〘完結〛婚約破棄されて私が幸せの悪役令嬢でごめんなさい

桜井ことり

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結婚式前日の夜。
王都は、明日の祝祭を前に、静かな興奮に包まれていた。
エルミロード大公邸では、リンユウが、家族や親しい侍女たちと共に、最後の夜を穏やかに過ごしていた。
彼女の心は、未来への希望と、愛する人との新しい生活への期待で、いっぱいに満たされていた。

その頃、大公邸の裏手の闇に、一つの影が蠢いていた。
アリウス・ブライアンだ。
彼は、カイルからの警告を無視し、その狂気に満ちた計画を、実行に移そうとしていた。
フードで深く顔を隠し、壁の低い場所によじ登り、彼は、音もなく庭園へと侵入することに成功した。

(やった……入れたぞ……)

彼の心臓は、興奮で激しく高鳴っていた。
庭園は、明日のために美しく整えられ、月明かりに照らされて、幻想的な光景を作り出している。
しかし、アリウスの目には、その美しさは映っていなかった。
彼の目は、血走ったように、離宮の窓の明かりだけを、じっと見つめていた。
あの明かりの中に、リンユウがいる。

アリウスは、茂みに身を隠しながら、ゆっくりと離宮へと近づいていく。
懐には、錆びた短剣が、冷たい光を放っていた。

(リンユウ……今、お前を、永遠に、俺だけのものにしてやる……)

彼が、離宮のテラスの真下までたどり着き、柱をよじ登ろうとした、その瞬間だった。

「そこまでだ、ブライアン」

静かだが、死刑宣告のように重い声が、背後から響いた。
アリウスが、ぎょっとして振り返ると、そこには、カイルが、まるで仁王のように立っていた。
彼の後ろには、完全武装した十数名の騎士たちが、音もなく現れ、アリウスの逃げ道を、完全に塞いでいた。

「な……なぜ……」

「君が来ると、分かっていたからだ」

カイルの目は、もはや、何の感情も映していなかった。
それは、害虫を駆除する前の、冷徹な目だった。

「私は、君に、最後の警告をしたはずだ。それを破った以上、君に、もはや、生きる道はない」

「くっ……!」

アリウスは、自分が、完全に罠にはめられたことを悟った。
ここは、庭園の、最も開けた場所。
周りは、鉄壁の騎士たちに囲まれている。
逃げ場は、どこにもなかった。

「うわあああああっ!」

追い詰められたアリウスは、最後の狂気に身を任せ、懐の短剣を抜き放つと、カイルに向かって、無謀な突撃を敢行した。

しかし、彼がカイルにたどり着く前に、二人の騎士が、彼の両側から、鋼鉄の槍を突き出した。
槍は、アリウスの行く手を阻むように、彼の目の前で交差する。
アリウスは、その槍に、自ら突っ込む形となった。

「ぐ……ふっ……」

短い呻き声と共に、アリウスの動きが止まる。
交差した槍は、彼の肩と脇腹を、深く貫いていた。
手から、短剣が滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てる。
アリウスの口から、ごぼり、と赤い血の塊が吐き出された。

「……リ……ン……ユ……」

彼の虚ろな瞳が、最後に、離宮の窓の明かりを映した。
しかし、その光が、彼の網膜に届くことはなかった。
彼の体から、急速に、命の光が失われていく。
騎士たちが槍を引き抜くと、アリウスの体は、糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
ピクリとも動かない。
その目は、大きく見開かれたまま、虚空を睨みつけていた。

狂気の終焉。
それは、あまりにも、あっけなく、そして、惨めなものだった。

離宮の窓辺で、リンユウは、ふと、外の気配に気づいた。

「どうかなさいましたか、お嬢様?」

「……いいえ。なんだか、今、嫌な風が吹いたような気がして……」

リンユウは、少しだけ、胸騒ぎを覚えた。
しかし、窓の外は、静かな闇が広がっているだけだった。
彼女は、それが、自分の幸せな未来を妬む、最後の怨念が消え去った音だったとは、知る由もなかった。
カイルが、彼女の知らないところで、全ての悪夢を、永遠に葬り去ったことを、彼女はまだ、知らなかった。
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