私より大事な人がいるならどうぞそちらへ。実家に溺愛された私は離婚して帰らせて頂きます!

折若ちい

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第1話:決別の夜

アストリア王国の王宮で開催された夜会は、眩いばかりの光と、着飾った貴族たちの虚栄心に満ちていた。

きらびやかな大広間の中心。音楽が鳴り止んだ一瞬の静寂を切り裂くように、軽蔑を含んだ声が響き渡る。

「リリアーナ。君との婚姻は、私にとって苦痛以外の何物でもなかった。私は本日をもって、君との婚姻の解消を申し立てる!」

声を張り上げたのは、アストリア王国の王太子ジュリアンだ。
その傍らには、か弱げに涙を浮かべ、ジュリアンの腕にすがりつく男爵令嬢マリアの姿がある。

リリアーナは、周囲の貴族たちから突き刺さる好奇と嘲笑の視線を一身に浴びていた。
だが、その背筋は微塵も曲がっていない。
隣国ヴァルハイト帝国から政略結婚で嫁いできて一年。このアストリアの地で、彼女は一度として王太子妃にふさわしい扱いを受けたことはなかった。

「……ジュリアン殿下。今一度、そのお言葉の真意をお伺いしてもよろしいでしょうか」

リリアーナが極めて冷静に、抑揚を抑えた声で問いかける。
しかし、ジュリアンはその態度を「強がり」だと受け取ったのか、鼻で笑った。

「往生際が悪いぞ、リリアーナ! 君がどれだけ私の気を引こうと、私の心は常にマリアと共にある。君は政略結婚の妻という立場を盾に、マリアに嫌がらせを続けただろう。私の愛する人を傷つけるような、冷酷な女をこの国の国母にするわけにはいかない」

「殿下、私はマリア様に嫌がらせなど一度も――」

「黙れ! 言い訳は聞きたくない。我が国とヴァルハイト帝国の平和のために耐えてきたが、もう限界だ。君との婚姻は人生の汚点だった。私には、守るべき真実の愛がある。君より彼女の方が、私にとって何万倍も大事なんだ!」

――ああ。
その瞬間、リリアーナの心の中で、何かが音を立てて千切れた。

(君より彼女の方が、大事だ、か)

アストリア王国の財政難を救うため、そして両国の不可侵条約を維持するために、リリアーナは身を切るような思いでこの国へ嫁いできた。
実家の家族から「行かないでくれ」「頼むから我が家に残ってくれ」と、涙ながらに引き止められたのを説得し、義務を果たそうと努力してきたのだ。

ヴァルハイト帝国でも有数の力を持つ公爵家――ベルンハルト家の愛娘として生まれ、蝶よ花よと、それこそ掌の上で転がすように溺愛されて育った。
父も、母も、そして三人の兄たちも、リリアーナを傷つける者がいれば、相手が誰であろうと容赦なく叩き潰すほど、彼女を大切にしてくれた。

そんな愛に満ちた生活を捨ててまで、この国の窮地を救うために嫁いでやったというのに。
与えられたのは、冷え切った寝室と、使用人たちの陰湿な無視、そして夫からの身に覚えのない冤罪と罵倒の言葉だけだった。

「リリアーナ様、ごめんなさい……っ。私が、私が殿下に愛されてしまったばかりに、あなたを苦しめて……!」

マリアがわざとらしく涙を拭いながら、勝ち誇ったような歪んだ笑みをリリアーナに向ける。
周囲の貴族たちからも、クスクスと忍び笑いが漏れていた。
「哀れな売れ残り」「帝国からの厄介者」
そんな囁きが聞こえてくる。

だが、リリアーナの心にあるのは、悲しみでも絶望でもなかった。
――ただただ、深い『呆れ』と、そして無限に湧き上がる『解放感』だった。

(私は、この男のために自分の人生を削っていたのね。なんて馬鹿げていたのかしら)

リリアーナはふっと、小さく息を吐いた。
そして、これまでの義務感からくるへりくだった態度を完全に捨て去り、生まれ持った高貴な笑みを唇に浮かべた。
その堂々たる佇まいに、冷笑していた貴族たちが気圧されたように口を閉ざす。

「……わかりました、ジュリアン殿下」

リリアーナは扇を閉じ、胸元から一通の書状を取り出した。
それは、彼女が万が一のために肌身離さず持ち歩いていた、すでに彼女の署名と血判が押された「離婚合意書」だった。

「な、なんだそれは……?」
ジュリアンが眉をひそめる。

「離婚届でございます。殿下がそこまで仰るのでしたら、喜んでこの婚姻を解消いたしましょう」

リリアーナは歩み寄り、迷いのない手つきでジュリアンの胸元にその書状を叩きつけた。

「私より大事な人がいるなら、全てを捨ててそちらを取ればよろしいのでは? あとは私の好きにさせて頂きます」

「な……っ! なんだその態度は! 君は自分がどのような立場にいるのか分かっているのか!?」

「ええ、よく分かっておりますわ」

リリアーナは優雅に一礼した。
その顔には、一年間この国で見せることのなかった、心からの美しい笑みが浮かんでいた。

「私は本日をもって、アストリア王国王太子妃の座を捨てます。そして、私を心から愛し、待ってくれている我が家へ帰らせて頂きます。……どうぞ、その真実の愛のお相手と、末永くお幸せになってくださいませ。もっとも、それが叶えばの話ですが」

「負け惜しみを! 帝国に帰ったところで、出戻りの君を歓迎する者などいるはずがないだろう!」

ジュリアンの怒号を背に受けながら、リリアーナはきびすを返した。
彼女の足取りは、羽が生えたように軽かった。

(お父様、お母様、お兄様方。わがままな娘を、妹を、どうか許してください。……私、今すぐお家に帰ります!)

こうして、のちにアストリア王国が「最大の愚行」として歴史に刻むことになる、運命の夜会は幕を閉じた。
リリアーナの、本当の人生を取り戻すための戦いは、ここから始まるのだ。
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