裏切りの騎士は悪役令嬢を溺愛していた

桜井ことり

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追っ手を振り切り、洞窟の奥深くで夜を明かすことになった。

アテナは慣れない手つきで、ローレンスの肩の手当を終えたところだった。
止血は済んだが、彼の白い肌に刻まれた傷跡が、アテナの胸を締め付ける。

「……ローレンス。貴方、さっき『次の玉座』と言ったわね」

アテナは包帯の結び目を整えながら、彼を真っ直ぐに見据えた。
ローレンスは痛みを微塵も感じさせない微笑みを浮かべ、彼女の手を優しく握った。

「鋭いですね。……隠すつもりはありません。ただ、貴女が今の王国に絶望するのを待っていたのです」

「……どういうこと?」

ローレンスは懐から、古びた、けれど高貴な紋章が刻まれた金色のメダリオンを取り出した。
それはこの王国の紋章ではない。北に位置する強大なる帝国、ガルディアの皇家の紋章だった。

「私の本当の名は、ローレンス・ディ・ガルディア。……ガルディア帝国の、第一皇子です」

「……っ!? 皇子……? でも、貴方は没落した騎士の家の子供だと……」

アテナは驚きに目を見開いた。
ローレンスは静かに語り始める。

「母は皇帝の寵姫でしたが、正妃の策略により、私は暗殺されかけたのです。母は私を逃がすために、この王国の場末にある騎士家へ私を預けました。……それが、あの泥水を啜るような日々の始まりです」

「……そんな。じゃあ、貴方はずっと、身分を隠してこの国にいたの?」

「ええ。ですが、数年前、帝国内部で政変が起きました。私を疎んでいた勢力は一掃され、今は父……皇帝陛下が私の帰還を心待ちにしています」

ローレンスの指先が、アテナの頬を愛おしそうになぞる。

「私が騎士団長にまで上り詰めたのは、力を蓄えるためだけではありません。アテナ、貴女をガルディアの『皇妃』として迎える準備を整えるためだったのです」

「私を……皇妃に?」

「今の王国など、捨ててしまいましょう。あんな愚かな王子が治める小国、私が本気を出せば数日で地図から消し飛ばせます。……ですが、それでは貴女の気が済まないでしょう?」

ローレンスの瞳に、冷酷なまでの合理性と、狂気的な愛が混ざり合う。

「エドワード王子が最も恐れるのは、死ではありません。自分が捨てた『悪役令嬢』が、自分よりも遥かに高貴な地位に就き、自分を足蹴にする……その屈辱こそが、彼への最大の復讐になる」

アテナは、あまりに壮大な計画に言葉を失った。
彼は数年も前から、自分が追放されることすら計算に入れ、その先の「王道」を用意していたのだ。

「……貴方は、どこまで先を読んでいるのよ。私という人間すら、貴方の盤上の駒だというの?」

「いいえ。貴女は駒ではありません。……貴女は私の盤そのもの。私の世界の全てです」

ローレンスはアテナを抱き寄せ、その首筋に熱い誓いの接吻を落とした。

「王国へ逆襲の牙を剥きましょう。私がガルディアの軍勢を率い、貴女を虐げた者たちを一人残らず膝突かせます。……アテナ、私の隣で、世界を支配してくれませんか?」

「……ふふ。最強の騎士が、実は最強の国の皇子様だったなんて。……いいわ。その誘い、乗ってあげる」

アテナは彼の胸に顔を埋め、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
絶望の底にいたはずの二人は、今、最強のカードを手に入れ、逆襲の舞台へと駆け上がる。

「裏切りの騎士」の真実。それは、愛する女性に世界を捧げるための、壮大な序曲に過ぎなかった。
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