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第31章 ── 過去の影(カコ ノ カゲ)
しおりを挟む部屋は薄暗く、甘い香りの香の煙がまだ空気の中に漂っていた。
深紅のシルクのシーツの上で、ローズは裸のまま第一王子の隣に横たわっていた。彼女の赤い髪は、糸のように彼の胸の上に広がっている。
「今夜は……最高だったな」
王子は低くつぶやきながら、彼女の体を指先でなぞった。
ローズは妖しい笑みを浮かべ、彼の手を取って、その指を二本、自分の唇に導いた。
舌でゆっくりとそれをなめる。
「あなたが今のまま“やるべきこと”をやってくれるなら……もっと素敵なご褒美をあげるわ、我が愛しき王子様。」
その言葉に、王子の瞳が欲望と野心に燃え上がった。
「それで……計画の方はどうだ?」
ローズの声色が、一瞬で冷たく、計算高いものに変わる。
「おそらく……今日中に完了するだろう。」
王子は満足げに微笑んだ。
ローズはベッドの上でゆっくりと体を伸ばし、ため息をついた。
「ヘイタンの顔を見るのが楽しみね。すべてが終わった時、彼はどんな顔をするかしら。」
「俺もだ。」
王子は低く笑う。
「すべてを失ったと気づいたときのあいつの表情を、この目で見てやりたい。」
だが、ローズの笑顔はふと消えた。
その代わりに、淡い哀しみが瞳の奥に浮かぶ。
「すべてが終わったら……やっと、静かに生きられるかもしれない。」
王子が顔を向ける。
「また……あの夢を見たのか?」
「ええ。」
ローズはかすかにささやいた。
「いつも同じ夢よ。あの夏に戻るの。私たちがまだ子供だった頃の……。」
──夏の陽射しが降りそそぐ草原。
子どもたちの笑い声が響き、風にそよぐ木々の音と混じり合う。
花の香りが淡く流れ、世界はどこまでも明るかった。
その夏、ローズとメアリーは皇族の避暑地へ招かれていた。
それは、メアリーが王子たちと親しくなるために計画された滞在だった。
二人の少年が森の入り口で待っていた。
第一王子──傲慢で気の短い少年。
そして、弟のヘイタン──観察力があり、慎重な少年。
「さあ、行くぞ!」
第一王子は高らかに叫んだ。
「お前たちは俺の臣下だ! 冒険に出発する!」
ヘイタンは眉をひそめる。
「父上が言ってた……森には危険な獣がいるって。入っちゃダメだよ。」
「俺は王位継承者だ!」
兄は胸を張り、怒鳴るように言った。
「命令するのは俺だ!」
少女たちはおずおずと頷いた。
彼を怒らせたくはなかったのだ。
四人は森の中へ進んでいく。笑いながら、枝を押しのけ、光がだんだんと遠ざかっていく。
やがて、森の緑は深く、そして暗くなった。
突然、第一王子がしゃがみ込んだ。
「見ろ……足跡だ!」
興奮した声で叫ぶ。
「これこそが我らの試練だ! この獣を生け捕りにして、王家に栄光をもたらす!」
「そんなの無茶だ!」
ヘイタンは叫ぶ。
「何の足跡かも分からないのに!」
「腰抜けめ。」
兄が顔を近づけ、挑発するように言った。
二人の声が次第に大きくなる。
少女たちは怯えて後ずさり、木々の間に緊張が走る。
──バキッ。
乾いた音が響いた。
茂みが激しく揺れ、そこから巨大なイノシシが現れた。
地面を蹄で叩き、怒り狂ったように咆哮する。
子どもたちは悲鳴を上げた。
第一王子は尻もちをつき、ローズは恐怖で動けなかった。
そのとき、ヘイタンが一歩前に出た。
震える足を押さえながらも、少女たちをかばうように立ちはだかった。
──その光景が、ローズの心に焼き付いた。
彼女ははっと目を開ける。
目の前には再び、現実の寝室。
外では夜の虫の声だけが響いていた。
「……あの日が、すべてを変えたのね。」
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