枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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いつか見た夢

親愛 五

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 意図しなかった出来事に、息をするのも忘れて海老反りに入る体勢のままで固まった。

 俺の目に逆さまに映るのは、以前よりさらに大人びた、それでもあの頃から変わらない華やいだ美しさを持つ男。

「楓……?」

 楓は無言で俺のそばに来て、肩と腰に手を添えた。
  「百合は筋膜が薄いから曲げ方を間違えたら腰を悪くする。頭を自然に下げて重力に任せてみな」

  「あ、ああ、うん」
 楓に腰のサポートを受けたままま頭を垂らす。肩にあった手が側頭部を支え、ほんの少し斜めに向けられた。

 「顔は舞台だ。基本だぞ」
  「はい」
  「肩を下げろ。力を入れるから腹が出るんだ。前にも言っただろ。力に頼るな」
  「はい」
  「指! すぐに気が抜ける!」
  「ひゃいっ」

 まるで華屋に入ってすぐの頃みたいに楓の激が飛んで、なんでここにいるんだ、なにしてるんだ? なんて疑問は彼方に飛び去った。
 俺は先達の言葉を聞き逃すまいと真剣に耳を傾け、一つずつ忠実に実行する。


  「よし、ここで固定。手を離すぞ」
 手が離れると、肌をかする空気がひんやりとしていて、楓の手に熱が籠っていたのだとわかった。
 その熱さが離れたことにほんの少しだけ不安を感じながらも、俺はそこで身体を止める。

 いち、に、さん、しぃ、ご……楓が呟くように数え終わると、俺は上半身をゆっくりと起こした。
  「……おぉ……できた。今、できてたよね!?」

 思わず笑顔がこぼれると、楓も目を細めて笑ってくれた。不覚にも胸がきゅん、と縮んで、慌てて目線を下にずらす。

 ……仕方ない、どうしたって美しい男なんだから。俺じゃなくったって誰でもそうなるよ……それに、あんなに好きだったんだ。

  「あの、楓。どうしたの? なんでここに?」
 過去の恋心を思い起こした恥ずかしさを消してしまいたくて、早口になる。
 
  「うん。少し前に照芳様が舞台に来てくれて。権さんや百合の話を聞いたんだ。だから俺にもなにか手伝えないかと思って……俺が来たら百合には嫌な思いをさせるかもと思ったんだけど……」
 楓は続きの言葉を出すのをためらいながら、以前そうしていたように、舞台の端に腰を下ろした。

 夕方の薄暗い舞台に一つだけ置いた行燈の灯りが楓の頬を照らし、陶磁器のような滑らかな白肌に長い睫毛の影が落ちて、女形であった名残が垣間見える。俺も隣に座り、その造形美に見とれながら、無言で楓の言葉を待った。

  「……けどあまりにも酷い出来じゃないか。しかも俺を厄介だとか聞こえたから、つい躊躇なく出て来てしまったんだ。百合、もっと真剣にやれ」

  「……はぁ? 」
 がく、と肩が下がった。
 なにを言うかと思ったら、まさかの駄目出し!?

  「百合は気持ちだけ先行しがちだから駄目なんだよ。心技一体。感情を体に乗せろ。爪の先、髪の一本にまで気持ちを込めるんだ。ほら、見てやるから続きだ。座敷までの時間しかないんだろ? 金剛が迎えに来るまでもうあと少しだけ」
 変わらず芸に熱い楓が俺の手首を取り、立たせた。

 瞬間、バランスを崩した体は楓の胸へと倒れ、回された腕に抱き止められる。

  「わ、ごめん」
 慌てて身体を離すと、楓は 「相変わらずおっちょこちょいだな」と苦笑いした。

 けれど手首は掴まれたままで、振り解けば意識しているようで、かと言ってこのままでは居心地が悪くて……俺が考えあぐねていると、楓の手に力が込められた。

  「楓?」

  「……百合……俺。俺な」
 唇が一旦結ばれ、再び小さく開く。
  「俺……来年には父親になるんだ。……どうしてもこれだけは自分で伝えなけりゃって……」


 ────────────!
  「お、おめでとう! すごい、おめでとう!」

 言葉はもう条件反射だった。
 その言葉しか知らないみたいに。
 反対に、頭の中では言い表せないほどたくさんの感情が駆け巡っている。

 その中にはわずかに残っていた楓への気持ちも、愛された日々への郷愁も、別れを決意した日の胸を押し潰す痛みも、そしてさっき楓の胸に鼻がかすった時の、今までとは違う香りへの妙な納得──楓の毎日と未来が安定しているらしいことへの安堵……それを心から祝いたい気持ちも。
 様々な思いがぐるぐる、ぐるぐる、と。


 でも……。

 ……あぁ、俺、もう大丈夫だ。

  「良かったなぁ、楓」
 言うと、胸がスッと軽くなった。
 少しだけ涙が滲むのは、このあいだ溶けた、心の氷片の名残りだ。これが乾けばきっともう、楓を思って涙を流すことはないだろうと確信する。

 対して楓は、重い荷物を背負ったみたいに身体を縮め、別れを決めた時と同じ、思いつめた表情をしていた。
  「百合……。ごめん。こんなこと言いに来て……でも俺……」
  「わかってる。俺、楓のこと、わかってるよ?」

 俺の手首を掴んだまま震える楓の手を、反対の手で包んで握り返す。
 
 今日、ここに足を向けるのにどれだけ悩んだのだろう。
 会わなかった九ヶ月のあいだずっと、夢や周囲からの期待を裏切れずに俺を残して華屋を去った自分を責めたはずだ。

 真っすぐで愛情深い楓だから、きっと俺を思い続けていてくれただろう。けれどそばで楓に愛情を注ぐ人達を無下にもできず、葛藤しただろう。
 離れてなお、新しい暮らしを全て捨てて俺の元へ帰ろうと、何度も思ってくれたに違いない。けれど俺の言葉を思い出して、一心に踏ん張ってくれてたよね? 
「楓の成功が俺の幸せだよ。別の形で俺を幸せにして」と言った俺の言葉を守っくれたんだ。

 そして、移ろう時の中で自分が変わっていくことを自覚し、それを俺が喜んでも罵っても、正面から受け止めようと思って来てくれたんだね。
 きっと他の人から聞いたら、俺の胸はまた傷んだだろうから。

 なんて誠実な男なんだろう。そうやって、誤魔化しのないひたむきな愛情をいつでも俺に注いでくれた楓。
 俺、お前に好きになってもらえたこと、誇りに思う。お前を好きになって良かった。お前と恋をして……本当に良かった。

  「会いに来てくれて、知らせてくれてありがとう。俺、楓が幸せなこと、凄く嬉しい。あのね、俺ももう大丈夫だから。心配いらないからね!」

 俺が笑顔で言うと、楓は困ったような、今にも泣き出しそうな顔をして俺の肩に顔を埋めた。大きな体になったのに小さく震えるから、背をさすってやったらようやく顔を上げて、眉間に皺を残したままでも微笑みを作って頷いた。



 それから、また練習を見てくれた。厳しく、それはもう本当に厳しくて……だからこそ、達成感は強い。

「大華百合の舞台、必ず見に行くから。そして……早く歌舞伎座の舞台に上がってこい。お前と競合できる日を指折り数えて待っている。二人で歌舞伎の未来を創るんだ」
 帰り際、強い言葉を残してくれた楓。
 俺とは違う道を帰って行く楓の背を、俺は清々しい気持ちで見送ったのだった。

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