残響鎮魂歌（レクイエム）

3章

時間音響学

豪邸の不気味な静寂に包まれながら、葉羽は思考を巡らせていた。あの幻聴のような音は一体何だったのか。そして、古いレコード盤と黒曜の死にはどんな繋がりがあるのか。手がかりを求めて、彼は書斎で見つけた日記を再び読み返す。そこには、レコード盤を手に入れた経緯が記されていた。黒曜は骨董市で偶然このレコード盤を見つけ、その特殊な音質に魅了されたらしい。だが、それ以上の情報は書かれていない。

「葉羽くん、このレコード盤、本当にただの古いレコードなのかな？」彩由美が不安そうに尋ねる。「何か特別な力が宿っているとか…」

「特別な力…か」葉羽は考え込む。確かに、あの幻聴は普通ではない。レコード盤に何らかの特殊な力が宿っている可能性も否定できない。だが、それを科学的に証明するのは難しい。彼はスマートフォンを取り出し、「レコード 特殊 音」といったキーワードで検索を始めた。すると、「音響心理学」「音響療法」「サブリミナル効果」といった関連ワードが次々と表示される。その中に、「時間音響学」という見慣れない言葉を見つけた。

「時間音響学…？」葉羽は興味を惹かれ、その言葉をタップする。表示されたウェブページには、時間音響学についての簡単な説明が書かれていた。それによると、時間音響学とは音波を用いて時間や記憶に干渉する学問であり、特定の周波数の音波は人間の脳に作用し、過去の記憶を鮮明に呼び覚ますことができるという。

「記憶を呼び覚ます…？」葉羽は驚きを隠せない。もし、あのレコード盤に時間音響学的な効果があるとしたら、黒曜は過去の記憶を追体験していたのかもしれない。そして、その記憶が彼の死に関係している可能性もある。

「彩由美、時間音響学って知ってる？」葉羽は彩由美に尋ねた。

「ううん、初めて聞いた。どんな学問なの？」

「音波を使って時間や記憶に影響を与えるらしい。このレコード盤も、もしかしたら…」葉羽は言葉を濁した。まだ確証はない。だが、時間音響学が事件の鍵を握っているような気がしてならない。

「詳しいことを知りたいなら、専門家に聞いてみるのがいいかも」彩由美が提案する。「時間音響学の研究をしている人とか」

「そうだね、それが一番だ」葉羽は頷き、再びスマートフォンを操作する。時間音響学の専門家を探し、ようやく見つけたのが雲母朔也（きらら さくや）という人物だった。朔也は大学で音響心理学を教える傍ら、時間音響学の研究所を主宰している。葉羽は早速、朔也の研究室に電話をかけた。

数回の呼び出し音の後、落ち着いた声の男性が電話に出た。葉羽が時間音響学について話を聞きたいと伝えると、朔也は快く面会に応じてくれた。翌日、葉羽と彩由美は朔也の研究室を訪れることになった。

研究室は大学の片隅にある古びた建物の中にあった。部屋の中には様々な音響機器が置かれ、壁には複雑な数式が書かれたホワイトボードが立てかけられている。朔也は30代後半くらいの男性で、知的な雰囲気を漂わせていた。彼は葉羽たちを席に座らせると、穏やかな口調で話し始めた。

「時間音響学に興味があるんですって？ それは珍しいですね。この分野はまだ発展途上ですから」

「あの、レコード盤に記録された音で、人間の記憶に影響を与えることって可能なんですか？」葉羽は単刀直入に尋ねた。

朔也は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに真剣な顔つきになった。「理論上は可能です。特定の周波数やリズムを持つ音波は、脳の特定の部分に作用し、記憶や感情を呼び覚ます効果があります。しかし、そのためには高度な技術と精密な計算が必要です。素人が簡単にできることではありません」

「では、過去の出来事を録音した音を聴かせることで、その出来事を追体験させることも可能ですか？」

「可能性はゼロではありません。ただし、それは非常に危険な行為です。脳に過度な負担をかけ、精神的なダメージを与える恐れがあります。最悪の場合、脳に不可逆的な損傷を与えることも…」朔也は言葉を切り、真剣な表情で葉羽を見つめた。「なぜ、そんなことを聞くんです？ 何かあったんですか？」

葉羽は黒曜の死と、豪邸で見つかったレコード盤のことを話した。朔也は黙って聞いていたが、話が終わると重々しい口調で言った。

「そのレコード盤、一度見せてもらえませんか。もしかしたら、私が知っている何かと関係があるかもしれません」

朔也の言葉に、葉羽は事件解決への希望を見出した。しかし同時に、時間音響学という未知の学問に潜む危険な側面を垣間見たような気がして、背筋に冷たいものを感じた。この豪邸で起きたことは、単なる心臓発作ではない。それは、時間と記憶を操る恐ろしい実験だったのかもしれない。そして、その実験はまだ終わっていないのだ。