専務、その溺愛はハラスメントです ~アルファのエリート専務が溺愛してくるけど、僕はマゾだからいじめられたい~

カミヤルイ

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見えない鎖がほどけるとき

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(またやってしまった)

 次に目を開けると眩しい光。小鳥のさえずる声。

(朝だ。朝が来た)

「おはよう、千尋」

 すっかり朝の身支度を終えて爽やかに微笑んだ光也が、体を起こした千尋に気づいて当たり前のように髪を撫でてくれる。

「よく眠れたみたいでよかったよ」

 そりゃそうだ。全部してもらって一人で気持ちよくなって、途中からは記憶はないが、またもや一人だけで果ててしまったのだろう。

 光也の下腹をちらりと覗き見てしまう。光也はあの猛りをどう鎮めたのだろう。申しわけなさすぎる。

「すみません……」
「何が? それより、朝の森林は気持ちいいよ。星空もいいけど山の景色も綺麗なんだ。朝食前に軽く散歩に行こう」

 そう言って、肌より少しだけ冷たいミネラルウォーターのボトルを渡してくれる。
 咎めることをしない、いつものさり気ない心配りを見せる光也に促され、千尋は外に出て涼やかな風を肌に受けた。


「それにしても本当に豪華……」

 夜の暗闇では気づかなかったが、七十坪はある別荘は横一線に伸びる切妻屋根に大きな片流れの屋根が組み合わされたモダンなデザインで、山々が見渡せる展望方向に、通常では見ないサイズのガラス窓が集中的に配置されている。
 片流れの屋根の軒下にはガレージとサンデッキが設けられ、デザインだけでなく十分な機能性も兼ね備えられていた。

「でも父やKANOUの持ち物であって、俺が建てたものじゃないからね。俺なら千尋の気配をいつも感じられるような、小さな平屋を建てるかな」

 ──もう、またそんなことばっかり。

 いつもの言葉はもう、口から出なかった。
 喉にじんわりとした熱さが絡んでいる。


 カラマツ林が両側に続く舗装されていない道をしばらく歩けば、その先に遊歩道入口が見えてくる。入り口にはリョウブの白い花が満開を迎え、さまざまな種類の蝶々が甘い蜜に集まっていた。

「わぁ」

 かわいらしい光景に自然に顔がほころび、感嘆の声が出る。

「じいちゃんの家もかなりの田舎で自然がいっぱいだったけど、野原と高原では感じが全然違う。景色って、こんなにもまぶしく感じたかな」

 何もかもが輝いて見える。

(ああ、それもそうか……)

 祖父の家では閉じ込められた部屋から夜空を見上げる以外、景色を楽しむ時間も余裕もなかった。外を歩くときは誰とも目線が合わないようにうつむいていたから、アスファルトしか見ていない。

「ねぇ、千尋。聞いてもいい? ご両親が亡くなったあと、千尋はどう暮らしていたの?」
「それは……」

 光也が聞いているのはどの地で暮らしたとか誰と暮らしたとか、そんな単的なことを聞いているのではないだろう。
 千尋は言葉を濁し、せっかく綺麗に見えている富士山も目に映すことができない。

「教えて、千尋。俺も昨日自分のことを話した。恥ずかしい部分もあったけど、千尋はちゃんと聞いてくれただろう? 俺も同じように聞くから……知りたいんだ。千尋のこと。どうして発情期がこなくなっていたのかも、痛みがないと発情しなくなっていたのかも」

 無理に顔を上げさせることはしないが、光也は千尋の手を握って力を込めてくる。

 暖かい。光也の言葉や体温は、千尋を縛りつけている祖父の鎖を緩めてくれる。

 千尋はおそるおそる顔を上げた。
 琥珀色の瞳が真っすぐに自分を見てくれている。これまでは叱るか罵るか蔑むときくらいしか、千尋を見てくれる人はいなかった。

(冴ゆる星……)

 朝のまぶしい光を受けて輝く光也の瞳に、その言葉が浮かんだ。光也の瞳の光はいつも、千尋の心の暗がりを優しく照らしてくれる。

「あのね、みっくん」

 千尋は優しい瞳に気持ちを押され、ゆっくりと口を開いた。




 「そう、そうだったのか……」
 
 カワラヒワことりがキリリコロロとさえずる見晴らし台のベンチに座り、千尋は過去を話した。
 抑制剤漬けであったことや、常に監視を受けていたこと、誰も愛さず誰にも依存することがないように、と繰り返された言葉も。

「でも! でもね。部屋から出ないようにするのも、ぶつのも、僕のためだって。僕がオメガであるせいで将来に傷がつかないようにするためだって。じぃちゃんはいつも僕の身を案じてる、って言ってくれてた」

 嘘の言葉ではない。千尋は今もそう信じている────信じていないと心を保っていられなかったのは自分でも気づいていない。

 それでも、
「愛情っていろんな形があるね。おじいさんがいらっしゃったから、こうして千尋は立派な社会人になっているんだし、たちの悪いアルファの毒牙にかからずに生きてくることができたんだね」
 と、光也が否定の言葉を使わないことに救われている。

 過去の日々を否定されたらどう答えていいのかわからなかったし、昨夜の言葉通りに、光也があるがままの自分を見てくれている、という安心感を持てた。

「ただ、俺は俺の方法で千尋を愛したい。昨日、守らせてって言ったけど、それは千尋を純粋培養みたいにして悪いものから隔絶するって意味じゃない。外の世界で思うように生きる千尋の隣にいて、困ったときに力になる。千尋が泣いたり笑ったり……そうやって生きていく中で、一人じゃない、一緒に分かち合える相手がいるんだと思ってもらいたいんだ。千尋のご両親が、そうだったようにね」
「お父さんとお母さん……」

 両親が揃っていたあの頃、千尋が活発で負けん気強くいられたのは、すぐに手を貸さず、いつも後ろで見守ってくれる両親の深い愛情があったからだ。
 光也はそれを思い出させてくれる。あのとき、両親と一緒に微笑んでいたみっくんのことも。

「ねえ、いつかお父さんとお母さんの墓前でも誓わせてくれない? 俺が千尋を守りますって」

 当時と同じ笑顔で言われて、胸がきゅうぅと締めつけられる。泣きたいときと同じように目頭が熱くなり、鼻の奥がじんとした。

 胸が張り裂けそうだ。
 目に涙の膜が張る感じがして、千尋は顔を地面に向けた。

 光也はそれをうなずきと受け取ったのか、満足したように小さく「よし」と言って、千尋の手を握ったまま歩き出す。

 それから、一緒に小さな花々を見て、せせらぎを渡り、富士山を眺めながら、お昼は静岡でジャンボエビフライを食べようかと言う光也にうなずいて別荘へ戻った。

 幼い頃からの好物を忘れずにいてくれる。そんな些細なことにも心が震える。

 
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