裏切りの騎士は悪役令嬢を溺愛していた

桜井ことり

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翌朝、鳥のさえずりで目が覚めたアテナは、自分が柔らかな草の上ではなく、誰かの体温の上にいることに気づいた。

「……あ」

見上げれば、そこには整った顎のライン。
ローレンスが彼女を抱きかかえたまま、木にもたれかかって眠っていた。

いや、眠ってはいなかったらしい。アテナが身じろぎした瞬間、その琥珀色の瞳がすっと開いた。

「おはようございます、アテナ様。よく眠れましたか?」

「お、おはよう……。貴方、ずっと私を抱いたままだったの?」

「ええ。地面は冷えますし、虫が寄ってきてもいけませんから」

事もなげに言うローレンスに対し、アテナは慌てて彼の腕から抜け出した。
公爵令嬢として厳格に育てられた彼女にとって、男性の体温をこれほど身近に感じるのは異常事態だ。

「……貴方はいつ寝たのよ。夜通し起きていたんじゃないでしょうね」

「騎士ですから、三日三晩起きているくらいはどうということもありません。それより、お顔を拭きましょう」

ローレンスは手際よく、近くの湧き水で冷やした清潔な布を取り出した。
そして、当然のような顔をしてアテナの頬に手を伸ばす。

「いいわ、自分でできるわよ!」

「ダメです。貴女のその美しい肌に傷でもついたら、私は自分を許せません。じっとしていてください」

強い力ではない。けれど、拒絶を許さない絶対的な意志がそこにはあった。
アテナは毒気を抜かれたように、大人しく彼に顔を委ねた。

ひんやりとした布が肌を滑る。
その手つきは、戦場を駆ける騎士のものとは思えないほど、繊細で優しかった。

「……お父様も、エドワードも。私に何かをしてくれる時は、いつも『公爵令嬢として』の対価を求めたわ」

ふと、アテナの口から本音が零れた。

「完璧な礼儀、完璧な成績、完璧な微笑……。それらができて初めて、私は褒められた。でも、貴方は……」

「私は、貴女がただそこにいて、呼吸をしているだけで十分なのです」

ローレンスは布を置くと、アテナの乱れた髪を指先で梳いた。

「貴女が我儘を言えば嬉しい。貴女が泣けば、その涙を拭えることが誇らしい。対価など必要ありません。貴女の存在そのものが、私への報酬ですから」

「……馬鹿げてるわ。そんなの、愛じゃない。ただの依存よ」

「そうかもしれませんね。ですが、この依存こそが私の生きる糧なのです」

ローレンスは荷物の中から、温かなスープが入った水筒を取り出した。
昨夜のうちに、魔法具で温め直しておいたらしい。

「さあ、召し上がってください。今の貴女に必要なのは、小難しい理屈ではなく栄養です」

手渡されたスープを一口飲むと、野菜の甘みが口いっぱいに広がった。
城で食べていた豪華なフルコースよりも、ずっとずっと、身体の芯まで温まる気がした。

「……美味しい」

「それは良かったです。辺境に着けば、もっとまともな食事が用意できますよ」

「辺境って、本当にそこへ行くつもりなの? 王国の追っ手はすぐに来るわ」

アテナの不安を打ち消すように、ローレンスは彼女の手を握り、力強く微笑んだ。

「ご安心を。私たちが向かう場所は、王家の力が及ばない『治外法権』の地……そして、私が密かに整えてきた場所です」

「整えてきた? まさか、前から準備していたの?」

「貴女がいつかあの男に捨てられた時のために、数年前から」

ローレンスの涼しい顔での告白に、アテナはスープを吹き出しそうになった。
この騎士は、忠誠を誓っているフリをしながら、ずっと裏切りの準備をしていたというのか。

「……貴方、本当に恐ろしい人ね」

「最高の褒め言葉です、アテナ様」

ローレンスは満足げに目を細めると、彼女の指先についたスープの雫を、指で拭って自らの唇で拭った。

そのあまりにも親密で独占欲に満ちた仕草に、アテナの心臓は再び、うるさいほどの鼓動を刻み始めるのだった。
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