5 / 30
5
しおりを挟む
馬に揺られて数日。険しい山道を越えた先に現れたのは、霧に包まれた深い森だった。
「ローレンス、本当にこの先に道があるの? もう何時間も木しか見ていないけれど……」
アテナが不安げに尋ねると、背後で手綱を握るローレンスが優しく囁いた。
「ええ。この霧は、部外者を遠ざけるための魔導具によるものです。もうすぐ見えてきますよ、私たちがこれから過ごす家が」
その言葉通り、霧がふわりと晴れた瞬間、視界が開けた。
そこに建っていたのは、隠れ家と呼ぶにはあまりに立派な、白壁の邸宅だった。
「……これが、隠れ家? ただの別荘じゃない」
「貴女を薄汚い小屋に住ませるわけにはいきませんから。最低限の設備は整えておきました」
ローレンスは馬を止めると、手慣れた様子でアテナを抱き上げた。
もはや、彼に抱かれることが当たり前のようになっている自分に、アテナは内心で溜息をつく。
邸宅の扉を開けると、そこには磨き上げられた床と、温かな暖炉の火が待っていた。
「おかえりなさいませ、ローレンス様」
不意に声をかけられ、アテナは肩を揺らした。
そこには、年配の男女が控えていた。
「彼らは私が信頼している使用人です。口は堅いですし、アテナ様の身の回りの世話を完璧にこなしてくれます」
「ローレンス……貴方、本当にどれだけ前から準備していたのよ」
「……三年前、貴女がエドワード王子と婚約したその日からです。いつか必ず、彼が貴女を裏切ると確信していましたから」
ローレンスの琥珀色の瞳が、一瞬だけ鋭い光を宿す。
彼はアテナをゆっくりとソファへ下ろすと、その前に跪いた。
「今日から、ここが貴女の城です。誰も貴女を傷つけず、誰も貴女に義務を強いない。ただ、私の愛だけを受け取ってくださればいい」
「……私を、ここに閉じ込めるつもり?」
「閉じ込める、だなんて人聞きが悪い。私はただ、貴女を世界の毒から遠ざけたいだけです。……もし外へ出たいのであれば、必ず私を同伴させてください。貴女の騎士として、影のようにお守りします」
それは、甘い響きを持った「監禁」の宣告にも聞こえた。
けれど、裏切られ、捨てられ、全てを失ったアテナにとって、その重すぎるほどの執着が、今は何よりも心地よい。
「お嬢様、お風呂の支度ができております。お疲れでしょう、温まってください」
「あ、ええ。ありがとう……」
使用人に促され、アテナは立ち上がる。
ふと振り返ると、ローレンスが去りゆく彼女の背中を、飢えた獣のような、それでいて崇拝を捧げる信徒のような、複雑な瞳で見つめていた。
「ローレンス?」
「……失礼しました。あまりに美しい後ろ姿だったので、つい見惚れてしまいました。ゆっくり休んでください。夕食には、貴女の好きなレモンパイを焼かせますから」
「どうして私の好物を……。まあいいわ、期待しているわね」
アテナが部屋を去った後、ローレンスは一人、静かに笑みを深めた。
「……ようやく、手に入れた」
その声は、暖炉の爆ぜる音に消えるほど小さかったが、そこには確かな狂気が混じっていた。
「もう二度と、その瞳にあの愚かな王子を映させはしない。貴女の視界も、思考も、その身に刻まれる感触も。……全て、私だけで塗り替えて差し上げます」
こうして、公爵令嬢アテナの「悪役令嬢」としての人生は終わりを告げた。
そして、一人の男による、甘く過保護で執拗な溺愛の日々が、幕を開ける。
「ローレンス、本当にこの先に道があるの? もう何時間も木しか見ていないけれど……」
アテナが不安げに尋ねると、背後で手綱を握るローレンスが優しく囁いた。
「ええ。この霧は、部外者を遠ざけるための魔導具によるものです。もうすぐ見えてきますよ、私たちがこれから過ごす家が」
その言葉通り、霧がふわりと晴れた瞬間、視界が開けた。
そこに建っていたのは、隠れ家と呼ぶにはあまりに立派な、白壁の邸宅だった。
「……これが、隠れ家? ただの別荘じゃない」
「貴女を薄汚い小屋に住ませるわけにはいきませんから。最低限の設備は整えておきました」
ローレンスは馬を止めると、手慣れた様子でアテナを抱き上げた。
もはや、彼に抱かれることが当たり前のようになっている自分に、アテナは内心で溜息をつく。
邸宅の扉を開けると、そこには磨き上げられた床と、温かな暖炉の火が待っていた。
「おかえりなさいませ、ローレンス様」
不意に声をかけられ、アテナは肩を揺らした。
そこには、年配の男女が控えていた。
「彼らは私が信頼している使用人です。口は堅いですし、アテナ様の身の回りの世話を完璧にこなしてくれます」
「ローレンス……貴方、本当にどれだけ前から準備していたのよ」
「……三年前、貴女がエドワード王子と婚約したその日からです。いつか必ず、彼が貴女を裏切ると確信していましたから」
ローレンスの琥珀色の瞳が、一瞬だけ鋭い光を宿す。
彼はアテナをゆっくりとソファへ下ろすと、その前に跪いた。
「今日から、ここが貴女の城です。誰も貴女を傷つけず、誰も貴女に義務を強いない。ただ、私の愛だけを受け取ってくださればいい」
「……私を、ここに閉じ込めるつもり?」
「閉じ込める、だなんて人聞きが悪い。私はただ、貴女を世界の毒から遠ざけたいだけです。……もし外へ出たいのであれば、必ず私を同伴させてください。貴女の騎士として、影のようにお守りします」
それは、甘い響きを持った「監禁」の宣告にも聞こえた。
けれど、裏切られ、捨てられ、全てを失ったアテナにとって、その重すぎるほどの執着が、今は何よりも心地よい。
「お嬢様、お風呂の支度ができております。お疲れでしょう、温まってください」
「あ、ええ。ありがとう……」
使用人に促され、アテナは立ち上がる。
ふと振り返ると、ローレンスが去りゆく彼女の背中を、飢えた獣のような、それでいて崇拝を捧げる信徒のような、複雑な瞳で見つめていた。
「ローレンス?」
「……失礼しました。あまりに美しい後ろ姿だったので、つい見惚れてしまいました。ゆっくり休んでください。夕食には、貴女の好きなレモンパイを焼かせますから」
「どうして私の好物を……。まあいいわ、期待しているわね」
アテナが部屋を去った後、ローレンスは一人、静かに笑みを深めた。
「……ようやく、手に入れた」
その声は、暖炉の爆ぜる音に消えるほど小さかったが、そこには確かな狂気が混じっていた。
「もう二度と、その瞳にあの愚かな王子を映させはしない。貴女の視界も、思考も、その身に刻まれる感触も。……全て、私だけで塗り替えて差し上げます」
こうして、公爵令嬢アテナの「悪役令嬢」としての人生は終わりを告げた。
そして、一人の男による、甘く過保護で執拗な溺愛の日々が、幕を開ける。
31
あなたにおすすめの小説
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
妹のために愛の無い結婚をすることになりました
バンブー竹田
恋愛
「エミリー、君との婚約は破棄することに決まった」
愛するラルフからの唐突な通告に私は言葉を失ってしまった。
婚約が破棄されたことはもちろんショックだけど、それだけじゃない。
私とラルフの結婚は妹のシエルの命がかかったものでもあったから・・・。
落ちこむ私のもとに『アレン』という大金持ちの平民からの縁談が舞い込んできた。
思い悩んだ末、私は会ったこともない殿方と結婚することに決めた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
妾に恋をした
はなまる
恋愛
ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。 そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。
早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。
実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。
だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。
ミーシャは無事ミッションを成せるのか?
それとも玉砕されて追い出されるのか?
ネイトの恋心はどうなってしまうのか?
カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?
王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる