裏切りの騎士は悪役令嬢を溺愛していた

桜井ことり

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「……ねえ、ローレンス。さっきから気になっていたのだけれど」

アテナは目の前に差し出された銀のスプーンを見つめ、眉を寄せた。

邸宅のサンルーム。柔らかな朝日が差し込む中、優雅な朝食の時間が始まるはずだった。
しかし、ローレンスは自分の席に座ることなく、アテナの真横に椅子を密着させて陣取っている。

「はい、何でしょうか。スープの温度が低すぎましたか?」

「そうじゃないわ。……どうして貴方が食べさせようとするのよ」

「アテナ様の手を疲れさせたくないからです。このスプーンは貴女の細い指には少々重すぎます」

「そんなわけないでしょう! 公爵令嬢として、もっと重い銀食器を毎日扱ってきたわ!」

アテナは呆れたように声を上げたが、ローレンスは全く動じない。
彼は「あーん」を促すように、絶妙な角度でスプーンを彼女の唇に近づける。

「昨日までの貴女はそうだったかもしれません。ですが、私の管理下にある今の貴女は、指一本動かす必要はないのです。……さあ、冷めないうちに」

「……っ」

逃げ場のない至近距離。
琥珀色の瞳が熱っぽく自分を射抜いている。

アテナは顔が熱くなるのを感じながら、観念して小さな口を開いた。
温かなスープが口の中に広がるが、味よりも彼の視線の強さに意識が持っていかれそうだ。

「美味しいですか?」

「……ええ、美味しいわよ。でも、次は自分で食べるから」

「ふふ、善処します(やりません)」

確信犯的な微笑みを浮かべ、ローレンスは布巾でアテナの口元を丁寧に拭った。
その指先がわざとらしく唇をなぞり、アテナの肩がびくりと跳ねる。

「……ローレンス、距離が近すぎるわ」

「そうですか? 私はもっと近づきたいくらいなのですが」

「これ以上どこに近づく余地があるのよ! 膝が触れているし、貴方の体温が移ってきそうなのだけれど」

アテナが抗議すると、ローレンスはさらに顔を寄せ、彼女の首筋に鼻先を埋めた。

「ひゃっ!? な、何……っ」

「……いい香りだ。アテナ様の香りを嗅ぐだけで、私の理性は簡単に消し飛びそうになります。このまま食べてしまいたいほどに」

「……っ、不敬よ! 反逆者!」

「ええ、私は既に貴女の心を奪おうとしている大罪人ですから。今さら一つや二つの不敬が増えても変わりません」

ローレンスは耳元で低く囁くと、アテナの耳たぶを甘噛みするように唇を寄せた。

「……あ、ん……っ」

思わず漏れた小さな声に、アテナは自分の口を両手で押さえた。
心臓が警鐘を鳴らしている。この男と一緒にいたら、自分の中の「令嬢」としての理性が崩壊してしまう。

「ローレンス、離して。……少し、落ち着かせてちょうだい」

「……失礼しました。アテナ様があまりにも可愛らしい反応をされるので、つい」

ようやく身体を離したローレンスだが、その瞳には全く反省の色がない。
むしろ、獲物をじっくりと追い詰める猟師のような、静かな愉悦が宿っている。

「……貴方、王都にいた頃はもっと……なんていうか、ストイックな騎士だったじゃない。あの冷徹な聖騎士団長はどこへ行ったの?」

「あれは仮面ですよ。貴女の婚約者であった王子や、あの腐った王宮に見せるためのね。……今の私が、剥き出しの私です。アテナ様、貴女だけに捧げる私の本性ですよ」

ローレンスはそう言って、今度はアテナの髪を一房手に取り、愛おしそうに頬ずりした。

「狂っているわ……」

「ええ、貴女という猛毒に侵されて、もう手遅れなんです。……さあ、スープがなくなりました。次はオムレツです。私が小さく切り分けて差し上げますね」

「……もう、好きにすればいいわ」

アテナは半ば諦め、差し出される食事を次々と口に運ばされる羽目になった。
羞恥心は限界を超え、いつしか彼の過剰な接触に慣れ始めている自分に、彼女は密かな恐怖を抱くのだった。
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