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第35章 — 灰に染まった手紙
午後の陽光が、ハイタン王子の城の高い窓から差し込み、白い大理石の床に金色の帯を描いていた。
静寂の中を、メアリーの忠実な侍女――エステファニーの足音だけが、一定のリズムで響く。
彼女の手には、一通の手紙。
封蝋には、メアリーの実家――ヴァレン公爵家の紋章が刻まれていた。
エステファニーはそっと扉を叩き、呼びかけた。
「お嬢様、メアリー様。ご宛名の手紙が届いております」
メアリーは鏡台の前に座り、長い栗色の髪をとかしていた。
数日後に迫るハイタン王子との婚儀のことで頭がいっぱいだったが、侍女の声に振り向き、穏やかに微笑む。
「また父から? 他の手紙と一緒にしておいて、エステファニー」
侍女は一瞬、言葉を詰まらせた。
手にした封筒を強く握りしめ、ためらいがちに口を開く。
「……申し訳ありません、お嬢様。でも――護衛たちの話では、この手紙は今すぐお読みになったほうがよいかと」
メアリーは少し眉をひそめた。
「そう? ……わかったわ。見せて」
受け取った瞬間、彼女は違和感を覚えた。
封蝋はひび割れ、紙はいつもより厚く、そして重い。
さらに――焦げた蝋と金属のような匂いが微かに漂っていた。
胸の奥がざわめく。
メアリーはそっと封を切った。
中には一枚の手紙だけ。
整った筆致の文面は、氷のように冷たかった。
『深い悲しみと共にお知らせいたします。
ヴァレン公爵閣下およびその御夫人クラリス様は、今朝未明に逝去されました。
死因:毒殺。』
――その瞬間、時間が止まった。
手から力が抜け、手紙がふわりと落ちて床に舞う。
そして次の瞬間、メアリー自身もその場に崩れ落ちた。
「う……うそ……そんな……」
かすれた声が、静かな部屋に溶けた。
「お嬢様!」
エステファニーが慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか? お水を? それとも王子を――」
メアリーは小さく首を振り、涙を流しながらつぶやいた。
「……だいじょうぶ……」
息を整えようとしたが、嗚咽が喉を震わせる。
「……お父様は……たしかに厳しい方だったけど……こんな形で逝くなんて……」
エステファニーは彼女の手をそっと握った。
だが、メアリーの瞳は次第に涙を止め、別の光を帯び始めた。
――冷たく、鋭く、復讐の色を帯びた光。
「……これは偶然じゃないわ」
小さくつぶやいた声には、氷の刃のような強さが宿っていた。
「きっと――ローズの仕業よ」
エステファニーは何も言えなかった。
息を飲み、ただ見つめるしかない。
メアリーはゆっくりと立ち上がり、握りしめた手紙をぐしゃりと潰した。
涙はもう流れない。
その代わり、静かな怒りが彼女の中で燃え上がっていた。
「……すべて、償わせてやる。私から奪ったもの、全部――」
夕陽が窓を照らし、彼女の頬の涙跡を金色に染める。
鏡に映る姿は、もはやかつての優しいメアリーではなかった。
そこにいたのは、決意を宿した一人の女。
外では、城の塔からラッパの音が鳴り響く。
まるで、新たな戦いの幕開けを告げるように。
そして、メアリーの胸の奥で誓いが刻まれた。
――ローズ。
この帝国のどこに逃げようと、必ず見つけ出してみせる。
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