肱川あらし

たい陸

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第三章~志が躍れば~

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 脱藩した将策と千代之助は、街道をひたすら駆け続けていた。目指すは、藩主泰祉の元へである。

 二人の道程であるが、まず大洲藩を抜けると、陸路で三津浜(現松山市)まで行き、そこより舟にて、尾道まで渡海するとある。その後、再び東海道の藤枝まで、陸路にて五日で駆けたと、後年、将策本人が記した手記に示してある。

「貴様ら、何者か?」

「大洲藩士井上将策、同じく森本千代之助、申し上げたき儀有之。お願い仕る、お願い仕る」

 大名に直訴を行うとどうなるかは、想像に難くない。直訴ではないが、現にこの一年前の文久二年八月に、有名な生麦事件が発生し、イギリス人が薩摩藩の行列を妨げた事で斬り殺されている。

 武田敬孝が将策らに命懸けと言ったのは、正にこの事であった。

「何事か?」

「どうやら、直訴の様子。どうなさりますか?」

「その者の名は?」

「井上将策、森本千代之助と名乗っておりまする」

「井上?よし会おう。連れて参れ」

 将策の手記には、藤枝の本陣に至りて、藩主泰祉に謁し、建白書数冊を出し迫る。と記してある。

「殿、時代は危急存亡の秋にございまする。是非とも、我らが願いをお聞き届け下さりますよう」

 将策と千代之助は、本陣の間において、藩主泰祉と会っていた。藩主と藩士と言っても、身分が違い過ぎて、会う事は始めてであった。

 無論、泰祉の顔を遠くに見た事はあったが、このように同じ場で言葉を交わす事など、夢のまた夢といった所であっただろう。

「そなたが、可笑しな侍という井上か?話しは弟より聞いておる」

 思いがけない、主の言葉に、将策はとっさに顔を上げて、泰祉を直視してしまう。

 途端に、「無礼者」と、側近の者に叱られ、またすぐに平伏する。将策が一瞬見た主の顔は、好青年だが、いたずらっ子のような無邪気な顔をしていると思えた。

 大洲藩主である加藤出羽守泰祉は、この時二十歳。父泰(やす)幹(もと)の急死により、十歳で家督を継いでからの十年間は、順風満帆とは言い難い、苦難の連続であった。

 家督を継いで、二年後の文政十一年に、大洲藩内の菅田で、農民百四十人が免税処置を求めて、河原に集結し、一揆に及ぼうとした事件が勃発。城より、藩主泰祉からの直言を与えて、事なきを得ている。

 また度重なる肱川の氾濫や、凶作が続くなどの天災にも悩まされ、藩内に省略令を出して、自ら質素倹約に務め、参勤交代が無い年などは、藩内を自ら巡察して廻るなど、精力的に活動している。

 そして、昨今の諸外国との問題に加えて、日本国中に攘夷と開国の嵐が起きつつある現在であった。

「よい。私は常々、下々の声を大切にせよと言うてきたではないか?井上、森本、そちらの話しをじっくりと聞かせて貰おうぞ」

 泰祉の声は、穏やかではあるが、若いのに威厳があり、他を圧することなく、納得させる力があった。

「ははっありがたき幸せ」

 将策は感激の至りとはこの事だと思っていた。泰輔様が自分などの事をお殿様に話していてくれた事、建白書に同意してくれた同志諸兄、導いてくれた敬孝などを思って、胸に迫っていたのだった。

 横目で見ると、千代之助が泣いているのが目に入る。千代之助も同じ気持ちなのだと、この時は、考えていたのだった。

 その後、暁に至りて、満足の沙汰あり。翌朝より一行に陪従すると手記にある。快挙であった。たかだか十石取りの一藩士が藩主に直訴をし、採用されたのである。

 この時の建白書の内容だが、身分に係らず、才能ある士を召し抱える事、西洋の文化を取り入れ、主にその銃砲を良くして、富国強兵に務める事などが書かれてある。

「もっとその方らの話しを聞かせてくれ」

 藩主泰祉は、弟君と一緒で、好奇心旺盛にして、将策らの話しを聞きたがった。 

「殿、黒船が必要にございまする。黒船は強うござる」

「井上より強いか?」

「はい、私が何十人居ても敵いません」

「そなたは誠に面白き侍じゃ。私の周りには、黒船など、一刀に斬り捨てると勇ましい言葉ばかりじゃ」

 泰祉は、どうやら将策の事を気に入った様子であった。その後も、何度も一緒に話す機会を得て、三人の間には、一種の輩(ともがら)に対する気持ちまで、芽生え始めたようであった。

 年のそう離れていない立場の違う若い侍と、こんなに長い時間をかけて話す事など、泰祉には無かったのかもしれない。将策は後年、この時の事をずっと忘れずにいて、繰り返し家族に話して聞かせたという。

「将策、俺は思い残す事がない心地じゃ」

 千代之助はそう将策に言ったが、将策にも、その気持ちは分かっていたつもりであった。つもりだっただけだったと、将策が気づくのは、この後に起る事件後の事になるのである。



 文久三年八月十五日、大洲藩一行は、京の都に至っていた。京に入ると、意外な人物が将策らを迎えてくれたのだった。

「来たか、井上、森本」

 武田敬孝その人であった。敬孝は、山本尚(ひさ)徳(のり)、中村俊(しゅん)治(じ)ら、勤皇派の同志と共に、京都へ周旋方として派遣され、風雲急を告げる京の都において、各藩の藩士達との交流や、公家への饗応を行い、情報収集に当たっていたのだ。 

 そして、朝廷より、藩主泰祉へ、滞京命令が下るように、加藤家とは姻戚関係にある公家の徳大寺公(きん)純(いと)の力添えを受けて、泰祉は、時の帝である孝明帝に拝謁し、京都守護の任が与えられるという栄誉を受ける事に成功している。

「いよいよだぞ。我が大洲藩が帝を守護し奉り、日の本が生まれ変わるのじゃ」

 敬孝は得意気に、将策らの若手藩士を集めては鼓舞して廻った。この時期、敬孝を代表として、大洲藩では勤皇活動を行っていたのであったが、その活動の多くを長州藩の志士たちと連携を密にしていた節がある。

 しかし、その長州藩が発端となる、京の都を中心とした大事件が起こってしまう。

 そう、八月十八日の政変である。元々、京における攘夷派の代表的な藩と言えば、長州藩であった。

 当初は、朝廷も長州こそ、頼りに足る大藩であると考えていた。しかし、長州はやり過ぎたのだろう。

 五月十日に、アメリカ船を幕府に許可無く、砲撃を加えたのを手始めに、フランス船、オランダ船も攻撃している。しかし、これに続いて、攘夷を決行する藩は無く、長州は孤立を深めていった。

 そして、天皇の大和行幸を画策し、無理矢理に、朝廷と幕府とを巻き込んだ攘夷実行を計画するも、公武合体派である薩摩藩と会津藩とが手を組み、勤皇派の他藩もそれに加わった事で、長州の失脚は、秘密裏に決定したのだった。

 これにより、長州藩は、京の都を追われてしまったのだ。

 大洲藩もこの時、皇居の警備に藩主泰祉自ら、二百八名の藩兵を率いて参陣している。

 将策はこの時、探索役を仰せつかり、関白鷹司輔(すけ)煕(ひろ)へ謁見し、会議するとある。

 その後、八月二十五日には、京都市中も平穏となったので、朝廷の警備も一段落を迎え、諸藩でも帰国する藩が出始めていた。大洲藩は、九月十日頃まで、市中警備を務めている。

 そんな中、朝廷より長州藩及び、長州藩より落京した、七公卿らの処遇についての諮問があり、泰祉は寛大な処置を望む旨を上奏している。

 元々、大洲藩と長州藩が親密であった事と、幕府が朝廷に約束した、攘夷決行を代わりに長州藩が行った事などを理由に挙げている。

 しかし、この事が、大洲藩内を更に混乱に陥らせる遠因となってしまうとは、泰祉自身も思ってもみなかった事だろう。

「殿様は一体どうなさるのか?幕府にこのまま尻尾を振り続けるのか」

 一部の過激化が進んだ若い藩士たちが、先の政変で、長州藩を結果的に裏切ってしまった事に、不満を感じ始めていたのだった。

 佐幕か勤皇か、攘夷か開国か、様々な意見、議論を重ね、藩が二派で分裂しかねない様子であった。この時期、日本国中の藩や大名がどう動くべきか、動かざるべきかを苦悩していた事であっただろう。

「藩論を一つに纏めましょう」

「殿の御威光にて、藩をお導き下さりませ」

 将策は、敬孝や千代之助らと供に、そう泰祉を諭した。それしか、暴発寸前の藩士たちを納得させる術はないだろう。

「相分かった。帰藩後に、家臣一同へ申し伝える」

 泰祉はすぐに意見を採用してくれ、これで一件落着かと思ったのだが、どうやら一度流れの中に出来てしまった渦は、そう簡単には、将策らを逃してくれそうになかったのである。

 以前より不満を燻らせていた若い藩士達が、とうとう脱藩してしまい、挙兵した過激な志士たちと合流を謀ったのである。

「千代之助、心当たりはあるか?」

「任せろ。こっちじゃけん」

 泰祉より、脱藩組を連れ戻すよう命じられたのは、将策と千代之助であった。千代之助が地図上で示したのは、但馬国である。

 この時、勤皇の志士を自称する脱藩者が目指す場所と言えば、八月に挙兵して、帝の大和行幸を目指した、土佐藩の吉村寅太郎を中心とした天誅組であっただろうが、この時すでに、幕府に鎮圧されている。

 そして、この但馬国において、長州藩の平野国臣を中心とした志士たちが、挙兵を企んでいた。生野義挙である。

 生野の代官所を急襲し、農兵を募ったこの反乱軍は、最初士気も高く、京の都に近く、勤皇の志篤い者達が多い土地柄の為、大いに成功の可能性があるように見えた。しかし、その内実は、義挙とは程遠かったと言えた。

「さすが元脱藩者じゃ。良く気持ちが分かるのう」

「お主もじゃろうが」

 将策と千代之助は、数名の藩士と一緒に抜け出した若人たちを無事に発見し、説得して連れ戻す事に成功する。

 一つには、生野で起った挙兵の企みが漏れ、内部の意志が統一されぬまま、わずか三日で終焉を迎えた事が原因であった。行く宛ての無くなった藩士たちが呆然としていた所で、将策らが追い付いたのだった。

「殿が直々に、今戻れば不問に付すと仰せじゃ。今は時ではない。我々の力を役立てる時を待つのだ」

 この言葉により、すべては決したと言えた。天誅組の変も、生野義挙も短期間において、鎮圧された。

 これを機に攘夷派、勤皇派と呼ばれる志士たちは、長州藩の失墜と共に力を弱める事になる。

 長州藩を破り、将軍家は、再び幕府の力を見せつけたかに思えたが、一度火が付いてしまった時代の炎は、そう簡単に消せるものではなかったのであった。



 無事にお役目を果たした将策と千代之助は、京へ戻ろうとしていたのだが、途中で大坂へ寄る事となった。

「寄り道がしたいが、構わぬか?」

 藩邸へと戻る途中に、千代之助が突然言い出した為だ。

「どこに行きたいんぜ?」

「大阪じゃ」

 千代之助は、それだけを言うと、スタスタと歩き出してしまった。いつもと違う親友の態度に戸惑いながら、将策は仕方なく、その後ろを追いかける。

「大阪で何をするんぜ?」

「人探しじゃ」

「誰ぜ?」

「妻じゃ!」

「妻?」

 そう言った所で、千代之助は、振り返って将策を見る。見るというより、まるで睨めつけるような眼差しである。その眼は、血走っているように見えた。

「お冴殿が如何した?」

 将策は、自分も会った事のある千代之助の奥方の名前を殊更、丁寧な口調で口にしたのだった。そうする事で尋常では無い、友の様子を少しでも和らげるつもりでもあった。

「男じゃ!」

 しかし、将策の思いも虚しく、千代之助は、再び将策に背中を見せると、吐き捨てるようにそれだけを叫んでいた。

「何でじゃ?」

「知らぬ。いや、知りとうもないわ」

「追ってどうするんぞ?」

 その将策の問いに、千代之助の左手だけが反応し、カチリという音と共に、刀が鞘から放たれる音だけがしていた。

「どうあってもか?」

「藩邸に妻を見かけたという者がおった。もういけん」

 千代之助のその絞り出すような声に、将策もコクリと頷く他なかった。

 江戸時代の武士は、特に礼儀を重んじ、恥をかかす、かかされる事を良しとしない。されてはいけないと教育されて育つ。

 それは、現代に生きる我々にも通ずる概念であろうが、この時代を生きる者が恥をかかされたと思えば、死を賭すのが当たり前の世界となる。

 妻が密通をすれば、離縁すれば済む話である。しかし、男と一緒に駆け落ちしたとなれば、またそれが他方に知れたとなれば話は別である。

 噂を流され、妻を奪われた男との烙印を押された武士が出世する道は無い。そうなっては、武士としては、道を閉ざされたも同然であった。

「妻(め)敵討(かたきう)ち」

 という。つまりは、逃げ出した妻と、その相手の男を正々堂々と討つのである。討って名誉を回復する。それしか、千代之助に残された道は、無かったのであった。

「あれは元々、奪った女子じゃけん」

 道すがら、千代之助は将策に、今までの事を語って聞かせた。今まで誰にも話せなかった秘め事を暴露した事で、一気に堰が崩れたような語り口であった。

「妻は権右衛門の幼馴染じゃった」
 
 千代之助の話しによれば、権右衛門とお冴は幼馴染であり、両家でも行き来のある、お互いの家格も釣り合う間柄であった。

 当然の事ながら、両家ともにゆくゆくはと思っていた節があった。両人ともに心苦しくなく想っていたようでもあった。

 しかし、時が流れて、お冴の父親が、ある事件に巻き込まれる形で、蟄居生活となってしまう。折悪く、その頃には、権右衛門もお冴も年頃となっていた。

 しかし、婚姻どころか、婚約すら難しい状況であった。権右衛門は待った。両親に説得されようが、良縁の縁談を断り続け、独り身を通した。一途に、お冴の父親の蟄居が解かれ、晴れてお冴と夫婦になる事を願って。

「しかしな、お冴の父親は、蟄居が解かれる前に、死んでしまったのだ」

 流行病にて、あっけない最期であった。これで、権右衛門とお冴との縁は切れた。本来であれば、ここでお冴の家も断絶する所であった。

 そんな時に、末期養子の形で若い千代之助の元へ、森本家への婿養子入りの話しが入る。千代之助は、生家では次男坊であった。

「願ってもない話しじゃ」

 森本家は、千代之助の生家よりも家格は上であった。そして、お役目もそのまま引き継げるという。千代之助は、この話を了承し、お冴を娶り、森本家を継いで、森本千代之助となったのであった。

 対する権右衛門は、お冴の事を忘れられないのか、未だに独り身を頑なに貫いている。

「奴は永田家の嫡男だというのにな…」

 将策と千代之助の二人だけの道中であった。藩邸にすぐに戻らなければ、今一度脱藩したと見なされる事も考えられる道程であった。

「将策、前に奴の眉の傷の事を聞いたな?」

「ああ」

 それは、千代之助が森本家へ、婿養子入りする事が正式に決まり、後は婚礼の日を待つだけとなったある晩の事であった。

 千代之助は、連日方々へ、挨拶周りに出掛けており、この日も遅くまで訪問した先で、饗応を受けていたのだ。

 そして、すっかりと日が暮れて、夜道を一人家路に着こうとした時であった。背後よりいきなり襲われたのだ。

 千代之助は背中に傷を負ったが、深手には至らず、何とか反撃を試みて、相手の顔辺りに一太刀を見舞ったのである。

「相手は何も言わずに、背後より一太刀。夜道でも覆面をして、顔は分からぬ」

 千代之助が襲われたのは、それが最初で最後であった。犯人が権右衛門である事は、後日、眉の傷を見てすぐに分かった。しかし、千代之助は、この事を誰にも言わなかった。妻になるお冴にさえも。

「永田家は、家老の縁戚じゃ。眉の傷だけでは、どうにも出来ぬ」

 千代之助は、殊更に表情を変えずに、淡々とした語り口であった。奇妙な事に、その後権右衛門からの妨害は何も無く、千代之助は、無事祝言を挙げる事が出来た。 

「言えば、自分が背後より襲った事が分かる。奴は執念深い男だ。油断はするなよ」

 将策はそう言うのがやっとであった。二人はいつの間にか、大坂への道を駆け始めていたのだった。



 二人が大坂に着くと、まず向かったのは、大坂東町奉行所であった。まずここで、妻敵討ちを行う為に、届け出を出すのである。

 無論大洲藩にも届出をするのが当たり前だし、江戸町奉行所や、日本全国の関所にも働きかけて、お冴と間男をお尋ね者としなければならない。

 当時は侍だからと言って、勝手に斬捨ててしまえば、罰せられるのが当たり前であった。可笑しな話ではあるが、人を斬るのに、正当な理由と手続きとが必要な時代であったのだ。

 届け出を済ませると、二人は出奔した男女が、立ち入りそうな場所を探索して周った。しかし、二人の行方は、すぐには分からない。武家の奥方と奉公人であれば、この大坂には山ほど居るだろう。

「一旦、大坂の藩邸に行こう」

 探す手掛かりさえ掴めない二人が、藩邸へ顔を出すと、意外な人物が出迎えてくれた。

「徳さん、ここで何しとるんぜ?」

「将さんじゃないか。どうしたんぜ?」

 出迎えてくれたのは、何と徳太郎であった。徳太郎は、若様に許された、上方での手漉き和紙の勉学の為に、ここ大坂まで来ていたのだった。

「今、人を探していてな」

 丸顔の徳太郎の笑顔に、張りつめていた糸が一気に和らぐ。

「そういや、わしの弟弟子じゃった駒吉が顔を見せてな。ほれ、祭りの時におったじゃろ?知り合いの伝手で、大洲の屋敷に奉公に出したんじゃが…」

「駒吉?」

 その名前を聞いた千代之助の顔色が変わった。

「なんぜ?あんた知っとるんかい?」

「その駒吉なる者、一人だっったか?」

「いや、奉公先の奥方を連れていたから、きっと使いで来たんじゃろう」

「御免!」

 徳太郎の話しを最期まで聞かずに、千代之助は走り出していた。

「おい、どうした?徳さんすまん。また今度じゃ」

 そう言うと、将策も千代之助を追いかける。

 徳太郎の話しによれば、この先にある大洲藩邸の所有する蔵屋敷に向かったとの事であった。そこで、一体何をしようとしているのだろうか?

「千代之助待て!」

 将策の声も届かずに、千代之助はどんどんと走って行ってしまう。将策は駆けながら、こんなに友が早く走れる事に驚いていた。

 そして、とうとう千代之助の背中が見えなくなり、それでもようやく息を切らしながら、目指す蔵屋敷に着いたその時であった。

「ぎゃーっ!」

 一人の男の叫び声が、将策の耳にも届いてくる。肩で息をしているのを堪えながら、一つ息を吸い込んで、声のした方へと再び駆ける。

(遅かったか…)

 気が焦りながら、門を勢い良く潜ると、倒れている男と、刀を振りかぶった友の背中と、その場に項垂れて座り込む、一人の女の姿が見えた。

「待て!千代之助」

「参る。覚悟!」

 その瞬間、女がこちらを一瞬見た。将策と目が合った。確かに合った。そして、その眼は少し微笑んだように、将策には見えた。しかし、その視線が再び、将策と交わる事はなかった。刀は空中を旋回すると、すべてが終わった後であった。

 千代之助は一言も発せず、二人の返り血で朱に染まった顔を拭う事なく、将策は、そんな千代之助の様子を、友が鬼の形相で息を切らして、立っている姿を、ただただ見つめ続けるしかなかったのであった。
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