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其の二の六
②
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本物のお可奈ちゃんなら……と為松は思った。
ナナ太郎さんが来たなんて聞いたらわれ先に顔を出すはず。絶対に偽者に違いないと為松は思っていた。
「お可奈ちゃん、開けるよ」
為松が勢いよく障子を開けると、煙管片手に敷かれた布団の上で着物の裾をはだけさせて横になり、赤本と呼ばれる草双紙を読みふけるお可奈の姿があった。
それは若い娘とはかけ離れた、ましてやお店のお嬢様とはかけ離れた様子であった。
「何を無礼な事を!」
「お前、お可奈ちゃんじゃないだろう。本物のお可奈ちゃんがそんなにだらしない筈はないんだよ」
お可奈の偽者とは言えその姿に為松は顔を赤らめ、お可奈から目を背けた。
「使用人の癖に、出すぎた事を言うんじゃ……」
そう言った偽お可奈の目にナナ太郎の姿が映った。
驚くと同時にナナ太郎の肝の辺りで目が張り付く。
「おまえ、その肝の中になにやら……」
偽お可奈はナナ太郎を舐め回すように見るとまた、その肝のあたりに目が留まった。
「おまえ、おまえがナナ太郎とやらか」
「私の事を知っていなさるのですか?」
ナナ太郎はにやりと笑い、人差し指と中指を額の辺りに立て何やらブツブツと呪文を唱え始めた。
ぽん!
「ぽん? 今、ぽんと音がしませんでしたか?」と為松。
音のがしたのはお可奈からだ。
「きゃあ」
驚く偽お可奈の悲鳴に為松が偽お可奈を見ると、お可奈の両足が毛むくじゃらの獣の足に変わっていた。
「お前、その足!」
為松に指差されあまりに慌てたせいなのか、偽お可奈は声の色も変わり「しまった!」と低い濁声で叫ぶ。
そのお可奈とも思えぬ濁声に少しも動じずナナ太郎は呪文を唱え続けた。
ぽん!
再び鳴ったその音と共に今度は偽お可奈の両手が毛むくじゃらになった。
「お、お前、何者なんだよ! ほ、本物のお可奈ちゃんはどこへやったんだ」
為松はおびえながらも勇気を奮って偽お可奈に大声で言った。
「ふん。ばれちゃあ仕方ない。お前もお可奈のところへ連れてってやろうか。その前にそっちの旦那のその肝の中の物をもらおうかね。それを持ち帰ったら桐三郎様はさぞかしお喜びになるだろう」
そう言うかと同時に偽お可奈はナナ太郎に向って飛び掛っていく。
向ってくる偽お可奈をナナ太郎はひらりとかわし、背中をトンと叩くと偽お可奈はその場に倒れこんだ。
偽お可奈の姿はみるみると狸の姿に変わっていく。
中庭のそこには一匹の狸がいた。
さらに慌てた偽お可奈だった狸は「覚えていやがれ」と捨て台詞をのこし、一声「キュイーーッ」と鳴いて目にも留まらぬ速さでこの場を立ち去った。
その様子を見て為松は慌てた。
「ナナ太郎さんどうしよう、本物がどこにいるか聞き出す前に偽お可奈ちゃんが逃げちゃったよ」
そう言って縁側からはだしで中庭に下りると、縁の下を覗いたり狸が消えた辺りを触ったりと探していた。
「大丈夫。それよりさっき狸が言っていた桐三郎と言うのは、そのお可奈さんが観にいった芝居のお役者の事なのでしょう?」
「はい。風雷桐三郎と言う、ここんところであっという間に人気が出たお役者です。そいつを観に行って戻って来た時は偽お可奈ちゃんになってたんです」
「私がこれからそのお可奈さんが行ったと言う芝居小屋へ行ってみます。きっとお可奈さんはそこにいるに違いないでしょう」
「私も一緒に行きます!」
為松のその言葉には強い決意が現れていた。
「為松さんはここで待っていてください」
「でも、お可奈ちゃんが心配だ。私も一緒に行きたいです」
「為松さんには、ここでお店の人達がこの部屋に入らないように見ててもらいたいんです」
「この部屋ってお可奈ちゃんの部屋に?」
「そう。この部屋の前でね」
ナナ太郎はそう言うと、お可奈の部屋の障子を閉めた。
「今日はお可奈さんは気分が悪いのでこの部屋で休んでいる。そのようにこの部屋に入ろうとする人に言って、さっきと同じようにお守り袋をかざしてください」
「あれをまた使って……」
為松が懐からお守り袋を取り出すと、ナナ太郎はそのお守りに向って聞こえないくらいの声で呪文を唱えた。
「今、また暗示が効く様に気を入れたから、それを使ってこの部屋の前で見張っててください」
ナナ太郎は、先ほど閉めたお可奈の部屋の障子をほんの少し開け「誰も、入らないようにお願いしますね」と部屋の中に入り再び障子を閉めた。
「ナナ太郎さん!」
為松が、お可奈の部屋に向って叫んでも中からは返事がない。
ナナ太郎さんはどうしたと言うんだろう。
音羽にある芝居小屋へ行くんじゃなかったんだろうか。
当然、私も中に入っちゃいけないんだよね……でも少しぐらい覗いても……。
為松がそっと障子を開けて中を覗くと、そこにはナナ太郎の姿はなかった。
いけないことをしてしまったような気がして、すぐさま障子を閉めた。
ナナ太郎さんが消えた!
どこに行ったと?
あの人はいったい何者なんだ?
「為松さん、どうかしたの?」
突然背中の方から聞こえたその声に振り向くと、そこにはお糸が立っていた。
「お糸さん、いや、あの、お嬢様が気分が悪いと言う事で誰も部屋に入れるなと……」
「あらっ、旦那様から、お可奈お嬢様にお客様が来ているからお茶を持っていくようにと言われたんだけど」
「お客さんなら……もう帰ったよ」
そう言いながら、為松は先程のお守り袋をお糸の前にかざした。
「そう。じゃあこのお茶はいらないわね」
そういうとお糸はなんの疑問も持たずにお茶を持って戻って行った。
周りをうかがい、ここへ誰も来る様子がないと少し安堵した為松は、お可奈の部屋の閉まった障子をじっと見ていた。
思いは複雑だったが、ここは不思議な力を持つナナ太郎に任せて、ナナ太郎の言いつけ通り、お可奈の部屋の前でナナ太郎を待つしかないと思った。
誰が来てもお可奈が戻るまでは梃子でも動かないぞと気持ちを入れ直し、正座をしてお加奈の部屋の前の廊下に陣取ったのだった。
ナナ太郎さんが来たなんて聞いたらわれ先に顔を出すはず。絶対に偽者に違いないと為松は思っていた。
「お可奈ちゃん、開けるよ」
為松が勢いよく障子を開けると、煙管片手に敷かれた布団の上で着物の裾をはだけさせて横になり、赤本と呼ばれる草双紙を読みふけるお可奈の姿があった。
それは若い娘とはかけ離れた、ましてやお店のお嬢様とはかけ離れた様子であった。
「何を無礼な事を!」
「お前、お可奈ちゃんじゃないだろう。本物のお可奈ちゃんがそんなにだらしない筈はないんだよ」
お可奈の偽者とは言えその姿に為松は顔を赤らめ、お可奈から目を背けた。
「使用人の癖に、出すぎた事を言うんじゃ……」
そう言った偽お可奈の目にナナ太郎の姿が映った。
驚くと同時にナナ太郎の肝の辺りで目が張り付く。
「おまえ、その肝の中になにやら……」
偽お可奈はナナ太郎を舐め回すように見るとまた、その肝のあたりに目が留まった。
「おまえ、おまえがナナ太郎とやらか」
「私の事を知っていなさるのですか?」
ナナ太郎はにやりと笑い、人差し指と中指を額の辺りに立て何やらブツブツと呪文を唱え始めた。
ぽん!
「ぽん? 今、ぽんと音がしませんでしたか?」と為松。
音のがしたのはお可奈からだ。
「きゃあ」
驚く偽お可奈の悲鳴に為松が偽お可奈を見ると、お可奈の両足が毛むくじゃらの獣の足に変わっていた。
「お前、その足!」
為松に指差されあまりに慌てたせいなのか、偽お可奈は声の色も変わり「しまった!」と低い濁声で叫ぶ。
そのお可奈とも思えぬ濁声に少しも動じずナナ太郎は呪文を唱え続けた。
ぽん!
再び鳴ったその音と共に今度は偽お可奈の両手が毛むくじゃらになった。
「お、お前、何者なんだよ! ほ、本物のお可奈ちゃんはどこへやったんだ」
為松はおびえながらも勇気を奮って偽お可奈に大声で言った。
「ふん。ばれちゃあ仕方ない。お前もお可奈のところへ連れてってやろうか。その前にそっちの旦那のその肝の中の物をもらおうかね。それを持ち帰ったら桐三郎様はさぞかしお喜びになるだろう」
そう言うかと同時に偽お可奈はナナ太郎に向って飛び掛っていく。
向ってくる偽お可奈をナナ太郎はひらりとかわし、背中をトンと叩くと偽お可奈はその場に倒れこんだ。
偽お可奈の姿はみるみると狸の姿に変わっていく。
中庭のそこには一匹の狸がいた。
さらに慌てた偽お可奈だった狸は「覚えていやがれ」と捨て台詞をのこし、一声「キュイーーッ」と鳴いて目にも留まらぬ速さでこの場を立ち去った。
その様子を見て為松は慌てた。
「ナナ太郎さんどうしよう、本物がどこにいるか聞き出す前に偽お可奈ちゃんが逃げちゃったよ」
そう言って縁側からはだしで中庭に下りると、縁の下を覗いたり狸が消えた辺りを触ったりと探していた。
「大丈夫。それよりさっき狸が言っていた桐三郎と言うのは、そのお可奈さんが観にいった芝居のお役者の事なのでしょう?」
「はい。風雷桐三郎と言う、ここんところであっという間に人気が出たお役者です。そいつを観に行って戻って来た時は偽お可奈ちゃんになってたんです」
「私がこれからそのお可奈さんが行ったと言う芝居小屋へ行ってみます。きっとお可奈さんはそこにいるに違いないでしょう」
「私も一緒に行きます!」
為松のその言葉には強い決意が現れていた。
「為松さんはここで待っていてください」
「でも、お可奈ちゃんが心配だ。私も一緒に行きたいです」
「為松さんには、ここでお店の人達がこの部屋に入らないように見ててもらいたいんです」
「この部屋ってお可奈ちゃんの部屋に?」
「そう。この部屋の前でね」
ナナ太郎はそう言うと、お可奈の部屋の障子を閉めた。
「今日はお可奈さんは気分が悪いのでこの部屋で休んでいる。そのようにこの部屋に入ろうとする人に言って、さっきと同じようにお守り袋をかざしてください」
「あれをまた使って……」
為松が懐からお守り袋を取り出すと、ナナ太郎はそのお守りに向って聞こえないくらいの声で呪文を唱えた。
「今、また暗示が効く様に気を入れたから、それを使ってこの部屋の前で見張っててください」
ナナ太郎は、先ほど閉めたお可奈の部屋の障子をほんの少し開け「誰も、入らないようにお願いしますね」と部屋の中に入り再び障子を閉めた。
「ナナ太郎さん!」
為松が、お可奈の部屋に向って叫んでも中からは返事がない。
ナナ太郎さんはどうしたと言うんだろう。
音羽にある芝居小屋へ行くんじゃなかったんだろうか。
当然、私も中に入っちゃいけないんだよね……でも少しぐらい覗いても……。
為松がそっと障子を開けて中を覗くと、そこにはナナ太郎の姿はなかった。
いけないことをしてしまったような気がして、すぐさま障子を閉めた。
ナナ太郎さんが消えた!
どこに行ったと?
あの人はいったい何者なんだ?
「為松さん、どうかしたの?」
突然背中の方から聞こえたその声に振り向くと、そこにはお糸が立っていた。
「お糸さん、いや、あの、お嬢様が気分が悪いと言う事で誰も部屋に入れるなと……」
「あらっ、旦那様から、お可奈お嬢様にお客様が来ているからお茶を持っていくようにと言われたんだけど」
「お客さんなら……もう帰ったよ」
そう言いながら、為松は先程のお守り袋をお糸の前にかざした。
「そう。じゃあこのお茶はいらないわね」
そういうとお糸はなんの疑問も持たずにお茶を持って戻って行った。
周りをうかがい、ここへ誰も来る様子がないと少し安堵した為松は、お可奈の部屋の閉まった障子をじっと見ていた。
思いは複雑だったが、ここは不思議な力を持つナナ太郎に任せて、ナナ太郎の言いつけ通り、お可奈の部屋の前でナナ太郎を待つしかないと思った。
誰が来てもお可奈が戻るまでは梃子でも動かないぞと気持ちを入れ直し、正座をしてお加奈の部屋の前の廊下に陣取ったのだった。
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