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其の二の三
①
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その演目は、まったく不思議な演目だった。
演じる役者の名前は、風雷桐三郎。
がっしりとした体形ながらも女形姿も艶やかで、人々が腑抜けになるくらいその存在に魅了される、それは見事な役者だった。
そしてこの風雷座が一躍評判となったその一つが、その芝居の中盤あたりで風雷桐三郎扮する若武者が、魔物に連れ去られた恋人の若い娘を探して回ると言うくだり。観劇をしているお客の中から一人、その娘役として、時には男性でも舞台上に引き上げられる事となる。その後、人違いだと言う事で、客席に帰されると言う事が組み込まれている見世物になっていた。
誰が舞台に上がれるか、もしかしたら今日は自分なのかもしれないと、娘達、はたまた乙女心を持つ女性から男性に至るまで、老いも若きもが胸ときめかせて芝居を観ていたのである。
それが評判が評判を呼び、日に日にお客の数が増えていったのだった。
その風雷座の芝居に小間物問屋の娘のおみつからお可奈が誘われたのは、本所の一件から二日後の事だった。
「おっかさんが、お糸もたまには楽しませてやりたいと言うから今回は為松ちゃんじゃなくてお糸を連れて行くけど、私一人でも偽おみっちゃんの化けの皮を剥いでくるからさ」
為松にそう言ってお可奈は鼻息も荒く「じゃ、為松ちゃん、行って来るからね」と、お糸を連れて観劇に出かけて行った。
そんなお可奈の事だから、芝居から戻ってきたら一番に自分のところに来て報告するはずだと為松は思っていた。
だがお可奈は何事も言ってこなかった。
もう戻っている頃なのに待てど暮せどうんともすんとも、顔も見せない。
心配になった為松は、店先でちょうど出合ったお糸に様子を聞いてみた。
「お嬢様なら、芝居から戻った後はお部屋におりますよ」
芝居見物は一日がかり。
明六つから(午前六時)暮れ七ツ半(午後5時)までが芝居興行のできる時間である。
なので人々は朝早くから支度をし、朝食や昼食を芝居茶屋で、もしくは芝居茶屋から仕出しをしてもらい一日中かけてたっぷり楽しむのだ。
今日お加奈の観た芝居は、江戸の四座とは違い新進の屋根も櫓もない芝居小屋での芝居である。
しかも神社や寺などでする宮地芝居でもない、言わば潜りに近い芝居の類である。
そうは言っても明け四つ(朝の十時)には芝居小屋に着いて、暮れ六つ頃(夕方6時頃)には戻っていたのではないかと思われる。
疲れて部屋に居るのも分からなくはないが、お可奈がしおらしく部屋に居るなどと考えられない事。
楽しい時は大騒ぎ。驚いた事も大騒ぎ。店中の者に話して回る。それがお可奈だ。
「お嬢様は今日はどんな様子だったんですか?」
「さあ、特には…それよりかねてから聞いていた、お客の中から一人舞台に上がるって仕掛け。お嬢様が舞台の上に上がられて、それはもうびっくりですよ。でも、楽しかったぁ」
お糸は今日見てきた芝居に気分が高揚しているようで、その言いぶりは、それはそれは楽しい一日を過ごしたのがわかる言い方だった。
「お可奈ちゃ…あ、いやお嬢様が?」
「そうそう。で、いったんは舞台袖に引っ込んだんだけど、またすぐ出てきて客席に戻って来たんだよねぇ。だけど、そん時からお可奈お嬢様ったら急に無口になっちゃって。あのお嬢様と言えどそうとう驚いたんだろうねぇ」
お糸は今日の話を誰かに言いたくて仕方がなかった。そこへ都合よく為松が聞いてきたものだから、あれこれ聞かなくてもお糸はどんどん話してくれた。
「小間物問屋のおみつ様はどうしていらした?」
「もう、二人とも無口になっちゃって。そりゃー、あの男前の役者さんを目の前にしちゃあ、誰だってボーっとなっちまう。かく言う私だってもう、そりゃーあれだけのいい男だもの」
お糸は思いだしたようにフフッと笑って宙を見つめ、今日観た桐三郎の姿を思い描いてうっとりしていた。
お糸はにやにやと笑みが止まらなかった。
このような状態では、おみつがどうしていたかなどお糸が見ている訳がないと為松は思った。お糸が桐三郎から目を外さず芝居にのめり込んでいたのは想像がつくことだった。
あのお可奈ちゃんが無口に……?
まさか、そんなに芝居が気に入ったのなら無口になるはずが無いよ。黙っていられないのがお可奈ちゃんなんだ。いつもなら、呼び出されて話を聞かされるっていうのがお可奈ちゃんなんだよ。部屋にこもりっきりってのもちょっと考えられない話だし。……何かが変だ。
お糸の話を聞けば聞くほど不思議に思った為松だった。
演じる役者の名前は、風雷桐三郎。
がっしりとした体形ながらも女形姿も艶やかで、人々が腑抜けになるくらいその存在に魅了される、それは見事な役者だった。
そしてこの風雷座が一躍評判となったその一つが、その芝居の中盤あたりで風雷桐三郎扮する若武者が、魔物に連れ去られた恋人の若い娘を探して回ると言うくだり。観劇をしているお客の中から一人、その娘役として、時には男性でも舞台上に引き上げられる事となる。その後、人違いだと言う事で、客席に帰されると言う事が組み込まれている見世物になっていた。
誰が舞台に上がれるか、もしかしたら今日は自分なのかもしれないと、娘達、はたまた乙女心を持つ女性から男性に至るまで、老いも若きもが胸ときめかせて芝居を観ていたのである。
それが評判が評判を呼び、日に日にお客の数が増えていったのだった。
その風雷座の芝居に小間物問屋の娘のおみつからお可奈が誘われたのは、本所の一件から二日後の事だった。
「おっかさんが、お糸もたまには楽しませてやりたいと言うから今回は為松ちゃんじゃなくてお糸を連れて行くけど、私一人でも偽おみっちゃんの化けの皮を剥いでくるからさ」
為松にそう言ってお可奈は鼻息も荒く「じゃ、為松ちゃん、行って来るからね」と、お糸を連れて観劇に出かけて行った。
そんなお可奈の事だから、芝居から戻ってきたら一番に自分のところに来て報告するはずだと為松は思っていた。
だがお可奈は何事も言ってこなかった。
もう戻っている頃なのに待てど暮せどうんともすんとも、顔も見せない。
心配になった為松は、店先でちょうど出合ったお糸に様子を聞いてみた。
「お嬢様なら、芝居から戻った後はお部屋におりますよ」
芝居見物は一日がかり。
明六つから(午前六時)暮れ七ツ半(午後5時)までが芝居興行のできる時間である。
なので人々は朝早くから支度をし、朝食や昼食を芝居茶屋で、もしくは芝居茶屋から仕出しをしてもらい一日中かけてたっぷり楽しむのだ。
今日お加奈の観た芝居は、江戸の四座とは違い新進の屋根も櫓もない芝居小屋での芝居である。
しかも神社や寺などでする宮地芝居でもない、言わば潜りに近い芝居の類である。
そうは言っても明け四つ(朝の十時)には芝居小屋に着いて、暮れ六つ頃(夕方6時頃)には戻っていたのではないかと思われる。
疲れて部屋に居るのも分からなくはないが、お可奈がしおらしく部屋に居るなどと考えられない事。
楽しい時は大騒ぎ。驚いた事も大騒ぎ。店中の者に話して回る。それがお可奈だ。
「お嬢様は今日はどんな様子だったんですか?」
「さあ、特には…それよりかねてから聞いていた、お客の中から一人舞台に上がるって仕掛け。お嬢様が舞台の上に上がられて、それはもうびっくりですよ。でも、楽しかったぁ」
お糸は今日見てきた芝居に気分が高揚しているようで、その言いぶりは、それはそれは楽しい一日を過ごしたのがわかる言い方だった。
「お可奈ちゃ…あ、いやお嬢様が?」
「そうそう。で、いったんは舞台袖に引っ込んだんだけど、またすぐ出てきて客席に戻って来たんだよねぇ。だけど、そん時からお可奈お嬢様ったら急に無口になっちゃって。あのお嬢様と言えどそうとう驚いたんだろうねぇ」
お糸は今日の話を誰かに言いたくて仕方がなかった。そこへ都合よく為松が聞いてきたものだから、あれこれ聞かなくてもお糸はどんどん話してくれた。
「小間物問屋のおみつ様はどうしていらした?」
「もう、二人とも無口になっちゃって。そりゃー、あの男前の役者さんを目の前にしちゃあ、誰だってボーっとなっちまう。かく言う私だってもう、そりゃーあれだけのいい男だもの」
お糸は思いだしたようにフフッと笑って宙を見つめ、今日観た桐三郎の姿を思い描いてうっとりしていた。
お糸はにやにやと笑みが止まらなかった。
このような状態では、おみつがどうしていたかなどお糸が見ている訳がないと為松は思った。お糸が桐三郎から目を外さず芝居にのめり込んでいたのは想像がつくことだった。
あのお可奈ちゃんが無口に……?
まさか、そんなに芝居が気に入ったのなら無口になるはずが無いよ。黙っていられないのがお可奈ちゃんなんだ。いつもなら、呼び出されて話を聞かされるっていうのがお可奈ちゃんなんだよ。部屋にこもりっきりってのもちょっと考えられない話だし。……何かが変だ。
お糸の話を聞けば聞くほど不思議に思った為松だった。
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