76 / 149
いつか見た夢
親愛 壱
しおりを挟む
文月前。
牡丹が大和座に入り、華屋の華は俺だけになった。とは言え「はい、百合が次の咲華ですよ、大華ですよ」となるわけもなく、俺は菊華のままだ。
「お前にはなぁ、まだ教養がないんだよ。大華に成る者、幕政から流通、流行りのネタまで熟知してなきゃなんねぇんだよ。書物を読みな、書物をよ」
旦那から言われ、舞台帰りに権さんに連れられ本屋に寄った。
ちなみに江戸時代の本屋にも種類がある。
宗教の経典や医学書・哲学書など、堅い内容の学術書を扱う本屋を「書物屋」
浄瑠璃・浮世絵なんかの娯楽的なものを扱う本屋を「草紙屋」
絵本や春画から手習いまで、種類多く取り扱うのが「書林」だ。
俺は書林に行きたかったのに「百合はすぐに脱線しそうだ」と書物屋に連れられた。
書物屋に入るなり紙と顔料の匂いに包まれる。
この時代は木版印刷で本を刷っているから原料の香りが濃くて、小学校の授業でやった版画を思い出した。嫌いじゃない。
かと言ってこ難しい本が得意になれるわけでもない。
「儒教に和歌・俳句……医学書は流石に要らないよなぁ……」
「百合ちゃん?」
本を探す俺の後ろで懐かしい声がする。
この声は……
「菖蒲さん!」
振り向くとやはり懐かしい顔。陰間を引退して男の姿をしているのに、顔はお雛様の菖蒲さんが立っていた。
懐かしさに互いに手を取り合い「女子」のように騒ぐ。しかし、書店の旦那に睨まれた俺達は店の外へと追いやられ、権さんも一緒に近くの団子屋に入って話に花を咲かせた。
「菖蒲さん……今は照芳様か。元気そうだね」
菖蒲さんは今は「小山内照芳」として小山内様の元で医者見習いとして励んでいる。
「うん。ありがとう。百合ちゃんは……」
照芳様が言葉を呑んだ。
元気? とも聞けないのだろう。つい先日あった楓の祝言でも再会するはずだったのに、俺は腹痛で行けなかったから。
「あー、大丈夫。大丈夫です。」
から元気に見えるかもしれないけど、笑って言った。
照芳様はそんな俺の背を労るように撫でると、気を遣ったのか話題を変えてくれる。
「そうだ。書物屋でなにを探していたの?」
「それが……」
俺は旦那に言われたことを話した。すると、照芳様が思いついたように手を合わせ叩き、言ってくれた。
「私が教えてあげるよ。これでも菊華を務めたんだ。役に立つと思うよ」
照芳様からの提案は願ってもない話で、褥仕事を調整してもらった俺は三日おきに麹町の小山内邸に通うようになった。
元・菊華だからというだけではなく、医学の吸収も早かった照芳様は頭の造りが違えば人への教え方も上手かった。
「照芳様のおかげでかなり知識が増えました。ありがとうございます! それにしても、やっぱり華って凄いんですね。照芳様、尊敬します」
「ふふ。百合ちゃんだって華じゃないか。それに私なんか全然だよ。牡丹ちゃんも影での努力は凄まじかったし、楓ちゃんなんかはもっと……」
言いかけてハ、と口篭る。
「……あー、あの、気を遣わないで下さい。私達の会話には絶対出てきちゃうし、芸の道でやって行くならこれからも絶対関わりはあるし……」
気まずい沈黙を破ろうとして話し出して、俺まで口篭ってしまった。
……だめだな。
楓が去って半年近くになるのに、名前を出せば未だに苦しくて。
勿論一日中楓のことを考えてるわけじゃない。だけど楓と過ごした今までの日々が当たり前すぎて、思い出は、こうしていとも簡単に日常に入り込んでくる。
楓の祝言の日だって……仮病じゃない。本当にお腹を下して二日間は褥仕事も休んだんだ。だけど、それで祝言のあとのお披露目会に行かなくて良くなってホッとしたのは確かだった。
「楓の幸せが俺の幸せだ」なんて、かっこつけた割に、祝ってやることも顔を見ることさえも俺にはできなかった。
「百合ちゃん……」
照芳様が優しい手で背を撫でてくれる。
「あ。ハハ。すいません。女々しいですね。早く忘れなきゃって思うんですけど」
言いながら口の中が熱く苦しくなって、目の縁には涙が滲んだ。
その涙が一粒にまとまって零れようとした時
「百合、そろそろ帰らねぇと」
迎えに来てくれた権さんの声がして、急いで目をこすった。
照芳様と、奥の部屋にいらした小山内様にお礼をして玄関に出ると、権さんは肩で息をしている。
いつも走って来るのだろうか。
「権さん、最近汗が凄いね。大丈夫?」
俺は毎回その汗を拭く。
すると、いつもは様子を見ているだけの照芳様が、今日は権さんのそばに寄り体に触れて言った。
「権さん……今度ゆっくり話せるかな」
「えっ、なんだよ急に」
権さんは苦笑いをして身体を引いたけど、俺はピンと来た。
「ほら~。最近お酒、飲みすぎてるんだよ。最近の権さんたら肌の色も変に黄色いし口も臭いんだよ? 身体を悪くする前に照芳様と小山内様に良く見て頂かなきゃ。ねっ、照芳様」
照芳様はふふふ、と笑い、権さんは「ひでぇこと言うなぁ」と、手のひらに自分の息をハアーと吐いていた。
この時、俺は気づくべきだったんだ。
照芳様の笑顔の目が笑ってなかったこと。そして、手のひらで隠れた権さんの顔が、なにかを決意した表情だったことに。
牡丹が大和座に入り、華屋の華は俺だけになった。とは言え「はい、百合が次の咲華ですよ、大華ですよ」となるわけもなく、俺は菊華のままだ。
「お前にはなぁ、まだ教養がないんだよ。大華に成る者、幕政から流通、流行りのネタまで熟知してなきゃなんねぇんだよ。書物を読みな、書物をよ」
旦那から言われ、舞台帰りに権さんに連れられ本屋に寄った。
ちなみに江戸時代の本屋にも種類がある。
宗教の経典や医学書・哲学書など、堅い内容の学術書を扱う本屋を「書物屋」
浄瑠璃・浮世絵なんかの娯楽的なものを扱う本屋を「草紙屋」
絵本や春画から手習いまで、種類多く取り扱うのが「書林」だ。
俺は書林に行きたかったのに「百合はすぐに脱線しそうだ」と書物屋に連れられた。
書物屋に入るなり紙と顔料の匂いに包まれる。
この時代は木版印刷で本を刷っているから原料の香りが濃くて、小学校の授業でやった版画を思い出した。嫌いじゃない。
かと言ってこ難しい本が得意になれるわけでもない。
「儒教に和歌・俳句……医学書は流石に要らないよなぁ……」
「百合ちゃん?」
本を探す俺の後ろで懐かしい声がする。
この声は……
「菖蒲さん!」
振り向くとやはり懐かしい顔。陰間を引退して男の姿をしているのに、顔はお雛様の菖蒲さんが立っていた。
懐かしさに互いに手を取り合い「女子」のように騒ぐ。しかし、書店の旦那に睨まれた俺達は店の外へと追いやられ、権さんも一緒に近くの団子屋に入って話に花を咲かせた。
「菖蒲さん……今は照芳様か。元気そうだね」
菖蒲さんは今は「小山内照芳」として小山内様の元で医者見習いとして励んでいる。
「うん。ありがとう。百合ちゃんは……」
照芳様が言葉を呑んだ。
元気? とも聞けないのだろう。つい先日あった楓の祝言でも再会するはずだったのに、俺は腹痛で行けなかったから。
「あー、大丈夫。大丈夫です。」
から元気に見えるかもしれないけど、笑って言った。
照芳様はそんな俺の背を労るように撫でると、気を遣ったのか話題を変えてくれる。
「そうだ。書物屋でなにを探していたの?」
「それが……」
俺は旦那に言われたことを話した。すると、照芳様が思いついたように手を合わせ叩き、言ってくれた。
「私が教えてあげるよ。これでも菊華を務めたんだ。役に立つと思うよ」
照芳様からの提案は願ってもない話で、褥仕事を調整してもらった俺は三日おきに麹町の小山内邸に通うようになった。
元・菊華だからというだけではなく、医学の吸収も早かった照芳様は頭の造りが違えば人への教え方も上手かった。
「照芳様のおかげでかなり知識が増えました。ありがとうございます! それにしても、やっぱり華って凄いんですね。照芳様、尊敬します」
「ふふ。百合ちゃんだって華じゃないか。それに私なんか全然だよ。牡丹ちゃんも影での努力は凄まじかったし、楓ちゃんなんかはもっと……」
言いかけてハ、と口篭る。
「……あー、あの、気を遣わないで下さい。私達の会話には絶対出てきちゃうし、芸の道でやって行くならこれからも絶対関わりはあるし……」
気まずい沈黙を破ろうとして話し出して、俺まで口篭ってしまった。
……だめだな。
楓が去って半年近くになるのに、名前を出せば未だに苦しくて。
勿論一日中楓のことを考えてるわけじゃない。だけど楓と過ごした今までの日々が当たり前すぎて、思い出は、こうしていとも簡単に日常に入り込んでくる。
楓の祝言の日だって……仮病じゃない。本当にお腹を下して二日間は褥仕事も休んだんだ。だけど、それで祝言のあとのお披露目会に行かなくて良くなってホッとしたのは確かだった。
「楓の幸せが俺の幸せだ」なんて、かっこつけた割に、祝ってやることも顔を見ることさえも俺にはできなかった。
「百合ちゃん……」
照芳様が優しい手で背を撫でてくれる。
「あ。ハハ。すいません。女々しいですね。早く忘れなきゃって思うんですけど」
言いながら口の中が熱く苦しくなって、目の縁には涙が滲んだ。
その涙が一粒にまとまって零れようとした時
「百合、そろそろ帰らねぇと」
迎えに来てくれた権さんの声がして、急いで目をこすった。
照芳様と、奥の部屋にいらした小山内様にお礼をして玄関に出ると、権さんは肩で息をしている。
いつも走って来るのだろうか。
「権さん、最近汗が凄いね。大丈夫?」
俺は毎回その汗を拭く。
すると、いつもは様子を見ているだけの照芳様が、今日は権さんのそばに寄り体に触れて言った。
「権さん……今度ゆっくり話せるかな」
「えっ、なんだよ急に」
権さんは苦笑いをして身体を引いたけど、俺はピンと来た。
「ほら~。最近お酒、飲みすぎてるんだよ。最近の権さんたら肌の色も変に黄色いし口も臭いんだよ? 身体を悪くする前に照芳様と小山内様に良く見て頂かなきゃ。ねっ、照芳様」
照芳様はふふふ、と笑い、権さんは「ひでぇこと言うなぁ」と、手のひらに自分の息をハアーと吐いていた。
この時、俺は気づくべきだったんだ。
照芳様の笑顔の目が笑ってなかったこと。そして、手のひらで隠れた権さんの顔が、なにかを決意した表情だったことに。
5
あなたにおすすめの小説
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結】国に売られた僕は変態皇帝に育てられ寵妃になった
cyan
BL
陛下が町娘に手を出して生まれたのが僕。後宮で虐げられて生活していた僕は、とうとう他国に売られることになった。
一途なシオンと、皇帝のお話。
※どんどん変態度が増すので苦手な方はお気を付けください。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
寄るな。触るな。近付くな。
きっせつ
BL
ある日、ハースト伯爵家の次男、であるシュネーは前世の記憶を取り戻した。
頭を打って?
病気で生死を彷徨って?
いいえ、でもそれはある意味衝撃な出来事。人の情事を目撃して、衝撃のあまり思い出したのだ。しかも、男と男の情事で…。
見たくもないものを見せられて。その上、シュネーだった筈の今世の自身は情事を見た衝撃で何処かへ行ってしまったのだ。
シュネーは何処かに行ってしまった今世の自身の代わりにシュネーを変態から守りつつ、貴族や騎士がいるフェルメルン王国で生きていく。
しかし問題は山積みで、情事を目撃した事でエリアスという侯爵家嫡男にも目を付けられてしまう。シュネーは今世の自身が帰ってくるまで自身を守りきれるのか。
ーーーーーーーーーーー
初めての投稿です。
結構ノリに任せて書いているのでかなり読み辛いし、分かり辛いかもしれませんがよろしくお願いします。主人公がボーイズでラブするのはかなり先になる予定です。
※ストックが切れ次第緩やかに投稿していきます。
ギルド職員は高ランク冒険者の執愛に気づかない
Ayari(橋本彩里)
BL
王都東支部の冒険者ギルド職員として働いているノアは、本部ギルドの嫌がらせに腹を立て飲みすぎ、酔った勢いで見知らぬ男性と夜をともにしてしまう。
かなり戸惑ったが、一夜限りだし相手もそう望んでいるだろうと挨拶もせずその場を後にした。
後日、一夜の相手が有名な高ランク冒険者パーティの一人、美貌の魔剣士ブラムウェルだと知る。
群れることを嫌い他者を寄せ付けないと噂されるブラムウェルだがノアには態度が違って……
冷淡冒険者(ノア限定で世話焼き甘えた)とマイペースギルド職員、周囲の思惑や過去が交差する。
表紙は友人絵師kouma.作です♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる