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第2話 目覚めの鐘が鳴る
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鐘の音が、灰の空を裂いた。低く、重く、街全体の心臓を直接叩き起こすような音だった。
リオは崩れかけた大通りを歩きながら、何度も振り返った。背後に広がるのは、灰をかぶった建物群、そして見えない人々の影。確かに誰かの暮らしがあった跡が、今は灰の膜をかぶって沈黙していた。
ミラの言葉が耳に残る。
「灰の王に会いなさい。その答えが、あなたを導くはず。」
だが、あの女性はただの幻ではないのか。
街の人々のように、気づけば消えてしまっているだろうか—そんな思考が頭をかすめる。
リオはポケットの中の石を指でなぞった。微かに脈動している。それは生きている証のようで、同時に恐ろしくもあった。何かを呼んでいる感覚があった。
塔へ向かう一本道。通りの両側には古びた像が立っていた。どれも顔が削れている。みな手を胸に当て、まるで祈っているようだった。
「祈りか、それとも絶望か……」
リオが呟くと、何かがカランと足元で音を立てた。拾い上げると、小さな金属のペンダントだった。裏面には刻印がある。
《ルナ》。
女性の名かもしれない。記憶に引っかかる響きだったが、内容はまるで思い出せない。
そのとき、不意に風が強く吹き、灰が舞った。視界を覆う中、鐘の音が止んだ。代わりに、遠くから悲鳴のような音が微かに聞こえた。
「リオ! 下がって!」
甲高い声。振り向いた瞬間、灰の中から黒い影が飛び出してきた。
人影のようでいて、人ではない。腕が異様に長く、顔は崩れていた。灰色の肉が剥がれ落ち、燃え残りのような目が光っている。
リオは反射的に拾った剣を構えていた。
「くそ……!」
影が迫る。リオは身を低くして受け流そうとしたが、動きはぎこちない。刃がぶつかるたびに手が痺れた。
「下手でも動け! 止まるな!」
声が再び響き、灰の中からミラが姿を現した。彼女の掌には青白い光が集まっている。
「走れ、リオ!」
ミラが唱えると同時に、光が閃光となって影を貫いた。呻きを上げた影が黒い煙となって消える。代わりに、灰の欠片がひとつ残った。
荒い呼吸を整えながら、リオは剣を握る手を見下ろした。
「……今のは……」
「“灰鬼(かいき)”。この街を彷徨う亡霊よ。生者の灯を喰らう存在。」
ミラは淡々と説明しながら、リオの額から汗を拭った。
「怯えないで。いずれあなたにも倒せるようになる。だけど、今は逃げるのが先。」
「逃げるだけじゃ答えが見えない。」
リオの声には焦りと苛立ちが混じっていた。
「俺は知りたいんだ! この街も、俺が何者かも!」
その瞬間、手の中の灰の欠片が光った。心臓の鼓動に合わせるように、周囲の空気が震える。足元の灰が渦を巻き、過去の光景がほんの一瞬だけ映った。
それは崩れる前の街、笑顔の人々、そして塔の広場で剣を掲げる少年。
その少年の顔はリオ自身とよく似ていた。
「今の……」
「記憶の残響ね。」ミラは穏やかに言った。「あなたの欠片は、この街と深く繋がっている。」
「俺が……この街にいた?」
「かもしれない。」ミラの視線が一瞬だけ曇った。「でも今は、思い出してはいけない。」
「なぜだ?」
「記憶には呪いがかかっているの。思い出すたび、あなたの魂が灰に呑まれていく。」
「……それでも、確かめたい。」リオは拳を握った。「本当のことを知るために。」
ミラは小さく息をついた。
「頑固ね。けれど、その灯があなたを導くなら、私も止める理由はないわ。」
彼女は懐から古びたペンダントを取り出した。それはリオが拾ったものと同じ形だった。
「“ルナ”という名前を口にしたわね。覚えているのね。」
「いや、ただ刻印があっただけだ。」
「……そう。」ミラはペンダントを見つめ、微かに笑った。「あの子も、この街の灯を探していたの。」
風の音が止む。どこかでまた鐘が鳴った。
今回は高く、きれいな音だった。まるで誰かが新しい鐘を打ち鳴らしたように。
「この音は……」
「誰かが目覚めたのよ。」ミラの顔に緊張が走る。「この街の“時間”が、少しだけ動き出した証拠。」
街の奥から、細い光の柱が立ち上っていた。灰の層を突き破るようなまっすぐな光。
リオの欠片が再び共鳴する。
「行くのね。」
「ああ。」
「戻る道はもうない。それでも?」
「構わない。前に進まなきゃ、何も変わらない。」
ミラはうなずき、リオの肩に手を置いた。
「じゃあ、これを持っていって。」
差し出されたのは、指先ほどの青い石。
「“灯石(とうせき)”。魔を払う光。けれど、心を曇らせると逆に砕ける。気をつけて。」
「ありがとう。」
リオは受け取り、腰の袋に収めた。
再び歩き出す。足元で灰が音もなく沈み、塔の方角に飛び散る。
ふいに、遠くで人の声がした。「おーい! お前、生きてるのか!」
その声にリオもミラも目を見開いた。
先ほどまで人の気配がなかった街に、明瞭な声が響いている。
崩れかけた橋の向こう、崩落した石壁の隙間から、ひとりの男が姿を現した。
黒い布を身体に巻き、背には矢筒。
「助かった、ようやく他の生き残りか!」
男は笑いながら駆け寄る。だが、彼の目には奇妙な光が宿っていた。
「お前……名前は?」
「リオ。」
「リオか。俺はガルド。弓使いだ。ここらを動いて生き延びちゃいるが、もう限界だった。灰鬼の群れが押し寄せてる。」
その言葉にミラの目が鋭く光る。
「群れ? いつの間に——。」
「もう時間がねェ。塔に向かうなら早い方がいい。街の北側が完全に崩れる。」
三人の頭上で、鈍い振動が鳴った。遠くの建物が音を立てて崩れ、灰が空を覆っていく。
リオは剣を握り直した。
「行こう。止まってた時間が動き始めたんだろ?」
「……そうね。」ミラはうなずいた。「なら、動く理由もできた。」
塔へ向けて走り出す三つの影。
鐘の音が再び鳴り響き、灰の街がわずかに震えた。
それはまるで、長い眠りから目覚めた心臓の鼓動のようだった。
(続く)
リオは崩れかけた大通りを歩きながら、何度も振り返った。背後に広がるのは、灰をかぶった建物群、そして見えない人々の影。確かに誰かの暮らしがあった跡が、今は灰の膜をかぶって沈黙していた。
ミラの言葉が耳に残る。
「灰の王に会いなさい。その答えが、あなたを導くはず。」
だが、あの女性はただの幻ではないのか。
街の人々のように、気づけば消えてしまっているだろうか—そんな思考が頭をかすめる。
リオはポケットの中の石を指でなぞった。微かに脈動している。それは生きている証のようで、同時に恐ろしくもあった。何かを呼んでいる感覚があった。
塔へ向かう一本道。通りの両側には古びた像が立っていた。どれも顔が削れている。みな手を胸に当て、まるで祈っているようだった。
「祈りか、それとも絶望か……」
リオが呟くと、何かがカランと足元で音を立てた。拾い上げると、小さな金属のペンダントだった。裏面には刻印がある。
《ルナ》。
女性の名かもしれない。記憶に引っかかる響きだったが、内容はまるで思い出せない。
そのとき、不意に風が強く吹き、灰が舞った。視界を覆う中、鐘の音が止んだ。代わりに、遠くから悲鳴のような音が微かに聞こえた。
「リオ! 下がって!」
甲高い声。振り向いた瞬間、灰の中から黒い影が飛び出してきた。
人影のようでいて、人ではない。腕が異様に長く、顔は崩れていた。灰色の肉が剥がれ落ち、燃え残りのような目が光っている。
リオは反射的に拾った剣を構えていた。
「くそ……!」
影が迫る。リオは身を低くして受け流そうとしたが、動きはぎこちない。刃がぶつかるたびに手が痺れた。
「下手でも動け! 止まるな!」
声が再び響き、灰の中からミラが姿を現した。彼女の掌には青白い光が集まっている。
「走れ、リオ!」
ミラが唱えると同時に、光が閃光となって影を貫いた。呻きを上げた影が黒い煙となって消える。代わりに、灰の欠片がひとつ残った。
荒い呼吸を整えながら、リオは剣を握る手を見下ろした。
「……今のは……」
「“灰鬼(かいき)”。この街を彷徨う亡霊よ。生者の灯を喰らう存在。」
ミラは淡々と説明しながら、リオの額から汗を拭った。
「怯えないで。いずれあなたにも倒せるようになる。だけど、今は逃げるのが先。」
「逃げるだけじゃ答えが見えない。」
リオの声には焦りと苛立ちが混じっていた。
「俺は知りたいんだ! この街も、俺が何者かも!」
その瞬間、手の中の灰の欠片が光った。心臓の鼓動に合わせるように、周囲の空気が震える。足元の灰が渦を巻き、過去の光景がほんの一瞬だけ映った。
それは崩れる前の街、笑顔の人々、そして塔の広場で剣を掲げる少年。
その少年の顔はリオ自身とよく似ていた。
「今の……」
「記憶の残響ね。」ミラは穏やかに言った。「あなたの欠片は、この街と深く繋がっている。」
「俺が……この街にいた?」
「かもしれない。」ミラの視線が一瞬だけ曇った。「でも今は、思い出してはいけない。」
「なぜだ?」
「記憶には呪いがかかっているの。思い出すたび、あなたの魂が灰に呑まれていく。」
「……それでも、確かめたい。」リオは拳を握った。「本当のことを知るために。」
ミラは小さく息をついた。
「頑固ね。けれど、その灯があなたを導くなら、私も止める理由はないわ。」
彼女は懐から古びたペンダントを取り出した。それはリオが拾ったものと同じ形だった。
「“ルナ”という名前を口にしたわね。覚えているのね。」
「いや、ただ刻印があっただけだ。」
「……そう。」ミラはペンダントを見つめ、微かに笑った。「あの子も、この街の灯を探していたの。」
風の音が止む。どこかでまた鐘が鳴った。
今回は高く、きれいな音だった。まるで誰かが新しい鐘を打ち鳴らしたように。
「この音は……」
「誰かが目覚めたのよ。」ミラの顔に緊張が走る。「この街の“時間”が、少しだけ動き出した証拠。」
街の奥から、細い光の柱が立ち上っていた。灰の層を突き破るようなまっすぐな光。
リオの欠片が再び共鳴する。
「行くのね。」
「ああ。」
「戻る道はもうない。それでも?」
「構わない。前に進まなきゃ、何も変わらない。」
ミラはうなずき、リオの肩に手を置いた。
「じゃあ、これを持っていって。」
差し出されたのは、指先ほどの青い石。
「“灯石(とうせき)”。魔を払う光。けれど、心を曇らせると逆に砕ける。気をつけて。」
「ありがとう。」
リオは受け取り、腰の袋に収めた。
再び歩き出す。足元で灰が音もなく沈み、塔の方角に飛び散る。
ふいに、遠くで人の声がした。「おーい! お前、生きてるのか!」
その声にリオもミラも目を見開いた。
先ほどまで人の気配がなかった街に、明瞭な声が響いている。
崩れかけた橋の向こう、崩落した石壁の隙間から、ひとりの男が姿を現した。
黒い布を身体に巻き、背には矢筒。
「助かった、ようやく他の生き残りか!」
男は笑いながら駆け寄る。だが、彼の目には奇妙な光が宿っていた。
「お前……名前は?」
「リオ。」
「リオか。俺はガルド。弓使いだ。ここらを動いて生き延びちゃいるが、もう限界だった。灰鬼の群れが押し寄せてる。」
その言葉にミラの目が鋭く光る。
「群れ? いつの間に——。」
「もう時間がねェ。塔に向かうなら早い方がいい。街の北側が完全に崩れる。」
三人の頭上で、鈍い振動が鳴った。遠くの建物が音を立てて崩れ、灰が空を覆っていく。
リオは剣を握り直した。
「行こう。止まってた時間が動き始めたんだろ?」
「……そうね。」ミラはうなずいた。「なら、動く理由もできた。」
塔へ向けて走り出す三つの影。
鐘の音が再び鳴り響き、灰の街がわずかに震えた。
それはまるで、長い眠りから目覚めた心臓の鼓動のようだった。
(続く)
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追記(2021/10/7)
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更に追記(2022/3/9)
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