お認めください、あなたは彼に選ばれなかったのです

・めぐめぐ・

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第17話

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 突然現れたアルバートに、レナータは目を瞠った。まさか、彼がここに現れるとは思わなかったからだ。

 レナータの気持ちを代弁するかのように、ナディアがアルバートを見上げながら小首をかしげる。

「それにしても、よくここが分かりましたね、アルバート様」
「大きな影が、グリン領に向かって飛んで行ったという報告を聞いてな。急いで向かってきた。グリュプスがいるとすれば、奴らが好む森の奥の方だとは予想がついていたし、煙が上がっていたから、見つけ出すのはそう難しくはなかった。目印をつけておいたから、ムゥトたちも後からやってくるだろう」
「そうですか」

 ナディアは微笑むと、もう動かないグリュプスを見下ろした。彼女の視線の動きに合わせるように、アルバートもグリュプスを見てポツリと呟く。

「小さいな」
「ええ。狩りの経験も少なそうでしたし、親離れする直前か、したばかりでしょう」
「確かに、前回討伐したグリュプスはもっと巨大な個体だった。親子だったのかもしれないな。どちらにしても、君が無事で良かった」
「ふふっ、アルバート様は心配しすぎなのです。でも……ありがとうございます」

 二人の会話にレナータは耳を疑った。

 まさか、グリュプスが子どもだったとは思わなかったのだ。ならば大人になったグリュプスは、どれほどの大きさなのだろうか。そして、どれほど強くて凶暴なのだろうか。

 想像できない――いや、想像もしたくない。

 アルバートたちが子どもだと話すグリュプスの存在だけでも、レナータが死を覚悟するのに充分すぎるほどだったのに、目の前の二人は、さも戦いやすかったと言わんばかりの気軽さで会話をしている。

 もう一つ、レナータには気になることがあった。

 それは、グリュプスの首を一番初めに裂いた存在のことだ。
 二人の会話を聞く限り、それはアルバートということになる。

 しかし、レナータが恐怖するほどの猛獣に、アルバートが平然と立ち向かえるとは思えなかった。それに、たった一太刀でグリュプスに致命傷を与えるほどの剣技を持っているなど、レナータ以上に強いことになる。

 練習試合の時、レナータとアルバートは互角の戦いをしていたが、自分にとってアルバートは、いつまでも幼いころの弱い少年のままだった。負けたとしても偶然だと思い、特別悔しいとも思わなかった。

 むしろ彼がどんどん強くなり、副隊長までのぼってきたことが嬉しかった。
 それほどまでレナータに追いつきたいのかと、それほどまでにレナータを求めているのかと、信じて疑わなかった。

 だがアルバートが、猛獣を一人で倒せるほどの実力を隠していたのだとしたら……
 とっくの昔にレナータの力を超えていたのだとしたら……

「レナータ様、大丈夫でしょうか?」
「えっ?」

 名を呼ばれ顔をあげると、すぐそばにナディアがいた。赤い瞳が心配そうにレナータを見つめていたが、視線が合うと、パッと表情を明るくした。

 そしてレナータの体の色々なところに視線を向けると、大きく息を吐き出した。

「お怪我はなさっていないようですね。良かったです」

 微笑みながら、ナディアがレナータに手を差し出す。ナディアの肩越しから、グリュプスの傍にで立っているアルバートが見えた。

 レナータの身を案じて手を差し伸べてきたのが幼馴染ではなく、見下し、憎み続けたその妻である事実に、体が冷たくなっていくのを感じる。

 その時、

「アルバート、ここにいたのか!」
「探しましたよ、ウォルレイン隊長! グリュプスはどこに⁉」

 アルバートが出てきた茂みから、剣を構えた男たちが飛び出してきた。

 一番に目に飛び込んできたのは、ムゥト。そのあとから現れたのは、レナータの部下たちだ。

 先ほどアルバートが、後からムゥトたちがやってくると言ったのを思い出した。恐らく、第五部隊の者たちが、グリュプスの討伐に来たのだろう。 

 だが、彼の傍で横たわっているグリュプスの死体を見つけると、皆が目をむいた。ムゥトが声を震わせながら尋ねる。

「こ、これは……アルバート、お前ひとりでやったのか?」
「私一人じゃない。グリュプスがナディアに襲い掛かろうとして動きを止めていたところを、後ろから切っただけだ。それがなければもっと苦戦していた」
「ええっ⁉ お、奥様は……ナディア様は、大丈夫なのですか⁉」

 アルバートの発言に真っ先に反応したのは、宴会でナディアが介抱した部下だ。彼の叫びに近い問いかけに、ナディアが振り向き、声を明るくしながら答える。

「心配してくださってありがとうございます。寸前でアルバート様が来てくださったので、私は無事ですよ」
「よ、良かったです……」

 部下はホッと胸をなでおろした。ナディアに微笑みかけられた彼がはにかみながら何か言おうとしたが、アルバートが眉間に皺を寄せていることに気づき、慌てて口を閉じた。

 皆の視線が、岩の窪みの中にいるレナータに向けられた。ムゥトが恐る恐る口を開く。

「レナータ……様もご無事ですか?」

 いつもみたいに、大丈夫だと豪語したかった。しかし、喉の奥が詰まって言葉が出ず、頷くことしかできなかった。

 代わりに、ナディアの穏やかな声が場に響いた。赤い瞳を細めながら、座り込んだままのレナータに微笑みかける。
 
「レナータ様もグリュプスの動きを止めてくださったのです。とても助かりました」
「あ、あたしは……」

 何もしていない、と言おうとしたとき、アルバートがレナータを睨んでいることに気づいた。

 まるで、それ以上何も言うなと脅しているかのように。
 
 恐ろしいほどの気迫に、体が強張る。彼の視線から逃れようと目を閉じた時、茂みから次々と騎士や兵士たちが姿を現した。

 グリュプスを討伐するため、他の部隊が到着したのだ。

 すでに目的が果たされていることを知ると、かがり火がたかれ、グリュプスの死体を持って帰るための準備が始まった。
 まるで祭りのような雰囲気の中、レナータだけが、目の前の光景がまるで夢のような非現実感に襲われていた。

 その時、すぐ傍に誰かが近寄って来る気配がした。

「ナディア。ムゥトと一緒に森を出て、グリン邸で待っていてくれないか。先方にはすでに話を通してある」
「アルバート様はいかがなされるのです?」
「私も現場が落ち着いたらグリン邸に向かう。合流したら一緒に帰ろう」
「畏まりました。レナータ様は残られるのですか?」
「ああ。事情を聞かなければならないからな」

 レナータが答えるよりも早く、アルバートが頷いた。それを聞き、レナータの心臓が早鐘を打つ。握った手のひらに、ジワッと汗がにじみ出した。

 もとはと言えば、自分がナディアを呼び出し、置き去りにしようとしたことが、すべての発端なのだ。

 しかし、ナディアもナディアだと思いなおす。彼女がレナータを煽らなければ、結果的にグリュプスの縄張りに入ることもなかったのだ。

 ぐるぐると言い訳が頭の中を回る中、ナディアがアルバートとレナータに向かって、深く頭を下げているのが見えた。

「それではアルバート様、レナータ様、お先に失礼いたします」

 そう言って、ナディアはムゥトの方へ向かっていき――この場から姿を消した。

「さて、レナータ・グリン子爵令嬢」

 聞きなれた――しかし、今まで聞いたことがないほど冷たい声が、レナータのフルネームを呼ぶ。

 アルバートの青い瞳がレナータを見下ろしている。
 彼の唇が、ゆっくりと低すぎる声色を発する。

「話をしようか」
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