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18 契約内容

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 あれから数日経って、キアラは仮の婚約の契約条件の取り決めのために、皇太子の宮殿に訪れていた。

 初めてここに来た時は、意識を失って運ばれたのもあり景色をは目に入れる余裕はなかった。
 しかし改めて足を踏み入れると、豪奢だが荘厳な造りに彼女は圧倒されてしまった。

 隣ではジュリアが瞳を輝かせながら調度品の鑑定をしている。その金額を聞くたびに、恐ろしさがひゅっと込み上げてくる。

(私は……本当に凄い方と婚約するのね……)

 伯爵令嬢の自身との格の違いがまざまざと伝わってきて、彼女は今更ながら少し怖気づいてしまった。

 あの時は魔女の力に覚醒して、激しい興奮状態で勢いよく契約の承諾をしたが、もっと慎重に考えたほうが良かったのかもしれない。
 たしかに皇太子は信頼できる人物だと思うが、過去六回もダミアーノに騙されたが信じられない。正直、不安は消えていなかった。

(殿下は……大丈夫よね……?)

 あの時は本当に優しい方だと思った。この方なら手を組んでもいいと思った。
 でも、ダミアーノに対しても……ずっとそう思っていたのだ。

 婚約者から再び裏切られるのが怖かった。

 だから今日は、なるべく平等になるような条件に持っていこうと考えていた。
 過去の自分は婚約者の言いなりだった。
 今回も……別の意味で言いなりになってしまうのかもしれない。身分はもちろん、彼の優しさというぬるま湯に包まれて。

 たとえ仮の関係だとしても、もう婚約者と上下が付くような関係は避けたかった。

(他人に気を許してはいけないわ、キアラ!)







「まず、公爵家への手切れ金だが、君はいくら払うつもりなのだ? 君が考えてきた計画に沿おうじゃないか」

 皇太子の執務室に通されて、レオナルドと最側近のアルヴィーノ侯爵、そしてキアラと侍女のジュリアで話し合いが始まった。
 ちなみに婚約だということは、付き添いの二人も知っている。

「私は金貨3000枚を支払うつもりです」

 レオナルドは目を見張って、

「それは……破格だな」

「えぇ。ですが、これくらい払えばヴィッツィオ家は快諾するでしょう」

 この金額なら、仮にダミアーノが反対しても、家門としては納得せざるを得ない。
 彼らはリグリーア家が支払った持参金の半額にあたる前金を全て消費してしまったようだ。ほとんど借金の返済らしい。正式な婚姻後に貰う予定の、残りの持参金で事業を起こすつもりのようだ。

 キアラが支払うの手切れ金はそれよりも遥かに多い。これならヴィッツィオ家を黙らせることができると確信していた。

 レオナルドは紅茶を飲みながら思案する。キアラは少し不安になって彼を見た。

(反対……するかしら?)

 常識的には破格の手切れ金。それは世間から見たら、キアラ側に非があると思われるかもしれない。
 彼は適正価格を計算しているのだろうか。沈黙が長いように感じて、気まずい空気を隠すように彼女も紅茶に口を付けた。

 ややあって、

「10000枚だな」

「っ……!?」

 驚愕のあまり誰も声が出なかった。キアラもジュリアもアルヴィーノ侯爵も、目を白黒させている。
 レオナルドは彼らの反応を気にせずに、淡々と話を続けた。

「ヴィッツィオ家には金貨10000枚と、南部の土地も付けよう。これなら彼らも何も言えまい」

「あ……」

 そういうことか、とキアラたちは合点した。
 手切れ金を支払っての婚約解消。しかも、その後は皇太子と婚約だ。社交界では瞬く間に悪い噂が広がるだろう。皇太子が伯爵令嬢を奪った――と。
 最悪の事態は、キアラとレオナルドが不貞を行っていたと吹聴されるかもしれない。

 過剰なほどの手切れ金は、その醜聞をヴィッツィオ家に否定させる圧力でもある。金で黙らせるのだ。

「ありがとうございます。……ですが、本当によろしいのですか?」

「あぁ。君を手に入れられるのなら、これくらい大したことはない」

「っ……!」

 途端にキアラは顔を上気させる。恥ずかしさが全身を駆け抜けてゾワゾワした。

(て、て、手に入れるって……! な、なにを、おっしゃっているのかしら……)

 狼狽する彼女の様子を、彼は不思議そうに眺める。

(ん……? 俺、何か不味いことを言ったか……?)

 気まずい二人の様子をニヤニヤと薄笑いで見守っていたアルヴィーノ侯爵が追い打ちをかける。

「殿下、いくら伯爵令嬢のことを強奪するほど愛しているからって、未婚の令嬢にはストレートすぎますよ」

「はぁっ!? ごうだ――ストレート!? どういうことだ?」と、不穏な言葉に焦りだすレオナルド。

「いや、だから……さっき殿下は手に入れたいっておっしゃったでしょう? そういうことは、もっと親しくなって尚且つ二人きりの時に言ってあげてください。優しく。愛を込めて」

「っ……!」
「っ……!」

 侯爵の揶揄からかいに、二人は顔を真っ赤にさせて身体を硬直させる。
 一拍して、

「っち……ちがっ……! おれ……わ、私は、ただ、伯爵令嬢のマ――」

 しどろもどろに言い訳を並べようとしたレオナルドだが、つい魔女のマナに言及しそうになって再び口を噤んだ。

(あのことは俺たちだけの極秘事項だった……!)

 皇太子が普段見せない狼狽する姿は、侯爵には新鮮で面白かった。同時に、我が主も年相応の青年だったのだと、嬉しくもある。

「え? なんですか?」と、わざとらしく聞き耳を立てる素振りをする。

「だから、だな……。伯爵令嬢は、私にとって大切な存在なのだ……っ……!」

(たっ………………)

 キアラの顔が林檎よりも赤く染まって、侯爵もジュリアもニヨニヨと意地悪な笑みを浮かべた。

「あーっ、侯爵様!」察しの良いジュリアが動いた。「私、宮殿を見学してみたいですー! 商会の娘として、後学のために良いものをたくさん見ておきたいのです!」

 彼も彼女の意図いんぼうに乗った。

「あぁ~、そうだな! 宮殿には歴史的価値のあるものも多い。私が案内しましょう!」

 そして、二人は高速で辞去をした。



「…………」
「…………」

 生ぬるい空気の中、残された二人。
 キアラはまだ顔を赤くして俯いて、レオナルドは困ったように目を宙に泳がせた。

(た、大切って……。――き、きっと魔女のマナのことよね! きっとそうよ! そう!)

 キアラは落ち着かせるように自身に言い聞かせる。
 そう、自分たちは政治的な思惑で取引をしている関係なのだ。皇太子殿下は自分ではなくて、この力が欲しいに違いない。

 それに、過去六回で自分は学んだのだ。愛はまやかしだと……。
 最後はお金と打算。それが世界だ。

(俺はなんてことを口走ったんだ……! 皇太子の言葉は重みがあるものだぞ……!)

 レオナルドは反省していた。彼女を見ていると、ついが出てしまう。
 あんなに憎らしかったのに、今では欲しいと思い始めている自分がいた。それはマナではなく、彼女自身を。

 しばらくの妙な空気のあと、レオナルドが口火を切る。

「と、とにかくヴィッツィオ公爵家には、金貨10000枚と南部の土地で決まりだ。他の条項も決めてしまおうか」

「承知いたしました」

 貴族令嬢であるキアラもすぐさま気持ちを切り替えた。貴族はポーカーフェイス。
 今日は平等な契約をしに来たのだ。頼りにしていたジュリアが離れた今、自分がしっかりしなければ。

 自分に必要なものは、愛ではない。

「では、私は殿下に10000枚支払います。残念ならが土地の提供は出来ないので、その分、微量ですがプラスして金貨2000枚を払いますわ」

「それはいい。君は元より想定していた3000枚を返済すれば十分だ」

「それでは約束が違います。それに心配しなくとも大丈夫です。事業を着実に進められれば、時間がかかるかもしれませんが、必ず……!」

「いや、過剰分は私が勝手に決めたことだ。君は関係ない」

「関係大ありですわ! 私ダミアーノ公爵令息と婚約解消をしたいのです。その手切れ金を全額支払うのは筋ですわ」

「3000でも婚約解消は可能だろう。だから、君は当初予定していた金額でいい」

「それでは私の気持ちが収まりません。私は、他人と貸し借りはしたくないのです。ですので、全額払いますから」

「君も強情だな。私が払うなと言っているのだから、払わなくて良い」

「いいえ、払います」

「結構だ」

「もう決めましたので」

「……」
「……」

「……」
「……」

 意地を張り合いながら、睨み合う二人。どちらも一歩も譲る気がなくて、視線もそらさない。

(まったく。強情な子だな……)

 レオナルドはうんざりと心の中でため息をついた。おそらく伯爵令嬢は絶対に譲歩しない気だろう。

(それほどに彼女の意思は硬いのだな)

 自分の仮定が正しいとして、彼女は公爵令息にずっと酷い目に合ってきたのだろう。何度も何度も。
 なので今回こそは、自分の手で自由を掴みたかったのだと思う。

 これは彼女の矜持だ。それを踏みにじるようなことはしたくない。
 今の彼女には、それが生きる意味でもあるのだろう。

「……分かった。では、君には金貨10000枚を払って貰おうか。土地代は君のマナの対価分だ。いいか?」

「承知しましたわ」

 交渉が成功して、キアラはにこりと笑う。嬉しかった。皇太子殿下がダミアーノと違って話の分かる人間で良かった。
 これで、今回こそは婚約者と対等でいられる。自分にも戦える力がある。

 レオナルドは彼女の笑顔を見て、なぜだか胸が温かくなった。

(ま、金貨10000枚稼ぐあいだは婚約者でいられるしな……)

 不意に自分でも想定外の考えが浮かんできて、彼は赤面した。少しでも長く彼女の婚約者でありたいと漠然と願ったのだ。

(何を考えているんだ、俺は……)

 ついこの間まで憎き仇敵だったのに。
 今では、彼女の笑顔が愛おしいと感じたのだ。






 こうして二人は秘密の契約を煮詰めていって、半月後、ついにキアラとダミアーノの婚約解消が実行される。

 
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