私より大事な人がいるならどうぞそちらへ。実家に溺愛された私は離婚して帰らせて頂きます!

折若ちい

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第10話:ルミエールの断罪、真実の毒杯

講和会議の当日、国境の街ルミエールは異様な緊張感に包まれていた。
会場となるのは、中立地帯に建つ豪奢な迎賓館。その周囲には、アストリア王国の近衛騎士団と、それとは比較にならないほどの威圧感を放つヴァルハイト帝国の黒甲冑騎士団が、互いを牽制するように陣取っている。

リリアーナは、カイルと共に帝国の馬車から降り立った。
今日の彼女が選んだのは、純白のシルクに銀糸で刺繍を施した、まるで皇后のような気品に満ちたドレスだ。背後にはギルベルトとフレデリックの両兄が控え、その眼光だけでアストリアの兵たちをたじろがせていた。

「……来たか、リリアーナ」

迎賓館の入り口で、ジュリアンが待っていた。
その顔色は土気色で、瞳には狂気が宿っている。隣に立つマリアもまた、過剰な装飾で飾り立てているものの、隠しきれない怯えに肩を震わせていた。

「ジュリアン殿下。本日は公式な講和の場。私情を交えぬよう、お願い申し上げますわ」

リリアーナの冷ややかな一瞥に、ジュリアンは一瞬だけ表情を歪めたが、すぐに不気味な笑みを浮かべた。
「ああ、もちろんだ。……君が『本心』を取り戻せば、すべては解決するのだからな」

会議室には、両国の重鎮たちが顔を揃えていた。
中央の長いテーブルを挟み、帝国側は皇帝カイルとベルンハルト公爵家。アストリア側は国王と王太子。
アストリア国王は、リリアーナの姿を見るなり、椅子から崩れ落ちんばかりに深々と頭を下げた。

「リリアーナ嬢……いや、ベルンハルト公爵令嬢。我が息子の愚行により、貴女と貴国に多大なる不名誉を与えたこと、心よりお詫び申し上げる」

「父上、何を仰るのです! すべては帝国の策謀で――」

「黙れ、ジュリアン!」

国王の怒声が響く。だが、ジュリアンは止まらない。彼は懐に忍ばせた小瓶を、マリアに合図するように強く握りしめた。

「さて、講和の前に……和解の印として、我が国に伝わる最高級のワインを酌み交わそうではないか」

ジュリアンの合図で、マリアが震える手で銀のトレイを運び、リリアーナの前にグラスを置いた。
そのグラスの縁には、ジュリアンが用意した「魅了の薬」が塗られている。さらにマリアは、ジュリアンの命令で、リリアーナのグラスにだけ微量の麻痺毒を混ぜ込んでいた。強引に連れ出すための隙を作るためだ。

リリアーナは、そのグラスを手に取り、じっと中身を見つめた。
(……本当に、どこまでも愚かな方々)

「リリアーナ様、どうぞ……」
マリアが必死に喉を鳴らし、彼女を促す。

「ええ、頂きますわ。……ですが、その前に」

リリアーナは、懐から小さな金色の小瓶を取り出した。
「これは私の実家に伝わる、毒素を浄化し、心を清めるという錬金薬『真実の鏡(ヴェリタス・エッセンス)』です。これを、皆様のグラスに一滴ずつ垂らして差し上げましょう。真の和解には、一切の偽りがあってはなりませんもの」

リリアーナは立ち上がり、淀みない動作で出席者全員のグラスにその液体を垂らしていった。
最後に、ジュリアンとマリアのグラスにも。

「な、何を……!」
ジュリアンが遮ろうとしたが、リリアーナの指先から放たれたわずかな魔力が彼の動きを止めた。

「さあ、飲み干しましょう。アストリアとヴァルハイト、そして私と殿下の『真実』のために」

リリアーナは迷いなく、自身のグラスを飲み干した。
彼女の錬金術によって、グラスに塗られた媚薬も、混入された麻痺毒も、瞬時に無力化され、むしろ「真実の鏡」の効果を増幅させる触媒へと変えられた。

沈黙が会議室を支配する。
数秒後、最初に異変が現れたのはマリアだった。

「ひ……ひぃ! 私、私は、ただ贅沢がしたかっただけなの! リリアーナ様が憎かったわけじゃないわ、彼女の持っている宝石や、殿下からの寵愛が欲しかっただけ! 殿下の愛なんてどうでもよかった、ただ王太子妃の座が欲しかったのよ!」

マリアが自身の喉を掻きむしりながら、絶叫した。
「殿下、あんな薬、本当に効くのかしら!? リリアーナ様を動けなくして、連れ去るなんて……私、捕まりたくない!」

会議室が騒然となる。アストリア国王は絶句し、帝国の貴族たちは侮蔑の視線を送る。
だが、真の崩壊はここからだった。

「マリア、貴様、何を言っている! リリアーナは僕の所有物だ! 誰が連れ去るだと? これは『救出』だ! 帝国に騙されている哀れな僕の人形を、僕の檻に戻してやるだけだ!」

ジュリアンが立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。
「真実の愛? そんなもの、便利な口実に決まっているだろう! 僕はただ、ベルンハルト家の財力と、リリアーナの錬金術が惜しかっただけだ。あの女さえいれば、僕はこの国の王として君臨し続けられた。マリア、お前のようなただの飾りと一緒にしないでくれ!」

ジュリアンの口から溢れ出したのは、愛など微塵もない、醜悪な独占欲と選民意識だった。
彼はマリアを突き飛ばし、狂ったように笑い出した。

「リリアーナ! ほら、薬が効いてきただろう? 僕の元へ来い! 跪いて、また僕のために薬を作れ! 結界を張れ! 僕を王にして、お前は影で僕を支えていればいいんだ!」

その醜態を、リリアーナは冷徹な、しかしどこか憐れむような目で見つめていた。

「……ジュリアン殿下。それが、あなたの『真実』なのですね」

リリアーナは、一歩前に出た。
彼女の背後で、皇帝カイルが静かに立ち上がる。その殺気は、会議室の空気を氷点下まで引き下げた。

「アストリア国王よ。……これが、貴国が我が帝国に示した『誠意』か?」

カイルの声が低く響く。
「講和の場で我が帝国の令嬢に薬を盛り、挙句の果てに拉致を企てるとは。……これは明確な、宣戦布告と受け取って構わないな?」

「ま、待ってください! 陛下! 誤解です!」
国王が叫ぶが、もはや手遅れだった。

「宣戦布告、大いに結構!」
ジュリアンが叫ぶ。
「リリアーナがいれば、我が国は負けない! さあ、リリアーナ、僕を助けろ! 命令だ!」

リリアーナは、優雅に扇を広げ、口元を隠した。

「殿下、お忘れですか? 私にはもう、あなたを助ける義務も、この国を守る義理もございません。……私より大事な人がいるなら、そちらを大切にすればよろしいのでは? と申し上げましたが……どうやら、あなたにとって一番大事なのは、ご自身だけだったようですわね」

リリアーナがパチンと指を鳴らした。
その瞬間、迎賓館の壁が魔法によって破壊され、黒い甲冑に身を包んだ帝国の精鋭たちがなだれ込んできた。

「ジュリアン・フォン・アストリア。および、マリア。他国の重要人物に対する殺害未遂、および禁忌薬物の使用容疑で拘束する」

ギルベルトが剣を引き抜き、ジュリアンの喉元に突きつけた。

「さあ、お前の望んでいた『救出劇』だ。……地獄へのな」

ジュリアンとマリアは、その場で帝国の騎士たちによって取り押さえられた。
アストリア国王は、その光景をただ呆然と見守ることしかできなかった。彼の国は、この瞬間、事実上の終焉を迎えたのだ。

数時間後。
騒乱が収まったルミエールの街外れで、リリアーナとカイルは夕日を眺めていた。

「……終わりましたのね」

「ああ。アストリアは解体される。国王は退位し、国領の半分は帝国に、残りは反旗を翻した領主たちに分割されることになった。ジュリアンとマリアは、生涯、帝国の最果ての監獄で、自分たちの『真実』と向き合うことになるだろう」

カイルは、リリアーナの肩を抱き寄せた。

「怖くはなかったか?」

「ええ。私には、信じられる家族と、そしてあなたがいてくださいましたから」

リリアーナはカイルの胸に顔を埋めた。
一年間の冷遇、裏切り、孤独。
それらすべてが、夕闇の中に溶けて消えていく。

「リリアーナ。明日からは、誰のためでもない、君自身の人生が始まる」

「はい。……私の好きに、させて頂きますわ。まずは……」

リリアーナは顔を上げ、悪戯っぽく微笑んだ。

「カイル。私を、世界一幸せな皇后にしてくださるかしら?」

「言われるまでもない」

二人の影が、オレンジ色の光の中に重なる。
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