残響鎮魂歌（レクイエム）

4章

歪んだ共鳴

雲母朔也の研究室を後にした葉羽と彩由美は、改めて事件の不気味さを実感していた。時間音響学、記憶への干渉、そして精神的ダメージ。朔也の言葉は、二人の心に暗い影を落とした。それでも、事件の真相を解明するためには、レコード盤の解析が不可欠だった。葉羽は朔也にレコード盤を預け、解析結果を待つことにした。

「朔也先生、時間音響学って怖いね…」研究室を出てすぐ、彩由美は不安そうに呟いた。「記憶を操作されたり、精神が壊れたりするなんて…」

「ああ、確かに危険な側面もある。でも、使い方によっては医療や教育にも応用できるらしい」葉羽は努めて冷静に答えた。内心では、朔也の言葉が引っかかっていた。黒曜は、本当に心臓発作で死んだのだろうか？それとも、時間音響学の何らかの影響で…

数日後、朔也から連絡があり、葉羽たちは再び研究室を訪れた。朔也は神妙な面持ちで、二人に解析結果を告げた。

「このレコード盤には、確かに特殊な音波が記録されています。人間の脳波に影響を与える可能性のある、複雑な周波数の組み合わせです。そして、驚くべきことに、この音波は50年前にこの豪邸で録音されたものだと判明しました」

「50年前…？」葉羽は息を呑んだ。書斎で見つけた写真の裏に書かれていた年代と同じだ。

「そうです。この音波は、恐らく何らかの事件、あるいは儀式のようなものが行われた際に録音されたものと思われます。そして、その音には、人間の悲鳴や叫び声、そして何かが砕けるような音も含まれています。非常に不快で、精神的に悪影響を与える可能性のある音です」朔也は眉根を寄せながら説明した。

「悲鳴…叫び声…」彩由美は顔を青ざめた。豪邸で聞いた幻聴と一致する。

「この音波を長時間、あるいは繰り返し聞くと、幻聴や幻覚、記憶の混乱といった症状が現れる可能性があります。黒曜さんの死も、もしかしたらこの音波が原因かもしれません」朔也は続けた。

葉羽は愕然とした。黒曜は、レコード盤に記録された50年前の音によって、精神を蝕まれ、死に至ったのかもしれない。だとすれば、これは単なる病死ではない。殺人だ。

「でも、誰がそんなことを…？」彩由美が震える声で尋ねた。

「まだ分かりません。しかし、一つ確かなことは、このレコード盤を作った人物、そして黒曜さんにこのレコード盤を聞かせた人物が、事件の鍵を握っているということです」朔也は真剣な表情で言った。

葉羽は改めて、事件の闇の深さを感じた。時間音響学という未知の領域、50年前の謎、そして黒曜の死。全てのピースが複雑に絡み合い、一つの巨大な謎を形成している。

その日の夜、葉羽は一人、黒曜の豪邸を訪れた。朔也の言葉が頭から離れず、いてもたってもいられなかったのだ。広間に入り、例の蓄音機の前に立つ。レコード盤は朔也の研究室に預けたままだが、葉羽の耳には、あの不快な幻聴が再び聞こえてきた。悲鳴、叫び声、そして何かが砕ける音。まるで、50年前の出来事が、この広間で再び蘇っているかのようだ。

突然、広間の電気が消えた。辺りは闇に包まれ、葉羽は息を呑む。暗闇の中、幻聴はさらに激しさを増す。そして、今度は何かが見える。白いワンピースを着た女性が、広間を彷徨っている。女性は苦しげな表情で何かを訴えているが、その声は届かない。

「これは…幻覚か？」葉羽は呟いた。しかし、あまりにもリアルな幻覚に、彼は現実と虚構の区別がつかなくなり始めていた。恐怖が葉羽の心を締め付ける。彼は広間から逃げ出したい衝動に抗いながら、必死に思考を巡らせる。一体何が起こっているのか？この豪邸には、どんな秘密が隠されているのか？

その時、葉羽はふと気づいた。幻聴と幻覚は、特定の場所で強く、特定の場所で弱くなる。まるで、この豪邸自体が、何らかの音響装置になっているかのようだ。彼は壁や床、天井に手を触れ、何かを探る。すると、壁の一部分にわずかな隙間があることに気づいた。隙間を押し開けてみると、そこには小さなスピーカーが隠されていた。

「これか…！」葉羽は呟いた。この豪邸全体が、時間音響学を利用した巨大な装置になっているのだ。そして、誰かが意図的に、黒曜にあのレコード盤の音を聞かせ、精神を崩壊させた。だとすれば、犯人は時間音響学に精通した人物である可能性が高い。葉羽の脳裏に、雲母朔也の顔が浮かんだ。彼は本当にただの研究者なのだろうか？それとも…

歪んだ共鳴が、豪邸全体に響き渡る。葉羽は、深まる謎と迫り来る恐怖に、身震いした。