枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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大華繚乱

脆弱

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  さわらの白木で作られた樽の中にガラスをはめ込んだ江戸時代ならではの金魚水槽。
  江戸時代ならではとは言うものの、高価で普通では手に入らない上等品のそれが、俺の部屋には置かれていた。中では二匹のランチュウが気持ち良さそうに泳いでいる。

  「なんや、また金魚見てたんか」
  ぼんやりと二匹の遊泳を眺めていた俺の後ろから声がした。

  「宗光。おかえり」
  宗光の羽織を預かり、衣紋えもん掛けにかける為に立ち上がろうとする俺に「大丈夫や」と首を振って自分で着替えを済ませる。

  身軽な小袖に着替えた宗光は俺を背中から抱き、すっぽりと包んで、一緒に金魚を見た。
  「気に入ったみたいで良かった」
  
  「うん、思ってたより好きみたい」

  「そりゃ良かった。流石猫やな。でも喰ったらあかんで」

  「もー、だから俺は猫じゃないっての」
  唇を尖らせて宗光に振り返ると、ちょうど宗光の唇と位置が合い「ちゅ」と軽い音のするキスを受ける。

  「俺は百合ちゃんを喰うけどな」
  言うより早く、もう唇は首筋を食み、手はおくみを開いていた。

  「あ、待って、宗光。先に話が」
  宗光の胸を押して体を捻る。先に言わないとタイミングを逃しそうな気がしていた。

  「なに? あとやったらあかんの? 早く欲しいんやけど」

  「ごめん、でも将来のことだから……」
  俺が言うと、宗光は肌から唇を離し、片膝を立てて腰を落ち着けた。

  俺は、来週早々に楓が華屋に来ることを伝えた。
  楓が出向くというのは勿論、市山座入りの答えを聞きに来る為だ。
  俺は話を受けるつもりであること、そして、その話が整うまでは、落籍の話を進めるのは待って欲しいんだと話した。

  「座入りを俺に確認してくれるのは、俺とのことを考えてくれてるからやんな? やのに落籍の件を急ぎたくないってのは矛盾してないか?」

  「違うよ。急ぎたくないわけじゃなくて、俺、器用じゃないから一個一個ゆっくりやりたいんだ。大事なことだからこそ急がないで……華屋を上がるまではあと半年はあるし……」

  「ほんまにそう?」
  宗光の語気が強くなる。
  まるで俺の心を見透かすように────

  「そうだよ……」
  きっと宗光はわかってる。俺が返事を引き伸ばしていることも、その理由も。
  でも俺は、自分でも心が千々に乱れている自分に戸惑っていて、正直な気持ちをさらけ出すことはできなかった。

 お願い、宗光。もう少しだけ時間が欲しいんだ……。


  *** 

 
  良く晴れた日の午後、舞台が休みの日に合わせて楓が来てくれた。
  俺の返事を喜んでくれ、これから一緒に夢を叶えていけるな、と噛みしめるように言った。

  「じゃあ、来年、春先には座入りするってことで整えておく。そうだ、百合。住む場所は決めているのか? なんなら俺が世話するけど」

 心臓がきゅ、と縮んで拍動する。なんとなく言い出しにくいのは楓の厚意を無駄にするからだろうか。
 「大丈夫……あ、あの、身請けの話があって……宗光……様から」

  楓は一瞬息を忘れたように表情を留めた。
  本歌舞伎三座に進む者は将来有望と言われていて、自分の力で充分に身を立てることが可能だ。身請けされるのは楓のような形以外では至極珍しい。だから驚くのは当然だけど、楓の驚きはもっと違う理由だ。

  「……淀橋屋様……百合にご執心とは噂に聞いていたがそこまでとは……。百合はそれでいいのか?」

  「それでいいのかって……宗光様は身分も財力も申し分ないし、家を継ぐわけじゃないから江戸にすまいを構えることに少しの支障もない。それに、めかけって意味じゃなく、生涯俺だけを……大事にしてくれるって言うから……」
  言いながら、理由を連ねて自分自身を納得させようとしている気がして口をつぐんだ。

  「百合、本当に俺が言えた義理じゃないけど……いや、俺ができなかったから余計に。お前には幸せになって欲しいんだ。なあ、百合、お前、心から淀橋屋様を思っているのか……?」
  楓は声を落として遠慮がちに言う。けれどその言葉は一瞬で俺の頭に血を上らせた。

  「……じゃなかったらどうだって言うんだ。求められて応じるのは悪いことか? 俺だけを愛すると言ってくれているのを断れと? じゃあ誰が俺のそばにいてくれるんだ! 俺が望んだ人は皆、俺を通り過ぎていくのに……!」

  「百合……」
  楓が俺の手を握り力を込める。
  「ごめん。ごめん、百合、俺……」

  「……っ。違う、楓を責めてるわけじゃない」
  第三者に気付かれてしまうほどに宙ぶらりんな俺の気持ちと、心の深いところにある不安を消し去れない自分の愚かさと弱さが恥ずかしいんだ。

  「楓。俺怖いんだ。遠い場所から江戸に来て、誰も本当の俺を知らない。そんな場所で頼れる人もなく一人で生きていくのが怖い……だから、無条件でそばにいてくれて、俺を大事にしてくれる人を離したくないって思ってる……俺、ずるいんだ」

  「……百合。これからは近くに俺もいる。牡丹や照芳様だってお前のこと、いつも心配してる。……保科様だって……百合を大事に思ってる。だから一人じゃない。大丈夫だから」

  楓が懸命に訴えてくれる。
  それは確かにそうなんだろう。江戸に来て知り合った人達は皆、それぞれに俺を思ってくれている。

  でも。
  「楓、違うんだよ。俺が欲しいのはそれじゃない……楓、もし火事で俺と加留さん、子供が残されていたら誰を一番に助ける?」

  「それは……っ」

  「そういうことなんだよ。皆の情は感じているし、俺も皆が好きだ。でも、それぞれに一番大切なものは別にあるんだよ。最後まで俺の為だけにそばに居てくれる人なんて……」
  宗光しかいない。

  そう。きっと宗光は、最後まで俺のそばに居てくれるだろう。
  言ってくれた言葉通り、俺の願いを叶え、悲しみや寂しさから俺を遠ざけ、全力で守ってくれる。

  わかっているのに答えを引き伸ばしたのは……保科様が近くにいるから……俺は再び、保科様への気持ちを膨らませている。もう「憧れているだけだ」なんて誤魔化すことはできない。
  そして、どうにもならないと知っているのに、時々気まぐれに与えられる保科様からの優しさを捨てられず、次を請いている自分がいる。

  でも、宗光のことが大切で失いたくないのも本当なんだ。ずるいと自覚していても、宗光が俺の前から居なくなるのはやっぱり嫌だ。

  そんな傲慢な自分の気持ち──どうしていいのかわからない。
俺の中で、まだ答えが出ていないんだ────

「百合、唇を噛むんじゃない」
 楓はそっと俺の頬に触れながら、ごめん、ともう一度続けた。

「だから楓は悪くないって……。俺が弱くてずるいから……流石に呆れただろう?」
 結んでいた唇を解くと、ふふ、と意識なく笑いが出る。
 本当に情けないな。俺。

 「いや。人間なんて皆、なにかしら脆さをかかえているんだ。俺にだってもっと強さがあれば……」

  楓の腕が伸びて、気づくと胸の中に抱かれていた。
  「……楓?」

  「まだまだ頼りないし、百合の望む形ではそばにいることは叶わないけど、でも必ず近くにいる。なにかあったら頼ってくれ」
  腕にぎゅっと力が入る。
  以前よりも広くて厚い胸は、楓が守っているものの大きさを感じさせた。

  「うん……ありがとう」

  俺が背中をさすると、楓は眉を寄せながら口元だけで微笑んで体を離し、華屋をあとにした。
  別れて以降、俺にはああいった悲し気な笑みを見せることの方が多い気がする。情の深い男だから、まだ俺に負い目があるのかもしれない……楓にも安心してもらえるようにならなきゃ。

  顔を上げた先には鏡台。俺の顔も萎れた顔になっている。両手で頬をぱちん、と叩き、にっ、と笑顔を作ってみた。

  ──決めるんだ、悠里。江戸で華を咲かせるのがお前の夢。その夢をそばで支えてくれるのは……。
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