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タイ旅行。
タイに行ってみた。その31タイのコジキ
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乞食ね。古事記じゃないよ。
言い換えれば物乞いだね。タイには、というかバンコクにはそれなりにいるよ。昼間はあまり見かけないけど夜になると出てくる。
日本では、乞食と言うか物乞いは違法とされているんだよね。まあネット乞食は腐るほどいるみたいだけど、今の若い人は街中で座っているような乞食は見たこともないだろうけどオレはガキの頃に見かけたことがあるよ。
と言ってもそこら中に一年中いたわけではなくて、親に連れられて正月の初詣に行くとボロボロの軍服みたいのを着た爺さんが神社の参拝道の片隅にいたのを見た覚えがあるよ。
軍服を着ていたってことは戦傷者のつもりなんだろうけど、もちろん子供のオレにはそれが本当の戦傷者なのか、戦傷者を装ったただのコジキなのかは分からなかったけどね。まあそれは本人以外には誰にも分らないよね。
でも、想像以上にスルーされていたのは覚えているよ。熊手屋には気前よくご祝儀をはずむオレの親父もスルーしてた。まあオレの親父は子供と言ってもおかしくない年齢で新潟のド田舎から身一つで上京し、がむしゃらに働いて仕事を覚えて起業して、高度経済成長の中で死に物狂いで働いてそれなりに成功した、生きていれば80を超えるまさにTHE昭和初期って感じの人間だったからね。物乞いを単に自堕落と捉えたのかもしれない。
まあ日本にもほんの数十年前まで乞食がいたってことだよ。
でね、乞食って言うと年寄りの物乞いってイメージがあるだろうけど、バンコクではそうでもないんだ。
というか日本以外ではって言ったほうがいいかな。子供だったり年寄りだったりオバサンだったり若者だったりするよ。
まあオレも偉そうなことが言えるほど海外を旅したわけではないけどね。
タイ、台湾、中国、シンガポール、マレーシアくらいだからね。
この中で物乞いを見たのは中国とタイくらいかな。
中国の物乞いはすごかったよ。真冬だったんだけど、薄汚れた白い半袖のTシャツを着ただけの子供が必死に物乞いしてた。クソ田舎じゃないよ、杭州だったからね。
杭州って言うのは浙江省の省都で、日本で言うとそうだなあ東北地方の仙台って感じじゃないかな。
間違っても貧乏とは言えない都市だろうし、実際ゴリゴリ発展急上昇中の都市って感じだったよ。
オレが最後に行ったのは2008北京オリンピックの前の年だったんだけどね。15年前だね。
そんなところの夜の道中で、オレが革ジャン着ていても寒いと思う道端で10歳くらいの子供がきったねえ半袖Tシャツ一枚で震えながら物乞いをしているんだよね。どう考えても「乞食をやらされている」のがわかる状況だよ。だって、もしこの子供が本当に半袖のTシャツ一枚しか持っていないならとっくに死んでるはずだからね。
オレはジーンズのポケットに入っていた小銭全部、半袖の子供が持っていた空き缶に入れたよ。
それが正しい行いなのかは知らないよ。オレは持っていたお金を全部渡すほどの良心は持ち合わせていないし、オレのこの行為によって、この子供を使っている大人が更に味を占めるかもしれないけどそれはオレの知ったことではなからね。オレは100%の自己満足で小銭を空き缶に入れたよ。
中国での印象に残っている物乞いはもう一つあって、車に乗っていた時に駆け寄ってきた花売りの子供だね。
場所はたしか北京の郊外だったとも思うんだけど車で移動中に信号で止まった時に子供が白い花を抱えて寄ってきたんだよね。普通に見て「花を買ってください」ってことなんだろうけど、これがまた雑草でも摘んできたのか?ってくらいどうでもいい花でね。もちろんオレには花なんかわからないからね、ちゃんとした売り物になる花だったのかもしれないよ。
でも中国に観光に来ているオレがわざわざ買い求めるほどの花ではなかったのは間違いないよ。
でもオレは買ってあげようと思ったんだよね。あくまで「買ってあげる」という上から目線でね。
ボッタくってきたら即座に切り捨てるからな、あんまり調子に乗るなよって思いながら車の窓を開けたんだ。
でもね、オレが車の窓を開けた瞬間に花を抱えた子供は2メートルくらいフッ飛んで行ったんだよね。
スタンド攻撃かと思うくらいいきなり吹っ飛んで行った。まあスタンド攻撃じゃなくて中国の公安警察官のヤクザキックを食らってフッ飛んで行ったんだけどね。
中国の公安警察て言うのは日本でいう交番勤務の普通の警察官だと思う。子供を蹴り飛ばした警官はオレに「オッ!」って感じに挨拶して吹っ飛んだ花売りの子供を追い払いに行った。
オリンピック直前でそういった乞食を一掃したかったんだろうけどハッキリ言って逆効果だと思った。花を散らかして逃げる子供を見るのがきつかった覚えがあるよ。まあ15年前だけどね。
まあ日本で乞食が禁止になった理由も似たようなもんだろうね。東京五輪だか大阪万博だかの時で、乞食がいると見栄えが悪いから禁止にしたんだろうね。
でね、タイのと言うかバンコクの物乞いは色んな種類がいるんだ。
夜に出てくるTHE乞食って感じの一般的な年寄りの物乞いもいるし、昼間っからタバコ銭せびるような物乞いもいるし、お前アラブ人だろって物乞いもいるし、明らかに不具のある物乞いもいるし、タイの感動CMに出てきそうな物乞いもいるよ。
オレがバンコクで見た一番印象に残っている物乞いは小学校低学年だろうなって言うくらいの女の子。物乞いって言ったら失礼かもしれいないけど、その娘はピアニカを吹いている大道芸的な感じだったんだけど、どう頑張っても小学校低学年だからね。ハッキリ言って金をとれるようなレベルじゃなかったんだよ。
夜の八時くらいだったかな、繁華街の人通りの多い所で一生懸命ピーポーピーポーとヘタクソなピアニカを吹いていたんだ。
一応の前提としてね、葬式と墓場の為の職業仏教の日本と違ってタイは悟りを開くためのマジ仏教だからね、物乞いに対しての捉え方が違うんだろうね。
日本じゃオレの親父みたいに物乞いを自堕落と見ることが多いと思うんだけど、タイでは物乞いへの施しは自身の徳を積むって考えがあるみたいなんだよね。困っている人を助けるという意味はあるんだろうけど、それは同時に徳を高めるという自分のためという意味でもあるんだろうね。
オレは、おそらく通っている小学校の制服を着て小銭が少し入ったプラスティックの箱の前でヘタクソなピアニカを吹く小さい女の子を見ていたんだけど、何人もの20歳前後の若いタイ人が小さい女の子の前に置かれたプラスティックの箱にお金を入れていくのを見たんだ。
その小さな女の子のピアニカは、10歳にすら達していないだろうという事を考慮しても金がもらえるレベルではなかったよ。曲と言うより音が鳴っているだけって感じだったからね。
でも、多くはないけど、少なくないタイ人がプラスティックの箱に金を入れるのを見たよ。
もちろんオレも箱にお金を入れてあげたよ、たった100バーツだけどね。今なら400円だけど当時は250円くらいだったかな。
でも女の子はヘタクソなピアニカの演奏を止めてオレにありがとうって手を合わせてきたんだよね。箱の中はほとんど小銭でお札を入れてくれる人は少なかったんだろうね。女の子はたった250円に手を合わせてきたんだ。
もっと入れてあげればよかったってあとから後悔したんだけどね。でも日本人ってお金をどこか不浄な物だと捉えるところがあるよね。どう考えても募金してあげた方がいいのにわざわざ千羽鶴を送ってみたり、マヨネーズの包装から丁寧に切り出してチマチマ集めるベルマークとかどう考えても百円払ったほうが早いし安上がりだよね。
どうにも日本人はお金をあげるという行為を、金を恵んでやるって捉えがちだよね。恵んでやるって言うのは相手を下に見ているって思っちゃうんだよね。
可愛らしい女の子だった。正月だったしお年玉袋に1000バーツくらい入れておけば絶対あとでビックリすんだろってやらなかったことを今でも後悔している。
そのせいでオレも今じゃバンコクの物乞いには容赦なくいくよ。貧乏人なりにね。
夜道を歩いていると出てくる年寄りの物乞いの空き缶にはポケットの小銭を一つかみぶちまける。オレはすぐコンビニで飲み物を買うのにお札しか出さないから夜ともなればポケットの中は小銭であふれているからね。
昼間っから空き缶片手にうろうろしていたお前普通に動けているし仕事できるだろ?って感じの若い物乞いの空き缶に10バーツ硬貨を入れてあげたら「チッ!」ってされた。
チャイナタウンのメチャクチャ狭い屋台通りで、白杖を突いて歩く中学生くらいの盲目の女の子が手にしていた箱には細かいお札と持っていた小銭を全部入れた。チャイナタウンの屋台通りは本当に狭くて左右の店との幅が1メートルほどしかない場所ばっかりですれ違うのも難しいくらいなんだけど、そこを盲目の女の子が募金箱をもってうろついていた。でも邪険に扱う人は誰もいなかった。多くの人が女の子が持っている箱を軽く叩いて動きを止めてからお金を入れていたよ。オレもそれに倣って金を入れた。
女の子も盲目なりに感謝をしていたけど、おそらくその女の子には全く関係ない屋台の人までオレにありがとうって言ってくれた。
タイの首都バンコクには日本でいう浅草寺みたいに都会の中のお寺があるんだけど、そこには明らかに不具をもっている子供の物乞いがいたよ。まともに動けなさそうな子供は座って乞いていたし、かろうじて歩ける程度の子供もいた。多くの人が多くもない金を箱に入れていたよ。オレも入れたけど。
バンコクの一番の繁華街、サイアム地区にいた物乞いはダースベイダーのコスプレをした、おそらく男の子。身長は160センチよりちょっと下だったかな。
足下に置かれた段ボール紙にはタイ語で「彼女が子宮筋腫です、お金が無くて手術ができません」的なことが書いてあった。募金をしてくれた人と2ショットを撮るって感じだったけど、正月の冬であってもバンコクは30℃だからね。そんなところでマスクを付けてマントも着てダースベイダーのコスプレをしていたんだ。
まあこのコスプレも安くはないだろうし、段ボールに書いてあることも本当かどうかなんてわからないけどオレは箱に1000バーツ入れた、まあ5000円弱ってところだね。
ダースベイダーは1000バーツ札を確認したのかどうかはわからないけど2ショット撮りましょうってジェスチャーで誘ってきた。オレは断ってただ彼を撮った。そしてそのまま立ち去って近くのコンビニで冷たいミネラルウォーターを買ってからダースベーダーの元に戻って彼に冷たい水を渡した。
オレは「暑いでしょ?」ってのもあったけど単に水を飲むのに彼がマスクを外すところを見て男か女か確認したかっただけだよ。でもダースベイダーはお礼を表しただけでペットボトルの水を足元に置いたんだ。
オレは徹してるなって思ってそのまま去ったよ。
言い換えれば物乞いだね。タイには、というかバンコクにはそれなりにいるよ。昼間はあまり見かけないけど夜になると出てくる。
日本では、乞食と言うか物乞いは違法とされているんだよね。まあネット乞食は腐るほどいるみたいだけど、今の若い人は街中で座っているような乞食は見たこともないだろうけどオレはガキの頃に見かけたことがあるよ。
と言ってもそこら中に一年中いたわけではなくて、親に連れられて正月の初詣に行くとボロボロの軍服みたいのを着た爺さんが神社の参拝道の片隅にいたのを見た覚えがあるよ。
軍服を着ていたってことは戦傷者のつもりなんだろうけど、もちろん子供のオレにはそれが本当の戦傷者なのか、戦傷者を装ったただのコジキなのかは分からなかったけどね。まあそれは本人以外には誰にも分らないよね。
でも、想像以上にスルーされていたのは覚えているよ。熊手屋には気前よくご祝儀をはずむオレの親父もスルーしてた。まあオレの親父は子供と言ってもおかしくない年齢で新潟のド田舎から身一つで上京し、がむしゃらに働いて仕事を覚えて起業して、高度経済成長の中で死に物狂いで働いてそれなりに成功した、生きていれば80を超えるまさにTHE昭和初期って感じの人間だったからね。物乞いを単に自堕落と捉えたのかもしれない。
まあ日本にもほんの数十年前まで乞食がいたってことだよ。
でね、乞食って言うと年寄りの物乞いってイメージがあるだろうけど、バンコクではそうでもないんだ。
というか日本以外ではって言ったほうがいいかな。子供だったり年寄りだったりオバサンだったり若者だったりするよ。
まあオレも偉そうなことが言えるほど海外を旅したわけではないけどね。
タイ、台湾、中国、シンガポール、マレーシアくらいだからね。
この中で物乞いを見たのは中国とタイくらいかな。
中国の物乞いはすごかったよ。真冬だったんだけど、薄汚れた白い半袖のTシャツを着ただけの子供が必死に物乞いしてた。クソ田舎じゃないよ、杭州だったからね。
杭州って言うのは浙江省の省都で、日本で言うとそうだなあ東北地方の仙台って感じじゃないかな。
間違っても貧乏とは言えない都市だろうし、実際ゴリゴリ発展急上昇中の都市って感じだったよ。
オレが最後に行ったのは2008北京オリンピックの前の年だったんだけどね。15年前だね。
そんなところの夜の道中で、オレが革ジャン着ていても寒いと思う道端で10歳くらいの子供がきったねえ半袖Tシャツ一枚で震えながら物乞いをしているんだよね。どう考えても「乞食をやらされている」のがわかる状況だよ。だって、もしこの子供が本当に半袖のTシャツ一枚しか持っていないならとっくに死んでるはずだからね。
オレはジーンズのポケットに入っていた小銭全部、半袖の子供が持っていた空き缶に入れたよ。
それが正しい行いなのかは知らないよ。オレは持っていたお金を全部渡すほどの良心は持ち合わせていないし、オレのこの行為によって、この子供を使っている大人が更に味を占めるかもしれないけどそれはオレの知ったことではなからね。オレは100%の自己満足で小銭を空き缶に入れたよ。
中国での印象に残っている物乞いはもう一つあって、車に乗っていた時に駆け寄ってきた花売りの子供だね。
場所はたしか北京の郊外だったとも思うんだけど車で移動中に信号で止まった時に子供が白い花を抱えて寄ってきたんだよね。普通に見て「花を買ってください」ってことなんだろうけど、これがまた雑草でも摘んできたのか?ってくらいどうでもいい花でね。もちろんオレには花なんかわからないからね、ちゃんとした売り物になる花だったのかもしれないよ。
でも中国に観光に来ているオレがわざわざ買い求めるほどの花ではなかったのは間違いないよ。
でもオレは買ってあげようと思ったんだよね。あくまで「買ってあげる」という上から目線でね。
ボッタくってきたら即座に切り捨てるからな、あんまり調子に乗るなよって思いながら車の窓を開けたんだ。
でもね、オレが車の窓を開けた瞬間に花を抱えた子供は2メートルくらいフッ飛んで行ったんだよね。
スタンド攻撃かと思うくらいいきなり吹っ飛んで行った。まあスタンド攻撃じゃなくて中国の公安警察官のヤクザキックを食らってフッ飛んで行ったんだけどね。
中国の公安警察て言うのは日本でいう交番勤務の普通の警察官だと思う。子供を蹴り飛ばした警官はオレに「オッ!」って感じに挨拶して吹っ飛んだ花売りの子供を追い払いに行った。
オリンピック直前でそういった乞食を一掃したかったんだろうけどハッキリ言って逆効果だと思った。花を散らかして逃げる子供を見るのがきつかった覚えがあるよ。まあ15年前だけどね。
まあ日本で乞食が禁止になった理由も似たようなもんだろうね。東京五輪だか大阪万博だかの時で、乞食がいると見栄えが悪いから禁止にしたんだろうね。
でね、タイのと言うかバンコクの物乞いは色んな種類がいるんだ。
夜に出てくるTHE乞食って感じの一般的な年寄りの物乞いもいるし、昼間っからタバコ銭せびるような物乞いもいるし、お前アラブ人だろって物乞いもいるし、明らかに不具のある物乞いもいるし、タイの感動CMに出てきそうな物乞いもいるよ。
オレがバンコクで見た一番印象に残っている物乞いは小学校低学年だろうなって言うくらいの女の子。物乞いって言ったら失礼かもしれいないけど、その娘はピアニカを吹いている大道芸的な感じだったんだけど、どう頑張っても小学校低学年だからね。ハッキリ言って金をとれるようなレベルじゃなかったんだよ。
夜の八時くらいだったかな、繁華街の人通りの多い所で一生懸命ピーポーピーポーとヘタクソなピアニカを吹いていたんだ。
一応の前提としてね、葬式と墓場の為の職業仏教の日本と違ってタイは悟りを開くためのマジ仏教だからね、物乞いに対しての捉え方が違うんだろうね。
日本じゃオレの親父みたいに物乞いを自堕落と見ることが多いと思うんだけど、タイでは物乞いへの施しは自身の徳を積むって考えがあるみたいなんだよね。困っている人を助けるという意味はあるんだろうけど、それは同時に徳を高めるという自分のためという意味でもあるんだろうね。
オレは、おそらく通っている小学校の制服を着て小銭が少し入ったプラスティックの箱の前でヘタクソなピアニカを吹く小さい女の子を見ていたんだけど、何人もの20歳前後の若いタイ人が小さい女の子の前に置かれたプラスティックの箱にお金を入れていくのを見たんだ。
その小さな女の子のピアニカは、10歳にすら達していないだろうという事を考慮しても金がもらえるレベルではなかったよ。曲と言うより音が鳴っているだけって感じだったからね。
でも、多くはないけど、少なくないタイ人がプラスティックの箱に金を入れるのを見たよ。
もちろんオレも箱にお金を入れてあげたよ、たった100バーツだけどね。今なら400円だけど当時は250円くらいだったかな。
でも女の子はヘタクソなピアニカの演奏を止めてオレにありがとうって手を合わせてきたんだよね。箱の中はほとんど小銭でお札を入れてくれる人は少なかったんだろうね。女の子はたった250円に手を合わせてきたんだ。
もっと入れてあげればよかったってあとから後悔したんだけどね。でも日本人ってお金をどこか不浄な物だと捉えるところがあるよね。どう考えても募金してあげた方がいいのにわざわざ千羽鶴を送ってみたり、マヨネーズの包装から丁寧に切り出してチマチマ集めるベルマークとかどう考えても百円払ったほうが早いし安上がりだよね。
どうにも日本人はお金をあげるという行為を、金を恵んでやるって捉えがちだよね。恵んでやるって言うのは相手を下に見ているって思っちゃうんだよね。
可愛らしい女の子だった。正月だったしお年玉袋に1000バーツくらい入れておけば絶対あとでビックリすんだろってやらなかったことを今でも後悔している。
そのせいでオレも今じゃバンコクの物乞いには容赦なくいくよ。貧乏人なりにね。
夜道を歩いていると出てくる年寄りの物乞いの空き缶にはポケットの小銭を一つかみぶちまける。オレはすぐコンビニで飲み物を買うのにお札しか出さないから夜ともなればポケットの中は小銭であふれているからね。
昼間っから空き缶片手にうろうろしていたお前普通に動けているし仕事できるだろ?って感じの若い物乞いの空き缶に10バーツ硬貨を入れてあげたら「チッ!」ってされた。
チャイナタウンのメチャクチャ狭い屋台通りで、白杖を突いて歩く中学生くらいの盲目の女の子が手にしていた箱には細かいお札と持っていた小銭を全部入れた。チャイナタウンの屋台通りは本当に狭くて左右の店との幅が1メートルほどしかない場所ばっかりですれ違うのも難しいくらいなんだけど、そこを盲目の女の子が募金箱をもってうろついていた。でも邪険に扱う人は誰もいなかった。多くの人が女の子が持っている箱を軽く叩いて動きを止めてからお金を入れていたよ。オレもそれに倣って金を入れた。
女の子も盲目なりに感謝をしていたけど、おそらくその女の子には全く関係ない屋台の人までオレにありがとうって言ってくれた。
タイの首都バンコクには日本でいう浅草寺みたいに都会の中のお寺があるんだけど、そこには明らかに不具をもっている子供の物乞いがいたよ。まともに動けなさそうな子供は座って乞いていたし、かろうじて歩ける程度の子供もいた。多くの人が多くもない金を箱に入れていたよ。オレも入れたけど。
バンコクの一番の繁華街、サイアム地区にいた物乞いはダースベイダーのコスプレをした、おそらく男の子。身長は160センチよりちょっと下だったかな。
足下に置かれた段ボール紙にはタイ語で「彼女が子宮筋腫です、お金が無くて手術ができません」的なことが書いてあった。募金をしてくれた人と2ショットを撮るって感じだったけど、正月の冬であってもバンコクは30℃だからね。そんなところでマスクを付けてマントも着てダースベイダーのコスプレをしていたんだ。
まあこのコスプレも安くはないだろうし、段ボールに書いてあることも本当かどうかなんてわからないけどオレは箱に1000バーツ入れた、まあ5000円弱ってところだね。
ダースベイダーは1000バーツ札を確認したのかどうかはわからないけど2ショット撮りましょうってジェスチャーで誘ってきた。オレは断ってただ彼を撮った。そしてそのまま立ち去って近くのコンビニで冷たいミネラルウォーターを買ってからダースベーダーの元に戻って彼に冷たい水を渡した。
オレは「暑いでしょ?」ってのもあったけど単に水を飲むのに彼がマスクを外すところを見て男か女か確認したかっただけだよ。でもダースベイダーはお礼を表しただけでペットボトルの水を足元に置いたんだ。
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