婚約破棄された無能は王太子に拾われる

桜井ことり

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明日に結婚式を控え、王宮全体がお祭り騒ぎの熱気に包まれている。

そんな喧騒を離れ、私はアリステア殿下と共に、静かな月の光が差し込むバルコニーにいた。

「……ロア。明日になれば、君は名実ともに私の妻だ」

殿下の声は、夜風に溶けるほど優しく、けれど重厚な決意に満ちていた。

「そうですね、殿下。……私も、自分の戸籍が『クリスティア』に書き換わる際の筆跡を、末梢神経が乱れないよう何度も練習いたしました。準備は万全です」

「……君は本当に、こういう時まで実務的だな」

殿下は苦笑しながら、私の背後からそっと手を回した。
私の背中に、殿下の心地よい体温と、わずかに速い心拍が伝わってくる。

「……怖かったんだ」

「えっ? 何がですか? 明日の式で、私が緊張のあまり『悪役顔』を全開にして、司祭様を失神させてしまうことですか?」

「違う。……君がいなくなる世界を、想像することだ」

殿下は私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。

「あの日、卒業パーティーで君が断罪されていた時……。もし私が間に合わなかったら。もし君が、その優しすぎる魂のまま、どこか遠くへ消えてしまっていたら。……私の人生は、ただの『王座を守るための空虚な時間』で終わっていただろう」

「……殿下」

「君が私を健康にしてくれたのは、体だけじゃない。……君の突拍子もない健康指導や、あの鋭い眼差しが、私の凍りついた心をどれだけ温めてくれたか。……ロア。君がいない世界なんて、私には一秒だって耐えられない」

殿下の腕に、ぎゅっと力がこもる。
それは、愛という名の「強固な拘束」のようだった。

「……殿下。そんなに強く抱きしめると、私の胸郭が圧迫されて肺胞の広がりが制限されます。……ですが」

私は、自分の手を殿下の手の上に重ねた。

「……私も、殿下がいない世界は、非常に不衛生で不健康だと感じます。殿下のいない食事は味気なく、殿下のいない夜は手足が冷えます。……つまり、殿下は私の生命維持に不可欠な『基礎代謝』のような存在なのです」

「……ふふ。基礎代謝、か。君らしい、最高の愛の告白だよ」

殿下は私を正面から向き合わせると、月の光を反射して黄金に輝く瞳で、私を真っ直ぐに見つめた。

「愛しているよ、ロア。明日からも、その先も。君の骨の髄まで、私の愛で満たし続けてあげる」

「……骨髄の健康まで守っていただけるなら、私は一生、殿下の専属医師(兼・王太子妃)として側に居続けますわ」

静かな夜に、二人の誓いが溶けていく。
前夜祭の夜、私たちは翌朝の「最高に健康な目覚め」を約束し、深く、甘い眠りへとつくのだった。
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