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ポタリ、ポタリ。
水滴が俺の顔にかかっている。ふと意識が浮上すると、俺は相変わらず利玖の家で仰向けに寝転がっているのだった。しゃわしゃわという蝉の声も、全く途切れてはいなかった。俺、どんだけ寝てたんだろう。
ポタリ、ポタリ。
(・・・・・・なんで、家の中なのに雨が)
ぼんやりと目を開ける。
俺を逆さに覗き込む利玖の姿が目に入った。無表情なその二つの瞳からは、大粒の涙がとめどなくあふれ出し、ダラダラと俺の顔を濡らしていた。
「利玖・・・・・・」
自然に俺の喉から漏れる。
「なんで泣いてるんだ・・・・・・」
困惑するより早く、持ち上げた手をその顔に伸ばす。小さな小さな俺の利玖。彼は、俺の手が頬に当たるとひっくとしゃくりあげる。
「秋兄ィ、俺のこと・・・・・・、嫌いになったの・・・・・・?」
そして投げかけられたそんな言葉。しかし、なんのことだ。全く心当たりが無い。
「嫌ってる?俺が?利玖をか?」
上半身を起こす。利玖に顔を近づけた。
「な、なんでだ?どうしてそんなこと言うんだ」
俺の質問に、利玖は今度はきっと眉を上げ、ひどく傷つき憤っていると全力で現してみせる。
「秋兄ィ!夏休みになったら、外国に行っちゃうんでしょ!?外国に働きに行っちゃうんでしょ!?」
全く意味の分からない台詞をまくし立てられ、俺は「はあ?」と目を見開く。
「俺っ、俺・・・・・・、聞いたんだよ!秋兄ィが俺の父さんと話してるの!仕事で“いんたーん”に行くって!なんで俺にはそのこと何も言ってくれないの!?夏休みでもう俺とお別れなのに!!どうしてっ!?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「なんで俺に何も言わないの?どうしてそんなに普通そうにしてるんだよーっ!俺と離れ離れになるのが悲しくないのかーっ!?」
とうとう俺の服に両手でしがみついておんおん泣き出してしまった。わしゃわしゃという蝉の大合唱と交じり合ってえらい騒音だ。その時の俺は困惑でもない苦笑いでもない複雑な顔をしていたと思う。「あ、えっと・・・・・・」と利玖の柔らかい髪を撫でてやりながら、どう誤解を解いたものかと数秒思案する。
滑稽さが混じった脱力感は、だがじきに罪悪感と、どうしようもない切なさに変わっていく。
利玖が激しく泣くほどに触れる手から伝わる振動。
それが何とも愛おしく、俺の胸をきゅんと締め付けた。なんだか俺のほうが泣きそうになってしまう。
(いや、感傷に浸ってる場合じゃないよな・・・・・・)
「利玖、利玖」
聞いてくれ、利玖。
俺が悪かった。
この可愛くて頼りない小さな体は、耳だって木の葉のようにとても小さい。だけれど、それでもちゃんと彼が聞きとってくれるように、俺は精一杯語りかける。
「利玖。ごめんな、辛い思いさせて」
正直、とんでもない勘違いをされたと思ってはいる。それでも、この言葉は本心から出たものだ。
「・・・・・・」
利玖はつむじをこちらに向けたままで沈黙していた。胸がぎゅっと締め付けられる。痛恨の思い。俺はなんて。こんな小さな、ほとんど家族とも変わらない、こんな大切な存在になんてひどいことを。俺はお前の気持ちに寄り添うことなんて、何もしてなかったんだ。
「あのな、俺、外国には行かないよ」
ううう~、という湿った唸り声を利玖が上げた。俺の言う事を信用していないのが分かる。ひどく不機嫌そうな、拗ねた声。
「利玖、聞いてくれ」
なんとかして、彼の心を繋ぎたい。誠実に、誠実にならなくては。
間違っても言い訳なんてしてはならない。
俺は、彼の一番そばにいる大人として。
かっこ悪いところなんて、見せられない。
「インターンはな、外国じゃないよ」
優しく言い聞かせるも、利玖は顔を伏せたままだ。表情は見えない。でも、怯むなんてしない。彼にどんな反応をされようと、俺は伝え続けないといけないんだ。
「あのな、俺は確かに夏休み中仕事に行くんだけど、ここから電車で一時間くらいのところだから。外国じゃない」
「嘘」
「本当だって」
いつしか必死になっていた。
「インターンっていうのはな、本当に仕事を始める前に予行演習みたいなことをすることだよ。利玖もテストの前にはしっかり勉強して準備してから受けるだろ?それと一緒だよ」
怖がるな。きっと、きっと大丈夫。利玖と俺ならきっと。
「お前に何も言わなかったのは悪かった。利玖。俺、忙しくて自分のことだけでいっぱいいっぱいになってて、お前の気持ちを考えずにいたな。本当にごめん。確かにお前に会う時間は減るかもしれないけど、でも休みの日とかは変わらずうちにいるし、時々はこんな風に遊びに来たりするよ。夕飯だって一緒に食べれる。な、それじゃあだめか?」
精一杯、心のドアを静かにノックするように。小さな彼と目線を交わすようにして俺は訴えた。
そして流れる痛い沈黙。
(ま、まずいこと、言ったか・・・・・・?)
しかし、もう逃げ隠れはできない。いや。
(・・・・・・しない。これで利玖を怒らせたり、ぎくしゃくしてしまうとしても、俺は絶対に利玖と向き合う)
拳をぎゅっと握って覚悟を決めた。固唾を飲んでいると、不意に利玖が言う。
「毎日」
「え」
声色は変わらず不機嫌そうだったが、俺のことが気に入らない、つっぱねてしまおうと言う気配は、そこからはもう感じられなかった。
「毎日うちに来て!ご飯一緒に食べて!秋兄ィ!!時々じゃダメだ~!!!!」
突如として膝の上で大暴れしだした怪獣に、俺は面くらいながらも口元を緩ませる。緊張で冷えていた指先に体温が戻ってきた。
「う、ご、ごめん・・・・・・。毎日はー、無理かも・・・・・・」
くくっと少し笑い混じりにそう言うと、利玖はぎゃああっと手足をばたつかせる。
「嫌だ~!!毎日食べてーー!!!」
とうとうその場にばたんと倒れての猛攻勢。
「す、すまん!週に一日!頑張るから週に一日で勘弁してくれー!」
顔の前で手を合わせて拝む俺に、利玖は「ううう~」と恨みがましい目つきを食らわせてきた。
「ふんだっ。もう知らな~い!秋兄ィのバカ!アイスもう一本食べてやるっ」
「それはダ~メ!」
くるりとキッチンに向かおうとする利玖の首根っこをひょいと掴んで、こちらに顔を向かせた。
こちらを見つめる、まんまるな二つの目。むくれるその表情が何とも面白くて、可愛くて。
俺はふふっと息を漏らした。[newpage]
「そっか。・・・・・・俺が遠くに行っちゃうのにお前に黙ってると思ってたんだな。それでこの頃俺に対してツンツンだったのか」
「ぐむむ・・・・・・」
ちょっと斜めに向いた目で、バツが悪そうな顔をしている。そんなところもまた可愛らしかった。どう取り繕ったものかと思案しているに違いないのだ。
「秋兄ィ・・・・・・」
やがて、むっつりとした声で利玖は俺に言う。
「ん~?」
顔を綻ばせる俺に向かって、利玖はビシッと指を一本突きつけた。
「秋兄ィ!俺の繊細な心に傷をつけたなっ?お詫びとして、今日は俺と一緒に風呂に入ること!分かったか?」
・・・・・・お詫びがそれでいいのか。
「ガ、ガキくせー・・・・・・」
プーっと吹きだすと、たちまち彼はジト目で睨んでくる。ああ、よかった。俺の知ってる利玖だ。いつもいつもワガママばかり。仲良しの俺にだってちょいちょいつっかかってくるけど、いつだって可愛くて、俺にべったり離れない。小さいけど、俺にくれる愛情は海よりも深い。そんな利玖だ。
俺はにっこりと利玖の目を見る。
「分かった、いいよ。ここ最近風呂は別々だったもんな!久しぶりに一緒に入るか!」
そしてがしがしっと力強く利玖の髪をかき回す。「うわわわわっ」と慌てたような声が、俺の鼓膜を優しくくすぐるのであった。
ポタリ、ポタリ。
水滴が俺の顔にかかっている。ふと意識が浮上すると、俺は相変わらず利玖の家で仰向けに寝転がっているのだった。しゃわしゃわという蝉の声も、全く途切れてはいなかった。俺、どんだけ寝てたんだろう。
ポタリ、ポタリ。
(・・・・・・なんで、家の中なのに雨が)
ぼんやりと目を開ける。
俺を逆さに覗き込む利玖の姿が目に入った。無表情なその二つの瞳からは、大粒の涙がとめどなくあふれ出し、ダラダラと俺の顔を濡らしていた。
「利玖・・・・・・」
自然に俺の喉から漏れる。
「なんで泣いてるんだ・・・・・・」
困惑するより早く、持ち上げた手をその顔に伸ばす。小さな小さな俺の利玖。彼は、俺の手が頬に当たるとひっくとしゃくりあげる。
「秋兄ィ、俺のこと・・・・・・、嫌いになったの・・・・・・?」
そして投げかけられたそんな言葉。しかし、なんのことだ。全く心当たりが無い。
「嫌ってる?俺が?利玖をか?」
上半身を起こす。利玖に顔を近づけた。
「な、なんでだ?どうしてそんなこと言うんだ」
俺の質問に、利玖は今度はきっと眉を上げ、ひどく傷つき憤っていると全力で現してみせる。
「秋兄ィ!夏休みになったら、外国に行っちゃうんでしょ!?外国に働きに行っちゃうんでしょ!?」
全く意味の分からない台詞をまくし立てられ、俺は「はあ?」と目を見開く。
「俺っ、俺・・・・・・、聞いたんだよ!秋兄ィが俺の父さんと話してるの!仕事で“いんたーん”に行くって!なんで俺にはそのこと何も言ってくれないの!?夏休みでもう俺とお別れなのに!!どうしてっ!?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「なんで俺に何も言わないの?どうしてそんなに普通そうにしてるんだよーっ!俺と離れ離れになるのが悲しくないのかーっ!?」
とうとう俺の服に両手でしがみついておんおん泣き出してしまった。わしゃわしゃという蝉の大合唱と交じり合ってえらい騒音だ。その時の俺は困惑でもない苦笑いでもない複雑な顔をしていたと思う。「あ、えっと・・・・・・」と利玖の柔らかい髪を撫でてやりながら、どう誤解を解いたものかと数秒思案する。
滑稽さが混じった脱力感は、だがじきに罪悪感と、どうしようもない切なさに変わっていく。
利玖が激しく泣くほどに触れる手から伝わる振動。
それが何とも愛おしく、俺の胸をきゅんと締め付けた。なんだか俺のほうが泣きそうになってしまう。
(いや、感傷に浸ってる場合じゃないよな・・・・・・)
「利玖、利玖」
聞いてくれ、利玖。
俺が悪かった。
この可愛くて頼りない小さな体は、耳だって木の葉のようにとても小さい。だけれど、それでもちゃんと彼が聞きとってくれるように、俺は精一杯語りかける。
「利玖。ごめんな、辛い思いさせて」
正直、とんでもない勘違いをされたと思ってはいる。それでも、この言葉は本心から出たものだ。
「・・・・・・」
利玖はつむじをこちらに向けたままで沈黙していた。胸がぎゅっと締め付けられる。痛恨の思い。俺はなんて。こんな小さな、ほとんど家族とも変わらない、こんな大切な存在になんてひどいことを。俺はお前の気持ちに寄り添うことなんて、何もしてなかったんだ。
「あのな、俺、外国には行かないよ」
ううう~、という湿った唸り声を利玖が上げた。俺の言う事を信用していないのが分かる。ひどく不機嫌そうな、拗ねた声。
「利玖、聞いてくれ」
なんとかして、彼の心を繋ぎたい。誠実に、誠実にならなくては。
間違っても言い訳なんてしてはならない。
俺は、彼の一番そばにいる大人として。
かっこ悪いところなんて、見せられない。
「インターンはな、外国じゃないよ」
優しく言い聞かせるも、利玖は顔を伏せたままだ。表情は見えない。でも、怯むなんてしない。彼にどんな反応をされようと、俺は伝え続けないといけないんだ。
「あのな、俺は確かに夏休み中仕事に行くんだけど、ここから電車で一時間くらいのところだから。外国じゃない」
「嘘」
「本当だって」
いつしか必死になっていた。
「インターンっていうのはな、本当に仕事を始める前に予行演習みたいなことをすることだよ。利玖もテストの前にはしっかり勉強して準備してから受けるだろ?それと一緒だよ」
怖がるな。きっと、きっと大丈夫。利玖と俺ならきっと。
「お前に何も言わなかったのは悪かった。利玖。俺、忙しくて自分のことだけでいっぱいいっぱいになってて、お前の気持ちを考えずにいたな。本当にごめん。確かにお前に会う時間は減るかもしれないけど、でも休みの日とかは変わらずうちにいるし、時々はこんな風に遊びに来たりするよ。夕飯だって一緒に食べれる。な、それじゃあだめか?」
精一杯、心のドアを静かにノックするように。小さな彼と目線を交わすようにして俺は訴えた。
そして流れる痛い沈黙。
(ま、まずいこと、言ったか・・・・・・?)
しかし、もう逃げ隠れはできない。いや。
(・・・・・・しない。これで利玖を怒らせたり、ぎくしゃくしてしまうとしても、俺は絶対に利玖と向き合う)
拳をぎゅっと握って覚悟を決めた。固唾を飲んでいると、不意に利玖が言う。
「毎日」
「え」
声色は変わらず不機嫌そうだったが、俺のことが気に入らない、つっぱねてしまおうと言う気配は、そこからはもう感じられなかった。
「毎日うちに来て!ご飯一緒に食べて!秋兄ィ!!時々じゃダメだ~!!!!」
突如として膝の上で大暴れしだした怪獣に、俺は面くらいながらも口元を緩ませる。緊張で冷えていた指先に体温が戻ってきた。
「う、ご、ごめん・・・・・・。毎日はー、無理かも・・・・・・」
くくっと少し笑い混じりにそう言うと、利玖はぎゃああっと手足をばたつかせる。
「嫌だ~!!毎日食べてーー!!!」
とうとうその場にばたんと倒れての猛攻勢。
「す、すまん!週に一日!頑張るから週に一日で勘弁してくれー!」
顔の前で手を合わせて拝む俺に、利玖は「ううう~」と恨みがましい目つきを食らわせてきた。
「ふんだっ。もう知らな~い!秋兄ィのバカ!アイスもう一本食べてやるっ」
「それはダ~メ!」
くるりとキッチンに向かおうとする利玖の首根っこをひょいと掴んで、こちらに顔を向かせた。
こちらを見つめる、まんまるな二つの目。むくれるその表情が何とも面白くて、可愛くて。
俺はふふっと息を漏らした。[newpage]
「そっか。・・・・・・俺が遠くに行っちゃうのにお前に黙ってると思ってたんだな。それでこの頃俺に対してツンツンだったのか」
「ぐむむ・・・・・・」
ちょっと斜めに向いた目で、バツが悪そうな顔をしている。そんなところもまた可愛らしかった。どう取り繕ったものかと思案しているに違いないのだ。
「秋兄ィ・・・・・・」
やがて、むっつりとした声で利玖は俺に言う。
「ん~?」
顔を綻ばせる俺に向かって、利玖はビシッと指を一本突きつけた。
「秋兄ィ!俺の繊細な心に傷をつけたなっ?お詫びとして、今日は俺と一緒に風呂に入ること!分かったか?」
・・・・・・お詫びがそれでいいのか。
「ガ、ガキくせー・・・・・・」
プーっと吹きだすと、たちまち彼はジト目で睨んでくる。ああ、よかった。俺の知ってる利玖だ。いつもいつもワガママばかり。仲良しの俺にだってちょいちょいつっかかってくるけど、いつだって可愛くて、俺にべったり離れない。小さいけど、俺にくれる愛情は海よりも深い。そんな利玖だ。
俺はにっこりと利玖の目を見る。
「分かった、いいよ。ここ最近風呂は別々だったもんな!久しぶりに一緒に入るか!」
そしてがしがしっと力強く利玖の髪をかき回す。「うわわわわっ」と慌てたような声が、俺の鼓膜を優しくくすぐるのであった。
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