枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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ちぎりきな かたみに袖を

終演 弐

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 それから、ほどなくして楓の年季明けを待たずに落籍みうけの儀が執り行われ、楓は事実上市山屋の養子となり、加留さんとの婚約が結ばれた。

 ただ「華屋怪奇奇談」の公演は始まったばかりであり、楓が抜けたあとの穴を埋められる人材も今はいないため、あと三ヶ月ほどは楓は華屋での暮らしを続けることになっていた。

 楓は自分の稽古の他、なずなを男形にする指導に時間を費やした。また、加留さんと婚約をしたことで、陰間としての仕事は一切受けなくなった。
  代わりに時々加留さんが華屋を訪れ、あれやこれやと楓の世話を焼きに来る。
 楓は「華屋に来るのは花街と言う場所柄的にも好ましくない」と遠回しに断っていたけど、そんな時、加留さんは傷ついたような表情を見せて胸にしがみついて、いつも楓を困らせた。

 俺はそんな二人を見ても目はそらさない。同じ世界で生きていくなら、この先もずっとこんな光景を見るだろう。二人が結婚をして、子供ができて……手に手を取り合って市山座を盛り立てていく姿を何度も見るのだろう。

 だから、早く平気になる為に。
 加留さんの隣で幸せに微笑む楓を見て「俺も幸せだ」と思えるように。

 でも……人恋しい。心の寒さが肌をも刺すようで、いつも体が冷えて凍えそうだった。
 だから俺は自分から申し出た。

  「女将、私、そろそろ客を取りたいんだけど」
  「百合、大丈夫なのかい?」

 あの厳しい女将にそんなふうに言われるなんて。随分長いあいだ褥仕事をさぼっていたんだから、叱ってくれたらもっと早くに再開していたのに。

  「うん。たださ、事件のこともあるし、盃を交わすのはまだ恐いんだ。悪いけど何人かのお客さんと馴れてから考えていい? その代わりに人数は多くしてくれていいよ。今まで休んだ分、働かなきゃね」
 そう建前を言ったけど、本当は沢山の人肌に触れられたかった。

 誰でもいい。肌を寄せて欲しい。めちゃくちゃにしてくれてもいい……なにも考えられなくなるくらい。


  *** 
  

  「百合、大丈夫か。最近客を入れすぎだぞ」
 褥仕事を再開してからは毎晩三件、休みなく客を回していた。
 権さんはそんな俺の髪を心配そうに結っている。
 俺の髪はもう、肩甲骨を隠すくらいに長くなった。

  「全然。ここに来て要領も掴んだし。前に旦那さんが褥の数は芸の歴、って言ってたけど、なるほどなと思うよ。最近俺、女形の魅力が上がったって評判でしょう?」

 そうなのだ。
 多くの客と関わることにより、客の様々な欲望が透けて見えるようになってきた。欲と言っても悪い意味だけじゃない。楽しい、嬉しい、苦しい、辛い、悲しい、寂しい……誰もが持つ感情。客はそれを俺達陰間の中に吐き出しに来るんだ。

 中には本当に性の快楽だけを求める客もいるけど、誰しも理由があって華屋に来ている。それを垣間見た時、俺の中で役の表情をこんなふうに演じてみよう、こんなふうに歌ってみようとイマジネーションが湧くのだ。

 ────ただ、誰も俺の寒さを埋めてはくれないけど。

 でもその寒ささえも演技には役に立った。
「百合の最近の哀愁はそのあたりの女よりそそられるねぇ」と客はいたく喜んでくれる。

  「そうだけどよぉ……あ、いてて」
 権さんが胃のあたりを押さえた。

  「権さん、大丈夫? 最近ずっと痛そうじゃん。一度小山内様に診て頂きなよ」
  「大丈夫だよ。俺も歳だな。酒を減らすさ」
 そう言って、権さんは楽屋の外に逃げた。

 もう、医者嫌いなんだから……。俺の事件以降、やっぱり痩せたままだし、心配なんだけどな。

  「ほら、百合、出るぞ」
 逃げた権さんが暖簾の下から顔だけを出して、俺を舞台に促した。

 
 ─────今日は楓の最後の舞台だ。
 舞台が終われば楓はそのまま市山屋さんのお屋敷に入り、華屋には戻らない。
 そして、俺はあれから色々と考えて、市山座には入らないことを決めた。

 やっぱり、楓と同じ座に入るのは辛い。加留さんと楓が二人でいる姿には慣れてきたけど、いくら仕事でも物理的な距離が近すぎるのは互いに遠慮もするだろう。
 だから舞台上の演出でも、楓に抱きしめられるのも吐息がかかるくらい顔を寄せるのも、今日が最後だ。

 覚えておこう。楓の癖、楓の温度、楓の息遣いを……。


  *** 


 魔手が嘆き悲しむ。
  「なぜ私の愛がわからない。伝わらない。こんなにも野菊を求めているのに」

 最初、単なる征服欲とゲームで野菊に呪縛をかけていた魔手が、どうやっても魔力に抗い恋人の元へ行こうとする野菊を求め、追いつめて殺そうとする二幕目最大の見せ場だ。

 首を絞め、野菊にキスをして窒息させようとする。
 その時野菊の心の中に、魔手の悲しい過去や気持ちが流れ込む。
 息も絶え絶えになった野菊は必死で手を伸ばし、鬼の面に覆われていない部分の頬に触れる。

  「ああ、なんて悲しい方なのでしょう。可哀想に。誰かに愛されたかったのですね。ごめんなさい。気づかなくて。こんなふうにしか愛を伝えられない哀れな貴方……」

 刹那、面で隠れた側の魔手の瞳から一筋の涙が落ち、面が割れる。
 面に隠されていた顔は過去の火傷で爛れてはいるが、そこには苦悩と哀愁を漂わせた「人間らしい」顔が。

  「ああ、優しい顔をしてらっしゃる。大丈夫です。貴方ならきっと愛してくれる人がいる。魔力に頼らず自信を持って人を愛して下さい……」
 野菊が事切れ……。

 魔手は叫び、自分を悔い改める。
  「私が愛していたのは野菊だ。お前に愛されたかったのに……私はなんという間違いを……!」

 そこに野菊の恋人清一が現れ、魔手に放った矢が心臓を貫き、魔手は野菊に重なるようにして死を迎えた。


 ────ああ、楓、本当に泣いているの? 

 窒息させる為のキスをする時、本当に熱い唇が重なった。
 死の演技の直前、俺を抱きしめる手は震えていた。
 台詞が、俺を愛している、と聞こえた。
 俺の胸の上に倒れている楓の手は、観客から見えない所で俺の手を包んでいた。

 楓もわかっているんだね。これで本当のさよならだって。

 ねぇ楓。幕が、閉じて行くね……。



 終演後、俺だけが楓を見送らなかったけど、誰もなにも言わなかった。

 誰もいなくなった舞台の端で、俺は一人で座っていた。  

 天窓から柔らかい光が差す舞台中央を眺めていると、別れを決めてから三ヶ月のあいだ、あくびの時でさえ出なかった熱いものが目に膜を張った。

 次第に景色が歪む。

 隣にはいつも楓がいた。

 ここでいつも肩を寄せ合った。
 絡めて繋いだ手はいつも暖かかった。

 いつも隠れてキスをしたね。将来の夢を語り、笑い合い、幸せを夢見たね。

 俺を……愛してる、と言ってくれたね。

 たくさんの温もりをありがとう。


 楓、楓。大好きだったよ。


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