肱川あらし

たい陸

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第四章~一文と一分~

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 文久三年(1863)十月、将策は藩主泰祉一行と供に、大洲藩へ帰国していた。しかし、その姿は大洲城下にも、自宅のある五郎村にも無い。

 十月二十七日に沙汰が下り、蟄居処分となって、惣津村の長泉寺という所に居たのである。

 罪状は、妻敵討ちの際の藩への不行届の為であった。千代之助は、事前に藩へ届け出をしたが、その裁可が下る前に事を決してしまった為であった。

 厳しい処置ではあったが、昨今、藩士による脱藩や、町民、農民による逃散が相次ぐ事例が多発しており、仕方ない事でもあった。

 千代之助は、自宅にて謹慎処分ではあったが、もっと罪は重く、永居謹慎であった。つまり、いつ解かれるか分からない処遇である。

 奇しくも、義父と同じ目にあってしまい、先日の妻敵討ちの件も相まって、森本家に祟る禍いだと、城下で噂となっていたのだった。

 この時期の将策の足取りは判然としない。寺の和尚に師事し、漢詩にて、蟄巡懐を著すなど、平穏だが無為な日々を送っていた。

 そんな将策の元へ、豊川嘉一郎が訪ねてきたのは、年が改まった元治元年四月に入ってからの事であった。

「私は怒っているのですよ」

 将策の顔を一瞥するなり、嘉一郎はむくれた顔をして言う。

「井上さんは、私に一言もなく、脱藩までして殿様に直訴し、挙句の果てに蟄居だなんて」

 年少の嘉一郎を気遣って、声を掛けなかった事に対する、それが嘉一郎なりの謝意の示しかたであったかもしれない。

「井上さんの蟄居は、国嶋先生のご助力で、解かれる事になりました。良かったですね」

 嘉一郎がわざわざ惣津村まで訪ねてくれたのは、この事を一日でも早く、将策に報せる為であった。ありがたい事であった。将策は、大洲城下の方向へ向かって、一礼をした。

「御城の様子は?」

 嘉一郎にも謝意を言った後に、将策は、自分が謹慎していた間に起った事をまず知りたがった。

「お殿様が、勤皇で藩論をまとめるとのお触れを全藩士に向けて、発せられました」

 泰祉は、文久三年十月に帰藩した後、すぐに全藩士を集めてお触れを出した。

 そして、それでもまだ佐幕や公武合体論を捨てきれない藩士に対して、元治元年五月に今一度勤皇で、藩論を統一するとの訓辞を示している。

 また弟の泰秋を政治相談役とし、藩を挙げて、勤皇に力を注ぐ事を表明したのだった。

「他には何かないか?そう言えば、千代之助はどうしておる?わしのように、そう易々と蟄居が解かれるとはいかないだろうが…」

 将策が千代之助の事を聞いた瞬間、嘉一郎の顔が陰る。

「まだ…存知てないのですか?」

 何とか絞り出すといった表情で、嘉一郎はそう言う。そして、それっきり、下を向いたまま、しゃべらなくなってしまった。

 そんな嘉一郎の様子に、千代之助に何があったのかを将策は悟ってしまったのだった。

「奴は…千代之助は、まさか死んだのか?」

 その問いに、嘉一郎は黙っているだけで、答えようとしない。将策は、自分の中で、何かが強烈に壊れるような音を聞いた気がしていた。

 そして、嘉一郎の両肩に、自らの両手をついて思いきり揺さぶる。二人とも無言で、揺さぶり、揺さぶられ続けていたのだった。

(何故じゃ?…)

 その問いだけが、将策の頭の中を反芻していた。

「国嶋先生に…」

 長らくの沈黙の後に、嘉一郎が、何とか絞り出した言葉がそれであった。それを聞いた将策は、嘉一郎の肩からようやく、手を放した。

 嘉一郎の肩は、大きな将策の手の強さが暫く残っているのだった。将策はすぐにでも出発出来るよう、荷物を纏めに部屋へと戻る。嘉一郎は、その背中を黙って見ているしかなかったのであった。



 将策と嘉一郎が国嶋邸に到着したのは、もう夜中になってからであった。壮年の男でも、一日以上は掛かる道程を文字通り駆けて来たからだ。

「夜分に御免、国嶋先生に御取次ぎを。井上将策で御座る」

 藩の重臣であり、我が師と仰ぐ人物に、大変な非礼ではあったが、それでも将策の心中は疑問と怒りとで、どうにかなりかねない様子であった。

 暫くして、何度も門を叩く音に反応して、くぐり戸を開けてくれたのは、六左衛門の長女であった。
 
 非礼を詫びると、屋敷内に通された。暫く待っていると、まだ起きていた様子の六左衛門が迎えてくれた。

「お奉行様、井上将策戻って参りました。数々のご助力と、非礼をお許し下さい」

 顔を上げると、六左衛門は、深夜の来訪にも笑顔で応対してくれた。

「将策、よくぞ戻った。嘉一郎を迎えに行かせたのはわしだ。そうすれば、お主の事だ。夜中になっても訪ねて参ると思っていたわ」

 そう言うと、六左衛門は、道中に冷えた二人の身体を気遣って、暖かい酒を振舞ってくれる。その少し温め(ぬるめ)だが、骨身に染みる酒を一気に胃袋に流し込むと、思いの丈を奮うべく、勢いよく杯を置く。

「将策よ、そう急くな。そなたが聞きたいのは、友の死についてだろう?千代之助に何があったかを知りたいか?」

 それを口にした六左衛門の顔には、先程の笑みがすでに無くなっている。二人はそれに言葉無く頷いて答えた。

「ならばこれを…」

 将策と嘉一郎の前に、六左衛門が懐より一枚の紙を取り出す。それを受け取ると、二つに折ってあるその紙をそっと広げた。

(将策、妻に非(あら)ず…)

 そこには、その一文だけが記されていた。その言葉の意味を計りかねて、将策は嘉一郎に紙を渡す。すると書かれた言葉を見た嘉一郎も怪訝な顔を向ける。

「それだけだ。他には何もなかったそうじゃ」

 六左衛門は、悲しそうに嘆息すると、それだけを言った。

「自害したのですか?」

 そう口にした将策の声は、自分でも震えていると思った。六左衛門は一つだけ頷いた。嘉一郎は黙って、下を向いていたのだった。

 藩の発表によれば、前途を悲観しての自害であるだろうと。短刀で自ら胸を一突きしていた。例の文字が書かれた紙は、千代之助の袖口に入っていたのを親族が後日発見したという。

 ならば、それを認めたのは、死の直前という事になるだろう。その他には何もなかったという。

(解せない…)

 直感的に将策はそう感じていた。几帳面な性格の千代之助が、自ら死を選ぶのならば、辞世の句や、親族や師に充てた書状などがあっても不思議ではない。

 しかし、それらは何も無く、ただ自分宛に書かれた一文があるだけであった。まるで、急いで殴り書きしたかのような文字で。そして、気になる事は、まだ他にもあった。

「奴が千代之助さんを殺したのに決まってます。自死を装って」

 嘉一郎が口にした奴とは、永田権右衛門の事であった。千代之助の自死が発見された日の夜から、権右衛門も何処かへ、姿を眩ましていたのだ。

「殺しの発覚を恐れての脱藩に違いない」

 嘉一郎の声には、明らかな苛立ちが現れていた。

「落ち着け、そうと決まった分けではない。将策、この一文は全く心当たりが無いか?」

 師の問いに将策は考えていた。妻に非ずとは、どんな意味があるのだろうか?

 千代之助と供に、その妻であるお冴を確かに妻敵討ちにて、殺したのは間違いない事実であったから、その一文が余計に将策を混乱させていたのだった。

「何か思い当たる節があれば、いつでも言いなさい」

 その日は、それでお開きとなった。突然の死を迎えた友の謎を求める為に、将策は何が出来るのかを考える必要に迫られる事となってしまった。



 謹慎処分が正式に解かれてから、一ヶ月後の元治元年五月に、将策は再び大洲を後にしていた。今度は脱藩ではなく、文武修行として、正式に藩に認められての旅であった。

「京と江戸の内情を探ってきてくれ」

 そう言って将策を送り出してくれた六左衛門が、藩に掛け合って実現した事であった。だが、将策には別の目的もあった。勿論、千代之助の真実を明らかにする為に、消えた権右衛門の消息を探る為である。

 消息を絶つ前より、権右衛門は、六左衛門の元にも顔を出さず、どうやら、藩の佐幕派の連中と繋がっているのではないかと、六左衛門は考えていたのだった。

「京の都が怪しいと思います」

 当然のように将策の横で歩いている嘉一郎がそう力説していた。将策も同じ考えであったから、まずは京の都へ、再上京する事にしたのだった。

 京の都に着くと、以前来た時に比べて変わってしまっていた。そこまで月日が流れた分けでも無いのにである。あの時より、浪人の数がめっきりと減ってしまっていた。

 あれだけ気勢を上げていた勤皇の志士たちは、一体どこに行ってしまったのだろう。昨年の八月十八日に起きた政変で勤皇の旗頭であった長州藩の権勢は地に落ちた。

 長州藩のおこぼれに預かっていたような口だけの浪士たちが、見限って京を去ってしまったのだ。

「あれだけ侍が、闊歩していたというのに」

 現在の京の都の状況を見て、愕然とした思いだった。

「一体、この国はこれからどうなってしまうのか…」

 思わず嘆息してしまう。

(藩と藩との争いが、日本全体を疲弊させてしまっている)

 これまでの日本は、幕府を中心とした幕藩体制で成り立っていた。それが、諸外国からの圧力に屈している幕府の弱腰な姿勢を見て、これでは外国の植民地となってしまうと危惧した日本中の若き志士たちが立ち上がった。

 それが幕府に替わって、天皇を中心とした政治を行うという勤皇思想であり、その先駆けが長州藩であった。

 若い志士たちの国を憂う志が、やがては藩全体を動かし、大洲藩でも勤皇思想を藩の統一とした行動指針とした。このような藩は、他でも多く出てきた。時代は動き出したのだ。

 しかし、今や勤皇の志士などと京の都で叫べば、会津藩お預かりの新撰組か、幕府直臣の子弟で構成された京都見廻組によって、たちまちに捕らえられてしまうだろう。

(しかし、幕府には、もう往年の力は無い…)

 聞けば、近年幕府は、フランス政府に力添えを頼んで、権力死守に躍起になっているという。このままでは、勤皇藩を支持するイギリスか、幕府を支持するフランスに、或いは、その両方か、アメリカに乗っ取られてしまうだろう。隣国の清国のように。

「そうならぬ為には、一体どうすれば良いのか…」

 将策と嘉一郎は、少し暗い思い気持ちを引きずるように京の都を彷徨っていた。まるで、暗闇の中で、光を求めて彷徨うように。

「これが大洲和紙じゃけん。見て行かんけん」

 そんな二人の耳に聞き馴染みのある言葉が飛び込んでくる。二人は引き寄せられるかのように、声のする方へ近づいていった。

「徳さん、徳さんじゃないか?」

 声の主の顔を見て、将策は驚いていた。徳太郎は、大坂の大洲藩邸に居て、もうとっくに帰国したと思って居たのに、何と京都に居たのだった。

「何じゃ、将さんかい…」 

しかし、将策の顔を見た徳太郎の表情は、久しぶりに会った親友のそれでは無く、そっけない態度であった。

「どうした?」

 そう聞きながら、将策はあっという顔をした。徳太郎の態度に、思い当たる節を探り当てたからであった。

 将策は、あれ以来、徳太郎と会って居ないのだ。あれとは、千代之助による妻敵討ちでの一件以来であった。

 殺された駒吉が徳太郎の後輩であり、弟のように可愛がっていた人物であった事は、事件後に知ったのだ。しかし、将策はその事件後に謹慎処分となってしまい、駒吉を殺してしまった千代之助本人も死んでしまっていた。

「徳さんあのな…」

「何も聞きたくないけん。何聞いても、駒吉はもう戻らんけん」

 話しかける将策に、蝿を追い払うように、邪見に扱う。

「井上さんに失礼じゃないか、この町民風情が」

 二人のやり取りを見ていた嘉一郎が激昂して、徳太郎に激しく詰め寄る。

「その町民風情に、お侍は何をしてくれるんぜ?え?」

 両者が睨みあう。正に一触即発の雰囲気である。

「よさぬか二人とも」

 すぐに将策が二人の間に強引に割って入る。

「徳さん、聞いてくれ。あの件には、何か重大な訳が隠されとる。俺はそう思うんじゃ」

「訳とは何ぜ?勝手な事を言うと、いくら将さんでも承知せんけん」

 三人の様子を京の人々が固唾を飲んで見守っている。いつのまにか、三人を取り囲むように、人の輪が出来始めていた。

「これは何をしちゅうぜ?」

 その時である。緊張した空気を壊すかのように、間の抜けた調子の土佐弁が、耳に流れ込んでくる。

「あれ?こりゃ懐かしい顔ぜよ。わしじゃ」

 その大男は、馴れ馴れしい態度で、将策らに近づいて来る。

「土佐の坂本龍馬じゃき」

 将策と徳太郎は、互いに顔を見合わせた。そして、その直後に噴出してしまった。龍馬の笑顔を見た瞬間に、懐かしさと可笑しみとが、同時に来たからだった。

 龍馬は三人のいざこざを、顔を見せただけで見事に収めてしまったのだ。将策と徳太郎が、何時までも笑う姿を憮然とした表情の龍馬と、状況が飲み込めないで、戸惑う嘉一郎がいたのだった。



「これが大洲和紙かい?」

 龍馬は、徳太郎が手に持つ和紙を興味深そうに眺める。徳太郎が京の都で行っているのは、手漉き和紙の実演販売であった。

 日本中から、様々な人々が集まる京の都において、手漉き和紙の実演を行い、喧伝する事で、大洲和紙を世に広めようとの試みであった。

「こりゃ、まっこと上手い事、考えたきに」

 龍馬が誉める通り、その効果は絶大であった。徳太郎の作る和紙は、文字通り飛ぶように売れた。

 江戸時代末期、大洲和紙は、すでに全国で有名であったが、それは貴族や大名を中心とした上層の人達にだけであって、庶民にはまだまだ馴染みの無い物であった。

 紙は何を使っても一緒という、人々の根底にある考えを改めたい。徳太郎の想いは切実であっただろう。

 大洲和紙の歴史は古く、万葉集の歌人である柿本人麻呂が、記した頃まで遡る事が出来る。

 その後、実質的に和紙の産地となったのは、寛永年間に大洲藩が和紙産業を本格的に行い始めたからである。

 和紙の原料としては、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)があり、このうち、最も耐久力があり、通気性がある楮が多く和紙に使われてきた。

 大洲和紙は、その行程として最初に行うのも、この三つの材料を水に浸すことから始まる。数日水で晒した物を取り出すとそれを煮立てるのである。

 そして、煮上がった材料を取り出すと、水洗いして、数日天日干しするのである。

 現代では、アルカリ性の薬品や、漂白液を使用して、原料を色抜きと塵抜きをしていくが、同時はひたすら、水洗いと日干しを繰り返し、人の手によって、不純物が無くなるまで、何日もかけて、この行程を繰り返していくのだ。

 こうして、準備が整うと、その紙質によって、原料の比率を変えていくのである。

「わしの場合は、三椏の量を増やすんじゃ」

 徳太郎が行っている三椏量増やしは、明治時代になって、実際に行われた手法であった。

 これは、書きやすく、明治以降に流行した洋紙に対抗する為に、和紙にも筆の走り易さ、滑らかさを求めた結果であった。

「徳太郎さん、こりゃなんぜ?」

 龍馬が指刺したのは、すき舟と呼ばれる道具である。このすき舟に冷水を注ぎ込む。

 和紙の行程には、この水が何よりも大事である。徳太郎は、この水にもこだわりを持っていて、京の都で有名な酒蔵を訪ねて廻り、そこで使用する水を分けてもらっていたのだった。

 そして、そのすき舟に原料と、とろろあおいという糊剤とを入れて、よく掻き混ぜる。

 次に簀(す)桁(けた)という器具を使用していく。簀桁とは、竹ひごと萱ひごとを編まれた物で、編まれた簀に、桁をはめ込み事で使用するのである。

 これを編むのには、強靭な生糸が使用され、専門の職人によって、均一に糸を一定間隔で締めていくのである。

 この強弱が少しでもずれると、それがそのまま和紙の出来を左右するのである。

 徳太郎は、簀桁で原料を汲み上げると、それを左右に揺らせ始めた。これらを巧みに前後左右と動かしていき、紙層を作り出すのである。

 この時に、余計な水分や、余剰な紙や塵などを排出するのである。この行程を流し漉きといい、大洲和紙を作る地方で良く見られる手法であった。

 そして、程良く紙の形を成してきた頃合いを見計り、これを職人業で綺麗に一枚一枚重ねて出していくのだ。

「ガイじゃのう」

 徳太郎の業に、将策らも京の人々も感嘆の声を漏らす。こうして、漉き重ねた紙は、重しを置いて圧縮し、水分を約半分になるまで飛ばすのである。

 それを約一晩放置し、翌日にもう一度その紙に少量の水で再び湿らせ、それを今度は、一枚一枚剥がしていき、干板に貼って、半日ほど天日干しするのだ。

 乾いたら、もう立派な大洲和紙と成る。それを一枚一枚人の眼によって、良質かどうかを見極め、出荷していくのである。

 和紙一枚を作るのに、これだけの手間を掛けなければならないのだ。

「さあ、これぞ天下に名高い大洲和紙。天下一の和紙じゃ。買った買った!」

 徳太郎の掛け声と共に、人だかりの山が出来る。その場は大盛況となっていた。売子は雇っていたが、とても手が足りなくなったので、いつしか、将策も嘉一郎も、そして龍馬も売子をする羽目となっていた。

 龍馬は、その商才をここでも遺憾なく発揮し、ねじり鉢巻きをして、大いに発奮するのだった。気づけば、もう陽が暮れようとしていた。四人はへとへとになりながらも、心地よい充実感の中にいた。

「わしゃ、こんなに売子したんは初めてぜよ。実家でもないきに」

 額の汗を拭いながら、生家の才谷屋の事を龍馬が語っていた。三人はその巧みな話術にすぐに笑い出すのだった。

「そんで坂本さん、脱藩した後、あんた今何をしよんぜ?」

 片付けながら、徳太郎が聞く。自然と将策らも片付けを手伝い始めていた。

「わしは今な、神戸海軍塾の塾頭をやっとるきに」

 そう言う龍馬の顔は、どこか誇らし気に見えると将策は思っていた。神戸海軍塾とは、勝海舟が神戸に開いた私塾の事である。

 そして、神戸海軍操練所が元治元年五月に勝海舟の進言により、幕府が神戸に設置した海軍士官学校の事であった。

「勝先生の元で、海軍操練所に入る子弟を募っちょるんじゃ。お主らどがいぜよ?」

 海軍操練所は、正に今出来た所であり、志は諸外国に負けない立派な海軍を日本に作ると高いのだが、何せ運転資金も人材も不足している有様であった。

「俺とこの豊川嘉一郎は藩命に従い、これから江戸で見聞を広めに行く所だ」

「ほうか、徳太郎さんも立派に商いをしちょるし、将さんも立派にやっちょるんじゃな」

 片付けを済ませた四人は、徳太郎の計らいで、食事を供にする事にし、場所を移していた。話しは酒も入って進んでいる様子だ。

「江戸じゃない蝦夷じゃ。蝦夷地を開拓するがじゃ」

「そんな所、開拓してどうするっていうんですか?」

 嘉一郎は、龍馬の突拍子もない言葉に、思わず酒を拭き出してしまった。

「土地を開墾し、牛を放牧し、乳を外国人に売るんじゃ。外国人は、牛の乳を飲むきにの」

「牛の乳は、癖はあるが慣れると旨く感じるんじゃ。俺は大洲でやっとるんぜ」

「ほんまか?そりゃ凄いぜよ」

 そう言って四人は一斉に笑い合う。将策の牛好きは、大洲でも有名だったからだ。

「今、脱藩した勤皇の志士たちは、行き先が無くて、自暴自棄じゃ。これからもどこで暴発するかもしれん。これらを蝦夷に送り込んで、時期を待ち、勤皇の時が来れば、一気に取って返して、幕府を叩くがぜよ」

 三人はこの龍馬の意見に内心唸っていた。坂本龍馬という男の考えは、他の志士たちのそれとはまるで違う。話しに実があるのだ。

 何々をすべきだ!しなければならない!と叫ぶ勤皇の志士は、理想論において、激論を交わす。そして、行動とは戦(いくさ)しか方法がないのである。

 しかし、龍馬は違う。どう動けば上手く行くのか、どう話せば相手が納得するのかという事に重点を置いている。彼の話術は議論ではない。説得なのだ。

「今、蝦夷地には、我が大洲藩出身の武田斐(あや)三郎(さぶろう)という御方が、諸外国への防備の為に砦を作っている。その普請の援軍とすれば、話しは上手く行くかもしれん」

 武田斐三郎が設計し、建設に携わった砦こそ、かの五稜郭である。

「それは、ええ事を聞いたぜよ」

 龍馬は上機嫌であった。嘉一郎は、龍馬と話が弾み、二人ですぐに打ち解けて笑っている。同じ剣客同士、気が合ったのかもしれない。

「徳さん、駒吉の件じゃが、千代之助は、陰謀に巻き込まれて、殺されたのかもしれん」

 陽気に呑み合う二人を余所に、将策と徳太郎は、深刻な顔をして話し込んでいた。将策は、千代之助の遺言とも言うべき、例の一文を徳太郎に見せるのだった。

「これだけじゃ分からん。が、その脱藩した権右衛門を追えば、何か分かるんじゃな?」

 将策は徳太郎の言葉に一つ頷いた。

「わしはもうすぐ大洲に帰るけん、ちょうどええ。将さんは御勤めに励めや」

「徳さん、恩に着る」

 徳太郎の顔の前で、手を合わせる将策の手を徳太郎は照れくさそうに、すぐに払いのける。それが二人の仲直りの儀式のようなものだった。

「何いつまでも、二人で話しとんじゃ?陰気臭いぜよ」 

 そうだ、そうだと嘉一郎までが、龍馬と肩を組んで、管を巻いている。将策と徳太郎は、苦笑するよりなかった。

 その夜、四人は夜が明けるまで、呑み明かしていた。夜が明ければ、またそれぞれの道に奔走しなければいけない。

 龍馬は神戸海軍操練所の仕事をして、徳太郎は帰藩し、和紙と喧嘩凧のこれからを担う。そして、将策と嘉一郎は江戸に行くのだ。

「わしに用がある時は、江戸桶町にある千葉道場に言付けてくれ」

 それが去り際の龍馬の言葉であった。四人が進むそれぞれの道に昇った太陽が、四方の顔を違えて、それぞれの足取りを照らすのだった。
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