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結婚式を二日後に控えた夜。
カイルは、リンユウに気づかれぬよう、一人、屋敷を抜け出した。
彼が向かったのは、アリウスが潜んでいると思われる、王都の裏路地だった。
腹心の部下たちの調査により、カイルは、すでにアリウスの潜伏先を突き止めていたのだ。
安宿の、今にも壊れそうな扉を、カイルは躊躇なく蹴破った。
部屋の中にいたアリウスは、突然の侵入者に驚き、ベッドから飛び起きる。
そして、その侵入者が、自分が最も憎むべき男、カイル・エルミロードであることに気づき、顔を恐怖と憎悪に歪ませた。
「……なぜ、ここが……」
「君が、どこで何をしていようと、私の目から逃れられると思うな」
カイルの声は、絶対零度の氷のように冷たかった。
彼は、部屋の中を見回し、テーブルの上に置かれた錆びた短剣に、目を留める。
「そんなもので、何をするつもりだった?アリウス・ブライアン」
「……」
アリウスは、答えなかった。
ただ、獣のように低い唸り声を上げ、カイルを睨みつけている。
その姿は、もはや、かつての侯爵令息の面影など、どこにもなかった。
汚れた服、伸び放題の髪と髭、そして、狂気に濁った瞳。
「君が、公式には死んだことになっているのは知っている。君の父親が、そう処理したのだろう。君という、家の恥を、消し去るために」
カイルは、一歩、アリウスに近づいた。
「私は、君に、最後の機会を与えに来た」
「……機会だと?」
アリウスが、嘲るように言った。
「そうだ。今すぐ、この王都から立ち去れ。二度と、リンユウの前に姿を見せると誓うのなら、今日のことは見逃してやろう。北の修道院へ行くというのなら、旅の費用くらいは、くれてやってもいい」
それは、カイルなりの、最後の温情だった。
リンユウを愛した、過去を持つ男への、せめてもの情け。
そして、これ以上、リンユウの心を、忌まわしい過去で汚したくないという、配慮でもあった。
しかし、その温情は、狂気に囚われたアリウスには届かなかった。
それどころか、彼の歪んだプライドを、さらに刺激する結果となった。
「……見逃す、だと?」
アリウスは、くっくっく、と乾いた笑い声を上げた。
「お前に、情けをかけられるほど、俺は落ちぶれてはいないぞ、エルミロード!」
次の瞬間、アリウスは、テーブルの上の短剣をひったくり、カイルに向かって突進してきた。
素人丸出しの、無謀な攻撃。
しかし、カイルは、微動だにしなかった。
彼は、幼い頃から、帝国最高の師範たちに、剣術も体術も叩き込まれている。
アリウスの動きなど、止まって見えるようなものだった。
カイルは、アリウスが振り下ろした短剣を持つ腕を、いとも簡単につかみ取ると、そのまま腕を捻り上げた。
「ぐあっ!」という悲鳴と共に、短剣が床に落ちる。
カイルは、そのままアリウスの体を床に叩きつけ、その首筋に、自らの腰に差していた護身用の短剣を突きつけた。
「……これが、君の答えか」
カイルの瞳から、最後の憐れみが消えた。
残ったのは、絶対的な支配者としての、冷徹な光だけだった。
「ならば、もはや、容赦はしない」
カイルは、アリウスの首筋に突きつけていた短剣を、ゆっくりと離した。
そして、床に蹲る彼を、冷たく見下ろす。
「君は、自ら、最後の機会を捨てた。覚えておけ。次に君がリンユウに近づこうとした時が、君の、本当の最期だ」
それは、警告ではなかった。
確定した未来を告げる、死の宣告だった。
カイルは、アリウスに背を向けると、一言も振り返ることなく、部屋を出ていった。
残されたアリウスは、床に突っ伏したまま、わなわなと震えていた。
恐怖ではない。
屈辱だ。
完膚なきまでに叩きのめされ、最後のプライドさえも粉々に砕かれた。
(殺してやる……)
彼の心の中で、もはや、その一言だけが、木霊していた。
(あの男も、リンユウも、二人まとめて、この手で……!)
最後の警告は、狂人の耳には届かなかった。
それどころか、彼の狂気を、さらに加速させる、引き金となってしまったのだ。
運命の歯車は、もはや、誰にも止められない悲劇へと向かって、静かに、そして確実に回り続けていた。
カイルは、リンユウに気づかれぬよう、一人、屋敷を抜け出した。
彼が向かったのは、アリウスが潜んでいると思われる、王都の裏路地だった。
腹心の部下たちの調査により、カイルは、すでにアリウスの潜伏先を突き止めていたのだ。
安宿の、今にも壊れそうな扉を、カイルは躊躇なく蹴破った。
部屋の中にいたアリウスは、突然の侵入者に驚き、ベッドから飛び起きる。
そして、その侵入者が、自分が最も憎むべき男、カイル・エルミロードであることに気づき、顔を恐怖と憎悪に歪ませた。
「……なぜ、ここが……」
「君が、どこで何をしていようと、私の目から逃れられると思うな」
カイルの声は、絶対零度の氷のように冷たかった。
彼は、部屋の中を見回し、テーブルの上に置かれた錆びた短剣に、目を留める。
「そんなもので、何をするつもりだった?アリウス・ブライアン」
「……」
アリウスは、答えなかった。
ただ、獣のように低い唸り声を上げ、カイルを睨みつけている。
その姿は、もはや、かつての侯爵令息の面影など、どこにもなかった。
汚れた服、伸び放題の髪と髭、そして、狂気に濁った瞳。
「君が、公式には死んだことになっているのは知っている。君の父親が、そう処理したのだろう。君という、家の恥を、消し去るために」
カイルは、一歩、アリウスに近づいた。
「私は、君に、最後の機会を与えに来た」
「……機会だと?」
アリウスが、嘲るように言った。
「そうだ。今すぐ、この王都から立ち去れ。二度と、リンユウの前に姿を見せると誓うのなら、今日のことは見逃してやろう。北の修道院へ行くというのなら、旅の費用くらいは、くれてやってもいい」
それは、カイルなりの、最後の温情だった。
リンユウを愛した、過去を持つ男への、せめてもの情け。
そして、これ以上、リンユウの心を、忌まわしい過去で汚したくないという、配慮でもあった。
しかし、その温情は、狂気に囚われたアリウスには届かなかった。
それどころか、彼の歪んだプライドを、さらに刺激する結果となった。
「……見逃す、だと?」
アリウスは、くっくっく、と乾いた笑い声を上げた。
「お前に、情けをかけられるほど、俺は落ちぶれてはいないぞ、エルミロード!」
次の瞬間、アリウスは、テーブルの上の短剣をひったくり、カイルに向かって突進してきた。
素人丸出しの、無謀な攻撃。
しかし、カイルは、微動だにしなかった。
彼は、幼い頃から、帝国最高の師範たちに、剣術も体術も叩き込まれている。
アリウスの動きなど、止まって見えるようなものだった。
カイルは、アリウスが振り下ろした短剣を持つ腕を、いとも簡単につかみ取ると、そのまま腕を捻り上げた。
「ぐあっ!」という悲鳴と共に、短剣が床に落ちる。
カイルは、そのままアリウスの体を床に叩きつけ、その首筋に、自らの腰に差していた護身用の短剣を突きつけた。
「……これが、君の答えか」
カイルの瞳から、最後の憐れみが消えた。
残ったのは、絶対的な支配者としての、冷徹な光だけだった。
「ならば、もはや、容赦はしない」
カイルは、アリウスの首筋に突きつけていた短剣を、ゆっくりと離した。
そして、床に蹲る彼を、冷たく見下ろす。
「君は、自ら、最後の機会を捨てた。覚えておけ。次に君がリンユウに近づこうとした時が、君の、本当の最期だ」
それは、警告ではなかった。
確定した未来を告げる、死の宣告だった。
カイルは、アリウスに背を向けると、一言も振り返ることなく、部屋を出ていった。
残されたアリウスは、床に突っ伏したまま、わなわなと震えていた。
恐怖ではない。
屈辱だ。
完膚なきまでに叩きのめされ、最後のプライドさえも粉々に砕かれた。
(殺してやる……)
彼の心の中で、もはや、その一言だけが、木霊していた。
(あの男も、リンユウも、二人まとめて、この手で……!)
最後の警告は、狂人の耳には届かなかった。
それどころか、彼の狂気を、さらに加速させる、引き金となってしまったのだ。
運命の歯車は、もはや、誰にも止められない悲劇へと向かって、静かに、そして確実に回り続けていた。
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