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白髪の戦士(はくはつのせんし)
しおりを挟む迷宮の第二十六層――それは冒険者たちの間で「キメラの巣窟(そうくつ)」と呼ばれていた。
この階層に挑むには、法律でクラスAのパーティを組むことが義務づけられている。
だが、ハイデンはもう後戻りできなかった。
空気は重く、熱気と血の匂いが石壁に染みついている。
崩れた柱と散らばる骨の間を、影のような魔獣たちが蠢いていた。
ハイデンは黒曜石の剣を握り、盾を構えて一歩を踏み出す。
「第二十六層……本来ならキメラしかいないはずだ。なのに、これは……?」
低く、地を揺らすような咆哮が響いた。
視線を向けた先――獅子の胴と鷲の翼を持つ魔獣、グリフォンの群れがいた。
そしてその足元には、すでに五つの冒険者の亡骸が転がっている。
その中心に、ひとりだけ――まだ立っていた者がいた。
雪のように白い髪をなびかせた少女。
全身傷だらけのその姿は、それでもなお戦意を失っていない。
尖った耳が、彼女が人間ではないことを示していた。
――半獣の戦士。
「くっ……あと一撃でも食らったら……っ」
少女は息を荒げながら、ひび割れた剣を構える。
その瞬間、ハイデンは悟った。
――次の攻撃で、彼女は死ぬ。
地を這う音。
巨大なキメラが蛇のように身をくねらせ、尾の先についた蛇の頭が牙をむく。
ハイデンは考えるより先に、身体を動かしていた。
「――《スライド》!」
スキルを発動。
彼の身体は風のように地を滑り、土埃を巻き上げながら少女の前に躍り出る。
盾を構え、蛇の突進を受け止めた。
轟音が響く。
金属の衝突音が広間に反響し、ハイデンの腕に衝撃が走る。
それでも踏みとどまり、反撃の一閃を放つ。
「ハァアアッ!」
黒曜の刃が空を裂き、蛇の首を断ち切った。
キメラの身体がのたうち、やがて動かなくなる。
少女は呆然と彼を見つめた。
「な、なに……あなた……誰!?」
「話は後だ!」
ハイデンは短く息を整える。
「今は――伏せろ! グリフォンが来る!」
轟音。
羽ばたきとともに、巨大な影が天井を覆った。
咆哮とともに、グリフォンが急降下してくる。
ハイデンは盾を構え、全力で衝突を受け止めた。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃が腕を押し潰す。
足元の石が砕け、靴底から火花が散った。
それでも彼は歯を食いしばり、耐えた。
少女が助けに出ようとするが、ハイデンは片手で制した。
「下がってろ! ここは俺がやる!」
「……俺はまだ、盾と剣を同時に扱うのは下手だ。
けど――今ミスったら、死ぬ。」
グリフォンが距離を取り、翼を広げて再び飛び上がる。
空気がうなりを上げた。
ハイデンは深く息を吸い、盾を岩に固定して構える。
「……来い。」
汗が額を伝う。
翼の風圧が近づき、咆哮が鼓膜を裂く。
――次の瞬間、ハイデンは前に踏み出した。
「うおおおおおッ!」
黒曜の剣が青白い光を帯び、突進する獣の胸を貫いた。
刃が骨を砕き、肉を裂く。
グリフォンの悲鳴が響き渡り、そのまま地に叩きつけられた。
――沈黙。
血の匂いと、荒い呼吸だけが残る。
ハイデンは膝をつき、肩で息をした。
「……一体、減ったな。」
少女が目を見開き、信じられないという顔をする。
「い、今の……信じられない……! あんなの、正面から倒すなんて……!」
ハイデンは息を整えながら微笑んだ。
「他に方法はなかったんだ。死ぬか、やるか――それだけだ。」
視線を上げる。
まだ、遠くで二体のキメラが唸り声を上げている。
「……残りは二体だ。」
二体のキメラが、ゆっくりと円を描くように周囲を囲んだ。
重い足音が石床に響き、黄色く光る双眸が怒りに燃えている。
ハイデンは白髪の少女へと視線を向けた。
「仲間は……まだ生きているか?」
少女は唇を震わせながら、うつむいた。
「……い、いない……。蛇の毒で……みんな……。生き残ってるのは、わたしだけ。」
ハイデンは奥歯を噛みしめた。
仲間を失う痛みを、彼はよく知っていた。
だが――今は悲しむ時ではない。
「なら、回復しろ。」
短く言い、ポーションを放り投げる。
「俺が時間を稼ぐ。」
「で、でも……あなたは?」
「俺はタンクだ。それが俺の役目だ。」
少女は一瞬ためらったが、すぐに頷き、ポーションを飲み干した。
淡い光が彼女の身体を包み、傷がゆっくりと癒えていく。
その間にも、キメラたちは動き出していた。
地面を砕くような足音。
鋭い爪が石を削り、耳障りな音を響かせる。
ハイデンは盾を構え、正面からの突進を受け止めた。
衝撃が全身を駆け抜け、腕が震える。
それでも、彼は一歩も退かなかった。
(俺が倒れたら……彼女も死ぬ。)
次の瞬間、視界の端に青い光が点滅した。
――〈システム通知〉
【レベルアップしました!】
「……ハッ、やっとか。」
ハイデンは苦笑した。
「さて……敏捷に振る!」
熱が体を駆け抜ける。
筋肉が軽くなり、動きが冴える。
迫る爪撃を紙一重でかわし、黒曜の剣を振るった。
鋭い一閃――黒い血が飛び散る。
「ハァ……今度こそ、こっちの番だな。」
少女の治癒が終わり、彼女は再び立ち上がった。
金色の瞳に、強い光が宿る。
「準備、できた!」
「いいか、俺が受ける。」
「じゃあ、わたしが死角を取る!」
二体のキメラが同時に咆哮を上げ、突進してくる。
ハイデンは盾を振り上げ、一体の突進を弾いた。
その瞬間、もう一体の脇腹が無防備に晒される。
少女――エイラが跳び、身体を回転させながら剣を振り抜いた。
「はぁあッ!」
刃が首筋を裂き、キメラが断末魔を上げて崩れ落ちる。
地響きのような音が、洞窟にこだました。
残った一体が怒り狂って突っ込んできた。
ハイデンは身をひねり、盾で受け流すと同時に全力で押し返した。
怪物の巨体が壁に叩きつけられる。
その一瞬の隙を逃さず、彼は黒曜の剣を突き立てた。
――ズシュッ。
刃が心臓を貫く。
断末魔の咆哮が途切れ、静寂が訪れた。
ハイデンは荒い息を吐き、全身を覆う血と埃をぬぐった。
倒れ伏した二体のキメラを見下ろす。
耳の奥で、まだ戦いの余韻が鳴り響いていた。
エイラがよろめきながら近づき、かすかに笑う。
「あなた……本当にすごいわ。こんな戦い方、初めて見た。」
ハイデンは血のついた腕で顔を拭い、息をつきながら笑った。
「仕方なかったさ。あんたも、よくやった。」
「エイラ。」
「ん?」
「わたしの名前。エイラ。」
「……ハイデンだ。」
エイラは頷き、足元の亡骸たちを見つめた。
「もしあなたが来なかったら、わたし……ここで終わってた。」
「俺は、やるべきことをやっただけだ。」
ハイデンは剣を納め、遠くの通路を見つめる。
「まだ、先は長い。」
エイラは不思議そうに彼を見た。
「あなた……ソロの冒険者なの?」
「ああ、今のところはな。」
彼は盾を背負い直し、苦笑する。
「生き延びるには、それが一番だ。」
エイラは腕を組み、軽く笑った。
「なら、わたしたち同じね。」
「同じ?」
「ええ。わたしも、今日死ぬつもりはない。」
二人の視線が交わる。
ほんの一瞬、時間が止まったように感じた。
そして――ハイデンの胸に、久しく感じなかった感情が灯る。
(もしかしたら……全部を一人で背負わなくても、いいのかもしれない。)
深く息を吸い込み、彼は歩き出した。
エイラもその隣に並び、二人の足音が静かに洞窟に響く。
闇の先へと、旅は続いていく。
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