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ちぎりきな かたみに袖を
暗転 壱
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───────突然の暗転。
そして再び光が灯され、大きな鏡の中から現れた魔手の姿が浮かび上がる。
魔手は美しいテノールボイスで歌声を響かせ、踊り子を目指す少女・野菊の精神を支配する。
観客も楓演じる魔手の歌声にうっとりと聞き入っていた。
魔手は魔力を使って野菊の周囲を不幸にしていくのだが、その凶行の裏にある悲哀や、狂おしいまでの野菊への愛情が痛切に伝わり、観客は息を呑み、ため息をつき、涙を滲ませた。
また、野菊と恋仲の清一も、俺と牡丹が日替わりで演じる野菊にも、それぞれの苦悩があり、誰しもの心にあるその感情は観客の心を掴んだ。
そして、劇中劇のダンスシーン。
鬼の面を斜め半分に割ったものをつけた楓をセンターに、今回男形をやったなずなや夕顔、全部で六人が三角形の陣を作り、江戸では初のヒップホップダンスを披露した。
見たことのない、江戸の人にとっては奇妙なダンスがこの演目の妖しい雰囲気に合うと大絶賛され、華屋の新年初の公演は大成功を収めた。
この初日公演には、江戸の歌舞伎三座の会長達を招待していた。勿論、どの会長もお褒めの言葉を残して帰られ、特に市山座は楓にすっかり惚れ込んだそうで、大和座と話を付けて楓獲得に本格的に乗り出したのだと旦那さんから聞いている。
そしてなんと。まだ菊華の俺まで目にかけて下さったそうで、公演が休みの日に将来についてゆっくりと話をしたいと申し出があり、五つ先に旦那、女将、楓と俺で市山座の舞台見物と食事会に行くことになったのだ。
これには権さんも大喜び。そして勿論楓も。
夢が現実に一歩ずつ近づいてるんだ、と俺を皆の前で抱き上げてクルクル回すもんだから、恥ずかしいやら目が回るやら嬉しいやら……感情が追いつかないよ。
「これ、今から大旦那様達もいらっしゃるんだからしゃんとしな!」
いつまでも俺を抱き上げている楓に女将が言った。
そうだ。新年公演ではこの湯島のお偉方との挨拶が習わしだ。せっかくいい舞台をお見せできたのに、大旦那様に笑われちゃ堪らない。
左から楓、牡丹、俺。それに小花のトップになったあざみと若草トップのなずなが一列になって並んだ。
奥からぞろぞろとお偉方が歩いて来られる。
……え…………。
大旦那様のすぐ後ろ。
背の高い、艶のある黒髪を結ったその人に俺の目は……恐らく楓の目も、釘付けになった。
保科様……。
江戸にお帰りになっていたのか? なんの噂も流れてきていなかった。いつ……?
お偉方が順に声をかけて下さり、次々と通り過ぎるあいだに、心臓がどくん、どくんと跳ね始める。大旦那様が「新公演も素晴らしかった。百合が裏方にも尽力していると聞いているよ」と言う声は、心臓の音が煩くて聞こえにくい。
でも鼓動が煩いのは恋しいからじゃない。不意なことで驚いただけだ……。
「百合」
優しい懐かしい声に呼ばれる。鳩尾がきゅ、と縮んだ気がした。
「久しいな。菊華になってからの活躍は父より聞き及んでいた。明日は百合が野菊を演るそうだな。楽しみに参らせてもらうよ」
変わらない、慈愛に満ちた眼差しを注いで下さる。
「ありがとうございます。……保科様、いつ江戸にお帰りに?」
「実は昨晩なのだよ。年終わり間際まであちらで仕事があってね。行かせたのは父なのに、正月まで戻らないとは、と叱られて戻ったのだ。だから再来週にはまた上方へ戻るんだけれどね」
ふふふ、と言う優しい音色みたいな笑い方も変わらない。
……当たり前か。たった一年会わなかっただけなんだから。
でも、もう随分と長い年月が経ったような気がする。
「そう……ですか。どうぞお身体にお気をつけて、佳いお正月をお過ごし下さいね」
ほら。
もう鼓動は整い、落ち着いて返事を返せる。保科様に恋焦がれたのはもう過去のことだから。
保科様は「うん」と言うと、牡丹の前へ、そして最後に楓の前に移った。
「やあ、楓、本当に見違えた。立派な男形になったのだね。この湯島の花街に新しい風を入れ、盛り立ててくれてありがとう」
「保科様お帰りなさいませ。お褒めの言葉、ありがとうございます。これも皆、華屋とお客様の大きな支援があったからこそ。……そして、常に百合が寄り添ってくれたからこそです」
深いお辞儀の後、胸を張り、顎を上げて、堂々とした佇まいで楓が答える。
保科様はその姿に見蕩れたのだろうか、ほんの一瞬の間を置いたように見えた。
「そう……。百合と切磋琢磨しているのだね。良い研鑽仲間となり喜ばしいことだ」
「はい。これからも二人で華屋を……歌舞伎の世界を盛り立てていく所存です。どうぞ俺達を見守って下さい」
楓の妙な強調に俺と牡丹だけが気づき、牡丹に横目で視線を送られて気まずい。
楓ってば、もう……。
保科様は返事は声に出さずに瞼を伏せて頷くと、他のお偉方と同じく食事処へと向かって行った。
遠くなる背中を見ても、もう寂しくない。
それよりも……
「楓、ちょっと剣のある言い方だったぞ……俺、もうなんともないんだから」
挨拶を終えた俺達も食事処へ向かう。
その道すがら、楓の袖を引っ張り小さな声で伝えると楓はハハハ、と笑った。
「うん。でもさ、百合は俺のもんだぞ、って自慢したかったから、つい得意気になったんだ。百合の気持ちはわかってる。心配かけてごめんな」
いーや。あれは得意気と言うより威嚇だったぞ……。
けれど「わかってる、ごめんな」
と、俺の髪を撫でて満足そうに微笑まれてしまうと、もう言うことなどない。
俺達は並んで飲食処に入り、お客様のお饗しに入ったのだった。
そして再び光が灯され、大きな鏡の中から現れた魔手の姿が浮かび上がる。
魔手は美しいテノールボイスで歌声を響かせ、踊り子を目指す少女・野菊の精神を支配する。
観客も楓演じる魔手の歌声にうっとりと聞き入っていた。
魔手は魔力を使って野菊の周囲を不幸にしていくのだが、その凶行の裏にある悲哀や、狂おしいまでの野菊への愛情が痛切に伝わり、観客は息を呑み、ため息をつき、涙を滲ませた。
また、野菊と恋仲の清一も、俺と牡丹が日替わりで演じる野菊にも、それぞれの苦悩があり、誰しもの心にあるその感情は観客の心を掴んだ。
そして、劇中劇のダンスシーン。
鬼の面を斜め半分に割ったものをつけた楓をセンターに、今回男形をやったなずなや夕顔、全部で六人が三角形の陣を作り、江戸では初のヒップホップダンスを披露した。
見たことのない、江戸の人にとっては奇妙なダンスがこの演目の妖しい雰囲気に合うと大絶賛され、華屋の新年初の公演は大成功を収めた。
この初日公演には、江戸の歌舞伎三座の会長達を招待していた。勿論、どの会長もお褒めの言葉を残して帰られ、特に市山座は楓にすっかり惚れ込んだそうで、大和座と話を付けて楓獲得に本格的に乗り出したのだと旦那さんから聞いている。
そしてなんと。まだ菊華の俺まで目にかけて下さったそうで、公演が休みの日に将来についてゆっくりと話をしたいと申し出があり、五つ先に旦那、女将、楓と俺で市山座の舞台見物と食事会に行くことになったのだ。
これには権さんも大喜び。そして勿論楓も。
夢が現実に一歩ずつ近づいてるんだ、と俺を皆の前で抱き上げてクルクル回すもんだから、恥ずかしいやら目が回るやら嬉しいやら……感情が追いつかないよ。
「これ、今から大旦那様達もいらっしゃるんだからしゃんとしな!」
いつまでも俺を抱き上げている楓に女将が言った。
そうだ。新年公演ではこの湯島のお偉方との挨拶が習わしだ。せっかくいい舞台をお見せできたのに、大旦那様に笑われちゃ堪らない。
左から楓、牡丹、俺。それに小花のトップになったあざみと若草トップのなずなが一列になって並んだ。
奥からぞろぞろとお偉方が歩いて来られる。
……え…………。
大旦那様のすぐ後ろ。
背の高い、艶のある黒髪を結ったその人に俺の目は……恐らく楓の目も、釘付けになった。
保科様……。
江戸にお帰りになっていたのか? なんの噂も流れてきていなかった。いつ……?
お偉方が順に声をかけて下さり、次々と通り過ぎるあいだに、心臓がどくん、どくんと跳ね始める。大旦那様が「新公演も素晴らしかった。百合が裏方にも尽力していると聞いているよ」と言う声は、心臓の音が煩くて聞こえにくい。
でも鼓動が煩いのは恋しいからじゃない。不意なことで驚いただけだ……。
「百合」
優しい懐かしい声に呼ばれる。鳩尾がきゅ、と縮んだ気がした。
「久しいな。菊華になってからの活躍は父より聞き及んでいた。明日は百合が野菊を演るそうだな。楽しみに参らせてもらうよ」
変わらない、慈愛に満ちた眼差しを注いで下さる。
「ありがとうございます。……保科様、いつ江戸にお帰りに?」
「実は昨晩なのだよ。年終わり間際まであちらで仕事があってね。行かせたのは父なのに、正月まで戻らないとは、と叱られて戻ったのだ。だから再来週にはまた上方へ戻るんだけれどね」
ふふふ、と言う優しい音色みたいな笑い方も変わらない。
……当たり前か。たった一年会わなかっただけなんだから。
でも、もう随分と長い年月が経ったような気がする。
「そう……ですか。どうぞお身体にお気をつけて、佳いお正月をお過ごし下さいね」
ほら。
もう鼓動は整い、落ち着いて返事を返せる。保科様に恋焦がれたのはもう過去のことだから。
保科様は「うん」と言うと、牡丹の前へ、そして最後に楓の前に移った。
「やあ、楓、本当に見違えた。立派な男形になったのだね。この湯島の花街に新しい風を入れ、盛り立ててくれてありがとう」
「保科様お帰りなさいませ。お褒めの言葉、ありがとうございます。これも皆、華屋とお客様の大きな支援があったからこそ。……そして、常に百合が寄り添ってくれたからこそです」
深いお辞儀の後、胸を張り、顎を上げて、堂々とした佇まいで楓が答える。
保科様はその姿に見蕩れたのだろうか、ほんの一瞬の間を置いたように見えた。
「そう……。百合と切磋琢磨しているのだね。良い研鑽仲間となり喜ばしいことだ」
「はい。これからも二人で華屋を……歌舞伎の世界を盛り立てていく所存です。どうぞ俺達を見守って下さい」
楓の妙な強調に俺と牡丹だけが気づき、牡丹に横目で視線を送られて気まずい。
楓ってば、もう……。
保科様は返事は声に出さずに瞼を伏せて頷くと、他のお偉方と同じく食事処へと向かって行った。
遠くなる背中を見ても、もう寂しくない。
それよりも……
「楓、ちょっと剣のある言い方だったぞ……俺、もうなんともないんだから」
挨拶を終えた俺達も食事処へ向かう。
その道すがら、楓の袖を引っ張り小さな声で伝えると楓はハハハ、と笑った。
「うん。でもさ、百合は俺のもんだぞ、って自慢したかったから、つい得意気になったんだ。百合の気持ちはわかってる。心配かけてごめんな」
いーや。あれは得意気と言うより威嚇だったぞ……。
けれど「わかってる、ごめんな」
と、俺の髪を撫でて満足そうに微笑まれてしまうと、もう言うことなどない。
俺達は並んで飲食処に入り、お客様のお饗しに入ったのだった。
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