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第1話 灰の街の少年
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灰。
世界を覆うそれは、かつて人々が「希望」と呼んだものの焼け跡だった。
風が吹くたび、街はわずかに息づく。だがその息は、もう生きる者のものではない。灰に沈んだ街、グレンヘイム。人々はここを「終わりの街」と呼ぶ。
リオは、そんな街で目を覚ました。
視界は白く霞み、頬に触れる冷たいもの——それが灰だと気づくまで数秒かかった。
息を吸うと、肺がきしんだ。空気は重く、焦げた臭いがする。体を起こそうとすると、頭の奥が痛んだ。
周囲を見回しても誰もいない。ただ、崩れた建物の隙間から、遠くの塔の影が見えた。
「……ここは、どこだ?」
声に自分の音が混じらない。乾いた喉から出た言葉は、風に紛れて消えた。
リオはゆっくり立ち上がる。灰の中に半ば埋もれた瓦礫から、ひとつの金属片を拾い上げた。刃こぼれした剣。誰かの形見かもしれない。手で払うと、柄に見覚えがあるような気がした。だが記憶は霧のようで、掴もうとするたびに散っていく。
「……名前、は……リオ、か。」
自分の名前だけが、はっきりと心に浮かんだ。
それ以外は何もない。家族も、仲間も、過去も。まるで最初から白紙の存在のように。
塔の鐘が鳴った。
低く響く音に誘われるように、リオは歩き出した。灰が舞い、足跡がすぐに消える。
街の通りには、かすかに人の影があった。だが誰もリオを見ない。視線は虚空に向けられ、機械のように同じ動きを繰り返している。洗濯物を干す老婆。壊れた馬車の車輪を押す男。だが洗濯物は破れ、馬車はもう存在しない。幻のような日常がそこにあった。
リオは一人の少年に声をかけた。
「ねえ、ここはどこなんだ?」
少年は首をかしげ、無言でリオの手を握った。その手は冷たく、灰に濡れていた。口を開こうとしたとき、少年の体がすっと崩れ、灰になって風に溶けていった。
言葉も出なかった。ただ呆然と立ち尽くす。
「……消えた?」
背後から、声がした。
「それが“ここ”の常だよ。」
振り向くと、フードをかぶった女性が立っていた。白い髪が覗き、灰に映えて美しく光っている。
「あなた、外から来たのね。ううん……“まだ息をしている”のね。」
「外? ここは一体……」
彼女はリオをじっと見た。灰の中で、瞳だけが透き通るように青かった。
「この街は、滅びの残響。終わった世界が最後に見る夢みたいなもの。ここにいる者は、生きてはいないの。」
リオは言葉を失った。
「僕は……死んでる、のか?」
「それはあなたが決めることよ。」
彼女は歩み寄り、リオの胸に手を当てた。そこから微かに光が漏れた。
「まだ、“灯”がある。あなたには、役目が残っている。」
「役目?」
「世界を繋ぐための鍵——“灰の欠片”を持っているでしょ。」
リオは驚いて自分のポケットを探る。いつのまにか、灰色の石が握られていた。淡く脈動している。触れると、心臓の鼓動と同じリズムで光が瞬いた。
「これは……」
「その石が、あなたに残された答えよ。名もなき者が、名を取り戻すための。」
女性は塔の方角を指した。
「あの鐘を鳴らしているのは、“灰の王”。この街を滅ぼした存在。彼の元へ行きなさい。」
「行って、どうする?」
「灯を選ぶのよ。世界をもう一度燃やすか、新しい希望を残すか。選ぶのは、あなた。」
リオは迷った。記憶のない自分に、そんな大それた選択ができるのか。
だが、何もせずにここに立ち尽くせば、この街と同じように自分も灰に戻ってしまう気がした。
胸の奥で、わずかに何かが熱を持った。
「……行く。俺は、自分が何者かを知りたい。」
女性は微笑んだ。
「なら、その名を。私はミラ。この街の残り火よ。」
ミラはリオに小さなランタンを手渡した。灰がまとわりついても、灯は消えなかった。
「その火を絶やさないで。たとえ、どんな闇が来ても。」
リオはうなずき、ランタンを掲げた。
街の奥、塔へ続く道は崩れた瓦礫と死の静寂に満ちていた。
だが、灯の光が一歩ずつ道を描く。
灰の海が広がる中、ひとつの影が動き始める。
夜の帳が降りる。
塔の頂では、誰かが再び鐘を鳴らした。
リオの胸の欠片が、共鳴するように光った。
「待っていろ、“灰の王”。俺はお前を——そして、この世界を確かめに行く。」
灰が風に舞い、リオは前を見た。
足元の灰が、次の一歩ごとに過去と未来を混ぜ合わせる。
その歩みは弱々しくも確かで、誰にも止められなかった。
(続く)
世界を覆うそれは、かつて人々が「希望」と呼んだものの焼け跡だった。
風が吹くたび、街はわずかに息づく。だがその息は、もう生きる者のものではない。灰に沈んだ街、グレンヘイム。人々はここを「終わりの街」と呼ぶ。
リオは、そんな街で目を覚ました。
視界は白く霞み、頬に触れる冷たいもの——それが灰だと気づくまで数秒かかった。
息を吸うと、肺がきしんだ。空気は重く、焦げた臭いがする。体を起こそうとすると、頭の奥が痛んだ。
周囲を見回しても誰もいない。ただ、崩れた建物の隙間から、遠くの塔の影が見えた。
「……ここは、どこだ?」
声に自分の音が混じらない。乾いた喉から出た言葉は、風に紛れて消えた。
リオはゆっくり立ち上がる。灰の中に半ば埋もれた瓦礫から、ひとつの金属片を拾い上げた。刃こぼれした剣。誰かの形見かもしれない。手で払うと、柄に見覚えがあるような気がした。だが記憶は霧のようで、掴もうとするたびに散っていく。
「……名前、は……リオ、か。」
自分の名前だけが、はっきりと心に浮かんだ。
それ以外は何もない。家族も、仲間も、過去も。まるで最初から白紙の存在のように。
塔の鐘が鳴った。
低く響く音に誘われるように、リオは歩き出した。灰が舞い、足跡がすぐに消える。
街の通りには、かすかに人の影があった。だが誰もリオを見ない。視線は虚空に向けられ、機械のように同じ動きを繰り返している。洗濯物を干す老婆。壊れた馬車の車輪を押す男。だが洗濯物は破れ、馬車はもう存在しない。幻のような日常がそこにあった。
リオは一人の少年に声をかけた。
「ねえ、ここはどこなんだ?」
少年は首をかしげ、無言でリオの手を握った。その手は冷たく、灰に濡れていた。口を開こうとしたとき、少年の体がすっと崩れ、灰になって風に溶けていった。
言葉も出なかった。ただ呆然と立ち尽くす。
「……消えた?」
背後から、声がした。
「それが“ここ”の常だよ。」
振り向くと、フードをかぶった女性が立っていた。白い髪が覗き、灰に映えて美しく光っている。
「あなた、外から来たのね。ううん……“まだ息をしている”のね。」
「外? ここは一体……」
彼女はリオをじっと見た。灰の中で、瞳だけが透き通るように青かった。
「この街は、滅びの残響。終わった世界が最後に見る夢みたいなもの。ここにいる者は、生きてはいないの。」
リオは言葉を失った。
「僕は……死んでる、のか?」
「それはあなたが決めることよ。」
彼女は歩み寄り、リオの胸に手を当てた。そこから微かに光が漏れた。
「まだ、“灯”がある。あなたには、役目が残っている。」
「役目?」
「世界を繋ぐための鍵——“灰の欠片”を持っているでしょ。」
リオは驚いて自分のポケットを探る。いつのまにか、灰色の石が握られていた。淡く脈動している。触れると、心臓の鼓動と同じリズムで光が瞬いた。
「これは……」
「その石が、あなたに残された答えよ。名もなき者が、名を取り戻すための。」
女性は塔の方角を指した。
「あの鐘を鳴らしているのは、“灰の王”。この街を滅ぼした存在。彼の元へ行きなさい。」
「行って、どうする?」
「灯を選ぶのよ。世界をもう一度燃やすか、新しい希望を残すか。選ぶのは、あなた。」
リオは迷った。記憶のない自分に、そんな大それた選択ができるのか。
だが、何もせずにここに立ち尽くせば、この街と同じように自分も灰に戻ってしまう気がした。
胸の奥で、わずかに何かが熱を持った。
「……行く。俺は、自分が何者かを知りたい。」
女性は微笑んだ。
「なら、その名を。私はミラ。この街の残り火よ。」
ミラはリオに小さなランタンを手渡した。灰がまとわりついても、灯は消えなかった。
「その火を絶やさないで。たとえ、どんな闇が来ても。」
リオはうなずき、ランタンを掲げた。
街の奥、塔へ続く道は崩れた瓦礫と死の静寂に満ちていた。
だが、灯の光が一歩ずつ道を描く。
灰の海が広がる中、ひとつの影が動き始める。
夜の帳が降りる。
塔の頂では、誰かが再び鐘を鳴らした。
リオの胸の欠片が、共鳴するように光った。
「待っていろ、“灰の王”。俺はお前を——そして、この世界を確かめに行く。」
灰が風に舞い、リオは前を見た。
足元の灰が、次の一歩ごとに過去と未来を混ぜ合わせる。
その歩みは弱々しくも確かで、誰にも止められなかった。
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