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第三章 クロエは振り子を二度揺らす
80 侯爵の躍進
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神殿の祭壇には神官を中心に、国の中枢である高位貴族たちが集まっていた。どの人物も家門を代表する男性貴族ばかりだ。
その中にはロバート・パリステラの顔もあった。
場内の貴族たちが騒めく。その声は全てが否定的なものだった。
「せめて聖女が出たほうが良かったのでは?」
「いやいや、さすがに当主のほうが魔力が強いだろう」
「いずれにせよ、パリステラ家はもうお終いね」
「聖女は他の上級家門に養子に出すべきだろう」
……などと、彼らは演劇の感想を言うかのように、好き勝手に囁き合っていた。
ロバートは思わず赤面する。まさか、己がこのような悪意に晒されるとは思いも寄らなかった。
貴族たちの退屈しのぎの噂話は、プライドの高い彼には毒針のように胸の奥まで突き刺さっていったのだった。
クロエは、高位貴族の集まる貴賓席で、すっと姿勢を正して、静かに父を見守っている。
気丈だけど今にも崩れ落ちそう儚げな姿は、清らかな聖女が深く心を痛めているように見えて、周囲の人々は彼女への同情心がじわじわと込み上げてきた。
家門の醜聞のせいで、彼女を取り巻く環境ががらりと変わっても、粛々と聖女の務めをこなす様子は誰しもが見ていたのだ。
国王の処分が保留になっているのも、聖女の懸命な仕事ぶりが理由の一つでもあった。
王は、立派だった前妻とこんなに素晴らしい娘がいるのに、なぜ当主は判断を間違えしまったのだ……と、酷く失望していた。
ユリウスは下級貴族の席に座っていた。今この瞬間も、彼の双眸はクロエを追っていた。
おそらく、彼女が父親へ復讐をするには、この儀式が最適だろう。「魔法」という侯爵の価値観の全てが詰まったここで、彼の全てを奪うには、最高の舞台だ。
――しかし、その後は?
異母妹、継母に続いて、家門の長である父親まで問題を起こしたとなると、パリステラ家は良くて爵位降格……最悪はお家取り潰しになるかもしれない。
クロエが処刑されることはないと思うが、国家への賠償金を支払うはめになるかもしれない。
そうなると、彼女の人生は大きく変化する。……とても悪い方向に。
(賠償金は俺の私費から払うとして……大公である叔父上に養子に……いや、侯爵令嬢のままでも大丈夫か……?)
彼は彼女を眺めながら、今後のことをぼんやりと考える。
家門には問題があるが、彼女自身の魔導士としての素質は確かだ。実力主義の帝国では、受け入れられるだろう。
それに、彼女は希少なアストラ家の末裔。国としても喉から手が出るほど欲しい人材だ。
問題は、彼女自身の気持ち……。
全てが終わったら、幻みたいにこの世界から消えてしまいそうで。
得体の知れない恐怖が、彼をじわじわと追い込んでいた。
彼女の心を救う方法が分からなくて、見守ることしかできない自分が、悔しい。
◆◆◆
家門の代表者たちがそれぞれの定位置に着く。
さっきまでの騒めきとは打って変わって、会場は水を打ったようにしんと静まり返り、瞬く間に肌を刺すような神聖な空気に変貌した。
ロバートは極度の緊張で凝り固まって、クロエはそんな父を物凄く心配している素振り。そしてユリウスは、女優然とした彼女の様子を固唾を呑んで見守っていた。
初代国王の祭壇をぐるりと囲んで、儀式が始まる。
まずは神官が、続いて代表者たちも魔力の放出を始めた。
「おおぉぉぉぉぉぉおおっ!!」
ロバートは、鬼気迫る様子で一気に魔力を注入する。ありったけの力で、全身全霊で、己の全てを込めて。
にわかに場内が湧き立った。パリステラ侯爵の魔力は、他を凌駕していた。彼は他を押し除け、ぐんぐんと拡大して行き、彼の魔力が魔法陣の器を満たしていく。
他の高位貴族たちも負けじと力を込めるが、彼の尋常でない気迫が、弾くようにそれらを押し返した。
最高潮に盛り上がる会場。頭上の国王や王族たちも、息を止めて彼を見守る。
その場にいる誰しもの視線が、パリステラ侯爵に釘付けだった。
「っ……!」
だが、
しばらくして、限界が来た。
ぷつりとロバートの体内でなにかが途切れる音がして、瞬時に彼の魔力は萎んでいく。
早まった。焦るあまり、発進時に全力を出し過ぎた。
彼の集中力や体力は短時間で極限まで上り詰めてしまい、その反動のように、するすると収縮していく。
(クソッ……! クソッ……!)
萎んでいく彼の魔力の隙を突いて、他の者たちが陣地を奪い返していく。彼も踏ん張るが、がくんと身体が重くなり、なかなか巻き返すことができなかった。
そろそろ魔法陣の器が満杯になる。
あれほど熱かった会場も、今は冷めたスープみたいな白けた雰囲気になりつつあった。
ロバートは焦る。
嫌だ。このままでは、またぞろ社交界の笑い者だ。
パリステラ家の聚落なんて絶対にあり得ない。あの愚かな妻と娘なんかのために、長い歴史を持つ我が家門が。絶対に、あってはならないのだ。
(お父様、頑張ってください……)
そのときだった。
クロエは、周囲に気付かれないように、そっと魔法を――かけた。
父への最高のプレゼントを。
そして、
「おおぉぉぉぉぉっっ!!」
ロバートの魔力が再び火を吹いた。
その中にはロバート・パリステラの顔もあった。
場内の貴族たちが騒めく。その声は全てが否定的なものだった。
「せめて聖女が出たほうが良かったのでは?」
「いやいや、さすがに当主のほうが魔力が強いだろう」
「いずれにせよ、パリステラ家はもうお終いね」
「聖女は他の上級家門に養子に出すべきだろう」
……などと、彼らは演劇の感想を言うかのように、好き勝手に囁き合っていた。
ロバートは思わず赤面する。まさか、己がこのような悪意に晒されるとは思いも寄らなかった。
貴族たちの退屈しのぎの噂話は、プライドの高い彼には毒針のように胸の奥まで突き刺さっていったのだった。
クロエは、高位貴族の集まる貴賓席で、すっと姿勢を正して、静かに父を見守っている。
気丈だけど今にも崩れ落ちそう儚げな姿は、清らかな聖女が深く心を痛めているように見えて、周囲の人々は彼女への同情心がじわじわと込み上げてきた。
家門の醜聞のせいで、彼女を取り巻く環境ががらりと変わっても、粛々と聖女の務めをこなす様子は誰しもが見ていたのだ。
国王の処分が保留になっているのも、聖女の懸命な仕事ぶりが理由の一つでもあった。
王は、立派だった前妻とこんなに素晴らしい娘がいるのに、なぜ当主は判断を間違えしまったのだ……と、酷く失望していた。
ユリウスは下級貴族の席に座っていた。今この瞬間も、彼の双眸はクロエを追っていた。
おそらく、彼女が父親へ復讐をするには、この儀式が最適だろう。「魔法」という侯爵の価値観の全てが詰まったここで、彼の全てを奪うには、最高の舞台だ。
――しかし、その後は?
異母妹、継母に続いて、家門の長である父親まで問題を起こしたとなると、パリステラ家は良くて爵位降格……最悪はお家取り潰しになるかもしれない。
クロエが処刑されることはないと思うが、国家への賠償金を支払うはめになるかもしれない。
そうなると、彼女の人生は大きく変化する。……とても悪い方向に。
(賠償金は俺の私費から払うとして……大公である叔父上に養子に……いや、侯爵令嬢のままでも大丈夫か……?)
彼は彼女を眺めながら、今後のことをぼんやりと考える。
家門には問題があるが、彼女自身の魔導士としての素質は確かだ。実力主義の帝国では、受け入れられるだろう。
それに、彼女は希少なアストラ家の末裔。国としても喉から手が出るほど欲しい人材だ。
問題は、彼女自身の気持ち……。
全てが終わったら、幻みたいにこの世界から消えてしまいそうで。
得体の知れない恐怖が、彼をじわじわと追い込んでいた。
彼女の心を救う方法が分からなくて、見守ることしかできない自分が、悔しい。
◆◆◆
家門の代表者たちがそれぞれの定位置に着く。
さっきまでの騒めきとは打って変わって、会場は水を打ったようにしんと静まり返り、瞬く間に肌を刺すような神聖な空気に変貌した。
ロバートは極度の緊張で凝り固まって、クロエはそんな父を物凄く心配している素振り。そしてユリウスは、女優然とした彼女の様子を固唾を呑んで見守っていた。
初代国王の祭壇をぐるりと囲んで、儀式が始まる。
まずは神官が、続いて代表者たちも魔力の放出を始めた。
「おおぉぉぉぉぉぉおおっ!!」
ロバートは、鬼気迫る様子で一気に魔力を注入する。ありったけの力で、全身全霊で、己の全てを込めて。
にわかに場内が湧き立った。パリステラ侯爵の魔力は、他を凌駕していた。彼は他を押し除け、ぐんぐんと拡大して行き、彼の魔力が魔法陣の器を満たしていく。
他の高位貴族たちも負けじと力を込めるが、彼の尋常でない気迫が、弾くようにそれらを押し返した。
最高潮に盛り上がる会場。頭上の国王や王族たちも、息を止めて彼を見守る。
その場にいる誰しもの視線が、パリステラ侯爵に釘付けだった。
「っ……!」
だが、
しばらくして、限界が来た。
ぷつりとロバートの体内でなにかが途切れる音がして、瞬時に彼の魔力は萎んでいく。
早まった。焦るあまり、発進時に全力を出し過ぎた。
彼の集中力や体力は短時間で極限まで上り詰めてしまい、その反動のように、するすると収縮していく。
(クソッ……! クソッ……!)
萎んでいく彼の魔力の隙を突いて、他の者たちが陣地を奪い返していく。彼も踏ん張るが、がくんと身体が重くなり、なかなか巻き返すことができなかった。
そろそろ魔法陣の器が満杯になる。
あれほど熱かった会場も、今は冷めたスープみたいな白けた雰囲気になりつつあった。
ロバートは焦る。
嫌だ。このままでは、またぞろ社交界の笑い者だ。
パリステラ家の聚落なんて絶対にあり得ない。あの愚かな妻と娘なんかのために、長い歴史を持つ我が家門が。絶対に、あってはならないのだ。
(お父様、頑張ってください……)
そのときだった。
クロエは、周囲に気付かれないように、そっと魔法を――かけた。
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そして、
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ロバートの魔力が再び火を吹いた。
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