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地獄だった。
アリウス・ブライアンにとって、ここ最近の日々は地獄そのものだった。
エラが企てた妨害工作は、カイル・エルミロードによって、いとも簡単に、そして完璧に阻止された。
それだけではない。
ブライアン侯爵家には、エルミロード大公家から『遺憾の意』を示す、事実上の最後通告が届けられた。
父である侯爵は激怒し、アリウスは生まれて初めてというほど厳しく叱責された。
「お前の監督不行き届きのせいだ!あの男爵令嬢をきちんと躾けられんのか!」
「エルミロード大公を敵に回すことが、どういうことか分かっているのか、この愚か者めが!」
家の内外で、アリウスの立場は完全に失墜した。
そんな彼の心を、さらに抉るのが、街で耳にする噂だった。
『リンユウ様とエルミロード大公、本当にお似合いよね』
『あのお二人が並んで歩いているのを見たけれど、まるで絵画のようだったわ』
聞きたくもないのに、耳に入ってくる。
リンユウとカイルの、幸せそうな噂話。
アリウスは、自分が捨てた女が、自分よりも遥かに家柄も能力も上の男と、幸せになろうとしている現実を受け入れられなかった。
その日、アリウスは自暴自棄な気持ちで、街をさまよっていた。
エラの顔も見たくなかった。彼女の甲高い声を聞いているだけで、頭が痛くなる。
どうして、こんなことになったのか。
どこで、間違えたのか。
ふと、馴染みの高級宝飾店の前で、人だかりができているのに気づいた。
野次馬根性で人垣をかき分けて前に出たアリウスは、その光景に息を呑んだ。
店のショーウィンドウの前で、リンユウとカイルが、親しげに語らっている。
カイルが、ショーウィンドウの中のネックレスを指さし、何かを言うと、リンユウがはにかむように微笑んだ。
その笑顔は、アリウスが今まで一度も見たことのない、心からの幸せに満ちた、柔らかな表情だった。
かつて、自分の隣にいた時の彼女は、いつもどこか緊張していて、完璧な淑女の仮面をかぶっていたように思う。
だが、今の彼女は違う。
カイルの前では、完全に心を許しきっている。
その光景が、毒のようにアリウスの全身に回った。
胸を締め付ける、激しい痛み。
それは、ただの嫉妬ではなかった。
もっと、深く、取り返しのつかない感情。
――後悔。
なぜ、俺は、あの女を手放してしまったんだ?
あの美しいだけの、傲慢な女だと思っていた。
だが、違った。
彼女は、聡明で、行動力があり、そして、今、あのカイル・エルミロードさえも虜にするほどの、魅力的な女性だったのだ。
あの笑顔は、本来、自分の隣で、自分に向けられるはずのものだったのではないか。
ドクン、ドクンと心臓がうるさく鳴る。
呼吸が浅くなり、指先が冷たくなった。
今、自分の隣にいるのは誰だ?
浪費家で、浅はかで、自分のことしか考えない、ヒステリックな女。
エラとリンユウを比べてしまい、その差は歴然としていた。
天と地ほども違う。いや、比べることすらおこがましい。
「……あ」
アリウスの視線に気づいたのか、リンユウがふとこちらを向いた。
一瞬、驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には、すっと表情を消し、興味などないというようにカイルの方へ向き直ってしまった。
まるで、道端の石ころでも見るような、無関心な眼差し。
その一瞥が、アリウスの心を完全に折った。
彼女の心の中には、もう自分は欠片も存在しないのだ。
その事実が、何よりも彼を打ちのめした。
(取り戻したい)
狂おしいほどの渇望が、心の底から湧き上がってきた。
あの女を、もう一度、この手に。
そのためなら、何でもする。
焦燥感に駆られたアリウスは、人混みの中に紛れるようにして、その場から逃げ出した。
彼の心は、嫉妬と後悔、そして歪んだ執着によって、もはや正常な判断ができない状態に陥っていた。
アリウス・ブライアンにとって、ここ最近の日々は地獄そのものだった。
エラが企てた妨害工作は、カイル・エルミロードによって、いとも簡単に、そして完璧に阻止された。
それだけではない。
ブライアン侯爵家には、エルミロード大公家から『遺憾の意』を示す、事実上の最後通告が届けられた。
父である侯爵は激怒し、アリウスは生まれて初めてというほど厳しく叱責された。
「お前の監督不行き届きのせいだ!あの男爵令嬢をきちんと躾けられんのか!」
「エルミロード大公を敵に回すことが、どういうことか分かっているのか、この愚か者めが!」
家の内外で、アリウスの立場は完全に失墜した。
そんな彼の心を、さらに抉るのが、街で耳にする噂だった。
『リンユウ様とエルミロード大公、本当にお似合いよね』
『あのお二人が並んで歩いているのを見たけれど、まるで絵画のようだったわ』
聞きたくもないのに、耳に入ってくる。
リンユウとカイルの、幸せそうな噂話。
アリウスは、自分が捨てた女が、自分よりも遥かに家柄も能力も上の男と、幸せになろうとしている現実を受け入れられなかった。
その日、アリウスは自暴自棄な気持ちで、街をさまよっていた。
エラの顔も見たくなかった。彼女の甲高い声を聞いているだけで、頭が痛くなる。
どうして、こんなことになったのか。
どこで、間違えたのか。
ふと、馴染みの高級宝飾店の前で、人だかりができているのに気づいた。
野次馬根性で人垣をかき分けて前に出たアリウスは、その光景に息を呑んだ。
店のショーウィンドウの前で、リンユウとカイルが、親しげに語らっている。
カイルが、ショーウィンドウの中のネックレスを指さし、何かを言うと、リンユウがはにかむように微笑んだ。
その笑顔は、アリウスが今まで一度も見たことのない、心からの幸せに満ちた、柔らかな表情だった。
かつて、自分の隣にいた時の彼女は、いつもどこか緊張していて、完璧な淑女の仮面をかぶっていたように思う。
だが、今の彼女は違う。
カイルの前では、完全に心を許しきっている。
その光景が、毒のようにアリウスの全身に回った。
胸を締め付ける、激しい痛み。
それは、ただの嫉妬ではなかった。
もっと、深く、取り返しのつかない感情。
――後悔。
なぜ、俺は、あの女を手放してしまったんだ?
あの美しいだけの、傲慢な女だと思っていた。
だが、違った。
彼女は、聡明で、行動力があり、そして、今、あのカイル・エルミロードさえも虜にするほどの、魅力的な女性だったのだ。
あの笑顔は、本来、自分の隣で、自分に向けられるはずのものだったのではないか。
ドクン、ドクンと心臓がうるさく鳴る。
呼吸が浅くなり、指先が冷たくなった。
今、自分の隣にいるのは誰だ?
浪費家で、浅はかで、自分のことしか考えない、ヒステリックな女。
エラとリンユウを比べてしまい、その差は歴然としていた。
天と地ほども違う。いや、比べることすらおこがましい。
「……あ」
アリウスの視線に気づいたのか、リンユウがふとこちらを向いた。
一瞬、驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には、すっと表情を消し、興味などないというようにカイルの方へ向き直ってしまった。
まるで、道端の石ころでも見るような、無関心な眼差し。
その一瞥が、アリウスの心を完全に折った。
彼女の心の中には、もう自分は欠片も存在しないのだ。
その事実が、何よりも彼を打ちのめした。
(取り戻したい)
狂おしいほどの渇望が、心の底から湧き上がってきた。
あの女を、もう一度、この手に。
そのためなら、何でもする。
焦燥感に駆られたアリウスは、人混みの中に紛れるようにして、その場から逃げ出した。
彼の心は、嫉妬と後悔、そして歪んだ執着によって、もはや正常な判断ができない状態に陥っていた。
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