16 / 88
第一章 地味な、人生でした
16 再び婚約者がお屋敷にやって来ました
しおりを挟む
スコットがパリステラ家へ訪れると、家令から応接間へと案内された。
彼は、はてと首を傾げる。
いつもは直接クロエの部屋へ向かうことが多いのに、今日は来客用の間なんて、やはり自分は彼女から拒絶されているのだろうか。
それに、家令が変わっている。
パリステラ家は新たに夫人と娘を迎えた際に、屋敷全体を新しい体制に移行させたと聞いていたが、自分を先導する彼もその人事の一環なのだろうか。
それにしても、長く勤めていた家令をこうも簡単に移動させられるものか? ……と言うか、前の家令はまだここで働いているのか?
歩きながらぼんやりと考えていると、妙に胸がざわついた。
「スコット様、ご機嫌よう」
ソファーに腰掛けてしばらくすると、応接間に現れたのは婚約者ではなく――その異母妹だった。
スコットは予想外の意外な人物に目を見張る。
彼が呆然としている間に、コートニーは微笑みながらカーテシーをした。
その動きは完璧な姉に比べるとまだぎこちないものの、彼女の本来持っている愛らしい容姿が可憐さを醸し出して、見ていてなんだか微笑ましい気分になった。
「やぁ、コートニー嬢。久し振りだね。元気かい?」
「はい! あたしは元気です。スコット様にお会いできて嬉しいですぅ~!」
コートニーは、さっとスコットの隣に座る。
彼は未婚の令嬢の大胆な行為に一瞬だけ目を丸くしたが、彼女の左手首からちらりと見えた包帯に思わず気を取られてしまう。その隙に、彼女が腕をぎゅっと絡めてきた。
「っ……コートニー嬢?」と、スコットは咎めるように彼女の名前を呼ぶ。
「あっ、ごめんなさい! あたし……お義兄様ができるのが嬉しくって」彼女の丸い瞳がうるうると涙で滲んだ。「だって、ずっとお母様と二人きりだったから……。こんなにたくさんの家族ができるのが、本当に嬉しいの」
(参ったな……)
スコットは困惑して頬を掻いた。
常識からすれば、婚約者がいる身で他の令嬢と密着するなんて、言語道断だ。
しかし、目の前の義妹になる予定の女の子の小動物みたいなもの寂しそうな姿を見たら、頑なに拒絶するのも心苦しかった。彼女のこれまでの境遇を考えると、突き放すのはあまりに可哀想だと思ったのだ。
「……分かった」スコットは小さく笑った。「そう思ってくれるのは嬉しいよ。僕も新しく妹ができるのは楽しみだ。でも、貴族の令嬢が無闇矢鱈に男性の体に触れるのは、良くないことなんだよ?」
「あっ……!」
コートニーは罰の悪そうな顔をして、そっとスコットから腕を引っ込めた。
「その、ごめんなさい……。あたし、まだ平民の気分が抜けていなくて。お異母姉様からもいつも怒られるの……。これ以上叱られないように、気を付けなきゃ」
彼女は目を伏せて、包帯の巻いてある左手首をぎゅっと掴んだ。微かに肩を震わせて。
スコットは眉を曇らせる。
(クロエが妹に怒る……?)
にわかには信じられなかった。
彼の知っている婚約者は、とても優しくて他人の機微に敏感な子だ。つい数ヶ月前まで平民だった異母妹のマナーができていないだけで、叱り付けたりするような苛烈な子ではない。
だが、コートニーはクロエに対して酷く怯えた様子で……。それに手首の包帯はどういうことだろう。彼女の態度だと、まるでクロエからなにか仕置きでもされたみたいだ。
(まさか……クロエに限って……。しかし、あの噂も…………)
スコットの胸の奥に、微かに暗い影が差した。
「ところで、クロエは来ないのかい? 今日は彼女に大事な話があって来たんだけど、家にはいないの?」
スコットが尋ねると、コートニーは少し躊躇した様子を見せて、一拍してからおずおずと答えた。
「あの……お異母姉様は……その、まだ寝てて……」
刹那、スコットの腰が浮いてガタリとソファーが揺れた。
矢庭に全身から汗が吹き出て、背中に悪寒が走った。
やはり、あの噂は本当なのだろうか。夜中に遊び歩いているから昼間は寝ている?
友人たちの言葉がぐるぐると脳裏を巡って、急激に頭が痛くなった。
冷ややかな空気が、スコットを中心に部屋中に広がる。コートニーは困ったように眉根を寄せて彼を見ていた。
彼は気持ちを落ち着かせようと、一呼吸する。
今日は婚約者と話し合いをしようとやって来たのだ。感情的になってどうするのだ。
「クロエはいつも昼間は寝ているの?」
「いつもじゃないけど、最近はお昼過ぎまでお部屋から出て来ないことが多いかな?」
「そうか……」
間が悪いことに、実際にその日クロエは昼過ぎまで眠っていた。明け方まで魔導書を読み耽っていて、朝に起きられなかったのだ。
彼女はじわじわと精神的に追い詰められ始めていて、なんとしてでも魔法を使えるようにならなければと、必死だった。
「だからね」コートニーはまたぞろスコットに身体を近付けて上目遣いで未来の義兄を見た。「あたしが代わりに来たの。その……迷惑でしたか?」
「迷惑だなんて」と、スコットは微笑む。
なんて健気な子だろうと思った。数ヶ月前に初めて会った姉のために、こんなに気を揉んで。
曲がりなりにも血の繋がった家族として責任を感じているのか、今にも泣きそうな顔をしている。その砂糖菓子みたいに簡単に崩れそうな儚げな様相は、彼の胸を打った。
……同時に、クロエに対して苛立ちを覚えてしまう。
誤解を解きたいのに、婚約者となかなか会えないもどかしさは、いつしか怒りの灯火を孕んで彼の心を包み込んでいた。
こうして、スコットとコートニーの、二人きりのお茶会が始まったのだった。
彼は、はてと首を傾げる。
いつもは直接クロエの部屋へ向かうことが多いのに、今日は来客用の間なんて、やはり自分は彼女から拒絶されているのだろうか。
それに、家令が変わっている。
パリステラ家は新たに夫人と娘を迎えた際に、屋敷全体を新しい体制に移行させたと聞いていたが、自分を先導する彼もその人事の一環なのだろうか。
それにしても、長く勤めていた家令をこうも簡単に移動させられるものか? ……と言うか、前の家令はまだここで働いているのか?
歩きながらぼんやりと考えていると、妙に胸がざわついた。
「スコット様、ご機嫌よう」
ソファーに腰掛けてしばらくすると、応接間に現れたのは婚約者ではなく――その異母妹だった。
スコットは予想外の意外な人物に目を見張る。
彼が呆然としている間に、コートニーは微笑みながらカーテシーをした。
その動きは完璧な姉に比べるとまだぎこちないものの、彼女の本来持っている愛らしい容姿が可憐さを醸し出して、見ていてなんだか微笑ましい気分になった。
「やぁ、コートニー嬢。久し振りだね。元気かい?」
「はい! あたしは元気です。スコット様にお会いできて嬉しいですぅ~!」
コートニーは、さっとスコットの隣に座る。
彼は未婚の令嬢の大胆な行為に一瞬だけ目を丸くしたが、彼女の左手首からちらりと見えた包帯に思わず気を取られてしまう。その隙に、彼女が腕をぎゅっと絡めてきた。
「っ……コートニー嬢?」と、スコットは咎めるように彼女の名前を呼ぶ。
「あっ、ごめんなさい! あたし……お義兄様ができるのが嬉しくって」彼女の丸い瞳がうるうると涙で滲んだ。「だって、ずっとお母様と二人きりだったから……。こんなにたくさんの家族ができるのが、本当に嬉しいの」
(参ったな……)
スコットは困惑して頬を掻いた。
常識からすれば、婚約者がいる身で他の令嬢と密着するなんて、言語道断だ。
しかし、目の前の義妹になる予定の女の子の小動物みたいなもの寂しそうな姿を見たら、頑なに拒絶するのも心苦しかった。彼女のこれまでの境遇を考えると、突き放すのはあまりに可哀想だと思ったのだ。
「……分かった」スコットは小さく笑った。「そう思ってくれるのは嬉しいよ。僕も新しく妹ができるのは楽しみだ。でも、貴族の令嬢が無闇矢鱈に男性の体に触れるのは、良くないことなんだよ?」
「あっ……!」
コートニーは罰の悪そうな顔をして、そっとスコットから腕を引っ込めた。
「その、ごめんなさい……。あたし、まだ平民の気分が抜けていなくて。お異母姉様からもいつも怒られるの……。これ以上叱られないように、気を付けなきゃ」
彼女は目を伏せて、包帯の巻いてある左手首をぎゅっと掴んだ。微かに肩を震わせて。
スコットは眉を曇らせる。
(クロエが妹に怒る……?)
にわかには信じられなかった。
彼の知っている婚約者は、とても優しくて他人の機微に敏感な子だ。つい数ヶ月前まで平民だった異母妹のマナーができていないだけで、叱り付けたりするような苛烈な子ではない。
だが、コートニーはクロエに対して酷く怯えた様子で……。それに手首の包帯はどういうことだろう。彼女の態度だと、まるでクロエからなにか仕置きでもされたみたいだ。
(まさか……クロエに限って……。しかし、あの噂も…………)
スコットの胸の奥に、微かに暗い影が差した。
「ところで、クロエは来ないのかい? 今日は彼女に大事な話があって来たんだけど、家にはいないの?」
スコットが尋ねると、コートニーは少し躊躇した様子を見せて、一拍してからおずおずと答えた。
「あの……お異母姉様は……その、まだ寝てて……」
刹那、スコットの腰が浮いてガタリとソファーが揺れた。
矢庭に全身から汗が吹き出て、背中に悪寒が走った。
やはり、あの噂は本当なのだろうか。夜中に遊び歩いているから昼間は寝ている?
友人たちの言葉がぐるぐると脳裏を巡って、急激に頭が痛くなった。
冷ややかな空気が、スコットを中心に部屋中に広がる。コートニーは困ったように眉根を寄せて彼を見ていた。
彼は気持ちを落ち着かせようと、一呼吸する。
今日は婚約者と話し合いをしようとやって来たのだ。感情的になってどうするのだ。
「クロエはいつも昼間は寝ているの?」
「いつもじゃないけど、最近はお昼過ぎまでお部屋から出て来ないことが多いかな?」
「そうか……」
間が悪いことに、実際にその日クロエは昼過ぎまで眠っていた。明け方まで魔導書を読み耽っていて、朝に起きられなかったのだ。
彼女はじわじわと精神的に追い詰められ始めていて、なんとしてでも魔法を使えるようにならなければと、必死だった。
「だからね」コートニーはまたぞろスコットに身体を近付けて上目遣いで未来の義兄を見た。「あたしが代わりに来たの。その……迷惑でしたか?」
「迷惑だなんて」と、スコットは微笑む。
なんて健気な子だろうと思った。数ヶ月前に初めて会った姉のために、こんなに気を揉んで。
曲がりなりにも血の繋がった家族として責任を感じているのか、今にも泣きそうな顔をしている。その砂糖菓子みたいに簡単に崩れそうな儚げな様相は、彼の胸を打った。
……同時に、クロエに対して苛立ちを覚えてしまう。
誤解を解きたいのに、婚約者となかなか会えないもどかしさは、いつしか怒りの灯火を孕んで彼の心を包み込んでいた。
こうして、スコットとコートニーの、二人きりのお茶会が始まったのだった。
10
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
あなたが残した世界で
天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。
八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。
【完結】時戻り令嬢は復讐する
やまぐちこはる
恋愛
ソイスト侯爵令嬢ユートリーと想いあう婚約者ナイジェルス王子との結婚を楽しみにしていた。
しかしナイジェルスが長期の視察に出た数日後、ナイジェルス一行が襲撃された事を知って倒れたユートリーにも魔の手が。
自分の身に何が起きたかユートリーが理解した直後、ユートリーの命もその灯火を消した・・・と思ったが、まるで悪夢を見ていたように目が覚める。
夢だったのか、それともまさか時を遡ったのか?
迷いながらもユートリーは動き出す。
サスペンス要素ありの作品です。
設定は緩いです。
6時と18時の一日2回更新予定で、全80話です、よろしくお願い致します。
わたくしが社交界を騒がす『毒女』です~旦那様、この結婚は離婚約だったはずですが?
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
※完結しました。
離婚約――それは離婚を約束した結婚のこと。
王太子アルバートの婚約披露パーティーで目にあまる行動をした、社交界でも噂の毒女クラリスは、辺境伯ユージーンと結婚するようにと国王から命じられる。
アルバートの側にいたかったクラリスであるが、国王からの命令である以上、この結婚は断れない。
断れないのはユージーンも同じだったようで、二人は二年後の離婚を前提として結婚を受け入れた――はずなのだが。
毒女令嬢クラリスと女に縁のない辺境伯ユージーンの、離婚前提の結婚による空回り恋愛物語。
※以前、短編で書いたものを長編にしたものです。
※蛇が出てきますので、苦手な方はお気をつけください。
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
元お助けキャラ、死んだと思ったら何故か孫娘で悪役令嬢に憑依しました!?
冬野月子
恋愛
乙女ゲームの世界にお助けキャラとして転生したリリアン。
無事ヒロインを王太子とくっつけ、自身も幼馴染と結婚。子供や孫にも恵まれて幸せな生涯を閉じた……はずなのに。
目覚めると、何故か孫娘マリアンヌの中にいた。
マリアンヌは続編ゲームの悪役令嬢で第二王子の婚約者。
婚約者と仲の悪かったマリアンヌは、学園の階段から落ちたという。
その婚約者は中身がリリアンに変わった事に大喜びで……?!
元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
碧野葉菜
恋愛
フランチェスカ家の伯爵令嬢、アンジェリカは、両親と妹にいない者として扱われ、地下室の部屋で一人寂しく暮らしていた。
そんな彼女の孤独を癒してくれたのは、使用人のクラウスだけ。
彼がいなくなってからというもの、アンジェリカは生きる気力すら失っていた。
そんなある日、フランチェスカ家が破綻し、借金を返すため、アンジェリカは娼館に売られそうになる。
しかし、突然現れたブリオット公爵家からの使者に、縁談を持ちかけられる。
戸惑いながらブリオット家に連れられたアンジェリカ、そこで再会したのはなんと、幼い頃離れ離れになったクラウスだった――。
8年の時を経て、立派な紳士に成長した彼は、アンジェリカを妻にすると強引に迫ってきて――!?
執着系年下美形公爵×不遇の無自覚美人令嬢の、西洋貴族溺愛ストーリー!
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる