肱川あらし

たい陸

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序章

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 大寒の朝霧、辺り一面が白で覆い尽くされる日、伊予の大洲肱川には、龍が走るという。

 まだ夜が明けきらぬ暗がりの中、将策は自室の障子戸を静かに開けると、そのまま音を立てぬように家を後にした。思っていたよりも寝過ごしてしまった様子に、心ばかりが焦って仕方がない。ただ足取りは、軽やかに駆け出していた。

(真っ白じゃ、今日こそ出るに違いない!)

 家から出てすぐに、一面の白さに驚く。隣家がはっきりと見えない程の霧がかかっていた。一歩を確かめるように急ぐ。将策が進む長浜街道の横には、広大な肱川が流れている。

 その肱川の下流付近、冬場の限られた期間に、大洲盆地の山々より発生した霧が、その気温差によって、一気に肱川河口を下る「肱川あらし」と呼ばれる現象が起きる事があった。将策は一人でそれを見に行こうとしていた。

 しかも、将策が見たいのは、ただの肱川あらしではない。それは、数年に一度、霧が神の化身と言われる龍の顔を模した、特異な現象を目撃するためであった。

 将策が見ると、すでに肱川あらしが発生し始めていた。川岸の良く見える場所へ、腰を降ろすと、水筒から一口喉を潤した。

 そして、持参した風呂敷を背より降ろすと、弁当代わりの握り飯を一気に頬張る。将策の母が、早朝、行き先も告げずに出掛ける息子の為、察して作ってくれた握り飯であった。

「うん?あれはそうか?」

 勢い良く立ち上がったせいで、川岸より落ちそうになるが、構う事なく、また駆け始める。霧の行方が変わったのだ。その霧の速度に追いつき、先頭の顔を拝む為、将策は駆け続けていた。

 そして、もうすぐ長浜湾に達する間近まで迫った時、朝陽の一番光が将策の両眼へと飛び込んで来た。思わず足を止めて、瞼を閉じる。そして、再びゆっくりと目を開け、よくよく刺激を受けた両眼を開いたその時であった。

「龍じゃ、龍がおるぞ…」

 その霧の顔は、正に龍そのものであった。その眼や髭、特徴的な立て髪も、龍のそれであった。将策は、暫し呆然と、その活き物の咆哮をただだまって立ち尽くして、観続けていた。その日、大洲肱川には、龍が泳いだと言う。記録には無いが確かな事であった。
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