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22 チップが欲しい

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「皇后陛下を挑発し過ぎではないですか?」

「君に言われたくないな」

 謁見が終わって、キアラとレオナルドは皇太子の執務室で一息ついていた。
 と言っても、今後についての話し合いが中心で、とても婚約者同士の甘い空間ではない。

「あの人はあれくらいやらなければ、たちまち食われてしまうんだよ。――君も、よくぞ言ってくれた」

 レオナルドはニヤリと笑う。キアラもふふふっと悪そうな笑みを浮かべた。

「たしかに……禍々しい魔女のマナは別として、人を飲み込んでしまいそうな雰囲気がありましたね。カリスマ性とでも言うのでしょうか?」

 皇后はぐんと迫り来るような大きな存在感を宿しているが、どこか飄々としていて人を惹きつけるものを持っていた。自信にみなぎり、強い力で周囲を根こそぎ引っ張ってくれるような。

 レオナルドは頷いて、

「あぁ。彼女の人の上に立つ器は、目を見張るものがある。だからこそ厄介だ」

「えぇ。皇后の生来のカリスマ性と魔女のマナが合わさって、物凄い熱量の塊のようでした」

 レオナルドは紅茶で喉を潤してから、今度は声を潜めて言う。

「……あのマナは、やはりヴィッツィオ公爵令息と同じものだと感じるか?」

 キアラも彼に調子を合わせて、慎重に頷いた。

「はい。おそらく不老に関する魔法でしょう。マナを魔女の――闇の力に転換させるために、かなりの生贄を用意しているのだと思います」

 生贄と聞いて、レオナルドは顔を顰める。キアラも胃の中がむかむかしていた。皇后は己の美しさを維持するために、他の生命を犠牲にしているということだ。

「魔女の魔法は帝国法で禁止されているが……。それ以前に胸糞悪いな。とても」

「えぇ。とっても」

 二人は不快な気分を流し出すように同時に紅茶を口にする。ほんのり甘くてフルーティーな香りが、口いっぱいに広がる。キアラにとって初めて味わう茶葉で、思わず感嘆の声を漏らした。

 彼女の様子を、彼は見逃さない。

「驚いたか。うまいだろう?」と、勝ち誇ったようにニッと口角を上げた。婚約者が紅茶が好きだと聞いて、今日のためにわざわざ取り寄せたのだ。

「美味しすぎて驚きましたわ! お砂糖も入れていないのに、まろやかで後味もすっきりしていますね」

「北部産の茶葉だ。量は多く取れないが味はいい。君の商会で貴族向けに流通できないか?」

「それは素晴らしいアイデアですわ! 早速、販路を考えましょう」

 キアラはにこりと笑う。
 レオナルドもにこりと笑う。
 紅茶から立ち昇る湯気が鼻腔をくすぐった。

「…………」

「…………」

 しばらくのあいだ、二人は見つめ合った。彼はにこにこと笑顔で、彼女は不可思議に首を傾げて。

 ややあって、

「あの……」

 居心地の悪い思いをしていたキアラが、思い切って口を開いた。

「なんだ?」

「な、なんでしょう?」

「なにが?」

「さ……さきほどから、その、私の顔を見て……」

 キアラは口ごもる。いくら婚約者同士でも、にこにこと笑顔で見つめられるのは慣れない。ダミアーノとは、このような平穏な空白の時間などなかったのだ。

 レオナルドはまっすぐにキアラを見つめて、

「あれは、くれないのか?」

「あれ?」

「あれだよ、あれ」

「えぇっと……?」

 キアラは頭をフル回転させて思考するが、なんのことだかさっぱり分からない。
 やがて、彼がじれったそうに口を開いた。

「私にはチップはくれないのか? 儲け話を持って来てやったのだぞ」

「えっ……!?」

 キアラの顔がみるみる青くなった。
 たしかに前に一度だけ皇太子にチップを渡したことがある。
 しかし、あの時は怒涛のような出来事の連続ですっかり気が動転していて、遥かに身位の高い王族へチップを渡すなどという大無礼を働いてしまったのだ。
 本来なら、王族に金を恵んでやったなど、不敬罪で首を刎ねられてもおかしくはい。

 あれから数日たって我に返ったキアラは、とんでもないことをしでかしてしまったと、いつ皇太子から咎められるか戦々恐々としていたのだ。

 しかし目の前の婚約者はキラキラと瞳を輝かせて、

「チップだ。銀貨の」

 彼はよこせと言わんばかりに手を差し出す。
 その姿が餌をねだる大型犬みたいで、キアラは不覚にもちょっと可愛いなと思ってしまった。頭をわしゃわしゃと撫でてやりたい気分。

「……どうぞ」

 彼女はおもむろに懐からチップを出して、そっと彼に手渡した。
 彼は彼女の手をぎゅっと握るように優しく受け取る。

「まいど」

 皇太子は弾んだ声で答え、嬉しそうにいただいた銀貨をポケットにしまった。

「王族が使うような言葉ではありませんわ、殿下」と、キアラは呆れて咎める。

「一度言ってみたかったのだよ。――これからも、私にもチップを配るように。私たちの仲に貸し借りはなし、だろう?」

「……分かりました」と、彼女は苦笑いをする。

 英雄の皇太子は抜け目がないし、剣を持つと怖いくらいに鋭い顔つきになるし――でも、たまに少年みたいに笑って、わがままを言う。

 七回目の人生ではパートナーとは上手くやれそうだと改めて感じた。
 互いのメリットで結びついた、等価交換の対等な関係だ。

「たしかに、私たちは仮の婚約。貸し借りはなしですからね。殿下にもそれ相応の対価をお渡しせねば――」

「あ、そうそう」

 レオナルドはキアラの言葉を遮る。
 そしてぐいと身体を前のめりにして、彼女に顔を近付けた。

「それから、私のことは殿下ではなくレオナルドと名前で呼びなさい。私たちは仮にも婚約者同士なのだから」

「なっ……!?」

 キアラは顔を真っ赤にして、声にならない悲鳴を上げたのだった。

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