握らせようとはせず、俺が手を出すのを待っていた。
 保科様の屋敷で過ごした最後の晩、刀をもらって部屋から出て行こうとした俺を抱きしめた時と同じ瞳で。

  「はい……」
 手を伸ばす。
 震えそうな手で、重みのある鍔に触れ、持ち上げた。

 ────このまま保科様の手を引き寄せてしまえたら、どんなにいいだろう。

 その時。

 鍔を持った俺の両手を、保科様の大きな手が上下から包んだ。

  「……っ」
 二人とも声は出さなかった。けれど視線が絡み合い、互いの思いが同じだと伝え合うには充分だった。

 一分……いや、もっと長かったのかもしれない。俺にはとても短く感じられたわずかな時間。

  「百合、私が守ってやれないこと、本当に不甲斐なく思う……済まない……」
 保科様が瞼を伏せ、俺にしか聞こえないであろう声で呟き、最後にぎゅ、と力を込めて、手が離れる。

 次に瞼が開かれた時にはもう、いつもの保科様の顔に戻っていた。
  「百合、皆には既に伝えたが、私はしばらく江戸を離れることになった。父に代わり上方関西で任された仕事がある。だが、遠く離れてもこの華屋の芸子達の活躍は必ず耳に入るだろう。百合の活躍も楽しみにしている。どうか息災げんきで」

 そんな……上方にだなんて……お姿さえも見れなくなるのか……?
  「……いつまで、ですか……?」

  「わからぬ。三月みつきかも知れぬし一年、三年かも……期限は決められていない。合間に江戸に戻ることもあろう。その時はまた、こうして皆の顔を確かめに来よう」
 言い終わると、保科様は静かに腰を上げた。

 俺は鍔を胸に抱いて、体を固くしていたまま動けなかった。
 保科様の手が、襖に伸びる。

  「保科様っ……っ。俺……私が表までお見送りします」
 保科様を引き留めたがる手を襖の引き手にかけ、もう片方の手で百合の鍔をしっかりと握り、言葉を絞り出した。

  「ああ、ありがとう」
 振り向いて俺の耳に触れ、そのまま髪を梳くように撫でて下さる。そして名残惜しそうに毛束を優しく摘み……やがて……ゆっくりと離れた。
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