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~終幕~
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「御坊、御坊こちらに」
関ヶ原の戦いを制し、今や戦国の新たな覇者となった内府公家康の元へ、一人の僧侶が訪ねていた。
「内府様、お久しぶりにて候」
「久しい、久しい。こなたは、今までどこに居ったのか?」
「一瞥以来、天台宗の寺で、彼の一族の供養と、自らの精進のために、修行を積んでおり申した」
その老僧は、親しげに家康と膝を突き合わせて、語っていた。そして、それから数時間も、お供を一人も付けずに、二人きりで語りあっていたのだった。
「今は天海と申す一介の僧にて、家康様が造る新しい世の為に、微力を尽くしましょう」
「わしは、御坊を知るのが遅すぎたようじゃ…」
家康はそう言って、まるで宝を見つけた少年のように、嬉しそうに笑うのであった。
家康との再会を果たして、更に後年の事である。世は、徳川幕府の治政となり、天下泰平が始めっていた。天海は、坂本にある天台宗の西教寺を訪れていた。外では小雨がひっそりと降っている。
「叔父上様、ここで何をご覧なされておいでか?」
この後に大奥にて、絶大な権勢を誇る事になる、江戸幕府三代将軍家光の乳母、春日局ことお福であった。
「お福殿か、よく参られた。これを拝見しに立ち寄ったのだ」
天海は、そう言うと、お福の膝元へ一つの巻物を広げてみせた。
それは、光秀が生前、戦死した家臣十八名の供養のために寄進した、供養米の詳細を記した書状であった。
「あの男は、いつもこうであったよ。そして、その気高き精神は、明智家全体を覆っていたのじゃ。そして、そなたの御父上もな…」
戦国武将の中で、部下の死に対して、これだけの哀悼を捧げている人物も稀であっただろう。
「重兵衛様…」
お福は、今は天海となった、かつて御門重兵衛と言われた道々の輩である男の言葉に、胸が詰まっていた。
父斎藤利三が敗死した後に、逆賊の娘と罵倒された日々の辛酸を、思い出したのかも知れなかった。斎藤利三は、秀吉に捕縛された際の尋問にも、本能寺の変の全容を話す事はなかった。
秀吉は、共犯者の存在を随分疑っており、その尋問は苛烈を極めたが、逆に利三が秀吉を罵倒し、秀吉の謀略を暴いた為に、怒りを買い斬首となっていた。
利三は、捨身で徳川家を救ったのであった。その事実を天海より聞いた家康は、その恩義に報いる為に、娘のお福を嫡孫の乳母に任じ、その孫には光秀の光をとって、家光と名付けている。
「もう少し、この世の中を見てから逝こうかのう。それが、彼の者との約束でもあるからのう」
天海は微笑んでいた。お福も叔父上と呼ぶことで、この大叔父の親友を慕っていた。
「叔父上様、また熱心に何をご覧なされる?」
先程の雨があがり、嘘のように晴れ間が覗いている。そして、二人は寺の庭先へと出ていた。天海は、一輪の花を熱心に見つめていた。
「お福殿、ご覧なされ。見事な桔梗花が咲いておる」
天海は、その庭の隅に群生している桔梗花を愛でる様に、人差し指でそっと優しく撫ぜるのだった。
「まあ、ほんに美しい」
その桔梗花は、美しくも真っ直ぐに伸び、一輪が天を目指しているかのようであった。
「御坊様、もう参りませぬと」
「うむ、そうであったな」
お付きの者に促されて、天海とお福は、その場を後にした。去りゆく天海の後ろでは、先程の水色をした一輪の見事な桔梗花が、残り雨に濡れて、輝かしくも光って見えるのであった。
~完~
関ヶ原の戦いを制し、今や戦国の新たな覇者となった内府公家康の元へ、一人の僧侶が訪ねていた。
「内府様、お久しぶりにて候」
「久しい、久しい。こなたは、今までどこに居ったのか?」
「一瞥以来、天台宗の寺で、彼の一族の供養と、自らの精進のために、修行を積んでおり申した」
その老僧は、親しげに家康と膝を突き合わせて、語っていた。そして、それから数時間も、お供を一人も付けずに、二人きりで語りあっていたのだった。
「今は天海と申す一介の僧にて、家康様が造る新しい世の為に、微力を尽くしましょう」
「わしは、御坊を知るのが遅すぎたようじゃ…」
家康はそう言って、まるで宝を見つけた少年のように、嬉しそうに笑うのであった。
家康との再会を果たして、更に後年の事である。世は、徳川幕府の治政となり、天下泰平が始めっていた。天海は、坂本にある天台宗の西教寺を訪れていた。外では小雨がひっそりと降っている。
「叔父上様、ここで何をご覧なされておいでか?」
この後に大奥にて、絶大な権勢を誇る事になる、江戸幕府三代将軍家光の乳母、春日局ことお福であった。
「お福殿か、よく参られた。これを拝見しに立ち寄ったのだ」
天海は、そう言うと、お福の膝元へ一つの巻物を広げてみせた。
それは、光秀が生前、戦死した家臣十八名の供養のために寄進した、供養米の詳細を記した書状であった。
「あの男は、いつもこうであったよ。そして、その気高き精神は、明智家全体を覆っていたのじゃ。そして、そなたの御父上もな…」
戦国武将の中で、部下の死に対して、これだけの哀悼を捧げている人物も稀であっただろう。
「重兵衛様…」
お福は、今は天海となった、かつて御門重兵衛と言われた道々の輩である男の言葉に、胸が詰まっていた。
父斎藤利三が敗死した後に、逆賊の娘と罵倒された日々の辛酸を、思い出したのかも知れなかった。斎藤利三は、秀吉に捕縛された際の尋問にも、本能寺の変の全容を話す事はなかった。
秀吉は、共犯者の存在を随分疑っており、その尋問は苛烈を極めたが、逆に利三が秀吉を罵倒し、秀吉の謀略を暴いた為に、怒りを買い斬首となっていた。
利三は、捨身で徳川家を救ったのであった。その事実を天海より聞いた家康は、その恩義に報いる為に、娘のお福を嫡孫の乳母に任じ、その孫には光秀の光をとって、家光と名付けている。
「もう少し、この世の中を見てから逝こうかのう。それが、彼の者との約束でもあるからのう」
天海は微笑んでいた。お福も叔父上と呼ぶことで、この大叔父の親友を慕っていた。
「叔父上様、また熱心に何をご覧なされる?」
先程の雨があがり、嘘のように晴れ間が覗いている。そして、二人は寺の庭先へと出ていた。天海は、一輪の花を熱心に見つめていた。
「お福殿、ご覧なされ。見事な桔梗花が咲いておる」
天海は、その庭の隅に群生している桔梗花を愛でる様に、人差し指でそっと優しく撫ぜるのだった。
「まあ、ほんに美しい」
その桔梗花は、美しくも真っ直ぐに伸び、一輪が天を目指しているかのようであった。
「御坊様、もう参りませぬと」
「うむ、そうであったな」
お付きの者に促されて、天海とお福は、その場を後にした。去りゆく天海の後ろでは、先程の水色をした一輪の見事な桔梗花が、残り雨に濡れて、輝かしくも光って見えるのであった。
~完~
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いくさ人の軌跡が良く描かれていると思います。
マスケッターさん 感想ありがとうございます。私も一夢庵風流記や影武者徳川家康など、好きな作品なので、そう言って頂けると、とても嬉しいです。