婚約破棄?まあ!御冗談がお上手なんですね!

桜井ことり

文字の大きさ
7 / 32

7

しおりを挟む
国境警備隊の詰所の一室。
ゼーブルックの責任者である、恰幅の良い初老の男――ダリウス所長は、目の前の光景を信じられない思いで眺めていた。

部屋の中央に置かれたテーブルには、どう見ても最高級品の茶器が並び、世にも芳しい香りを放つ紅茶が湯気を立てている。
テーブルの上には、これまた見たこともないような美しい焼き菓子が、銀の皿に山と盛られていた。
そして、それらを完璧な作法でサーブしているのは、黒いドレスに身を包んだ、恐ろしく有能そうな一人の侍女。

「さあ、所長様。どうぞ、お召し上がりください。わたくしどもの故郷で評判の、『マドレーヌ』というお菓子でございます」

にこやかに菓子を勧めてくるのは、自らを「ただの富豪」と名乗る、ケインズと名乗った老人だ。
そして、その隣の席では、この世のものとは思えないほど美しい少女が、「美味しいですわ」と幸せそうにそのマドレーヌを頬張っている。

(一体、なんなのだ、この状況は……)

ダリウスは、額の汗をハンカチで拭った。
彼は、不法入国の疑いがある謎の集団の尋問をするつもりだった。
それがなぜ、優雅なティーパーティーになっているのか。

「それで……ケインズ殿。あなた方は、大規模な商会の視察団、ということで間違いないかな?」

ダリウスは、何とか平静を装って尋ねる。

「はい、その通りでございます。わたくしどもの主(あるじ)は、大変な慈善家でございましてな。有望な事業に投資することで、世の中を豊かにしたい、と常々考えておいでなのです」

ケインズは、アテルイの方をちらりと見ながら、実に滑らかに嘘を並べ立てる。

「そして、こちらのアテルイお嬢様は、その主のご令嬢であり、我々が立ち上げる新しい商会の、いわば『顔』となっていただくお方。その類まれなる美貌とカリスマ性で、きっとエルツ王国の皆様にも愛されることでしょう」

「ほほう……」

ダリウスは、アテルイに視線を移す。
確かに、彼女の存在感は異常だ。ただそこに座って微笑んでいるだけで、部屋全体の空気が華やぐような、不思議な魅力がある。
もし本当に彼女が店の看板娘にでもなったら、国中の男たちが列をなすだろうことは、想像に難くない。

「して、その投資の規模というのは、どれほどのものをお考えかな?」
ダリウスは、探るように尋ねた。

すると、ケインズは待ってましたとばかりに、テーブルの上に小さな革袋を置いた。
ずしり、と重い音がする。

「これは、手付金代わりのご挨拶でございます。どうぞ、お納めください」

ダリウスが恐る恐る袋の口を開けると、中には眩いばかりの輝きを放つ、大量の金貨がぎっしりと詰まっていた。
その額は、この国境の町ゼーブルックの一年分の予算に匹敵するかもしれない。

「こ、これは……!」

「我々の本気度を、お分かりいただけましたかな?我々は、エルツ王国と友好な関係を築きたいのです。そのための先行投資は、惜しみませんぞ」

ケインズの言葉は、もはや脅しに近かった。
これだけの財力を持つ集団を、無下に追い返すのか、と。

「……」

ダリウスは、冷や汗をかきながら考える。
彼らの素性は、まだ怪しい。ミラグロ王国で何かがあったのかもしれない、という噂も、風の便りに聞こえてはくる。
しかし、これだけの財力を持つ集団を入国させれば、エルツ王国にとって莫大な利益になる可能性もまた、事実だった。

何より、目の前の少女、アテルイには、不思議と邪なものを感じない。
ただひたすらに無垢で、天真爛漫。
こんな少女が悪事を働くとは、到底思えなかった。

「……よろしいでしょう」
長い沈黙の末、ダリウスは決断した。

「あなた方の入国を、正式に許可します。ただし、王都以外の場所に滞在する際は、必ず届け出ること。そして、王都の治安を乱すような行為は、決して行わないように」

「おお、ありがとうございます、所長殿!」
ケインズは、芝居がかった様子で頭を下げた。

「まあ、嬉しいですわ!これで、この国を見て回ることができますのね!」
アテルイは、にこにこと無邪気に喜んでいる。

こうして、一行は正式な入国許可証を手に入れた。
賄賂ともいえる金貨と、最高級の茶菓子、そしてアテルイの規格外の魅力によって、国境の門はいとも簡単に開かれたのである。

部屋を出る直前、イゾルテがダリウスの耳元でそっと囁いた。

「所長様。賢明なご判断に、感謝いたしますわ」
その声は鈴のように可憐だったが、ダリウスには、なぜか背筋が凍るような思いがした。

(……とんでもない連中を、国に入れてしまったのかもしれん)

ダリウスは、一行の背中が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ。

緑谷めい
恋愛
「むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ」  そう、むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。    私は、カトリーヌ・ナルセー。17歳。  ナルセー公爵家の長女であり、第2王子ハロルド殿下の婚約者である。父のナルセー公爵は、この国の宰相だ。  その父は、今、私の目の前で、顔面蒼白になっている。 「カトリーヌ、もう一度言ってくれ。私の聞き間違いかもしれぬから」  お父様、お気の毒ですけれど、お聞き間違いではございませんわ。では、もう一度言いますわよ。 「今日、王宮で、ハロルド様に往復ビンタを浴びせ、更に足で蹴りつけましたの」  

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

婚約破棄されてイラッときたから、目についた男に婚約申し込んだら、幼馴染だった件

ユウキ
恋愛
苦節11年。王家から押し付けられた婚約。我慢に我慢を重ねてきた侯爵令嬢アデレイズは、王宮の人が行き交う大階段で婚約者である第三王子から、婚約破棄を告げられるのだが、いかんせんタイミングが悪すぎた。アデレイズのコンディションは最悪だったのだ。

兄の婚約解消による支払うべき代償【本編完結】

美麗
恋愛
アスターテ皇国 皇帝 ヨハン=シュトラウス=アスターテ アスターテ皇国は周辺国との関係も良く、落ち着いた治世が続いていた。貴族も平民も良く働き、平和で豊かな暮らしをおくっている。 皇帝ヨハンには 皇妃に男の子が一人 妾妃に女の子が一人 二人の子どもがある。 皇妃の産んだ男の子が皇太子となり 妾妃の産んだ女の子は降嫁することが決まっている。 その皇女様の降嫁先だった侯爵家の とばっちりを受けた妹のお話。 始まります。 よろしくお願いします。

《完結》悪女と噂されたわたくしのざまぁ

ヴァンドール
恋愛
悪女と噂のわたくしとの結婚なら、どれほど軽んじても問題はないと思っていた旦那様。 ところが……。

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

罠に嵌められたのは一体誰?

チカフジ ユキ
恋愛
卒業前夜祭とも言われる盛大なパーティーで、王太子の婚約者が多くの人の前で婚約破棄された。   誰もが冤罪だと思いながらも、破棄された令嬢は背筋を伸ばし、それを認め国を去ることを誓った。 そして、その一部始終すべてを見ていた僕もまた、その日に婚約が白紙になり、仕方がないかぁと思いながら、実家のある隣国へと帰って行った。 しかし帰宅した家で、なんと婚約破棄された元王太子殿下の婚約者様が僕を出迎えてた。

処理中です...