灰の街の灯火と、名もなき英雄

にゃ-さん

文字の大きさ
1 / 2

第1話 灰の街の少年

しおりを挟む
灰。  
世界を覆うそれは、かつて人々が「希望」と呼んだものの焼け跡だった。  
風が吹くたび、街はわずかに息づく。だがその息は、もう生きる者のものではない。灰に沈んだ街、グレンヘイム。人々はここを「終わりの街」と呼ぶ。

リオは、そんな街で目を覚ました。  
視界は白く霞み、頬に触れる冷たいもの——それが灰だと気づくまで数秒かかった。  
息を吸うと、肺がきしんだ。空気は重く、焦げた臭いがする。体を起こそうとすると、頭の奥が痛んだ。  
周囲を見回しても誰もいない。ただ、崩れた建物の隙間から、遠くの塔の影が見えた。

「……ここは、どこだ?」

声に自分の音が混じらない。乾いた喉から出た言葉は、風に紛れて消えた。  
リオはゆっくり立ち上がる。灰の中に半ば埋もれた瓦礫から、ひとつの金属片を拾い上げた。刃こぼれした剣。誰かの形見かもしれない。手で払うと、柄に見覚えがあるような気がした。だが記憶は霧のようで、掴もうとするたびに散っていく。

「……名前、は……リオ、か。」

自分の名前だけが、はっきりと心に浮かんだ。  
それ以外は何もない。家族も、仲間も、過去も。まるで最初から白紙の存在のように。  

塔の鐘が鳴った。  
低く響く音に誘われるように、リオは歩き出した。灰が舞い、足跡がすぐに消える。  
街の通りには、かすかに人の影があった。だが誰もリオを見ない。視線は虚空に向けられ、機械のように同じ動きを繰り返している。洗濯物を干す老婆。壊れた馬車の車輪を押す男。だが洗濯物は破れ、馬車はもう存在しない。幻のような日常がそこにあった。

リオは一人の少年に声をかけた。  
「ねえ、ここはどこなんだ?」  
少年は首をかしげ、無言でリオの手を握った。その手は冷たく、灰に濡れていた。口を開こうとしたとき、少年の体がすっと崩れ、灰になって風に溶けていった。  
言葉も出なかった。ただ呆然と立ち尽くす。

「……消えた?」

背後から、声がした。  
「それが“ここ”の常だよ。」  
振り向くと、フードをかぶった女性が立っていた。白い髪が覗き、灰に映えて美しく光っている。  
「あなた、外から来たのね。ううん……“まだ息をしている”のね。」  
「外? ここは一体……」  
彼女はリオをじっと見た。灰の中で、瞳だけが透き通るように青かった。  
「この街は、滅びの残響。終わった世界が最後に見る夢みたいなもの。ここにいる者は、生きてはいないの。」

リオは言葉を失った。  
「僕は……死んでる、のか?」  
「それはあなたが決めることよ。」  
彼女は歩み寄り、リオの胸に手を当てた。そこから微かに光が漏れた。  
「まだ、“灯”がある。あなたには、役目が残っている。」  
「役目?」  
「世界を繋ぐための鍵——“灰の欠片”を持っているでしょ。」  
リオは驚いて自分のポケットを探る。いつのまにか、灰色の石が握られていた。淡く脈動している。触れると、心臓の鼓動と同じリズムで光が瞬いた。  
「これは……」  
「その石が、あなたに残された答えよ。名もなき者が、名を取り戻すための。」

女性は塔の方角を指した。  
「あの鐘を鳴らしているのは、“灰の王”。この街を滅ぼした存在。彼の元へ行きなさい。」  
「行って、どうする?」  
「灯を選ぶのよ。世界をもう一度燃やすか、新しい希望を残すか。選ぶのは、あなた。」

リオは迷った。記憶のない自分に、そんな大それた選択ができるのか。  
だが、何もせずにここに立ち尽くせば、この街と同じように自分も灰に戻ってしまう気がした。  
胸の奥で、わずかに何かが熱を持った。

「……行く。俺は、自分が何者かを知りたい。」  
女性は微笑んだ。  
「なら、その名を。私はミラ。この街の残り火よ。」

ミラはリオに小さなランタンを手渡した。灰がまとわりついても、灯は消えなかった。  
「その火を絶やさないで。たとえ、どんな闇が来ても。」  
リオはうなずき、ランタンを掲げた。  

街の奥、塔へ続く道は崩れた瓦礫と死の静寂に満ちていた。  
だが、灯の光が一歩ずつ道を描く。  
灰の海が広がる中、ひとつの影が動き始める。  

夜の帳が降りる。  
塔の頂では、誰かが再び鐘を鳴らした。  
リオの胸の欠片が、共鳴するように光った。

「待っていろ、“灰の王”。俺はお前を——そして、この世界を確かめに行く。」

灰が風に舞い、リオは前を見た。  
足元の灰が、次の一歩ごとに過去と未来を混ぜ合わせる。  
その歩みは弱々しくも確かで、誰にも止められなかった。

(続く)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...