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少子高齢化問題を4秒で解決する
少子高齢化を3秒で解決するその18神道が日本を高度経済成長させた#3
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そんなわけで日本はG7 唯一の島国だね。
泳いでこられるほどヨーロッパ大陸に近かったイギリスとは違い、日本は単一民族のまま近代まで来たよね。
多民族国家の欧米と単一民族国家の日本ではどういう違いがあるのかを説明するよ。
例えばオレが埼玉のとあるアパートに住んでいたとするね。隣の部屋も向かいの部屋も上の部屋も下の部屋もみんな日本人だね。
住人が守るべきルールもそんなに難しくないね。【夜は静かに】とか【共用スペースに私物を置かない】とか当たり前のことばっかりだね。
そんなオレがニューヨークのアパートに引っ越したとするよ。このアパートにはありとあらゆる色んな人が住んでいるんだ。
右隣の部屋の住人はドイツ人で、左隣はユダヤ人、向かいの部屋にはブラジル人が住んでいて、上の部屋にはサウジアラビア人が住んでいて、下の部屋にはタイ人が住んでいるかもしれないね。色んな人種が住んでいるよ。
さらにドイツ人はプロテスタントのゲイでユダヤ人はもちろんユダヤ教徒でブラジル人はレズで、サウジアラビア人はイスラム教徒のロリコンで、タイ人は仏教徒かもしれないね。
色んな宗教や性癖が住んでいるよ。
日本のアパートのルールはだいぶ大雑把なものだったけど、このニューヨークアパートのルールはもうめちゃくちゃ細かいよ。
【エレベーターで痰を吐くな】とか【壁に落書きするな】とか【鶏の骨を捨てるな】とか【通路でお祈りするな】とか【共用スペースでフェラチオするな】とかね。
色んな人種の色んな価値観がぶつかり合うニューヨークアパートでは何がダメなのかを明確に規定しておく必要があるんだ。
例えば日本アパートではエントランスホールの照明をいつも誰かがなんとなく点けるんだ。だから特にルールは必要ないね。
でもありとあらゆる価値観がぶつかり合うニューヨークアパートでは照明1つとっても、夜10時から点けたい人や1日中点けていたい人、照明が嫌いで点けたくない人までいるかもしれないね。
だからニューヨークアパートでは【夕方6時になったら管理人が照明をつけるから消すな】っていうルールが必要なんだ。
大雑把なルールで個々の判断に委ねられることが多くルールから少しくらい外れたことをしてもまあまあ許される日本のアパートと違って、ニューヨークアパートは何から何までルールが決められているし、少しでもルールから外れた行為は許されないんだ。ニューヨークアパートでは個々の価値観なんてクソ食らえ、ルールがすべてなんだ。
こう書くと日本の方が一人一人、個人個人の価値観を大切にしているように見えるけど、もちろんそんなことはないよ。
欧米は多民族だからこそ、個々の価値観が違うというのが大前提で厳格な共通ルールを作ってみんなそのルールを守って生活しているんだ。
対して日本は、ルールが大雑把なので個人の価値観に判断を委ねられることが多いね。でも実はそれは個人の価値観ではなく大多数の価値観なんだ。
でも単一民族の日本では、全員がある程度同じ価値観を持っていなくてはいけないというのが前提になっている。
ニューヨークアパートでは、ルールが設定されていない部分では個々の価値観で生活することが認めらているけれど、日本アパートではルールが設定されていない部分でも全体の価値観に沿って生活していくことが求められるんだ。
ニューヨークアパートではルールを優先する部分と、個々の価値観に委ねられる部分との線引きがはっきりしているんだけれど、日本アパートでは全体のルールと個々の価値観の境界が非常にあいまい、と言うより実質的に境界が無いんだ。日本アパートではルールの外でも中でも常に全体の価値観に沿うことが求められるんだ。
そして一神教と言う絶対的な存在を信じる欧米人は線引きの境界を明確に理解することができるけど、多神教で絶対的と言う考えになじみがない日本人はいわば相対的な考えが基本で、線引きされた境界を明確に理解することが苦手なんだ。
絶対的と相対的というものをテストに例えると、80点取ったら合格とするのが絶対的判断で、上位20人は合格って言うのが相対的判断と言えるよ。
つまり絶対的な判断でのテストでは全員が80点以上取ったら全員合格だし全員が50点以下だったら全員不合格だね。
対して相対的は判断のテストでは全員が80点以上取っても合格できるのは20人だし、全員が50点以下だったとしても20人は合格できるという違いだよ。
もちろん、どっちが良いとか、どっちが間違っているって話ではないよ。
多神教で相対的な考えをする日本人には明確な線引きをして判断をきっちりさせるという事が苦手なんだ。
物事を「まあまあ」とか「なあなあ」といったあいまいな判断で済ませることが多いんだ。
それに個人より全体を優先していると個人の権利が後回しにされることが増えるね、人権とかだね。
全体で動くことに慣れすぎていて、保守というより単純に変化を極端に嫌うんだ。
だから同性婚や夫婦別姓と言った“変化”を、保守的だからではなく、理屈でもなく、ただ感情的に嫌う人が多いんだよね。
そして日本人全員が個々の価値観より、明文化されていないぼんやりしたルールを優先し従っていたのが、いわばまさに終身雇用制度なんですね。
欧米で日本のような終身雇用制度が広まらなかったのは、終身雇用制度のコストを払うことになる欧米Aさんが「冗談じゃねぇ!」って声を上げて他の国に逃げちゃうからだね。
ルールの外での言動が個人の権利として尊重される欧米ではAさんはその高い能力にあった高度な仕事に就けるんだ。
終身雇用制度のコストを負担してくれるAさんがいないなら当然終身雇用制度も存在できないよね。
でも日本では終身雇用というルールは明文化されていない日本全体のルールだからそこで日本人Aさんが怒りの声を上げるのは許されない。
いや、まあ上げてもいいけど日本の労働社会から外されるけどね。
そういうわけで終身雇用制度は世界に誇る日本だけの奇習なんだ。
泳いでこられるほどヨーロッパ大陸に近かったイギリスとは違い、日本は単一民族のまま近代まで来たよね。
多民族国家の欧米と単一民族国家の日本ではどういう違いがあるのかを説明するよ。
例えばオレが埼玉のとあるアパートに住んでいたとするね。隣の部屋も向かいの部屋も上の部屋も下の部屋もみんな日本人だね。
住人が守るべきルールもそんなに難しくないね。【夜は静かに】とか【共用スペースに私物を置かない】とか当たり前のことばっかりだね。
そんなオレがニューヨークのアパートに引っ越したとするよ。このアパートにはありとあらゆる色んな人が住んでいるんだ。
右隣の部屋の住人はドイツ人で、左隣はユダヤ人、向かいの部屋にはブラジル人が住んでいて、上の部屋にはサウジアラビア人が住んでいて、下の部屋にはタイ人が住んでいるかもしれないね。色んな人種が住んでいるよ。
さらにドイツ人はプロテスタントのゲイでユダヤ人はもちろんユダヤ教徒でブラジル人はレズで、サウジアラビア人はイスラム教徒のロリコンで、タイ人は仏教徒かもしれないね。
色んな宗教や性癖が住んでいるよ。
日本のアパートのルールはだいぶ大雑把なものだったけど、このニューヨークアパートのルールはもうめちゃくちゃ細かいよ。
【エレベーターで痰を吐くな】とか【壁に落書きするな】とか【鶏の骨を捨てるな】とか【通路でお祈りするな】とか【共用スペースでフェラチオするな】とかね。
色んな人種の色んな価値観がぶつかり合うニューヨークアパートでは何がダメなのかを明確に規定しておく必要があるんだ。
例えば日本アパートではエントランスホールの照明をいつも誰かがなんとなく点けるんだ。だから特にルールは必要ないね。
でもありとあらゆる価値観がぶつかり合うニューヨークアパートでは照明1つとっても、夜10時から点けたい人や1日中点けていたい人、照明が嫌いで点けたくない人までいるかもしれないね。
だからニューヨークアパートでは【夕方6時になったら管理人が照明をつけるから消すな】っていうルールが必要なんだ。
大雑把なルールで個々の判断に委ねられることが多くルールから少しくらい外れたことをしてもまあまあ許される日本のアパートと違って、ニューヨークアパートは何から何までルールが決められているし、少しでもルールから外れた行為は許されないんだ。ニューヨークアパートでは個々の価値観なんてクソ食らえ、ルールがすべてなんだ。
こう書くと日本の方が一人一人、個人個人の価値観を大切にしているように見えるけど、もちろんそんなことはないよ。
欧米は多民族だからこそ、個々の価値観が違うというのが大前提で厳格な共通ルールを作ってみんなそのルールを守って生活しているんだ。
対して日本は、ルールが大雑把なので個人の価値観に判断を委ねられることが多いね。でも実はそれは個人の価値観ではなく大多数の価値観なんだ。
でも単一民族の日本では、全員がある程度同じ価値観を持っていなくてはいけないというのが前提になっている。
ニューヨークアパートでは、ルールが設定されていない部分では個々の価値観で生活することが認めらているけれど、日本アパートではルールが設定されていない部分でも全体の価値観に沿って生活していくことが求められるんだ。
ニューヨークアパートではルールを優先する部分と、個々の価値観に委ねられる部分との線引きがはっきりしているんだけれど、日本アパートでは全体のルールと個々の価値観の境界が非常にあいまい、と言うより実質的に境界が無いんだ。日本アパートではルールの外でも中でも常に全体の価値観に沿うことが求められるんだ。
そして一神教と言う絶対的な存在を信じる欧米人は線引きの境界を明確に理解することができるけど、多神教で絶対的と言う考えになじみがない日本人はいわば相対的な考えが基本で、線引きされた境界を明確に理解することが苦手なんだ。
絶対的と相対的というものをテストに例えると、80点取ったら合格とするのが絶対的判断で、上位20人は合格って言うのが相対的判断と言えるよ。
つまり絶対的な判断でのテストでは全員が80点以上取ったら全員合格だし全員が50点以下だったら全員不合格だね。
対して相対的は判断のテストでは全員が80点以上取っても合格できるのは20人だし、全員が50点以下だったとしても20人は合格できるという違いだよ。
もちろん、どっちが良いとか、どっちが間違っているって話ではないよ。
多神教で相対的な考えをする日本人には明確な線引きをして判断をきっちりさせるという事が苦手なんだ。
物事を「まあまあ」とか「なあなあ」といったあいまいな判断で済ませることが多いんだ。
それに個人より全体を優先していると個人の権利が後回しにされることが増えるね、人権とかだね。
全体で動くことに慣れすぎていて、保守というより単純に変化を極端に嫌うんだ。
だから同性婚や夫婦別姓と言った“変化”を、保守的だからではなく、理屈でもなく、ただ感情的に嫌う人が多いんだよね。
そして日本人全員が個々の価値観より、明文化されていないぼんやりしたルールを優先し従っていたのが、いわばまさに終身雇用制度なんですね。
欧米で日本のような終身雇用制度が広まらなかったのは、終身雇用制度のコストを払うことになる欧米Aさんが「冗談じゃねぇ!」って声を上げて他の国に逃げちゃうからだね。
ルールの外での言動が個人の権利として尊重される欧米ではAさんはその高い能力にあった高度な仕事に就けるんだ。
終身雇用制度のコストを負担してくれるAさんがいないなら当然終身雇用制度も存在できないよね。
でも日本では終身雇用というルールは明文化されていない日本全体のルールだからそこで日本人Aさんが怒りの声を上げるのは許されない。
いや、まあ上げてもいいけど日本の労働社会から外されるけどね。
そういうわけで終身雇用制度は世界に誇る日本だけの奇習なんだ。
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