7 / 30
7
しおりを挟む
「……ねえ、ローレンス。さっきから気になっていたのだけれど」
アテナは目の前に差し出された銀のスプーンを見つめ、眉を寄せた。
邸宅のサンルーム。柔らかな朝日が差し込む中、優雅な朝食の時間が始まるはずだった。
しかし、ローレンスは自分の席に座ることなく、アテナの真横に椅子を密着させて陣取っている。
「はい、何でしょうか。スープの温度が低すぎましたか?」
「そうじゃないわ。……どうして貴方が食べさせようとするのよ」
「アテナ様の手を疲れさせたくないからです。このスプーンは貴女の細い指には少々重すぎます」
「そんなわけないでしょう! 公爵令嬢として、もっと重い銀食器を毎日扱ってきたわ!」
アテナは呆れたように声を上げたが、ローレンスは全く動じない。
彼は「あーん」を促すように、絶妙な角度でスプーンを彼女の唇に近づける。
「昨日までの貴女はそうだったかもしれません。ですが、私の管理下にある今の貴女は、指一本動かす必要はないのです。……さあ、冷めないうちに」
「……っ」
逃げ場のない至近距離。
琥珀色の瞳が熱っぽく自分を射抜いている。
アテナは顔が熱くなるのを感じながら、観念して小さな口を開いた。
温かなスープが口の中に広がるが、味よりも彼の視線の強さに意識が持っていかれそうだ。
「美味しいですか?」
「……ええ、美味しいわよ。でも、次は自分で食べるから」
「ふふ、善処します(やりません)」
確信犯的な微笑みを浮かべ、ローレンスは布巾でアテナの口元を丁寧に拭った。
その指先がわざとらしく唇をなぞり、アテナの肩がびくりと跳ねる。
「……ローレンス、距離が近すぎるわ」
「そうですか? 私はもっと近づきたいくらいなのですが」
「これ以上どこに近づく余地があるのよ! 膝が触れているし、貴方の体温が移ってきそうなのだけれど」
アテナが抗議すると、ローレンスはさらに顔を寄せ、彼女の首筋に鼻先を埋めた。
「ひゃっ!? な、何……っ」
「……いい香りだ。アテナ様の香りを嗅ぐだけで、私の理性は簡単に消し飛びそうになります。このまま食べてしまいたいほどに」
「……っ、不敬よ! 反逆者!」
「ええ、私は既に貴女の心を奪おうとしている大罪人ですから。今さら一つや二つの不敬が増えても変わりません」
ローレンスは耳元で低く囁くと、アテナの耳たぶを甘噛みするように唇を寄せた。
「……あ、ん……っ」
思わず漏れた小さな声に、アテナは自分の口を両手で押さえた。
心臓が警鐘を鳴らしている。この男と一緒にいたら、自分の中の「令嬢」としての理性が崩壊してしまう。
「ローレンス、離して。……少し、落ち着かせてちょうだい」
「……失礼しました。アテナ様があまりにも可愛らしい反応をされるので、つい」
ようやく身体を離したローレンスだが、その瞳には全く反省の色がない。
むしろ、獲物をじっくりと追い詰める猟師のような、静かな愉悦が宿っている。
「……貴方、王都にいた頃はもっと……なんていうか、ストイックな騎士だったじゃない。あの冷徹な聖騎士団長はどこへ行ったの?」
「あれは仮面ですよ。貴女の婚約者であった王子や、あの腐った王宮に見せるためのね。……今の私が、剥き出しの私です。アテナ様、貴女だけに捧げる私の本性ですよ」
ローレンスはそう言って、今度はアテナの髪を一房手に取り、愛おしそうに頬ずりした。
「狂っているわ……」
「ええ、貴女という猛毒に侵されて、もう手遅れなんです。……さあ、スープがなくなりました。次はオムレツです。私が小さく切り分けて差し上げますね」
「……もう、好きにすればいいわ」
アテナは半ば諦め、差し出される食事を次々と口に運ばされる羽目になった。
羞恥心は限界を超え、いつしか彼の過剰な接触に慣れ始めている自分に、彼女は密かな恐怖を抱くのだった。
アテナは目の前に差し出された銀のスプーンを見つめ、眉を寄せた。
邸宅のサンルーム。柔らかな朝日が差し込む中、優雅な朝食の時間が始まるはずだった。
しかし、ローレンスは自分の席に座ることなく、アテナの真横に椅子を密着させて陣取っている。
「はい、何でしょうか。スープの温度が低すぎましたか?」
「そうじゃないわ。……どうして貴方が食べさせようとするのよ」
「アテナ様の手を疲れさせたくないからです。このスプーンは貴女の細い指には少々重すぎます」
「そんなわけないでしょう! 公爵令嬢として、もっと重い銀食器を毎日扱ってきたわ!」
アテナは呆れたように声を上げたが、ローレンスは全く動じない。
彼は「あーん」を促すように、絶妙な角度でスプーンを彼女の唇に近づける。
「昨日までの貴女はそうだったかもしれません。ですが、私の管理下にある今の貴女は、指一本動かす必要はないのです。……さあ、冷めないうちに」
「……っ」
逃げ場のない至近距離。
琥珀色の瞳が熱っぽく自分を射抜いている。
アテナは顔が熱くなるのを感じながら、観念して小さな口を開いた。
温かなスープが口の中に広がるが、味よりも彼の視線の強さに意識が持っていかれそうだ。
「美味しいですか?」
「……ええ、美味しいわよ。でも、次は自分で食べるから」
「ふふ、善処します(やりません)」
確信犯的な微笑みを浮かべ、ローレンスは布巾でアテナの口元を丁寧に拭った。
その指先がわざとらしく唇をなぞり、アテナの肩がびくりと跳ねる。
「……ローレンス、距離が近すぎるわ」
「そうですか? 私はもっと近づきたいくらいなのですが」
「これ以上どこに近づく余地があるのよ! 膝が触れているし、貴方の体温が移ってきそうなのだけれど」
アテナが抗議すると、ローレンスはさらに顔を寄せ、彼女の首筋に鼻先を埋めた。
「ひゃっ!? な、何……っ」
「……いい香りだ。アテナ様の香りを嗅ぐだけで、私の理性は簡単に消し飛びそうになります。このまま食べてしまいたいほどに」
「……っ、不敬よ! 反逆者!」
「ええ、私は既に貴女の心を奪おうとしている大罪人ですから。今さら一つや二つの不敬が増えても変わりません」
ローレンスは耳元で低く囁くと、アテナの耳たぶを甘噛みするように唇を寄せた。
「……あ、ん……っ」
思わず漏れた小さな声に、アテナは自分の口を両手で押さえた。
心臓が警鐘を鳴らしている。この男と一緒にいたら、自分の中の「令嬢」としての理性が崩壊してしまう。
「ローレンス、離して。……少し、落ち着かせてちょうだい」
「……失礼しました。アテナ様があまりにも可愛らしい反応をされるので、つい」
ようやく身体を離したローレンスだが、その瞳には全く反省の色がない。
むしろ、獲物をじっくりと追い詰める猟師のような、静かな愉悦が宿っている。
「……貴方、王都にいた頃はもっと……なんていうか、ストイックな騎士だったじゃない。あの冷徹な聖騎士団長はどこへ行ったの?」
「あれは仮面ですよ。貴女の婚約者であった王子や、あの腐った王宮に見せるためのね。……今の私が、剥き出しの私です。アテナ様、貴女だけに捧げる私の本性ですよ」
ローレンスはそう言って、今度はアテナの髪を一房手に取り、愛おしそうに頬ずりした。
「狂っているわ……」
「ええ、貴女という猛毒に侵されて、もう手遅れなんです。……さあ、スープがなくなりました。次はオムレツです。私が小さく切り分けて差し上げますね」
「……もう、好きにすればいいわ」
アテナは半ば諦め、差し出される食事を次々と口に運ばされる羽目になった。
羞恥心は限界を超え、いつしか彼の過剰な接触に慣れ始めている自分に、彼女は密かな恐怖を抱くのだった。
30
あなたにおすすめの小説
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
妹のために愛の無い結婚をすることになりました
バンブー竹田
恋愛
「エミリー、君との婚約は破棄することに決まった」
愛するラルフからの唐突な通告に私は言葉を失ってしまった。
婚約が破棄されたことはもちろんショックだけど、それだけじゃない。
私とラルフの結婚は妹のシエルの命がかかったものでもあったから・・・。
落ちこむ私のもとに『アレン』という大金持ちの平民からの縁談が舞い込んできた。
思い悩んだ末、私は会ったこともない殿方と結婚することに決めた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
妾に恋をした
はなまる
恋愛
ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。 そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。
早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。
実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。
だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。
ミーシャは無事ミッションを成せるのか?
それとも玉砕されて追い出されるのか?
ネイトの恋心はどうなってしまうのか?
カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?
王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる