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ちぎりきな かたみに袖を
暗転 弐
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見世が休みの日。
市山屋さんの座を訪れるため、権さんが気合いを入れて俺を飾り立てた。
「百合、粗相するんじゃねぇぞ。良いか、あんまり喋らず、ただ品よく頷いとけ」
最後に羽織をかけてくれながら、子を心配する親のように口煩く言う。
「もー、権さん。俺だってもう華の一人なんだよ? ちゃんとやれるよ」
「ほら、それだよ。気を抜くとすぐそんな話し方しやがって」
「それは権さんだから……」
そうやって掛け合って話していると、楓が吹き出しながら入って来た。
「部屋の外まで声が響いてるぞ。……ああ、百合、綺麗にしてもらったな。流石権さんだ。百合に一番似合う、珊瑚の色の紅だ」
楓が俺の顎に手を伸ばし、くい、と上げる。
いつも躊躇いなく紡ぐ俺への賛辞。そして濡れたような茶色の瞳で真っすぐに俺を見つめる。恋人になってどれだけ日が経っても、楓にそうされると胸が騒いで顔が熱くなってしまう。
「……お前ら、市山屋さんの前でイチャつくんじゃねーぞ」
権さんの目が細くなり、呆れた口調で言われて、今度は二人で赤くなった。
「良く来てくれた」
公演のあと、楽屋が並ぶ通路の一番奥の座敷に招き入れられると、陰間の食管理を意識しながらも豪勢に盛り付けられた膳が用意されていた。
寛いで食べてくれ、と勧められ、和やかに会食がスタートする。
市山屋さんは今日の舞台はどうだったか、と俺と楓に問い、俺たちは興奮気味に感想を話した。
江戸にある幕府公認の三座はどこも個性があって甲乙などつけようがないけれど、市山座は積極的に新しいものを取り入れていて勢いがあった。
おそらく、現代でも歌舞伎を牽引している一門の市山屋の祖先なのだろう。歌舞伎は、かの有名な「出雲の阿国」のかぶき踊りが発祥と言われているように、この江戸時代ではまだ、現代で言う大衆演劇の要素が色濃い。その中で市山座の公演は、既に現代の歌舞伎に近い形式を魅せていた。
「本当に素晴らしかったです。男形にも女形にも見せ場があって、見逃すまいと息つく暇もありませんでした」
「そうか。それは良かった。百合は裏方の事情にも詳しいと聞いている。女形としても可能性を感じているし、年季が明けた際には是非この市山座に力を貸して欲しいと思っている」
市山屋さんが力強くも優しい目で俺を見て言うと、俺が頷く前に女将と旦那さんが、わあ、と声を上げ「市山屋様、有難いお言葉。楓と百合をよろしくお願いいたします」と、何度も床に頭をつけた。
楓も顔を綻ばせて喜んでくれて、それがなによりも嬉しい。
「さて、だが、その前に楓だが」
市山屋さんは楓に視線を移し、和やかで気の良い表情から一転「市山座の座長」の剛直な顔に戻った。
「聞き及んでいるとは思うが、大和屋と話がついた。あと、半年のうちに楓は市山座に、牡丹は大和座に迎え入れる手筈が整う」
ぶわ、と体中の毛穴が開く感覚がした。
女将と旦那はいよいよ平身低頭になり、楓の喉仏が上下して生唾を飲み下したのがわかった。
「楓の能力は底知れぬと評価している。将来的にはこの市山座の立役者として後世まで語られる座を作り上げて欲しい」
────凄い。これはもう「実質の後継者に」と宣言されているようなものだ。
座卓の下で小刻みに震える楓の手が俺の手を握り、興奮を伝える。
俺も震えながらその手を握り返した。
約束された楓と俺の芸の道。牡丹の将来も。誰にとっても華屋の繁栄にとっても、これ以上に喜ばしいことはない。
でもそれ以上に。楓が市山座を引っ張り、俺はそばで手伝う──「二人で生きて行く」
それが近い現実になろうとしていることに、気持ちがどんどん昂揚していく。
でも。
「────だが、気がかりが一つある」
女将が溢れる涙を袂で拭いた時、市山屋さんが鋭い声を出した。
「楓と百合。お前達のあいだにはただならぬ空気を感じる。お前達、想い合っているのか」
部屋に緊張が走る。口調から、それを良しとしない雰囲気が刺すように伝わったからだ。
繋いだ手に力が入った。
楓はその手を繋いだまま、座卓の上に静かに置いた。
「そうです。私は百合を愛しています。この先、二人で力を合わせながら人生を歩む所存です」
市山屋さんから目を反らさず、揺るぎない信念を伝える楓。
こんな時なのに、いや、こんな場面だからこそ。相手が誰であろうとどんな場面であろうと、堂々と意思を伝えることができる楓の、男としての魅力が溢れた横顔に見惚れて目が離せなかった。
けれど、市山屋さんもまた、楓を真っすぐに見据えたまま、さらに楓を注視してその目を光らせた。
一瞬の間。
そして
「駄目だ」
氷片で空気を切るような鋭い声。たった三言なのに、その言葉は楓や俺、女将達にも突き刺さる。
「楓。百合は男だ。お前たちの思いが本物だとして民衆の誰がそれを受け入れようか。今ならまだ若い時期の一時の感情、師弟愛、知己愛として微笑まれることもあろう。私自身も兄弟子に憧れ、距離を詰めた時期がある。覚えのある感情だ……そして兄弟子とは今でも同じ道を極める者同士固い絆がある。
だがそれまでだ。人生を共にするとなると話は別。芸の道で名を売る者が嘲笑の対象になるなどあってはいけない。道を志すなら今のうちに気持ちを収められよ」
「私はっ……!」
楓は言い返そうとしたけど、市山屋さんの睨みに言葉が見つからないのか、ぐっ、と押し黙った。
「良いか、楓、百合。この世界で生きていくなら気持ちを収めるのだ。時が過ぎればまた新しい絆が生まれよう。
……それができぬと言うなら……道は閉ざされる。この市山座だけではない。他二座も同じことを言うだろう」
言い方は穏やかでも、強い圧を感じていた。今のままの関係ではどの座も俺たちを取らない。そう言っている。
大きい波に攫われるように、座っているはずなのに足元が頼りなくてぶるぶると震え上がる。
女将も旦那も、そして楓も顔が真っ青だった。
市山屋さんは容赦なく言葉を続ける。
「私は裏で画策するのは性に合わない。だから二人が揃っている今、こうして進言しているのだ。なによりお前達の才能を埋もれさせたくはない。二人とも素晴らしい才があるのだ。
決断しなさい。……そして、楓。将来市山座の台頭に立つであろうお前にはもう一つ条件がある」
市山屋さんの座を訪れるため、権さんが気合いを入れて俺を飾り立てた。
「百合、粗相するんじゃねぇぞ。良いか、あんまり喋らず、ただ品よく頷いとけ」
最後に羽織をかけてくれながら、子を心配する親のように口煩く言う。
「もー、権さん。俺だってもう華の一人なんだよ? ちゃんとやれるよ」
「ほら、それだよ。気を抜くとすぐそんな話し方しやがって」
「それは権さんだから……」
そうやって掛け合って話していると、楓が吹き出しながら入って来た。
「部屋の外まで声が響いてるぞ。……ああ、百合、綺麗にしてもらったな。流石権さんだ。百合に一番似合う、珊瑚の色の紅だ」
楓が俺の顎に手を伸ばし、くい、と上げる。
いつも躊躇いなく紡ぐ俺への賛辞。そして濡れたような茶色の瞳で真っすぐに俺を見つめる。恋人になってどれだけ日が経っても、楓にそうされると胸が騒いで顔が熱くなってしまう。
「……お前ら、市山屋さんの前でイチャつくんじゃねーぞ」
権さんの目が細くなり、呆れた口調で言われて、今度は二人で赤くなった。
「良く来てくれた」
公演のあと、楽屋が並ぶ通路の一番奥の座敷に招き入れられると、陰間の食管理を意識しながらも豪勢に盛り付けられた膳が用意されていた。
寛いで食べてくれ、と勧められ、和やかに会食がスタートする。
市山屋さんは今日の舞台はどうだったか、と俺と楓に問い、俺たちは興奮気味に感想を話した。
江戸にある幕府公認の三座はどこも個性があって甲乙などつけようがないけれど、市山座は積極的に新しいものを取り入れていて勢いがあった。
おそらく、現代でも歌舞伎を牽引している一門の市山屋の祖先なのだろう。歌舞伎は、かの有名な「出雲の阿国」のかぶき踊りが発祥と言われているように、この江戸時代ではまだ、現代で言う大衆演劇の要素が色濃い。その中で市山座の公演は、既に現代の歌舞伎に近い形式を魅せていた。
「本当に素晴らしかったです。男形にも女形にも見せ場があって、見逃すまいと息つく暇もありませんでした」
「そうか。それは良かった。百合は裏方の事情にも詳しいと聞いている。女形としても可能性を感じているし、年季が明けた際には是非この市山座に力を貸して欲しいと思っている」
市山屋さんが力強くも優しい目で俺を見て言うと、俺が頷く前に女将と旦那さんが、わあ、と声を上げ「市山屋様、有難いお言葉。楓と百合をよろしくお願いいたします」と、何度も床に頭をつけた。
楓も顔を綻ばせて喜んでくれて、それがなによりも嬉しい。
「さて、だが、その前に楓だが」
市山屋さんは楓に視線を移し、和やかで気の良い表情から一転「市山座の座長」の剛直な顔に戻った。
「聞き及んでいるとは思うが、大和屋と話がついた。あと、半年のうちに楓は市山座に、牡丹は大和座に迎え入れる手筈が整う」
ぶわ、と体中の毛穴が開く感覚がした。
女将と旦那はいよいよ平身低頭になり、楓の喉仏が上下して生唾を飲み下したのがわかった。
「楓の能力は底知れぬと評価している。将来的にはこの市山座の立役者として後世まで語られる座を作り上げて欲しい」
────凄い。これはもう「実質の後継者に」と宣言されているようなものだ。
座卓の下で小刻みに震える楓の手が俺の手を握り、興奮を伝える。
俺も震えながらその手を握り返した。
約束された楓と俺の芸の道。牡丹の将来も。誰にとっても華屋の繁栄にとっても、これ以上に喜ばしいことはない。
でもそれ以上に。楓が市山座を引っ張り、俺はそばで手伝う──「二人で生きて行く」
それが近い現実になろうとしていることに、気持ちがどんどん昂揚していく。
でも。
「────だが、気がかりが一つある」
女将が溢れる涙を袂で拭いた時、市山屋さんが鋭い声を出した。
「楓と百合。お前達のあいだにはただならぬ空気を感じる。お前達、想い合っているのか」
部屋に緊張が走る。口調から、それを良しとしない雰囲気が刺すように伝わったからだ。
繋いだ手に力が入った。
楓はその手を繋いだまま、座卓の上に静かに置いた。
「そうです。私は百合を愛しています。この先、二人で力を合わせながら人生を歩む所存です」
市山屋さんから目を反らさず、揺るぎない信念を伝える楓。
こんな時なのに、いや、こんな場面だからこそ。相手が誰であろうとどんな場面であろうと、堂々と意思を伝えることができる楓の、男としての魅力が溢れた横顔に見惚れて目が離せなかった。
けれど、市山屋さんもまた、楓を真っすぐに見据えたまま、さらに楓を注視してその目を光らせた。
一瞬の間。
そして
「駄目だ」
氷片で空気を切るような鋭い声。たった三言なのに、その言葉は楓や俺、女将達にも突き刺さる。
「楓。百合は男だ。お前たちの思いが本物だとして民衆の誰がそれを受け入れようか。今ならまだ若い時期の一時の感情、師弟愛、知己愛として微笑まれることもあろう。私自身も兄弟子に憧れ、距離を詰めた時期がある。覚えのある感情だ……そして兄弟子とは今でも同じ道を極める者同士固い絆がある。
だがそれまでだ。人生を共にするとなると話は別。芸の道で名を売る者が嘲笑の対象になるなどあってはいけない。道を志すなら今のうちに気持ちを収められよ」
「私はっ……!」
楓は言い返そうとしたけど、市山屋さんの睨みに言葉が見つからないのか、ぐっ、と押し黙った。
「良いか、楓、百合。この世界で生きていくなら気持ちを収めるのだ。時が過ぎればまた新しい絆が生まれよう。
……それができぬと言うなら……道は閉ざされる。この市山座だけではない。他二座も同じことを言うだろう」
言い方は穏やかでも、強い圧を感じていた。今のままの関係ではどの座も俺たちを取らない。そう言っている。
大きい波に攫われるように、座っているはずなのに足元が頼りなくてぶるぶると震え上がる。
女将も旦那も、そして楓も顔が真っ青だった。
市山屋さんは容赦なく言葉を続ける。
「私は裏で画策するのは性に合わない。だから二人が揃っている今、こうして進言しているのだ。なによりお前達の才能を埋もれさせたくはない。二人とも素晴らしい才があるのだ。
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