枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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大華繚乱

焦げ

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  あの日、保科様は旦那と女将と話して帰られ、結果的に蘭は保科家へ預けられる運びとなった。

  勿論、蘭は大喜びだった。
  旗本出の自分が、地の主である保科家に世話になれることで小さな自尊心は守れただろうし、俺と同じ過程を歩めることに安堵感と希望さえ感じているのが見て取れた。
  旦那や女将も、俺が去ったあとの華屋の方向性が見えてきたと、喜びもひとしおの様子だ。

  けれど。俺の中では黒暗い気持ちが渦巻いていた。
  直近で、保科様ご自身が教育に関わった遊女や陰間は俺が最後だ。それ以前に何人かあったのは聞いているけど、俺は直接には知らないから現実味はなかった。
  でも、今回は蘭が……自分に最も近しい陰子が保科様からの仕入れを受ける。

  ───保科様が俺に見せたあの顔、触れてくれた優しい手。あれを蘭が受ける。

  想像すると胸が締めつけられ、思い出が壊されていくような気持ちになった。


  ***


  「あ……ンッ……宗光、そこ……もっとして……」
  「百合ちゃん、可愛い。大好きやで」

  あれから俺は宗光との褥に没頭した。
  そうすることで、自分に生まれた黒く暗い感情を忘れたかった。

  保科様は誰にでも優しい。頼まれれば誰にでも触れる。でも、宗光は俺だけに優しくし、俺だけを愛し、俺だけを抱きしめてくれる。

  ────大丈夫。俺には宗光がいる。宗光を信じて、宗光だけで気持ちをいっぱいにするんだ。
 
  宗光との未来はずっと、続いて行くんだから。


  ***


  「百合様!」
  見世での上演後に明るい声と明るい笑顔が楽屋を訪れた。

  「蘭、久しぶ……」
 俺は言いかけた歓迎の言葉を喉に戻した。

  一ヶ月弱ぶりに会う、肌艶が格段に良くなって美しさが増した蘭と一緒に楽屋に入ってきたのは保科様だった。けれど、俺が言葉を呑んだのは保科様がいらしたからじゃない。

  俺の視線の先、そこにあったのもの──── 蘭と保科様の、しっかりと繋がれた手。

  「百合様、お会いしとうございました」
  蘭が保科様の手を解き、いつものように俺にしがみつこうと足を進める。

   ──────!!

「!? ……百合様っ……!?」 

  バチン、と響いた音と、蘭の震えた声。そして、痛む自分の手のひらに驚いて我にかえった。
  蘭が片手を抑え、怯えた顔で俺の真ん前に立ち、保科様も、俺の横にいた宗光も表情を固まらせている。

   ……俺、今なにをした? 伸ばされた蘭の手……振り払ってしまった?

  「……っ、ごめん、蘭。手がビリッとしたんだよ。びっくりしてつい。手を傷めなかったかい?」
  急いで手を伸ばし蘭の両手を包む。

  「は、はい。大丈夫です」
  蘭は表情を和らげ、躊躇いながらも俺に抱きついた。
 柔らかい体を大事に抱きしめ返すと、微かに香る懐かしい香り。

  ────保科様の、香の香り……。

  また、胸に黒い異物が入り込んで息を苦しくさせる。新しい空気を鼻から吸って喉に通すのに、その分だけ胃のあたりが熱くなり、体の中が焦げて行くような気がした。

  ────蘭を突き飛ばしてしまいたい……俺、おかしい。胸の中、痛い。お腹、気持ち悪い、吐きそう……。
  「ほーら、蘭。離れろ。大華はお疲れなんや。着替えもまだなんやから、ゆっくりさせたり」
  宗光が蘭を小突き、俺から引き剥がした。離れた瞬間、無意識に抑制していた呼吸が元通りになったのを感じる。けれど……。

  「悪かったね、百合。どうも私は頃合いがまずいようだ」
  「違います! 忠彬様は遠慮するよう言われたのです。でも私が百合様にお会いしたくて無理に忠彬様を引っ張って……忠彬様、百合様、申しわけありません」
  「私なら大丈夫だよ。蘭の気持ちはわかっているから」

  慈悲深い眼差しで蘭に微笑む保科様と、保科様の羽織の袖をぎゅっと握り、俺にも顔を向けつつ懸命に詫びる蘭のやり取りは、俺の内部を焦がし続ける。

  いつもならこんなふうにいじらしい蘭を可愛いと思うのに、今は思えない。それどころか……腹立たしい。

  ────「忠彬様」と呼んで、保科様の香りが移るくらい近くにいたのは俺だったのに────

  「百合ちゃん、ほら、着替えよ」
  ふわり、と背から宗光の腕が回り、打掛の合わせが開かれた。

  ……ああ、俺、なんて嫌な考え方をしているんだ。

「うん……」

「よし。手伝ったるから……大丈夫や」

  宗光が打掛を取り去り、優しく背を撫でてくれて、俺は保科様と蘭に頭を下げて見送りの挨拶をすることができた。



  保科様と蘭が楽屋を去り、帰り支度を進める。けれど、さっきまでのおかしな自分が宗光に対しても後ろめたくて、なんとなく無言になってしまっていた。対して宗光は、いつもとなんら変わらない調子で一緒に片付けをしてくれて、弥助さんに俺の荷物を渡し、先に華屋に戻るよう伝えていた。

  弥助さんが楽屋を出ると、化粧を落とし終わりかけの俺に近づいた宗光は、うなじをぺろり、と舐めた。

  「わっ、なに?」
 急なことに驚いて首をすくめた俺を見て、宗光が悪戯っぽく笑う。

  「今日は暑かったから汗の量多いんちゃうかなーと思って確認」

  「もう! なにそれ。やめてよ、恥ずかしい」

  宗光はいつもの様子でハハハと笑って続けた。
  「もう夏がそこまで来てるな。江戸の夏はどんな感じや」

 「んー? そんなに暑くはないよ。あ、でも蚊は江戸でも多いから、華屋でも蚊帳を使うんだ。蚊帳って秘密基地みたいで好きなんだよね、俺」

  俺が答えると、宗光は柔らかい表情で俺の頬に触れ、親指で下まぶたを優しくこする。

  「なに?」

  「いや、そういう顔の方がやっぱりええな。……なあ、金魚、好きか」

  「金魚? 考えたことなかったな。うん、でも好きかも。魚って泳ぐの見てるだけで癒やされない?」

  「よし、じゃあ部屋に金魚置いたる。あとは……両国の花火もあるんやったな。それも一緒に行って、あとは……」

  「なに、急に。そんなに夏が好きなの?」
  あはは、と俺が笑うのを見た宗光の顔もいっそう和らぎ、目を三日月にした。

  「百合ちゃんとおるんやったらどの季節も楽しい。なあ、これからいっぱい楽しいこと考えて、片っ端からやってこな。何回季節が巡っても、いっつも楽しい思いだけ、させてやるからな」

  宗光は一呼吸置いて俺の横にある椅子に座った。
  そして、俺の顔をしっかりと見る。

「……そろそろ華屋に落籍の話もつけんとあかんな。すまいは日本橋あたりがええかな。俺は時々大阪に戻るけどそこなら商売しやすい。屋敷には使用人も多目につけるから、寂しくないし歌舞伎座への送り迎えも心配はいらんからな」

  「…………」


  「何回季節が巡っても」「落籍」
宗光の頭の中にある俺との未来予想図が突如胸に突き刺さる。

  それでも、それは夏が来るという現実感とはかけ離れたことのように思えて、俺はしばらくのあいだ、宗光の顔をただ見つめていた。
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