三九郎の疾風(かぜ)!!

たい陸

文字の大きさ
上 下
1 / 6

疾風(かぜ)は吹いた!!

しおりを挟む
 上田平に疾風(かぜ)が吹いている。その疾風がどこへ向って吹いて行くのかは、まだ分からない。

 ただ一つ言える事は、その疾風は、とても気持ちのいい秋晴れの爽やかな疾風であるという事だけであった。

「いい疾風だ」
 男は呟いた。その男は、開けた丘の上に立っている。名は滝川三九郎一積(かずあつ)。年は十八歳と若い。若いが、長い間の浪人生活がこの男を一個の武士に育て上げたらしく、精悍な顔つきをしている。

 今は、そのいささか細すぎる目を更に細めて、上田城のある方角を小高い丘より、眺めている所だった。

 慶長五年(1600)九月、ここ上田平に合戦の兆しが芽生えていた。太閤秀吉が亡くなった後の豊臣政権は、不協和音が日本中で鳴り響く程に不安定となっていた。

 五大老筆頭の内大臣徳川家康は、同じく五大老の一人、会津の上杉景勝に謀反の疑いありと、討伐を決意した。

 そして、諸将を集めて討伐に向かう途中に、佐和山の石田三成が家康打倒を掲げて挙兵した。家康は、すぐに兵を退きあげると、三成に対抗すべく動き出したのだ。

 そして上田である。ここ上田城の城主は、真田安房守昌幸である。彼は、次男左衛門佐信繁と共に、西軍に付くことを決め、上田城に立て籠もっていた。

 これに対して家康は、三万八千の徳川主力部隊を嫡男の秀忠に指揮させて、中山道を進ませていた。そして、自分は一軍を持って、東海道を進んでいたのだった。

 これより以前に真田は、徳川勢と戦い勝っている。天正十年(1582)三月に行われた第一次上田合戦と言われる戦いがそれである。

 この時、徳川家の武将である鳥居元忠、大久保忠世らが率いる約七千の徳川軍に対し、真田昌幸率いる二千の真田軍が完勝している。徳川は手酷い打撃を受け、世に真田昌幸の名を知らしめる事となった。

 徳川家康にとって、真田昌幸は、因縁の相手であり、目の上のタンコブのような存在だったであろう事は、想像に難くない。昌幸から見た家康も同じだろう。ただ、この両者がその生涯を通じて、直接戦った事実は無い。

「くれぐれも、上田の動きに気を付けよ」

 家康は、訓戒とも言うべきものを、何度も息子の秀忠に対して、小言のように繰り返し伝えた。

 家康の考えとしては、特に上田城を陥落させる必要は無く、あくまでもその警戒すべき策略を封じ込める為に、わざわざ中山道を進ませる狙いもあった。

 本来、自分が率いるべき徳川の主力部隊を息子につけ、自身の腹心である本多正信を目付け役としたのである。嫡男秀忠に華を持たせて、武将としてのデビュー戦を飾ってやろうとの親心もあったであろう。

 しかし、この親心を、息子は完全には理解出来ていなかった。

「徳川の力を見せつけてくれるわ」
 秀忠は、徳川三万八千の大軍を指揮する内に、それが自分の力であるように錯覚してしまった。

 無理もない。秀忠は、まだこの時二十一歳の若武者でしかない。九月二日に小諸に到着した徳川勢は、上田城攻略の為の軍議を始めるのだった。

 そして、その様な真田家危急存亡の秋に、滝川三九郎は、上田に現れたのであった。

「あそこに見えるは、茶屋かのう?」
 三九郎の目は、細目ながら遠くが良く見える。その良目に捉えた所へ、腹を抑えながら、颯爽と駆け出していた。その身のこなしは、この男の特徴と言えた。まるで、小風のように軽やかで速い。

「助かった。飯を頼む」
 店に着くなり、店娘に声を掛ける。

 この時代、このような田舎の街道沿いにある茶屋にある飯といったら、麦飯に違いなく、上方育ちの三九郎にしては、少し辛目の味噌汁に漬物がついているだけであったが、これだけでありがたい。三九郎は、そう思いながら、空腹を満たすのだった。

 やっと空腹を満たし終えた三九郎が、出された茶を飲み干していた時であった。街道の奥より、何やら騒がしい気配がしてきた。

「なんじゃろう」
 三九郎が片目を細めて見れば、粉塵を上げながら、その一団が迫っていた。一人が先んじて、それを後方より、三名が懸命に馬を駆って、追いかけているようだった。

「どう、静まれ!」 
 先頭を駆っていた者が茶屋に先着する。その者は、馬を止めると、三九郎と娘を交互に見て、馬上より声を掛ける。

「そこに立てかけてあるのは、そこもとの物か?少しの間、拝借したい」
 その馬上の武者が指し示す物は、店の壁に立てかけた、三九郎が持っている槍であった。

「これを借りて何とする?」
「知れた事、追手を払う。私のは落としてしまったのだ」

 三九郎は、顎に手をやりながら、しげしげとこの者を見ていた。年は十代、甲高く華奢な声をしている所を見ると、元服もしていないかもしれない。

「追いついたぞ!」
 そうこうしている内に、後方の三名が馬蹄の音と共に迫っていた。

「覚悟するんだな」
 馬の速度を緩めて歩み寄る三人。緊迫した状況に、娘は店の奥に逃げ込んでしまった。

「おい!追い付かれたではないか。一体、貸すのか?」
「ほらよ」
 三九郎は、無造作に槍を放って寄こした。手に槍の重みがズシリと伝わる。

 三九郎は、ニヤリと笑みを浮かべながら、三人の追手に対峙するように、その武者の前に立ちはだかった。

「お主には、重いかもしれぬぞ。その槍は、亡き信長公より賜った皆朱の槍。払わずにひたすらに突け!」

「何だ貴様は!」
 怒気をもって、もっとも近くに居た男が馬上より、槍を三九郎めがけて、放ってきた。不意の攻撃により、三九郎は、体勢を崩すが、何とか躱してみせた。

「おのれ!」
 更にカッとなった男は、尚も三九郎目がけて、槍を鋭く突いてきた。それを三九郎は、両手を合掌のようにあわせると、繰り出された槍を躱しながら、その両手で絡め取り、鮮やかな身のこなしで馬上の男を地面に引き倒してしまった。

 グアッと言う悲鳴を上げながら、男は地面に強かに叩きつけられる。失神したのか、その後、ピクリとも動かなくなってしまった。

「手向い致せば、容赦はせぬぞ」
 三九郎の言葉に、残りの男達は一瞬動きが止まる。

「おいっ」
 それらの出来事を後方より見ていた、三人の追手の内で、一番偉そうにしていた男は、もう一人の男に声を掛けると、同じようにされては、敵わないとばかりに、馬より下りて、三九郎と対峙していた。

「無刀取りとは恐れ入った。何者かは知らぬが、こちらとて容赦せぬ」
 二人の追手は、気迫を漲らせながら、大刀を抜くと、鞘を放り出して、両手で正眼に構えた。

「おいお主、余計な事をするな。これは、私の敵ぞ」
 馬上で一人取り残された三九郎の槍を持つ者は、背に三九郎に呼びかける。

「いや、放っては置けぬな」
「何故(なにゆえ)?」
「お主は、女であろう?」

 馬上の娘はハッとして、振り返る三九郎の顔を見た。その顔はこのような修羅場にも関わらず、なぜかとても晴れやかな表情をしているように見えた。

「隙ありっ!」
 対峙していた二名の内の一人がここぞとばかりに、上段より振り下ろすと、三九郎に刃を向けた。

 しかしである。次の瞬間、三九郎は、その独特の足先の動きを見せると、龍ノ口を開いて、男を真正面より、真っ二つに斬って捨てたのだ。

(バカな…)
 先手を取った筈の男は、後より来た三九郎の太刀に払われながら斬られるという考えられない技を見せられ、自身に起った悲劇を理解出来ないまま、瞬時に息絶えていた。

「柳生新陰流、一刀両断の法」
 三九郎が口にした時には、最後の男の戦意は完全に失われていたと言えた。男は後ずさりしながら、自分の乗っていた馬をチラリと確認し、逃げる機会を伺う。

「今じゃ!槍を投げよ」
 三九郎が馬上の娘に声を掛け、男がそこに気を取られた一瞬であった。三九郎は、素早く男に駆け寄り、男の両手を打ち据えた。

 ぎゃあっという情けない悲鳴を上げて、刀を落した男は、血が流れる左手を無事な右手で庇うような仕草をした。そこに三九郎の付きつける刃が男の喉元に迫る。

「おい、お主らは何者ぞ?なぜこの女を襲うか!」
 迫る刃に怯みながらも、男はしゃべろうとはしない。

「その者らは、恐らく徳川の間者に相違ない」
 様子を見ていた馬上の娘が三九郎の背に声を掛ける。

「成程、すると甲賀の手の者か?」
 三九郎の鋭い問いに男の表情が強張る。その様子が語らずとも、物事の本質を突いていた。

「次に追えば容赦なく斬るぞ」
 三九郎の言葉に、男は警戒しながらも一つだけ頷いた。店の奥で脅えていた店娘に声を掛け、飯代を払うと、三九郎は、娘を乗せた馬の手綱を引き、その場を悠々と軽やかな足取りで、去って行くのだった。


「もし…もし…馬をお止め下さりませ」
 馬上より娘が声を掛ける。三九郎は、丁度よい木陰を見つけると、手綱を木に括りつけて、娘を馬より降ろしてやった。二人は、そこにあった岩に腰かける。先程とは全く違う静かな空気が流れていた。

「お助け下さり、忝のう存じます」
 娘は、兜を取りながら礼を言う。その素顔は、先程の武者振りとは、似ても似つかぬ美しい姿であった。三九郎は、娘の顔を認めると、照れで直視出来ないのか、すぐに背ける。

「是非、お名をお聞かせ下さりませ」
「た、滝川三九郎一積と申す」
「滝川三九郎様…」

「そなたは、真田家縁(ゆかり)の者か?」
「はい。真田安房守が娘、菊と申します」
「お菊、お菊殿か…」

 三九郎とお菊は、照れながらも、お互いの名前を何度か反芻するのだった。
「お菊殿は、何故に甲冑などを着て、馬を駆けられたか?」

「ええ、初めて着ましたが、重い物でございました」
 三九郎が、鎧を外すのに手間道お菊を手伝いながら、二人は会話を続ける。

「沼田の兄上様の元へ、向う途中にございました。城より父の伝令だと偽り、抜け出たまでは良かったのでござりますが、途中で追手に見つかり…」

「沼田の兄上とは、真田伊豆守殿の事か?」
 お菊は、コクンと頷いた。真田伊豆守信幸は、昌幸の嫡男である。西軍についた父と弟とは別行動を取り、東軍についていた。信幸は、家康の重臣、本多忠勝の娘を正室に迎えていたのが要因の一つと言われている。

「親子兄弟が敵味方に別れて争うなど、見たくはござりませぬ。兄信幸は、昔から私を可愛がって下さりました。私の言う事なら、きっと聞いて下さるかと思い…」

「それで、一人城から抜け出たと申すか?」
 お菊は、恥ずかしそうにまた頷いた。

(何という女であるか!)
 三九郎は、この可憐な容姿とは裏腹のお菊の内に秘めたる力に、感じざせるをえない思いがしていた。

「ともかくも、一度城に戻ろう」
「それだけは、嫌にござります」
「そう言わず。戦も間近に迫っておるゆえ」
「嫌にござりまする」

 説得する三九郎だが、お菊は、その真っ白な頬を御餅のようにプクッと膨らませたまま、その場を動こうとはしない。

「お菊殿、ここに向かうしがた拙者は見てきたが、徳川の軍勢は小諸に陣を構えておる。何やら上田方と交渉の様子。上手く行けば、戦せずとも済むやもしれぬ」

「ホント?」
 三九郎の顔を哀願するように覗き込むお菊の表情は、とても愛らしく感じられた。

「オホン、とにかくも、今より沼田に行ってもすれ違いじゃ。善後策を考えるにしても、ここは一旦、城に戻るのが得策と存ずるが姫様如何?」

「三九郎、良きように計らえ」
「ははーっ」
 二人は笑った。三九郎は、成行きとは言え、お菊を無事届けるために、上田城へ向かう事にしたのだった。


 二人は日暮れ前には、無事上田城に着いていた。
「某(それがし)が真田安房守昌幸に御座る」
「滝川三九郎一積に御座りまする」
「そこに居るは、次男の信繁で御座る」
「安房守が次男左衛門佐信繁で御座る」

 城に着くと、待っていたかのように中に通されて、城の主とすぐに対面となったのだ。三九郎が見るに、策謀家との世間の噂とは違い、案外優しく、誠実な人柄に見える。

「お菊が危ない所を救ってくれた由、忝く存ずる」
「私は、助けてくれなどとは、申してはおりませぬ」
「これは、生意気な妹の申しよう、兄としてお詫び仕る」
 横で妹の為に頭を下げる物静かな兄信繁に三九郎は恐縮するのだった。

「拙者に助けを求めるどころか、我が槍を拝借と敵に向かう雄姿、お見せしとう御座いました」
「何と、お菊の武者振りよ。それは是非見とう御座った」

 三九郎の語りに場が華やいだ。昌幸も信繁も笑っている。それを話のネタにされたお菊だけが、頬っぺたを膨らませて怒っているのだった。三九郎が城に入って感じた事は、城の物々しい様子だった。合戦に備えて余念が無い様子。現に昌幸と信繁も甲冑姿でこの席に臨んでいた。

「所で三九郎殿。滝川と申されたが、お主はまさか…」
「はい。拙者の祖父は滝川一益。私はその子一忠の嫡男に御座いまする」
「やはりそうであったか…。一益殿のな。この安房守と一益殿とは、浅からぬ因縁が御座ってな」

 それは、信長が本能寺の変によって、非業の死を遂げた天正十年まで遡る。武田家滅亡後に、その重臣であった真田家は、行き場を無くして、弱肉強食の戦国の世にポツンと取り残されてしまった。

 昌幸は、生き残りを賭けて、織田家に降る事を決意し、その重臣で関東管領の地位にあった滝川一益に近づく事に成功した。昌幸は織田家と良好な関係を築いていたのだ。

 しかし、信長が死ぬと、各地で反乱や戦乱が相次ぎ、一益は関東を退き、上方へ帰ってしまった。その後、秀吉の台頭とは逆に、滝川家はかつての勢いを失い、関白となった秀吉に取り潰されてしまったのであった。

「三九郎殿は、今どこに仕えておる?」
「どこにも。しがない浪人で御座る」
「そうか、一時は関東の主であった滝川家がな…」

 昌幸は嘆息して呟いた。それは、戦国の世で大国に翻弄され続けている小国の真田にとっては、とても他人事とは思えなかったかれかもしれない。

「それで、どうして上田に?」
 その信繁の問いは、至極まっとうな質問であった。今、日本中の武士が注目しているのは、上方で起るであろう、家康率いる東軍と、三成率いる西軍との大合戦の筈だからであった。戦見物がしたければ、まず上方につく。今浪人で仕官を望んでいる者ならば、尚更そうである筈だったからだ。

「亡き父の遺言に御座る。関東へ、そして、上田に立ち寄るべしと。父が高野山へ配流の際、安房守様には、格別のご配慮を賜った事、ありがとう御座りました」

 それは、三九郎の父一忠というよりも、祖父一益の夢半ばで潰えた、関東に馳せた想いを見届けるために必要な、儀式のような物だったのかもしれない。

「そうであったか。三九郎殿、客分として持て成しす故、ゆるりと逗留なされよ」

 そう三九郎に語りかける昌幸の表情は、表裏比興の者と謳われた謀略家としての顔ではなく、一人の親としての柔和な表情その物であった。

 その日の晩、上田城の大天守にて、
「父上こちらでしたか」
「左衛門佐か?」

 昌幸は、天守より外の景色を振り返りもせずに、何時間も眺めている様子だった。その眺める闇夜には、遠くに徳川軍が灯す松明の火がはっきりと見えていた。

「して、砥石城はどうであったか?」
「父上のご思案通りに」
「それは、頂上至極也。では、この先に伊豆守が居るのだな」
「兄上もご息災の様子、遠目から拝見仕りました」

 昌幸らと袂を別った嫡男信幸は、徳川軍の先鋒として、上田に迫っていた。昌幸は、砥石城に信繁を入れると、信幸と対峙させた後に頃合いを見て、撤退の下知を出していたのだ。

「これで、兄上は城からは出ませんでしょう」
 昌幸は、信繁の答えに満足そうに頷いていた。これは、真田同士が相打つ事を避けるために、昌幸が仕掛けた策の一つであった。それを向こうにいる信幸も、何も言わずとも理解している筈である。

「しかし、危のうござった。本心を言えば、対峙していた時に、兄上程の武将と槍を合わせるは、武人の本懐ではないかと、考えてしまいました」

 その信繁の告白に、昌幸はゆっくりと、始めて振り返った。
「左衛門佐よ。それが武士(もののふ)というものじゃ。そして、その熱き滾りを抑えて、行動出来たそなたは、正しく一個の武将じゃ」

 昌幸は、そう言うと、再び闇夜の灯りに目を細めるのだった。
「思えば、そなたには苦労を掛け通しであった。上杉に人質として赴き、今度は大坂に行った。人質が長く、華々しい武勲を上げる機会は終ぞ無かった。そなたの気持ちは、わしもよう分かっておる。よくぞ我慢した。左衛門佐、よく我慢したぞ」

 昌幸は、また振り返ると、その逞しい両手を信繁の肩に、少し強く押すように置いた。親子は、正面から見合う恰好となっていた。

「わしもお主と一緒よ。わしは真田の三男坊として生まれて、他家に養子に出された。武田家の体のいい人質でしかなかったが、亡き信玄公はわしを可愛がってくださった。わしは、兄達が戦死した事で真田家を継いだ。武田が滅んだ後は、何度も他国の介入を受けて、その都度右往左往していた。今回もそうじゃ…」

 父昌幸は、自分の武勲の話しをするのは好きだが、苦労した昔を話す事は稀であった。その頃の苦い思い出が甦るのが、嫌なだけかもしれない。信繁は、今夜はいつもより話しをしてくれる父を快く感じていた。

「私も上杉でも、亡き太閤殿下からも、大事にして頂きました」
「うむ。そなたは他者を惹きつける何かを、持っておるのかもしれぬな」

 親子の会話は続いて行く。
「のう信繁よ。わしは最近思うのだ。天下に大事を成せる人物というのは、武略や謀略なども大事だが、結局は人の和を尊ぶ者こそが、そうさせるのではないかとな?太閤殿下などは、正にそうであったと思うのだ」

 昌幸の考えに、信繁も思うことがあったのか、「うむ」と頷いていた。

「人の和とは、例えば真田家中の事にしてもですかな?」
「うむ。伊豆守とは敵同士となったが、それとて、家族の情が消えるわけではない。しかし、戦の世とは、兎も角も悲しき事よ」

 そう言うと、昌幸は少し照れた表情をしてみせた。昌幸は、それを隠す為か、再び前を向く。

「思えば、因縁じゃのう」
「滝川殿の事で?」
「そうよ。また真田の窮地に、滝川の者が来たのだ。わしはこれに因縁めいた理(ことわり)を感じぜずにはおられぬのよ」

 そう話す昌幸の横顔は、とても楽しそうだと、信繁は思った。
「随分とあの若者を気に入られたご様子で?」
「そうじゃ、お主は気に入らなんだか?」
「いえ、私も致く気に入り申した」
 ニヤリと信繁は笑った。昌幸の顔にも自然と笑みが零れていた。

 その後、真田親子は、暫くの間そのまま語り合うのだった。もう敵の大軍が間近に迫っているというのに、二人の居るその場だけは、戦など無い、一つの平和な世界があるかのようであった。 


 次の日の朝の事である。
「今、何とおっしゃられた?」
 三九郎の驚きの声が、次の間に控える小姓たちにも聞こえていた事だろう。

「お菊を滝川殿にお預け致したいと、そう申し上げた」
 その部屋には、昌幸と三九郎が対峙するように座り、その横に信繁がおり、後ろに控えるお菊が座っている。

「今より戦が始まる。父上には、お菊が事だけが心配なのじゃ」
「しかし、昨日今日あったばかりの男に、何かあってからでは、遅いですぞ」
「それならば、それでもよい。三九郎殿がお菊を求めるならば、わしに異論はない」

 三九郎は、昌幸と信繁の言いように閉口してしまっていた。どこの世に嫁入り前の娘を良く知らぬ若い男に預ける親がいようか。しかも、その娘をモノにするなら、それでも構わないとまで言う。

「なぜ、そこまでに私を?」
「そうよなぁ~、しいて言うなら、わしの勘じゃ」
「かん?とおっしゃられるか」
「わしの勘を馬鹿にしたものじゃないぞ。何せこの安房守は、自らの勘に頼って、今日まで生きてきたようなものじゃからな」

 昌幸の妙な物言いは、偉ぶっているように聞こえるが、尊大には見えない。どこかユーモラスでもあり、コミカルにも思える。その辺りが、表裏比興の者と、亡き太閤秀吉より称せられた武将の魅力なのかもしれなかった。

「三九郎殿、ならば貴殿は、一見しただけのお菊を何故に助太刀なされた?」
 信繁の言葉に、三九郎は答えを失っていた。人は、咄嗟の時はよかれと思った行動を取るものだ。それは、三九郎自身が自ら証明している所だった。理屈ではない。そう言われれば、返す言葉などないのだ。

「三九郎様は、お菊の事がお嫌でしょうか?」
 部屋の端で控えていたお菊が堪らずに声をあげた。その眼は、真っ直ぐに三九郎に注がれている。三九郎もお菊の顔をじっと見つめ返す。美しいと思う。お菊に始めて会った時から、いや、お菊が女と知ったその時から、三九郎は、お菊の事が正直気になっていたのだ。

「相分かった。滝川三九郎も男でござる」
「おおっお引き受け下さるか」
 安堵の声が昌幸と信繁より漏れる。

「但し、一時預かりなどではない。お菊殿を嫁に貰い受ける」
「うむ、当方に異存なし」
 昌幸は、膝を打って喜んでいた。真田家の新婿は、真田と縁のある滝川家の嫡男である。

「お菊は、嬉しゅうございまする」
 お菊は、節目がちに下を向いている。それを昌幸と信繁は愛おしそうに見つめていた。

 昌幸には、この末娘の先行きが案じてならなかった。しかるべき武将へ嫁がせたいと思っていた所へ、ひょっこりと三九郎が現れたのだ。そして、見るからにお菊は三九郎に惚れてしまっていた。親として、出来る事は決まっていたのだ。余人はいざ知らず、これが真田昌幸の親としてのやり方であった。

「お菊殿、末永く宜しく頼む」
「はい、ふつつか者ですが、宜しくお頼み申します」

 二人は、遠慮がちに目を合わせては、逸らしてを繰り返している。それを昌幸と信繁も好ましいように見守っていたのだった。

 三九郎とお菊、若い二人の新たな門出に、笑みが零れる束の間の幸せの一時のようであったが、今は戦の前である。二人の仮祝言を手早く済ませると、真田家は再び臨戦態勢を整えるのであった。


「いざ出陣っ!」
 昌幸の大号令が掛かると、城中に鬨の声が鳴り響いていた。その中には、甲冑姿の凛々しい三九郎の姿もあった。

「晴れて真田家の縁者となったからには、軍の端に加えて下さいますよう」
 三九郎はそう言うと、頑として動かない。昌幸としては、新郎には城でお菊と待っていて貰いたい所であったが、今度は昌幸の方が閉口してしまう番であった。

「父上、三九郎殿は、我が隊に加わって頂きます」
 信繁のその言葉で、名将昌幸もついに折れたのだった。

「三九郎様、御武運を」
「うむ、行ってくる。留守を頼む」
 お菊は、例の皆朱の槍を三九郎に渡した。

「代わりにこれを。私のお爺様の物じゃ」
 三九郎は、そう言って、手荷物と一緒に、一丁の種子島銃をお菊の渡すのだった。それは、鉄砲名人と謳われた亡き一益の物であった。

「我が弟君は、砲術も槍術も得意と見える」
 二人の側で、信繁が声を掛ける。
「私も滝川の家に生まれし者ゆえ。しかし、得意とするのは、実は剣術でござる」

「それは、じっくりと見聞仕りたいものじゃ」
 信繁と三九郎の新たな兄弟は高笑いしている。これから、戦が始まると言うのに、まるで近所の野山に鷹狩に行くが如き、軽やかさである。

「さあ行こうか」
 快活に歩を進める二人。そんな、豪傑の兄と、頼もしき夫を静かにお菊は見送っているのだった。


 一方変わって、こちらは徳川軍の陣である。そこでは、上田城攻略の軍議が進められていた。当初、秀忠は、合戦とは為らないだろうと思っていた節がある。

 戦が始まる前に徳川軍は、その大軍をもって城を威圧し、そのまま屈服させる方法を取ろうと試みていた。つまりは、降伏勧告をしたのだ。その使者となった真田伊豆守信幸は、この使者の任を複雑な心境と立場で務める事となった。

 信之は、義兄弟の本多忠政と共に、昌幸、信繁と相対す。
「畏まって候。この真田安房守、事ここに至って手向かい申さず」

 その徳川の使者となった嫡男にその父親は、いささか度が過ぎる程の芝居掛かった慇懃な応対をして見せた。
「但し、開城までに城の煤落としをするゆえ、三日の猶予を頂きますよう」

 目前に頭を垂れて、哀願するに等しい父親の姿をみて、百戦錬磨である信幸も親子の情愛には勝てず、心の内の疑問を拭い去れないままに、秀忠に報告するのだった。

「うむ、伊豆守大儀である」
 曲者と言われて、父家康から注意するように言われた、真田昌幸の殊勝な態度に二十一歳の若者は、すっかり騙されたと見えた。

「我が父ながら、真田安房守は油断ならぬ人物、ご注意下さりませ」
「真田にどんな策があろうとも、前と今とでは、軍勢が違い過ぎる。どれ程の事やあらん」

 信幸は、父の態度に裏で何かあると思い、秀忠に言上するも若大将は、意に介そうとはしなかった。

 これは、真田を侮っていたというよりも、三万八千の徳川軍本隊という精鋭であった点と、今度こそは、真田を屈服させて見せるとの、徳川軍全体に流れる風潮のようなものが大勢を占めていた結果だろうと思われる。

 信幸は、本多忠勝の娘を家康の養女として、正室に迎えている。つまりは、徳川の縁戚になるのだが、所詮は外様であった。そして、その言も家康以外からは、軽んじられていたといって良い状況だったのだ。

 しかし、信之の懸念が形となって現れたのは、翌日の事であった。昌幸よりの書状が秀忠の元にもたらされたである。

「真田安房守よりの書状で、間違いございませぬ」
「おのれ真田め。私を愚弄するか!」
 曰く、当方籠城の支度相整いて候。然れば、弓矢を持って馳走せし候と。

 昌幸は、戦支度を整える為にわざと和睦すると見せかけて、秀忠を騙したのだと後世歴史家は賞した。しかし、準備を整えるという昌幸の言葉を鵜呑みには出来ない。思えば準備などは、すでに終えていたのではないだろうか?

 なぜなら彼は、表裏比興の者と謳われた、戦国の謀将である。ここは、秀忠を怒らせて猪突させ、計に貶める事を意図したのではないだろうか?

「伊豆守に、砥石城攻めを命ず」
 激怒して我を忘れたかに思えた秀忠であったが、命じた内容は戦略上至極まともな内容だったと言える。

 真田の支城である戸石城を攻略して、上田城を孤立無援の丸裸にするつもりであった。しかもそれを真田の嫡男でる信幸に命じ、上田城攻めの際に、万が一の裏切りを避けるために、信幸を遠ざけておく意図もあった。或いは、これは本多正信あたりの知恵かもしれなかった。

「謹んで、先陣の命を務めさせて頂きまする」
 秀忠の前で伏せる信幸は、殊更に(先陣)を強調する。信幸は、秀忠の意図を正確に理解し、在らぬ疑念を排する為と、自らを守るために、武人として名誉ある先陣を務めるのだと内外に示したと言えた。

 その後、戸石城は、城を守る左衛門佐信繁が城を戦わずして撤退した事により、信幸の不戦勝となった。信幸は徳川軍内で功を立てて面目を守り、真田家は同士討ちを避けて、戦力を温存出来た。ここまでの事が、滝川三九郎が上田平に来てから、起った事柄であった。

「次は昌幸の番じゃ」
 秀忠は、着々と上田城攻略の為の策を進めていた。城攻めを始める前に、秀忠は、家臣の牧野康成に命じて、周辺の稲刈りを行い、物心両面から真田を疲弊させる戦法と取った。そうすれば、真田軍がそれを阻止する為に出陣せざるをえない事を予期しての事であった。

 丁度秋の頃である。頭の垂れた稲穂が刈り尽くされては、領民共々飢えて死ぬしかなくなるのである。そして、秀忠の読み通りに、真田軍は、討って城を出る事を決めたのだった。

 真田隊数百名が徳川を攻撃すべく討って出ると、待ってましたとばかりに、隠れていた本多忠政の部隊が側面より攻撃を仕掛けた。これによって、真田の前衛部隊は、総崩れとなって、城に退却を開始し、これに追撃を加えて一気に上田城を攻略しようと、德川軍は大挙して我先に、真田という餌に喰らいつこうとしたのだった。

 しかし、この時点ですでに真田昌幸の計略に嵌ってしまっていた事になる。昌幸は、逃げてきた味方の部隊を城に入れる為に、城の表大手門を仕方なく開け放つと見せかけた。

 そのまま敵が殺到して門を閉められないように取り付き、第一次関門を突破された形となった事で、勢いに乗った徳川軍は、そのまま一気に突破すべく、次の門に殺到した。

 しかし、戦況を見ていた昌幸は頃合い良しとばかりに、馬に跨り、采配を振るったのだ。

「今ぞ、敵を一人も生きて返すな!かかれーっ」
 昌幸の大号令が下ると、控えていた鉄砲隊が殺到している徳川勢目がけて、一斉射撃を開始した。辺りに銃声が鳴り響くと、バタバタと倒れる徳川勢は、反撃を始めた真田軍により、大混乱に陥った。

 戦況が分からず、当初の勢いのままに城に迫る後方の徳川勢と、真田の反撃により、形勢不利となり、撤退を試みる先鋒隊とが城の内外でもみくちゃとなってしまい、余計に混乱を助長させていたのだった。

 そして、ようやく一時の混乱を回収すべく、徳川軍が城より撤退を開始すると、今度は、城下町にて、あらかじめ用意してあった柵により、バリケードが設けられていた。これが徳川の行く手を阻んだ。

 これらは、上田の領民が真田を助けようと、徳川軍が城下町を通り城へ迫った頃を見計らい、敵を封じ込める為に設けたものであった。領民たちも一軍に加わり、或いは竹槍や熱湯や石つぶてなどで、敵を撃退した。
 
 戦が始まる前に、昌幸は領民に対し、手伝えば恩賞を取らせると約束していたのだった。しかも、徳川軍が刈田戦法を取った事で、農民を手懐け、徳川軍を上田城下総ての敵と見なして、作戦に組み込む事に成功していた。この点、昌幸の機転と言えた。

 しかし、真田軍の躍進はここで終わらない。前夜の内に、城の外に潜んでいた真田信繁隊は、手薄となっている秀忠本陣目掛けて、突撃を開始したのである。そして、この一隊には、滝川三九郎も加わっていたのだった。

「義兄上、そろそろかと」
「うむ、行こうか」
 その一隊は、二百とも三百とも言われるが、大よそ小勢であった事は間違いない。それがその何十倍といる徳川本陣目掛けて、突っ込んだのだ。

「掛かれーっ」
「行けーっ」
 三九郎も皆朱の槍を奮って、働いた。滝川家の名に恥じぬ戦振りで、幾人かの敵を屠った。この奇襲攻撃が止めとなり、徳川勢は総崩れとなった。総大将である秀忠は、家臣により馬に乗せられると、命からがら小諸まで落ち延びて、軍勢を再編するはめとなってしまったのだった。

「勝鬨じゃ、勝鬨と挙げよ」
「えいえいおーっえいえいおーっ」
 上田平に歓喜が鳴り響いていた。領民も挙って歓び、上田城下は、その夜お祭り騒ぎとなっていた。

 一方敗れた秀忠は、すぐに再戦すべく準備を急がせていたのだが、そこに父家康からの急使が届いたのだ。

 曰く(九月九日までに美濃赤坂に着陣すべし)

 使者が到着したのが、すでに九月八日であった事から、(途中大雨の影響で、川が氾濫し、到着が遅れた)上田城攻略を断念し、一部の抑えの軍を残して、美濃方面へ転進を余儀なくされたのだった。

「無念である…」
 徳川家康の嫡男として、輝かしく初陣を飾るべきだった徳川秀忠にとって、終生忘れられぬ恥辱のデビュー戦となってしまった。そして、勝った真田昌幸は、二度に渡って天下の徳川軍を相手に、城を守り抜いたのであった。

「三九郎殿も、ようやって下された」
 城に戻ると、昌幸が三九郎と信繁を出迎えてくれた。すでに城中はお祭り騒ぎだ。皆が踊っている。

 三九郎も誇り高い気持ちを表現するかのように、皆と共に踊った。この戦勝祝賀の祭りは、三九郎とお菊の本祝言も兼ねていた。三九郎は、盃を干すと、もう一度、踊りの輪の中に入って行く。その姿を昌幸と信繁と、花嫁姿のお菊とが頼もしそうに眺めていたのだった。
 
しおりを挟む

処理中です...