枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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ちぎりきな かたみに袖を

暗転 四

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 辛さをぶつけてもぶつけても涙は枯れない。止めどなく流れ出る負の感情が、喉を枯らすほどの嗚咽を出す。

 なぜ俺は好きな人と一緒にいられないんだろう。いつもそうだ。母親は優しかったけど、傍にはいてくれなかった。挙句、俺よりも義父を選んで。
 保科様も俺を通り過ぎて、やっと一生を共に歩いて行ける楓に出会えたのに、どうにもできない力に切り裂かれる。
 現代からも切り離されて江戸に来て、俺は誰とも寄り添えないまま、たった一人で生きていくのだろうか。


  「百合、すまない。歩けるか? ここでは目立つ」
 保科様が半ば抱え気味に俺を促した。
 肩を抱かれて、おぼつかない足を心配されながら、しゃくり上げて歩くのを支えられながら、気づくと保科様のお屋敷に連れて来られていた。

  「まああぁ、百合さん。どうしたんですか?」
 懐かしいたえさんの声。懐かしい保科様の家。
 いつも保科様についているお付きの小早川様も出てきて俺を抱え、以前に俺が使わせてもらっていた部屋に運んでくれた。



 たえさんが熱いお茶を運んでくれて、口に含むと身体中に染み渡る気がした。
 それでも涙は止まることなく、ポタポタと落ちて畳を濡らす。

  「百合、こちらに」
 いつかみたいに保科様が膝を少し開き、腕を広げた。

 俺は首を横に振った。
 保科様に甘えてしまうことは楓を裏切ると思ったから……あぁ、でも、もうそんなの、考えなくていいのかもしれない。
 ぼんやりと思っていると、保科様が自ら動いて俺を抱き寄せた。

 外で慰めてくれた時には、寄りかかる俺の頭だけを撫でていた手が背に周り、すっぽりと俺を包む。身体を預けていいように俺の腰を寄せ、顔を胸にもたれさせてくれた。

  「う、うぅ……」
 暖かさに、再び涙が溢れる。
  
 ごめんなさい、保科様。迷惑をかけて。
 ごめん、楓。涙が止まらないんだ……。



 翌朝、目を開けると暖かい布団にくるまれていた。泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。
 部屋には誰もいなくて、重い瞼をしばたたかせて、勝手知ったる保科家の廊下を歩いた。

  「ああ、百合さん」
 前からいらした品が良い女性は保科様のお母上だ。
  「あ、あっ……あの、申しわけありません。泊めて頂いたようで」
 着ていた着物の乱れを慌てて整えながら頭を下げる。

  「いいのよ。とてもお疲れになっているって忠彬が言っていたわ。今、お顔を見に伺おうかとお部屋に向かっていたのよ。百合さん、お食事は召し上がれるかしら」
 母上様は物腰柔らかく微笑んで下さった。保科様と似た雰囲気に気持ちが解れる。

 そう言えば昨日の朝以降、なにも食べていないけど、まだなにも食べたいとは思えない。
  「いえ、食事は……。あのそれより保科様は……?」
 もう仕事に出られたのだろうか。昨日の事を詫びて、そしてお礼を言いたいのに。

  「ああ、ごめんなさい。忠彬なら早朝に上方かんさいに戻ったのよ」

  「……え……」

  「あなたのことをとても心配していたわ。気が済むまでここにいさせてやってくれ、って。大旦那様も了承していらっしゃるからゆっくりしていらしてね、百合さん」

 そんな……。保科様にあんなにご迷惑をかけたのに、なにも言わずに去ってしまわれただなんて。
 
 ──また、俺を置いて……行ってしまわれた……。

  「いえ、もう大丈夫ですので失礼します。ご迷惑をお掛けしました。すぐに出ます」
 部屋に戻り、掛けられていた羽織を羽織ると、母上様やたえさんが止めてくれるのを愛想笑いで切り抜けて外に出た。

 保科様に知られたらまた一人で歩くなって言われるな……と、思いながら、華屋へ小走りで戻る。



 帰り着くと陰間達は皆、とっくに稽古に出ていた。旦那と女将には保科家から伝達があったようで、保科様の家に泊まったことを知っていた。

  「お前……酷い顔だね。今日の見世は牡丹の出る回だし、お前はゆっくり休んでな」
 俺の腫れた瞼をなぞった女将が、小さく「すまないねぇ」と言ったのを聞いて、また泣きそうになる。
 ぐ、と堪えると、ちょっとだけ口角を上げられた。

 泣くな。泣くんじゃない。楓は今日も舞台に立っているんだ。俺も明日からはまた舞台に立つんだ。ひとり、情けなく弱ってなんかいられない。

 なのに、部屋に一人になると言い知れない虚無感に襲われる。これまで積み上げてきたものが、指からすり抜けていくような気がした。
 
 ……積み上げたもの? 俺は一体なにを、なんの為に頑張ってきたんだ?

 初めは身体を売りたくなくて大華になってやると思った。それから、保科様に喜んで欲しくて頑張った。それから、それから……楓と共に生きて行きたくて……。

  「う……ぅう」
 声を上げたら女将や旦那が気づくだろう。
 俺は着物の袂を噛んで必死に堪えた。胃がひっくり返りそうな位の苦しさだった。


 それでも昨日から一日中泣いていたせいか、時間が経つと酸欠みたいに頭がぼうっとして、悲しさや辛さが麻痺してくる感覚がある。涙ももう出なかった。

 でも、まだなにも頭に浮かばない。今からなにをすべきかも、これからどう生きていくべきかも。
 窓の木枠から見える夕焼けの朱が綺麗だな、なんて、思ったのはそんなことだけだ。

 そうしてしばらくぼんやりと陽が落ちて行くのを眺めていたら、華屋に戻った皆の声が聞こえてきた────廊下を歩く時のキシキシした板の音。金剛が荷物を置く音。いつもの、なにひとつ変わらない毎日の音達。
 俺になにがあろうと、世の中はなにひとつとして変わらないのだ。

 だけどその中に、木を殴るような音で階段を上がってくる音が混じって、俺の部屋の前で止まると、勢いよく襖が開いた。

  「……百合っ……!」
  「楓……」

 額に汗を浮かべ、苦しげに息を切らしている楓が、大きな目を開いて立っていた。

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