量子迷宮の探偵譚

葉羽

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5章

記憶の迷路

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神藤葉羽と望月彩由美は、量子の迷宮の深部へと進んでいた。これまでの冒険で様々な試練を乗り越えてきた二人だが、今回の空間は特に不思議な雰囲気を醸し出していた。

周囲は霧に包まれ、足元は水面のように揺らめいている。二人の歩みに合わせて、霧の中から断片的な映像が浮かび上がっては消えていく。

「ここは...」葉羽が呟いた。

彩由美は不安そうに周りを見回した。「なんだか、私たちの記憶が散らばっているみたい」

葉羽は頷いた。「そうみたいだね。これは記憶の迷路...僕たちの過去と向き合う場所なんだ」

二人が前に進むと、霧の中から一つの鮮明な映像が浮かび上がった。それは、葉羽と彩由美が初めて出会った日の光景だった。

幼い葉羽が公園の砂場で一人遊んでいる。そこに彩由美が近づいてくる。

「覚えてる?」彩由美が優しく微笑んだ。

葉羽も懐かしそうに頷いた。「ああ、君が僕に話しかけてくれた日だ」

映像の中で、幼い彩由美が葉羽に砂のケーキを差し出している。最初は戸惑っていた葉羽だが、やがて笑顔で受け取る。

「あの日から、私たち友達になったんだよね」彩由美が言った。

葉羽は静かに頷いた。「君がいなかったら、僕はずっと一人だったかもしれない」

その言葉に、彩由美は少し驚いた表情を見せた。「葉羽くん...」

しかし、彼らの会話は突然の地鳴りで遮られた。足元の水面が激しく揺れ始め、二人は均衡を失いそうになる。

「気をつけて!」葉羽が彩由美の手を取った。

揺れが収まると、周囲の景色が一変していた。今度は中学校の教室。葉羽が一人で本を読んでいる姿が見える。

「これは...」葉羽が眉をひそめた。

彩由美も思い出したように言った。「中学2年の時...葉羽くんが皆から孤立していた時期」

映像の中で、クラスメイトたちが葉羽を避けるように距離を取っている。彼の周りには冷ややかな空気が漂っていた。

葉羽は苦笑いを浮かべた。「ああ...僕の性格のせいで、周りと上手くいかなかった時期だ」

しかし、その時映像の中に彩由美が現れた。彼女は迷うことなく葉羽の元へ向かい、明るく話しかける。

「でも、彩由美は僕のそばにいてくれた」葉羽が静かに言った。

彩由美は少し照れくさそうに答えた。「当たり前だよ。葉羽くんは私の大切な友達だもん」

その言葉に、葉羽の胸に温かいものが広がった。しかし、その感情を十分に味わう間もなく、再び空間が歪み始めた。

今度の映像は、高校に入学したばかりの二人の姿だった。

「これは...」彩由美が息を呑んだ。

葉羽も緊張した面持ちで頷いた。「ああ、僕が...君に告白しようとした日だ」

映像の中で、葉羽が彩由美を屋上に呼び出している。しかし、言葉に詰まる葉羽。そして、その場の空気を読み違えた彩由美が、明るく別の話題を持ち出してしまう。

現実の葉羽は苦笑いを浮かべた。「結局、言い出せなかったんだ」

彩由美は驚いた表情で葉羽を見つめた。「葉羽くん...私、気づいてなかった」

葉羽は静かに頷いた。「ああ...でも、それでよかったんだ。僕たちの関係が変わってしまうのが怖かった」

彩由美は複雑な表情を浮かべた。「私も...葉羽くんのことが好きだった。でも、言い出せなくて...」

二人の告白に、周囲の霧が淡く光り始めた。それは、二人の心の中にあった霧が晴れていくかのようだった。

しかし、その瞬間、足元の水面が激しく揺れ始めた。二人は均衡を失い、霧の中へと落ちていく。

「彩由美!」
「葉羽くん!」

二人の声が響き渡ったが、すぐに闇に飲み込まれてしまった。

* * *

葉羽が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。白い壁、無機質な家具。どこか病院を思わせる雰囲気がある。

「ここは...」

彼が周囲を見回していると、ドアが開き、白衣を着た男性が入ってきた。

「神藤さん、お目覚めですか」

葉羽は混乱した様子で尋ねた。「あの...ここはどこですか?」

男性は優しく微笑んだ。「ここは精神科病棟です。神藤さんは2年前から入院されています」

「え...?」葉羽は言葉を失った。

男性は続けた。「あなたは現実と幻想の区別がつかなくなり、量子の迷宮という妄想の世界に閉じこもっていました。ようやく治療の効果が出てきたようですね」

葉羽は必死に頭を働かせた。「いや、違う。彩由美は...彩由美はどこですか?」

男性は悲しそうな表情を浮かべた。「望月彩由美さんですか?彼女は...実在の人物ではありません。あなたの妄想の中の存在です」

葉羽は激しく首を振った。「嘘だ!彩由美は実在する。僕たちは一緒に...」

その時、部屋の隅に置かれた鏡に目が留まった。そこに映る自分の姿は、やつれ、髪も伸び放題だった。まるで長期入院していた患者のような姿。

「これは...」

葉羽の心に疑念が芽生え始めた。もしかして、これまでの冒険は全て妄想だったのか?彩由美という存在も、自分の孤独な心が生み出した幻だったのか?

彼は膝を抱えて座り込んだ。現実と幻想の境界が曖昧になり、何が本当で何が嘘なのか、分からなくなってきた。

その時、かすかに聞こえてきた声。

「葉羽くん...葉羽くん!」

彩由美の声だ。しかし、それは幻聴なのか、それとも...

葉羽は立ち上がり、必死に声の源を探した。

「彩由美!どこだ?」

白衣の男性が慌てて葉羽を押さえつけようとする。「落ち着いてください、神藤さん!」

しかし、葉羽は男性の腕をふりほどき、部屋の壁に体当たりした。すると、壁が砕け散り、その向こうに光が見えた。

「彩由美!」

葉羽は迷わずその光に飛び込んだ。

* * *

目を開けると、そこには彩由美の姿があった。彼女も同じように混乱した表情を浮かべている。

「葉羽くん...私も変な夢を見たの」

葉羽は安堵の表情を浮かべた。「ああ、僕も...でも、君がいてくれてよかった」

二人は強く抱き合った。その瞬間、周囲の霧が晴れ始め、新たな空間が姿を現した。

そこは、巨大な鏡の迷路だった。無数の鏡が立ち並び、それぞれに二人の姿が映っている。しかし、よく見ると、それぞれの鏡に映る二人は少しずつ異なっていた。

「これは...」葉羽が呟いた。

彩由美も驚きの声を上げた。「私たちの可能性...?」

葉羽は頷いた。「そうみたいだ。これらは全て、僕たちがなり得た姿なんだ」

二人は手を取り合い、鏡の迷路を進んでいく。そこには、様々な二人の姿があった。結婚している二人、別々の道を歩んでいる二人、そして...先ほどの精神科病棟にいる葉羽の姿も。

「これが...記憶の迷路の真の姿なんだ」葉羽が言った。「僕たちの過去だけでなく、あり得た未来も含めて...全ての可能性がここにある」

彩由美は不安そうに尋ねた。「じゃあ、私たちはどれが本当の姿なの?」

葉羽は彩由美の手をしっかりと握った。「それは...僕たちが決めるんだ。過去も未来も、全ては僕たちの選択次第だ」

その言葉に、彩由美の表情が明るくなった。「うん、そうだね。私たちで未来を作っていこう」

二人が歩を進めると、鏡の迷路の中心に一つの扉が現れた。それは、これまで見てきたどの扉とも異なり、まるで光で作られているかのようだった。

「ここが...出口?」彩由美が尋ねた。

葉羽は頷いた。「ああ、でも...ここを出たら、もう後戻りはできない」

彩由美は葉羽の目をしっかりと見つめた。「大丈夫。私たちなら、どんな未来でも乗り越えられる」

葉羽も微笑んだ。「そうだね。一緒なら...」

二人は手を取り合い、光の扉に手をかけた。扉が開くと、まばゆい光が二人を包み込んだ。

記憶の迷路を抜け、二人の新たな冒険が始まろうとしていた。過去との和解、そして未来への希望。量子の迷宮は、彼らに大切なものを気づかせてくれた。

しかし、これが最後の試練ではない。さらなる謎と危険が、二人を待ち受けているのだった...
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