肱川あらし

たい陸

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第十章~東京~

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「権右衛門の行方を追おう」

 将策が嘉一郎にそう宣言してから、もう幾日か経っていた。この頃の将策は、新選隊の隊長として、京都御所の警護の任務があり、非番の時でも無ければ、京の市街を探索して周る事が出来なかった。

 まして、不慣れな土地に加えて、この時期に、民衆から自然発生したええじゃないか運動が、全国各地に広がりを見せており、市中の混乱に益々拍車を掛けていた。

 要するに、この混沌とした京の都で、宛ても無く、人間一人を見つける事は、浜辺で、砂一つを探り当てるような物であった。

 そんな歯がゆい思いが続いていたある日に、ようやく権右衛門らしき人物が立ち寄ったと思われる旅籠を探り当てたのだった。

「本当か?女将、この人物を見たんだな」

 それは、嘉一郎が書いた人相書きであった。それを行く先々で見せて、この日だけでも数十軒廻った後に、やっとであった。

「確かにこれによく似たお侍様が一人、昨夜まで泊まっておりました」

 女将の話しによれば、その男は今朝早く出立したという。行先も告げずに。

「また振り出しですかね」

「いや、そうとも限らんけん」

 そう言うと、将策は旅籠を飛び出した。ある確信があったのだ。権右衛門はきっとこの近くに居るに違いない。

「嘉一郎、鍵は龍じゃ。龍を探すんじゃ!」

 将策は駆け出していた。嘉一郎は、その後を慌てて追いかけるのだった。

 大政奉還が成ったと言っても、徳川家がそれで無くなる訳ではなかった。徳川慶喜は、以前として、内大臣の位を有し、朝廷より、内外交の権利を委任されたままであった。

 また全国で、一番領地と兵力と財力が多いのも徳川家であったし、以前として、徳川家が一番有力な大名である事に変わりはなかったのである。

 慶喜は、この徳川の力を背景に、次の政権でも、首座で在り続ける事を考えていた。

 その構想は、三権分立を主体とした物で、天皇を象徴的な位置としての元首に置き、現在の総理大臣に相当する大君には、自ら就任し、上院議長を兼任し、上下院の解散権を有するという具体的で、近代化した物であった事が分かっている。

 また幕府若年寄であった永井尚志が、後藤象二郎に慶喜が郡県制を考えていた事を話している。

「政権を手放しても、朝廷の手に余る。それをまた委譲させればよい」

 旧幕府の首脳たちの考えはこうであった。この時期の関白が、慶喜の従兄弟に当る二条斉敬ら、親幕府派の公家で占められていた事も、慶喜に有利であった。

「このままでは、幕府が名を変えただけになるではないか?」

 土佐藩に先を越された薩長ら倒幕派の諸藩は、逆転の機会を伺いながらも、歯ぎしりしていたことだろう。大政奉還が成る前日に、倒幕の密勅まで偽造したのだから。

 坂本龍馬は、不満の残る薩長を説得する為に、行動を開始し、新官制擬定書と呼ばれる新政権の要職と、閣僚名簿のような物を作成した。

 それは薩長が多数を占め、その薩長と近しい公家の岩倉具視や、三条実美らを中心とした構成となっていた。これらを以って、倒幕派を説得し、財政家として名高い三岡八郎を新政府に迎える為に、越前に行くなど、その活動は頂点を極めようとしていた。

 一説には、龍馬は、この政権の首座に徳川慶喜を迎えて、自分は身を引き、海援隊の事業に本腰を入れるつもりであったというが、定かではない。

「龍さんを見張っていろ」

 将策が部下に命じて、龍馬の動向を探らせ始めたのは、大政奉還が成った数日後からであった。現在の情勢が、龍馬を中心に動いている事を見て、権右衛門が龍馬を狙うと考えたからであった。

 将策は、龍馬の邪魔とならぬように、それと悟られぬよう配置を最小限に止める配慮をしていた。しかし、当の龍馬の行動が多岐に渡り過ぎる為、見張りの者が、先に疲弊する事態となってしまう有様であった。

 致しかたなく、京都の西宮を警護する藩命と並行する形で、自らも見張りを買って出たのだった。そして、事が動いたのは、何の収穫もなく、龍馬が越前より京に戻って、数日後の十一月十日の事であった。

 その日、龍馬は土佐藩の上士である福岡藤次と共に、幕府年寄の永井尚志を訪ねるが面会出来ず、仕方なく京の街を散策していると、薩摩の人斬り半次郎こと、中村半次郎と出くわしている。

 すでに旧知の仲であったので、言葉を交わすが、いつも陽気な半次郎の様子がおかしい。

「坂本さんは、幕府と繋がっておりもんそか?」

 半次郎は、武辺者である。薩摩の武を代表する男であったから、その言葉も直情そのままであった。

「そんな事は無いきに。倒幕はせにゃならんき。わしを信じちょくれ」

 道端であったが、人目をきにせず、龍馬は半次郎に言葉を尽くす。

「わしゃ、よう分からん。じゃっどん、薩摩と西郷(せご)どんを裏切るこつは、許しもはんで」

 半次郎は、鋭い眼光と共に、半身の体勢で刀の柄に手を伸ばした。いつでも龍馬に斬りかかる体勢を取る。

 慌てて、龍馬の下僕の元力士である藤吉が、龍馬の前に立って、半次郎を遮ろうとするも、龍馬はその藤吉を手で制した。

「大丈夫じゃ、半次郎さんは味方じゃき」

 龍馬は、Friendと言いながら、半次郎に両手を挙げて近づいていく。そして、そんな様子を、影で将策と嘉一郎が見守っていたのだった。

(相変わらず危なっかしい。致し方なし…)

 見ていられず、その場を制止しようとしたその時であった。

「向こうに、権右衛門が…」

 後ろにいた嘉一郎が、出ようとする将策の肩を掴んだ。将策が指された方向を見ると、笠で顔を隠した一人の武士が、身を隠すようにして、龍馬を或いは半次郎を見ていた。

 将策には分からなかったが、遠目の利く嘉一郎には、はっきりと眉の傷が識別出来ていた。そして、こちらには気づいていない様子である。

 一瞬、将策は判断に迷った。龍馬を助けに表に出れば、権右衛門を取り逃がす事になる。しかし、このまま見ていれば、半次郎が龍馬を襲うかもしれない。

「一か八かじゃ!」

 将策は決断を下した。素早くその場から飛び出すと、龍馬と半次郎の横に躍り出たのだ。

「なんじゃ将さんか?今日は良く、知己と会うな」

 将策が刀の柄に手を伸ばし、警戒しながら近づくと、龍馬と半次郎は、握手をしていたのだった。

「これが西洋の約束ぜよ。これで守るき。わしが約束を違えたら、いつでも斬りにきてええがぜ」

 いきなり両手を握られた半次郎は、目を丸くしている。それを見て、龍馬は豪快に笑っている。

 将策は拍子抜けも良いところであった。そして、怪訝な顔のままの半次郎は、頭を掻きながら、去っていく。

「龍さん、あんた狙われとるけん。大概にせんといかん」

「なんじゃ、将さんまでそんな事言うんか。中岡と似てきちょるぞ。わしゃ大丈夫じゃき。やる事がある以上、わしゃ死なんぜよ。生死が事、是非は天が決めるきに」

 そう言って、龍馬も去って行った。大丈夫じゃきを何度も繰り返しながら。何気ない会話といつもの後ろ姿である。

 しかし、何故かその後ろ姿から、目を逸らさないでいたのだった。

 ハタッと気づいて、すぐに権右衛門が居た場所に走るも、やはりそこには誰も居ない。そのまま諦めずに、抜け道を行きながら、京の街を駆ける。そして、京の木屋町通りに差し掛かる手前まで来た時であった。

「権右衛門!」

 後ろ姿のその笠を被った男に声を掛ける。そして、男がゆっくりとこちらに振り返った。果たして、間違いなく権右衛門であった。

 顔つきは、以前よりも険しくなり、頬に刀傷らしき跡が増えているが、間違いなく権右衛門であった。

「もう逃げられぬぞ」

 権右衛門の眼前に、嘉一郎が現れる。あの時、将策は飛び出したが、嘉一郎は、権右衛門を追っていたのだ。将策と嘉一郎は、権右衛門を取り囲むとすぐに抜刀した。

「坂本龍馬を斬るつもりか?」

「どうかな?貴様らに関係があるのか?」

「龍さんは、この国に必要な御仁じゃ。わしが許さぬぞ!」

 そう言うが早いか、将策は素早く斬り込む。同時に嘉一郎も権右衛門目掛けて、走り出した。形勢が不利と見た権右衛門は、路地裏へ逃げ込もうとする。

「今は貴様らに関わっている暇は無し」

 そう言いながら、その場にあった桶を手にすると、それを嘉一郎目掛けて投げる。そして、嘉一郎が怯んだ一瞬の隙に、その横をすり抜けるのだった。

「卑怯なり!権右衛門は返せ!」

 将策が後ろから罵倒するが、権右衛門は止まらない。すぐに二人は追いかける。するとすぐに大通りに出た。

「ええじゃないか!ええじゃないか!」

 その群衆が何であるかを将策はすぐに理解した。この時期に東海地方より発生して、近畿にも広がっていた、民衆によるええじゃないか運動の群衆であった。

「これじゃ分からんけん」

 権右衛門の姿は、この群衆に紛れてしまい跡形もなく消えた。

「またも取り逃がしたか…」

 しかし、権右衛門が生きていて、理由は不明だが、坂本龍馬の命を狙っている事が分かった以上、将策は、権右衛門の探索に力を入れなければならない。そして、友の命を守ろうと、固く誓ったのだった。



 この所の後藤象二郎には不満があった。大政奉還後の坂本龍馬の活動が、自分の意図の範疇を超えていたからであった。

「坂本は何をしちょるんじゃ?」

 それがこの所の彼の口癖のようになっていた。後藤は、新政権の首座には、自分こそ相応しいと内々に思っていた節がある。

 大政奉還を建白し、平和裏に政権を奪えた一番手柄は自分だと自負していたからであった。しかし、その構想の元が、龍馬である事を口外していない後ろめたさもあってか、勝手気ままに、自分の枠から離れて、活動を広げる龍馬を内心では面白くないと感じていた。

 そこに来て、龍馬が新官制擬定書なる物を薩長に提案している事を知ると、後藤の疑念は、拡大する一方であっただろう。そんな時期に、岩崎弥太郎が後藤の命で、長崎より京都へ着いたのだった。

「大夫(後藤)が遣い過ぎて、金がありゃせんがじゃ」

「何言うがぜ?弥太郎!」

 弥太郎は、遠慮なしにぶっきら棒に答える。それを象二郎は、気にする事もない。それがこの二人の間の常であった。

 年若いとはいえ、後藤象二郎は、土佐藩の参政である。対する弥太郎は、元々を地下浪人の身分で、この時期には、上士待遇まで出世していたが、土佐商会主任という地位に付けたのも、後藤の後ろ盾があったからであった。

「それをどうにかするんが、おまんが仕事ぜよ」

 後藤象二郎と岩崎弥太郎は、亡き吉田東洋門下で学んだ、身分は違えども、同志であった。この関係は、終生変わる事は無かったという。

「そう言われても、無い袖は振れんぜよ」

 弥太郎はプイッと顔を横に向いて、一向に埒が明かない。後藤象二郎という男は、明治に入って、佐賀の乱を起こした、盟友の江藤新平が逃亡した折に、政府より、後藤が持っている江藤の写真を指名手配に使うので、差し出す様に言われたが、それを毅然として断った胆の据わった男である。

 しかし、そんな後藤には、一つの癖というか弱点があった。散財癖である。とにかく金遣いが、その性格と同じく豪快で粗い。

 しかも、育ちの良さが悪い方に出て、必要以上に人に金を驕り、自分の人物の大きさをひけらかしたい性格であった。藩の金を自分の財布のように湯水に使ったのである。

「海援隊に稼がせたらええがじゃ」

 弥太郎は、海援隊や龍馬に、最初こそ、身分や年齢の近さから、親近感を抱いていたのだが、度重なる土佐藩への借財の申し出や、決定的となったのが、海援隊隊士によるイギリス船イカルス号水夫二名の殺人容疑事件において、弥太郎がその折衝を担当した事が、彼を海援隊嫌いにさせていた。

 この事件は、後日、容疑が晴れるのだが、弥太郎の各方面における働きかけがなければどうなったかは分からない。

 しかし、土佐商会の業務に、かなり支障をきたしたのは事実で、弥太郎が匙を投げて、一時、職務放棄する事態にまでなっていた。

 そんな事があってから、海援隊を土佐藩の金食い虫だと思って、毛嫌いし始めており、それは彼の手記にも書かれている。

「大夫、いろは丸の金があるぜよ」

 弥太郎は、不遜にも参政の前で、耳を穿りながら、ポツリと呟くように言う。この京都の土佐藩邸の一室には、二人しか居なかった。

「あの金はいかんぜよ。弥太郎、あれだけはいかんきに」

 弥太郎の呟きを聞いた、象二郎が顔色を変える。いろは丸の金とは、紀州藩がいろは丸沈没の賠償金に支払った七万両の事であった。

「あん金は、大洲藩に支払う金じゃき」

「払っても、まだ余りよろうが?」

「しかしじゃ、残りは海援隊の運用に回すち約束したぜよ」

「また坂本ですかい?」

 象二郎の言葉に、弥太郎は溜息をついた。この大夫様は、藩の金を横領し、もう底を尽きかけているというのに、入ってくる大金を気前よく、他者に渡そうというのだ。

「何とかせい、弥太郎!」

 無茶を言いやがる。弥太郎は怒っていた。後藤とは、少年時代からの付き合いであったが、その頃から、この男がやった後始末をずっとしてきたのは自分であった。今回もそうである。

 後藤は、その間何もせず、ただ待っていればいいだけだ。弥太郎は、心の底から、怒りを持っていた。長年溜めたふつふつとした怒りだ。元来、気の長くない自分が致し方なく、溜めていた物が、一挙に爆発しそうであった。

 そして、そんな精神状態であった弥太郎が、導き出した答えが、運命を変えた一言となった。

「今もしも、坂本が消えたならば、金も新政権の地位も、名誉も海援隊も、総てが大夫様の物になるきに」

 弥太郎は内心考えていた。今度という今度は、この若様にも、危ない橋を一緒に渡って貰おうと。

 そして、そう言った時に対する後藤の目は、大きく見開き、輝いて見えたのだ。弥太郎は、主の心底を誰にも言えない言葉を代わりに言ったのだ。

「いかんぜよ弥太郎。それはやったらいかん。奴はまだ使える男じゃ、それに、藩の功労者じゃ」

「本当にそう思っちょるぜ?何もわしらが手を下すんじゃないきに」

 大政奉還前の坂本龍馬と後藤象二郎は、同じ目的に向かう正に同志であった。しかし、その目的が達成されれば、元の上士と郷士の親玉同士という立場が、再燃してくる可能性があった。

 龍馬にとって、後藤象二郎は、土佐藩を背景に、言わば後ろ盾であり、身分を保証してくれる存在である。

 しかし、新政府が樹立されてしまえば、世界に海援隊の活動を広げたい龍馬と、あくまで、土佐藩の管理下に置いて、その利益を享受したい後藤とで、考えに誤差が生じる。龍馬にとって、これは邪魔になった可能性があった

 対する後藤から見れば、龍馬は、自分を新政府の功労者に仕立て、薩長に先んじる為に必要な手駒で、最重要な人物であった。

 しかし、龍馬が今動いている事は、土佐藩の預かり知らぬ事ばかりであり、越権行為も甚だしかった。両者に自分達でも気づかない溝が生まれ始めていたのだった。

「わしらは、ある所に、坂本の居場所を教えるだけじゃきに」

 そんな上司の微妙な心理を突くかのように、弥太郎は、後藤にだけ聞こえるように話し続けていた。

「土佐藩邸には、入りづらいように仕向けるがじゃ。そして…」

 後藤と弥太郎の密談は、これより暫く続いたが、その事を再び二人が口にする事は終生無かったのであった。



 権右衛門を取り逃がした将策らは、その探索を諦めては居なかった。

「権右衛門の行方は、まだ分かりませんか?」

「龍さんの居場所も、わしらには教えてくれんけん」

 権右衛門を見つけられないのならば、せめて龍馬の側を見張ろうとしたが、肝心の龍馬の居所は、土佐藩に問い合わせても、分からないままであった。

 どうも藩邸には入らず、何処かへ、潜伏しているらしいとの情報までは入って来るのだが、その先へは辿り着けないままであったのだ。

 そんな時に、権右衛門が、高台寺に現れるらしいとの情報を得た将策は、新選隊を派遣して、その足取りを追う事にしたのだった。

 高台寺には、高台寺党(御陵衛士)と称した、新撰組から分派した、伊東甲子太郎を首領とした一派が、本拠地を置いていた。

 伊東は、この前月に、龍馬と慎太郎とを訪ねて、新撰組と見廻り組とが狙っているので注意するよう忠告している。権右衛門が、何故に高台寺に赴くのか分からないが、無視できない情報であった。

「高台寺の見張りを増やしてくれ」

 龍馬の居所が知れない以上、情報に留意しつつ、警戒を怠る訳にはいかなかった。

 しかし、この時期、高台寺党も、別れた新撰組との間で、緊張が高まっており、高台寺周辺にも新撰組の者と思われる密偵が潜んでいる為、佐幕の象徴である新撰組に見つかる可能性を考えると、高台寺を深く探る訳にも行かなかった。

 そんな頃、当の坂本龍馬は、土佐藩邸近くの近江屋の二階に隠れていたのだった。

「土蔵に居ったんじゃが、風邪を引いてしもうての。この様じゃ」

 訪ねて来た中岡慎太郎と、火鉢を囲みながら談笑する。

「きたないのう。鼻汁を飛ばすなや」

 中岡慎太郎や、他の者からも土佐藩邸に入る事を勧められていたのだが、龍馬は窮屈だと言って、勝手が利く近江屋を利用していたのだった。

 これには、郷士である龍馬や、慎太郎を良く思わない上士の不快な眼があったのだろう。

 龍馬は旧知の薩摩藩士である吉井幸輔に、土佐藩邸が駄目なら、薩摩藩邸に入るよう勧められているが、これも角が立つからと断っている。龍馬なりに、気を使ったのだろう。

「のう慎の字、軍鶏を買うてもろとるきに、鍋でもつつきながら、薩長に納得してもらう方法を考えるぜよ」

 この日の十一月十五日は、奇しくも龍馬の誕生日であった。

「わしは、結局は倒幕しかない思ちょるぜよ。そうじゃないがか?」

「じゃから、最初からそうしたら、大戦になるぜよ。あくまで一勝して従わせにゃ、外国がどう出るかわからん。そうじゃろが?」

 二人の議論は、次第に熱を帯びていった。この土佐藩郷士を代表する二人の議論より、今日の日本の形が始まったと言っても過言ではない。

「わしはそうなったら、この国を変えるきっかけじゃち思うちょる。やらないかん」

「そうじゃ、そんは言う通りぜ」

 二人が軍鶏を待ちながら、尚も議論を白熱させていると、下から何やら音がする。

「峯吉が軍鶏を買ってきたんか?それとも藤吉かいのう?」

「きっとそうじゃき。おい、ほたえなや!」

 龍馬の声に反応するかのように、大きな音を立てて、階下を駆けあがる音が聞こえる。それは、軍鶏を届ける者の音などではなく、龍馬らに忍び寄る、死の影の音であった。



 その次の日の朝、衝撃的な報せが将策の元へ届いた。慶応三年十一月十五日、京都の河原町にある近江屋において、坂本龍馬と中岡慎太郎が何者かに襲撃され、龍馬が亡くなったと言うのだ。

「そんな…龍さん。いけんけん…」

 報せを聞いた将策は絶句し、暫く言葉を失っていた。瞬間、最期に会った日の龍馬の後ろ姿が脳裏に浮かんで、離れなくなっていた。その日のたわいもないやり取りが、次々に溢れてきていた。

 不思議な物である。その時には、何気ないいつものやり取りと会話に、すっかり忘れていた事や、龍馬と出会った日の事、今までの事、いくつもの場面がまるで走馬灯のように、将策の身体を貫いて行くのだから。

「坂本龍馬殿は即死、中岡慎太郎殿は、重症の模様です」

 中岡慎太郎は、生死の境を二日間彷徨った後に亡くなっている。

 将策は直ちに、土佐藩邸へ向かった。藩邸に着くと、陸援隊の谷千(たにた)城(てき)が応対してくれた。

「坂本さんは、頭部と背中に傷を受けて、中岡さんは、両手足を斬られ…」

 襲撃の状況を死の間際に、中岡慎太郎より直に聞いた谷が、詳しく説明してくれたのだった。

「刺客の一人がこなくそと言うちょったと。伊予訛りの言葉、恐らく新撰組の原田佐之助の仕業かもしれぬ」

 新撰組の十番隊組長を務めた原田佐之助は、伊予松山藩出身であったという。また現場に残されていた鞘が、佐之助の者であると証言した者がいた事などから、襲撃当初は、新撰組の犯行説が有力であった。

「いや、紀州藩の奴らじゃ。そうに違いないがじゃ」

 いきり立つ海援隊隊士達が数名居て、口ぐちに叫んでいた。いろは丸の遺恨により、紀州藩が龍馬を狙う事は十分考えられた。

 後日になるが、龍馬の敵討ちの為、残された海援隊隊士らにより、紀州藩士の三浦休太郎を襲撃した天満屋事件が発生している。

 一方、龍馬と慎太郎を失った土佐藩参政の後藤象二郎は、沈黙を貫いている。

 普通であれば、郷士とはいえ、世の中で、すでに名士とされた坂本龍馬と中岡慎太郎が殺害されれば、実行犯と考えられていた新撰組に、仕返しの攻撃を仕掛けてもおかしくない。

 しかし、仕返ししどころか、新選組の後ろ盾である会津藩に抗議したり、犯人を捜したり、藩をあげて二名を弔う等をした形跡が無く、総てを海援隊と陸援隊の残った隊員に一任している。

 この一見、冷淡で、その不可解な態度に、疑念の目が向けられても仕方なかった。

 そして、龍馬の死を聞いた岩崎弥太郎は、

「わしがその意志を継ぐきに」

 そう言って涙を流して見せた。彼が本心でどう思っていたかを知る術は無い。しかし、後に弥太郎が築く三菱財閥は、龍馬が生きていたら、果たして今日の姿であっただろうか。

 龍馬の死の詳細を聞きながら、将策は、一つの可能性を考えていた。

(まさか、権右衛門が…)

 将策の心に去来するものがあった。こなくそという言葉は、伊予の方言である事に間違いはないが、これは大洲方面特有の方言である。

 そして、松山の人間は、余り用いない。南予地方特有のものである事を将策は知っていたからだった。また高台寺に、権右衛門が出没するという情報も、こうなっては偽であった可能性が高く、まんまと嵌められてしまったのではないか?

 その為に、友の死を防ぐ事が出来なかったのではなかったか?との思いが将策の心を激しく揺さぶるのだった。

「だとしたら、龍さん、すまない。すまない…」

 帰り道、重い足取りで将策は下を向いて、何度も呟いた。大洲藩邸までの道程は、すぐである筈なのに、まるで何刻も掛かるかのように、長い道に感じられた。

 まるで、龍馬の死体を背中に背負わされたかのような重みであった。龍馬の後ろ姿が忘れられそうになかった。その後ろ姿が、いつも見送っていた龍馬の後ろ姿と、余りにも何一つ変わらなかったからだ。

 将策は考えていた。友の死を無駄にしない為に、自分が出来る事は何かと言う事を。これまでの動乱で、命を失った志士たちの何と多い事だろう。それら一つ一つに意味を見出すとするならば、答えは一つである筈であった。



 慶応三年十二月九日、王政復古の大号令が発せられた。これにより、幕府の廃止と、摂政関白の廃止が決定され、変わりに、総裁、議定、参与の三職を置く事が決定し、徳川幕府は、その長い歴史に幕を降ろした。

 また禁物の変以来、京を追われていた長州藩の復権と、長州派の公家の復帰も併せて行われ、新政府が誕生したのだった。その日の夕刻より、すぐに小御所会議が開かれ、今後の方針が決定される。

 そこで、岩倉、大久保らにより、徳川慶喜の内大臣辞職と、領地返納が議題として挙げられた。これに真っ向から異を唱えたのは、土佐の山内容堂であったが、次第に薩摩と岩倉らに押され、容堂の失言等もあり、深夜まで及びんだ会議は、慶喜の辞官納地にて決議された。

 坂本龍馬と中岡慎太郎を失った土佐藩は、大政奉還を成し遂げ、新政権の首座に為り得た筈であったが、薩長や岩倉ら、公家の有力者に対抗出来る術を持たず、次第にその力は弱まって行くのであった。

(坂本が居れば…)

 後藤象二郎は、内心後悔の念に駆られていたが、時既に遅しだった。坂本龍馬と中岡慎太郎が生きていれば、旧幕府側と新政府側との絡まった糸を解きほぐして、或いは、平和裏に双方の着地点を見つけて、慶喜の新政府参加と、旧幕府の主戦派を抑えて、争いを小規模に抑える事が出来たかもしれない。

 そうすれば、薩長だけが主導する、明治政府は誕生して居らず、出身や身分に捉われない、近代政治がいち早く行われていたかもしれない。

 慶応四年一月三日、鳥羽、伏見にて、新政府と旧幕府による戦闘が開始された。

 新政府軍は約五千名、旧幕府軍は約一万五千名で、旧幕府側が数としては優勢であったが、新政府側が錦の御旗を掲げると、次第に劣勢となり、戦は新政府の勝利で幕を閉じた。

 元々が勤皇の志が篤い水戸藩出身の慶喜は、錦の御旗が掲げられ、新政府側が官軍となった事を知ると、朝敵の汚名を着る事を避ける為と、主戦派の戦意を削ぐ為に、深夜の内に大坂城を抜け出し江戸へ向けて、船で脱出するのだった。

 大洲藩は、鳥羽伏見の戦いには直接参加しておらず、御所の警護を務めている。そして、万が一に戦に敗れた場合は、帝を安全な地へお連れする密命を受けていたのだ。

 そして、官軍と旧幕府との争いは、戊辰戦争へと激化していくのだった。この頃より、大洲藩も戊辰戦争の為に武成隊を組織している。

 そして、井上将策は、官軍の一員として、陸軍俗事方頭取兼総督参謀を兼務し軍監を務めている。

 大洲藩の武成隊は、京都から甲州へ遠征し、甲府城の守りを務めると、奥羽地方へと東征軍に参加していた。そして、八月二十日、仙台藩を追討する戦が始まる。

 将策もこの戦に参加し、戦果を挙げている。戦は、苦戦の伊賀藩の応援の為に、大洲藩より小隊が派遣され、また筑前藩の応援にも砲兵隊を派遣し、激しい銃撃戦が行われ、大洲藩にも死傷者が出ている。

 そして、九月十七日に仙台藩が降伏すると、大洲藩の奥羽遠征は完了した。その戦の最中の話しである。

「こちらです」

 嘉一郎に呼び出された将策は、悲惨な戦場後にて横たわる、一人の男の姿を認めていた。

 その男は、腹部に銃弾を浴びており、傷口を必死に手で押さえるも、その手も赤く染まる程の多量の血で汚れており、荒い呼吸に虚ろな目でこちらを見上げていた。

「権右衛門か?」

 確認するかのように問う将策に、その男は浅く、一つだけ頷く。人目で致命傷だと分かる状態であった。

「何故、こんなところに?」

「今さら、詮無き事じゃけん」

 嘉一郎の問いに、権右衛門ではなく、将策が短く答えた。権右衛門は、死に場所を求めたに違いない。或いはあの日、自分に傷を負わされた境内の時よりずっとだ。

「権右衛門、一つだけ答えろ。さすれば、介錯してやろう」

「お主に介錯されるぐらいなら、苦痛を選ぶ。じゃが何じゃ?」

 権右衛門は、荒い呼吸に苦痛な表情で、途切れながらも、憎まれ口を叩く気概を見せていた。

「坂本龍馬を斬ったはお主か?」

 将策はずばり核心を突いた。時が惜しかった。今は戦の最中であって、権右衛門も死にかけているのだから。

「はっはっはっ」

 権右衛門は、将策の問いに笑いだす。しかし、笑う途中で、痛む傷に、苦悶の表情を見せると再び黙してしまう。 

「貴様以外に誰がおる?二人を斬る際に、こなくそと言ったは誰ぞ?」

「わし以外に居らぬだと?貴様には、一生分からぬ事よ…」

 それが、因縁の相手である永田権右衛門の最期の言葉となった。

「どういう意味でしょうか?他に大洲藩出身の協力者が居て、そいつが坂本さんらを?」

 考えても、確認する術はもうない。権右衛門が龍馬の死に関わっていたのか、それとも他の何者かの仕業であったか、それは永遠に闇の中へと消えてしまった。

 明治元年九月二十日に京都を出発した明治天皇は、江戸より改称された東京へ行幸し、十月十三日に到着すると、江戸城へ入り、ここを東京城と改名した。

 そして、その行列の前衛を藩主加藤泰秋率いる大洲藩が務めていた。そこには、奥羽戦線から東京へ帰還していた井上将策も大隊長として、五百人の部下を統率しながら、錦の御旗を掲げて、東京の人々に、その雄姿を見せていた。

「徳さん、どうしよる?わしは今、東京におるけん」

 将策は、誇らしげに錦の御旗を大きく掲げると、その姿に、歓声が鳴り響いていたのだった。

 井上将策は、奥羽征戦での功績により、菊の御紋の入った服を賜ると、大井上という姓を賜り、これに改姓している。井上姓の官人が多いことから、大洲の井上の意だという。

 将策は、生涯絶頂の時を遠い東京の地にて味わっていたのだった。

 その頃、五十崎村では、徳太郎とその子供が、秋晴れの広がる青空へ、一緒に凧揚げに興じていた。そこには、大空を疾駆する、形が少し歪な龍が泳いでいた。

「いいか駒太郎よ。凧はなこう引いて、行くんじゃけん」

 左手で、幼い息子と供に作った、初めての凧を一緒に飛ばしながら、子供の成長に目を細める。徳太郎は、熱心に凧を飛ばす息子へ、何度もコツを教えている。

 そして、父子は何度も、何度も秋風に吹かれながら、凧を飛ばし続けるのだった。

「お前様、もうそろそろ夕餉が整いますよ」

 いつまでも帰ってこない二人を心配して、おまさが呼びに来ていた。

「お母さん(おっかさん)」

 母親の姿を認めた駒太郎が、凧を放り出して、その拙い足取りで駆け寄る。

「将さん、今何しよるんぜ?一軍を率いて、勇敢に戦っとるんか?どんなに世の中を変えたところで、何も変わらんもんもある。それは、人々の営みそのものじゃけん」

 息子が放り出した凧を拾いながら、徳太郎は、遠い空へ、姿の見えぬ友に、想いを馳せるのだった。
 
                 完
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