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第二章 派手に、生まれ変わります!
77 永遠の時の中に閉じ込めました……!!
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※閲覧注意※虫や人権を蹂躙するような非常に非常に不快な描写あり※
『えっ……!? ここは、どこ!? なに? どういうこと?』
『あたくしたちは……伯爵令息と馬車に……? どこなの、ここはっ!?』
クリスとコートニーが目を覚ますと、そこは満天の星空の下。
二人とも一糸まとわぬ姿で、椅子くらいの高さの台座の上に立たされて――、
『『うっ……動けないっ!?』』
瞬時に頭の中が真っ白になった。
今の状況がまるで意味が分からない。なぜか裸で外に出されて、台の上で彫刻像みたいなポーズを取って……羞恥心でたまらなくて、すぐにでも身体を隠したいのに、
――動かない!!
(どういうことっ!? どういうことっ!?)
コートニーは酷く狼狽しながら、隣に立つ母親を見た。
首は動かせないので、目だけで母の姿を追う。微かに見える母も、自分と同じく素っ裸で、まるで置物のようにそこにいた。
しかし、クリスは銅像のように固まって、ぴくりとも動かない。
『お母様! お母様!』
彼女は一生懸命に母を呼ぶが、返事はなかった。
(一体なんなのっ! これはっ!!)
同じく、クリスも激しく狼狽する。
自慢の魅力的な肉体を動かそうにも、ぴくりともしない。自分の身体なのに、まるで魂だけが銅像に入り込んだみたいだ。
隣に立つ愛娘を見る。彼女も己と同じく、生まれたままの姿でそこに屹立していた。
『コートニー! 大丈夫なの? コートニー!』
娘からの返事はない。
「あとは……最後の仕上げだけですわ」
「聖女様の闇魔法はなんと美しい!」
母娘が気が付くと、眼前にレイン伯爵令息と……憎き憎きクロエ・パリステラが立っていた。
二人の様子を見ながら令息は瞳を輝かして、長女は薄ら笑いを浮かべている。
『ちょっとクロエっ! これはどういうことっ!?』
『早くここから下ろしなさいよっ、バカ女っ!』
矢庭にクリスとコートニーはクロエへの罵倒を始める。
しかし、彼女はなにも聞こえていないかのように、完全に無視をしていた。
『はあぁぁぁっ!? 無視するんじゃないわよ! このクソ女っ!』
『あんた……あとでどうなるか覚えていなさいよっ!! 絶対殺すっ!』
すると、屋敷のほうからそろそろと使用人たちがやって来た。
彼らはバケツと刷毛を持って、クリスとコートニーの前に立つ。
「全身まんべんなく塗ってちょうだい」
ぬたり、ぬたりと刷毛が二人の肌の上を這った。
『ひぅぅぅぅっ……!』
『やめて! 気持ち悪い……っ!』
ひんやりと、ぬめぬめした蜜が皮膚に付着する。
あまりの居心地の悪さに、ぞわぞわと鳥肌が立った。大きな舌で舐められているように、気持ちが悪い。
その儀式は、手際のいい使用人たちのお陰で、あっという間に完成だ。
二人は、全身から蜜を滴らせながら、発光するようにぎらぎらと夜空を反射していた。
「……あとは、一晩ほど月明かりを浴びたら完成です」とクロエ。
「素晴らしい! 闇魔法なのに、このような優美な術は初めてですよ」と、伯爵令息は手を叩いて喜んだ。
『なんなの、これは! 下ろしなさい! あたくしは侯爵夫人なのよっ!?』
『お母様ぁ~! ベタベタして気持ち悪いぃ~!!』
母娘は揃って抗議の声を上げるが……その切実な声は、こにいる誰の耳にも届かなかった。
あるのは、月夜の静寂だけ。
クロエは、一つ、魔法をかけた。
時間という牢獄に閉じ込める魔法を。
二人の肉体の時間は永遠に止まってしまった。しかし、彼女たちの意識は今も続く。
母娘は、肉体は静止したまま、内なる精神はずっと生き続けるのだ。
でも、彼女らの声が外に届くことはない。傍から見たら、ただの人形のように、動くことも喋ることもないのだ。二人の意思なんて、誰にも分からない。
「おや、夜行蝶が」
ちらり、ちらり、と蝶々が集まって来た。きっと蜜の香りに惹かれたのだろう。はじめは数匹、そして徐々に増えていく。夜行蝶の翅は淡い光に反射してオパールみたいに七色に煌めいて、とても幻想的な光景だった。
「美しい……」
伯爵令息は恍惚とした表情を浮かべて、ため息をつく。
「そうですね」と、クロエは微苦笑する。きっと今頃は、母娘は自分に向けて罵詈雑言を放っているのかと思うとおかしくなったのだ。
「まさか闇魔法でこのような壮麗な光景を拝めるとは……! さすが聖女様!」
「恐れ入りますわ」
『ひいぃぃぃぃぃっ!!』
『嫌っ! 来ないでっ!』
夜行蝶の細い脚がそろそろと表皮を進んで、ぞくりと背筋が凍る。
『嫌! 気持ち悪い!!』
『あたし、虫ダメなの~! 本当にやめてっ!』
すぐにでも手を振って蝶を払いたいが、どんなに力んでも彼女たちの腕が動くことはなかった。
甘い蜜の香りに誘われて、蝶々の他にも、なにかがやって来ている。露出した皮膚の上を這われて、総毛立った。
(あら、しまったわ……)クロエは困ったように口元に手を当てる。(伯爵令息が闇魔法で使用している毒虫の入った虫かごを誤って持ってきてしまったわ…………)
『ちょっとぉっ! ボサッとしていないで早くここから下ろしなさいよっ!』
『お異母姉様ぁっ! 助けてくださいぃー!!』
二人がいくら懇願しても、金切り声を上げても、クロエには届かなかった。
その間にも、虫はじわじわ増えていく。
『クロエ! 悪かったわ! あたくしが悪かったから! だから、助けて!』
『お異母姉様! なんでもしますから! なんとかしてくださぁいっ!!』
クロエには、なにも聞こえなかった。
静かに鳴く虫の声が綺麗だと思った。
『どうして、さっきから無視をするの!? あたくしの声が聞こえないの!?』
『お異母姉様っ! あたしの話を聞いてっ!! 助けてよ!』
『クロエっ!!』
『お異母姉様っ!!』
『『なんで……なんで、誰も答えてくれないのっっっ!?』』
二人の絶叫も、この世界には存在しない。
深い夜は、これからだ。
◆
「クロエ!」
レイン伯爵令息と月明かりの下の鑑賞会も終わる頃、ユリウスが息せき切ってやって来た。
「ユリウス……」
クロエはおもむろに振り返る。彼女の美しい顔は青ざめていて、本当に闇魔法に取り憑かれたような恐ろしい冷たさを帯びていた。
ぞっとするようなおぞましい雰囲気に、ユリウスは目を見張った。
「これは……どういうことだ?」
彼は彼女たちの背後にある人間の像を見る。
裸体に塗りたくられた蜜がてらてらと輝いて、そこに吸い込まれるように翅を持つ客たちが集まっていた。
「なにをしているんだ……?」と、彼の眼光は自然と鋭くなる。
クロエは彼の言外の抗議を黙殺して、
「お騒がせしてごめんなさい。私の秘術は、まだ助手には教えていなかったの」
「そうですか。たしかに、これほどの魔法は門外不出でしょう」
「では、私たちはこれで。ご機嫌よう」
クロエはおもむろに踵を返して、そのあとをユリウスが大きな足音を立てながら付いて行く。
「どういうことだよ、クロエ!」
ついに我慢できなくなった彼が、彼女の肩を背後から掴んだ。
「どういうことって……見ての通りよ」と、彼女は冷淡に答える。
「復讐は終わったんじゃないのか!? 先日、母君の――」
「あのときは……お母様の前で、醜いものたちを晒したくなかっただけ。ただ、場所の問題よ。……終わってなんかいないわ」
「そんな……!」
彼女は彼の手を振り払い、先へ進む。
彼も置いていかれないように、早足で付いて行く。
「あれらは、どう見ても生きていた。君の魔法の仕業だな。自分がなにをやっているのか分かっているのか?」
「自分のことなのに、分からない行動なんてあるわけないじゃない」
「誤魔化すな! ……君が行ったことは、人の尊厳を奪う行為だ。やり過ぎだ!」
「……やり過ぎ、ですって?」
不意に、クロエは足を止めた。
「そうだ。いくら復讐とはいえ、人として絶対にやってはいけないことがある」
「……」
ユリウスはクロエの両肩を強く握って、まっすぐに彼女の瞳を覗き込む。
今を逃したら、彼女が泡沫みたいに儚く消えてしまいそうで。底しれぬ闇の中に、落ちてしまいそうで。
絶対に、彼女を取りこぼしたくなかった。
「それは、君自身の心も自ら傷付けることになる。前にも言ったが、俺は君には幸せになってもらいたいと思うんだ。だから、もっと自分を大切にして欲しい」
「私は……」
クロエの瞳が揺らいだかと思ったら、俯いた。肩を震わせて、涙を流している。
しばらくの沈黙。彼女のすすり泣く声だけが微かに響いた。
そして、
「……ユリウスには分からないわ」
唸るような低い声音で彼女は言った。
「えっ」
彼女は涙で濡れた顔を卒然と上げて、
「ユリウスには分からないわよ、私の気持ちなんて!」
「っ……」
彼は戸惑いを隠せず、身体を強張らせる。
彼女は、彼の動揺なんて気にも留めずに捲し立てる。
「いいわよね、あなたは。生まれたときから皇子様で、常に周囲には人がたくさんいて。……あなたは、他人から存在を否定されたことはあるの? 声をかけても、まるでここに自分なんて存在してないかのように……まるで、私なんてこの世界に生きていないかのように…………」
「クロエ……」
ユリウスは二の句が継げない。ただ、狼狽しながらクロエを見つめるだけだった。気が動転して、なんて声をかければ良いか分からない。
逆行前の彼女の人生は、調査をした限りでも酷く凄惨なものだった。悪魔のような継母と異母妹に心も身体もぼろぼろにされて、彼女は人生を諦めようとしていた。
そのとき、最悪の予感が彼の頭を過る。にわかに冷や汗が額に流れた。
……既に、彼女の心は壊れているのか?
盲点だった。
自分は、逆行前にできなかったことを今度こそ行って、絶対に彼女を救いたいと考えていた。
だが、それは……時間を巻き戻る前にやらなければいけなかったのだ。
「もう……」再びクロエが声を上げる。「もう、私のことは放っておいて!」
「そんなっ……! 俺にはそんなことできない」
――だって、君のことを愛しているから。
だが、ユリウスの想いは、届かない。
「放っておいて!!」
彼女は、逃げるように走り出す。涙はとめどなく流れて、雨のように自身の肩に降り注いだ。
これでいい。
このまま、ユリウスとはお別れするのだ。
自分の手は、あまりに汚れすぎた。
婚約者を欺いて、地獄に突き落として。そして、継母と異母妹と同じように、人権を奪って。
それに、まだ父親が残っている。
あの男のことも、許すつもりはない。それ相応の報いを受けてもらうつもりだ。
このまま行けば、いずれ家門自体が取り潰されるだろう。
そんな汚い自分と、帝国の皇子様なんて似合わない。相応しくない。……彼にまで、迷惑はかけられない。
本当は、大好きなのに。
求婚されて、とっても嬉しかったのに。
でも、自分と婚姻すると、彼の輝かしい未来も潰される。
継母と異母妹がパリステラ家に来た時点で、もう、運命は決まっていたのだ。
彼女たちと同じように悪魔の手に堕ちた今の自分が、幸せになるなんて許されない。
私たちの未来は……決して交わらない。
だって、私は、
この世界に、
生まれて来なくなる予定なのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上で第二章は終わりです。
長引いてしまった中、読んでくださって有難うございました。
第三章(最終章)は短めの予定です。
あと少し、どうぞ宜しくお願いいたします。
『えっ……!? ここは、どこ!? なに? どういうこと?』
『あたくしたちは……伯爵令息と馬車に……? どこなの、ここはっ!?』
クリスとコートニーが目を覚ますと、そこは満天の星空の下。
二人とも一糸まとわぬ姿で、椅子くらいの高さの台座の上に立たされて――、
『『うっ……動けないっ!?』』
瞬時に頭の中が真っ白になった。
今の状況がまるで意味が分からない。なぜか裸で外に出されて、台の上で彫刻像みたいなポーズを取って……羞恥心でたまらなくて、すぐにでも身体を隠したいのに、
――動かない!!
(どういうことっ!? どういうことっ!?)
コートニーは酷く狼狽しながら、隣に立つ母親を見た。
首は動かせないので、目だけで母の姿を追う。微かに見える母も、自分と同じく素っ裸で、まるで置物のようにそこにいた。
しかし、クリスは銅像のように固まって、ぴくりとも動かない。
『お母様! お母様!』
彼女は一生懸命に母を呼ぶが、返事はなかった。
(一体なんなのっ! これはっ!!)
同じく、クリスも激しく狼狽する。
自慢の魅力的な肉体を動かそうにも、ぴくりともしない。自分の身体なのに、まるで魂だけが銅像に入り込んだみたいだ。
隣に立つ愛娘を見る。彼女も己と同じく、生まれたままの姿でそこに屹立していた。
『コートニー! 大丈夫なの? コートニー!』
娘からの返事はない。
「あとは……最後の仕上げだけですわ」
「聖女様の闇魔法はなんと美しい!」
母娘が気が付くと、眼前にレイン伯爵令息と……憎き憎きクロエ・パリステラが立っていた。
二人の様子を見ながら令息は瞳を輝かして、長女は薄ら笑いを浮かべている。
『ちょっとクロエっ! これはどういうことっ!?』
『早くここから下ろしなさいよっ、バカ女っ!』
矢庭にクリスとコートニーはクロエへの罵倒を始める。
しかし、彼女はなにも聞こえていないかのように、完全に無視をしていた。
『はあぁぁぁっ!? 無視するんじゃないわよ! このクソ女っ!』
『あんた……あとでどうなるか覚えていなさいよっ!! 絶対殺すっ!』
すると、屋敷のほうからそろそろと使用人たちがやって来た。
彼らはバケツと刷毛を持って、クリスとコートニーの前に立つ。
「全身まんべんなく塗ってちょうだい」
ぬたり、ぬたりと刷毛が二人の肌の上を這った。
『ひぅぅぅぅっ……!』
『やめて! 気持ち悪い……っ!』
ひんやりと、ぬめぬめした蜜が皮膚に付着する。
あまりの居心地の悪さに、ぞわぞわと鳥肌が立った。大きな舌で舐められているように、気持ちが悪い。
その儀式は、手際のいい使用人たちのお陰で、あっという間に完成だ。
二人は、全身から蜜を滴らせながら、発光するようにぎらぎらと夜空を反射していた。
「……あとは、一晩ほど月明かりを浴びたら完成です」とクロエ。
「素晴らしい! 闇魔法なのに、このような優美な術は初めてですよ」と、伯爵令息は手を叩いて喜んだ。
『なんなの、これは! 下ろしなさい! あたくしは侯爵夫人なのよっ!?』
『お母様ぁ~! ベタベタして気持ち悪いぃ~!!』
母娘は揃って抗議の声を上げるが……その切実な声は、こにいる誰の耳にも届かなかった。
あるのは、月夜の静寂だけ。
クロエは、一つ、魔法をかけた。
時間という牢獄に閉じ込める魔法を。
二人の肉体の時間は永遠に止まってしまった。しかし、彼女たちの意識は今も続く。
母娘は、肉体は静止したまま、内なる精神はずっと生き続けるのだ。
でも、彼女らの声が外に届くことはない。傍から見たら、ただの人形のように、動くことも喋ることもないのだ。二人の意思なんて、誰にも分からない。
「おや、夜行蝶が」
ちらり、ちらり、と蝶々が集まって来た。きっと蜜の香りに惹かれたのだろう。はじめは数匹、そして徐々に増えていく。夜行蝶の翅は淡い光に反射してオパールみたいに七色に煌めいて、とても幻想的な光景だった。
「美しい……」
伯爵令息は恍惚とした表情を浮かべて、ため息をつく。
「そうですね」と、クロエは微苦笑する。きっと今頃は、母娘は自分に向けて罵詈雑言を放っているのかと思うとおかしくなったのだ。
「まさか闇魔法でこのような壮麗な光景を拝めるとは……! さすが聖女様!」
「恐れ入りますわ」
『ひいぃぃぃぃぃっ!!』
『嫌っ! 来ないでっ!』
夜行蝶の細い脚がそろそろと表皮を進んで、ぞくりと背筋が凍る。
『嫌! 気持ち悪い!!』
『あたし、虫ダメなの~! 本当にやめてっ!』
すぐにでも手を振って蝶を払いたいが、どんなに力んでも彼女たちの腕が動くことはなかった。
甘い蜜の香りに誘われて、蝶々の他にも、なにかがやって来ている。露出した皮膚の上を這われて、総毛立った。
(あら、しまったわ……)クロエは困ったように口元に手を当てる。(伯爵令息が闇魔法で使用している毒虫の入った虫かごを誤って持ってきてしまったわ…………)
『ちょっとぉっ! ボサッとしていないで早くここから下ろしなさいよっ!』
『お異母姉様ぁっ! 助けてくださいぃー!!』
二人がいくら懇願しても、金切り声を上げても、クロエには届かなかった。
その間にも、虫はじわじわ増えていく。
『クロエ! 悪かったわ! あたくしが悪かったから! だから、助けて!』
『お異母姉様! なんでもしますから! なんとかしてくださぁいっ!!』
クロエには、なにも聞こえなかった。
静かに鳴く虫の声が綺麗だと思った。
『どうして、さっきから無視をするの!? あたくしの声が聞こえないの!?』
『お異母姉様っ! あたしの話を聞いてっ!! 助けてよ!』
『クロエっ!!』
『お異母姉様っ!!』
『『なんで……なんで、誰も答えてくれないのっっっ!?』』
二人の絶叫も、この世界には存在しない。
深い夜は、これからだ。
◆
「クロエ!」
レイン伯爵令息と月明かりの下の鑑賞会も終わる頃、ユリウスが息せき切ってやって来た。
「ユリウス……」
クロエはおもむろに振り返る。彼女の美しい顔は青ざめていて、本当に闇魔法に取り憑かれたような恐ろしい冷たさを帯びていた。
ぞっとするようなおぞましい雰囲気に、ユリウスは目を見張った。
「これは……どういうことだ?」
彼は彼女たちの背後にある人間の像を見る。
裸体に塗りたくられた蜜がてらてらと輝いて、そこに吸い込まれるように翅を持つ客たちが集まっていた。
「なにをしているんだ……?」と、彼の眼光は自然と鋭くなる。
クロエは彼の言外の抗議を黙殺して、
「お騒がせしてごめんなさい。私の秘術は、まだ助手には教えていなかったの」
「そうですか。たしかに、これほどの魔法は門外不出でしょう」
「では、私たちはこれで。ご機嫌よう」
クロエはおもむろに踵を返して、そのあとをユリウスが大きな足音を立てながら付いて行く。
「どういうことだよ、クロエ!」
ついに我慢できなくなった彼が、彼女の肩を背後から掴んだ。
「どういうことって……見ての通りよ」と、彼女は冷淡に答える。
「復讐は終わったんじゃないのか!? 先日、母君の――」
「あのときは……お母様の前で、醜いものたちを晒したくなかっただけ。ただ、場所の問題よ。……終わってなんかいないわ」
「そんな……!」
彼女は彼の手を振り払い、先へ進む。
彼も置いていかれないように、早足で付いて行く。
「あれらは、どう見ても生きていた。君の魔法の仕業だな。自分がなにをやっているのか分かっているのか?」
「自分のことなのに、分からない行動なんてあるわけないじゃない」
「誤魔化すな! ……君が行ったことは、人の尊厳を奪う行為だ。やり過ぎだ!」
「……やり過ぎ、ですって?」
不意に、クロエは足を止めた。
「そうだ。いくら復讐とはいえ、人として絶対にやってはいけないことがある」
「……」
ユリウスはクロエの両肩を強く握って、まっすぐに彼女の瞳を覗き込む。
今を逃したら、彼女が泡沫みたいに儚く消えてしまいそうで。底しれぬ闇の中に、落ちてしまいそうで。
絶対に、彼女を取りこぼしたくなかった。
「それは、君自身の心も自ら傷付けることになる。前にも言ったが、俺は君には幸せになってもらいたいと思うんだ。だから、もっと自分を大切にして欲しい」
「私は……」
クロエの瞳が揺らいだかと思ったら、俯いた。肩を震わせて、涙を流している。
しばらくの沈黙。彼女のすすり泣く声だけが微かに響いた。
そして、
「……ユリウスには分からないわ」
唸るような低い声音で彼女は言った。
「えっ」
彼女は涙で濡れた顔を卒然と上げて、
「ユリウスには分からないわよ、私の気持ちなんて!」
「っ……」
彼は戸惑いを隠せず、身体を強張らせる。
彼女は、彼の動揺なんて気にも留めずに捲し立てる。
「いいわよね、あなたは。生まれたときから皇子様で、常に周囲には人がたくさんいて。……あなたは、他人から存在を否定されたことはあるの? 声をかけても、まるでここに自分なんて存在してないかのように……まるで、私なんてこの世界に生きていないかのように…………」
「クロエ……」
ユリウスは二の句が継げない。ただ、狼狽しながらクロエを見つめるだけだった。気が動転して、なんて声をかければ良いか分からない。
逆行前の彼女の人生は、調査をした限りでも酷く凄惨なものだった。悪魔のような継母と異母妹に心も身体もぼろぼろにされて、彼女は人生を諦めようとしていた。
そのとき、最悪の予感が彼の頭を過る。にわかに冷や汗が額に流れた。
……既に、彼女の心は壊れているのか?
盲点だった。
自分は、逆行前にできなかったことを今度こそ行って、絶対に彼女を救いたいと考えていた。
だが、それは……時間を巻き戻る前にやらなければいけなかったのだ。
「もう……」再びクロエが声を上げる。「もう、私のことは放っておいて!」
「そんなっ……! 俺にはそんなことできない」
――だって、君のことを愛しているから。
だが、ユリウスの想いは、届かない。
「放っておいて!!」
彼女は、逃げるように走り出す。涙はとめどなく流れて、雨のように自身の肩に降り注いだ。
これでいい。
このまま、ユリウスとはお別れするのだ。
自分の手は、あまりに汚れすぎた。
婚約者を欺いて、地獄に突き落として。そして、継母と異母妹と同じように、人権を奪って。
それに、まだ父親が残っている。
あの男のことも、許すつもりはない。それ相応の報いを受けてもらうつもりだ。
このまま行けば、いずれ家門自体が取り潰されるだろう。
そんな汚い自分と、帝国の皇子様なんて似合わない。相応しくない。……彼にまで、迷惑はかけられない。
本当は、大好きなのに。
求婚されて、とっても嬉しかったのに。
でも、自分と婚姻すると、彼の輝かしい未来も潰される。
継母と異母妹がパリステラ家に来た時点で、もう、運命は決まっていたのだ。
彼女たちと同じように悪魔の手に堕ちた今の自分が、幸せになるなんて許されない。
私たちの未来は……決して交わらない。
だって、私は、
この世界に、
生まれて来なくなる予定なのだから。
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以上で第二章は終わりです。
長引いてしまった中、読んでくださって有難うございました。
第三章(最終章)は短めの予定です。
あと少し、どうぞ宜しくお願いいたします。
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