灰の国の聖女と、光を忘れた騎士

にゃ-さん

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第8話 獣の森にて

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灰街を抜けてから数日、彼らの足はかつて王都を囲んでいた巨大な森の縁へとたどり着いた。  
かつて緑豊かだったこの森は、今や“灰獣の巣”と呼ばれる死の地に変わっている。  
それでも城へ進むには、この森を抜けるしかなかった。  

ナトは森を見上げ、唾を飲み込む。  
「……ここ、本当に入るのか?」  
「行くしかない。」カイルが短く答えた。  
リラは壺を胸に抱きながら、暗く濁る木々を見つめる。  
「この森には魂がまだ留まっている。灰ではなく、純粋な“声”として。」  
「声?」  
「風に仕舞われた祈りよ。聖女リサリアが最後に封じ切れなかった“生命の名残”。」  

森の入口に足を踏み入れると、空気が一変した。  
灰が地を覆い尽くしているのに、湿った匂いがする。  
焦げた木はなお立ち続け、枝には黒い胞子のようなものがぶら下がっていた。  
風はなく、代わりに地中からごうごうと唸るような低音が響いていた。  
カイルは剣の柄に自然と手をやる。  

「出てくるぞ。」  
その言葉の数歩後、地面がぼこりと膨らみ、灰を突き破って何かが現れた。  
それは狼に似ていた。だが形は歪み、体表には金属のような鱗と骨が混ざっている。  
その目は紅ではなく、淡く光る灰色だった。  

「灰獣……以前は人の村や兵を喰っていたって。」ナトが震え声で言う。  
「目を合わせるな。」カイルが前に出る。  
イヌ科のはずのその生き物は、影のように音も立てず迫ってくる。  
リラは咄嗟に祈りを紡いだ。  
「灰は眠り、魂は静まれ。」  

だが灰獣の足は止まらない。  
カイルの剣が弧を描き、一閃で対峙した。  
金属を斬るような音が響き、獣の身体から火花のような灰が散る。  
獣は後退したが、すぐに体勢を立て直し低く唸った。  
「祈りじゃ効かない。あれはもう獣でも人でもねぇ。」カイルが呟く。  

ナトが石を投げた。  
音が響いた瞬間、森の周囲から同じ形の影がいくつも現れた。  
十、いや二十はいる。  
「増えた……!」  
「まずい、囲まれている!」  

カイルは剣を構え、リラとナトを背に隠すように立つ。  
灰獣の群れが静寂の中で一斉に動いた。  
牙が閃き、地が鳴った。  
そのとき、上空から白い閃光が落ちた。  
雷のようでもあり、祈りの言葉のようにも聞こえた。  

灰獣たちが一斉に悲鳴を上げ、後退する。  
カイルが目を見開くと、木々の上に白い影が立っていた。  
それは人だった。  
白い外套を翻し、長い杖を持つ、妙齢の女。  
目元こそベールに隠されているが、その立ち姿には威厳があった。  

「その剣筋、王国の剣法ね。」  
低く響く声。  
カイルは剣を下ろしつつ構えを解かないまま問い返した。  
「お前は何者だ。」  
女はゆっくりと地に降り立った。  
「私はイシュア。聖堂騎士団・灰封の末裔。」  

リラの表情が変わる。  
「灰封……あなたたち、まだ生きていたの?」  
イシュアは頷く。  
「生き残りと言うより、灰に縛られた者たちよ。この森は、灰の王の欠片を封じた“檻”。  
私はその封を見張る役目を果たしている。」  

ナトが警戒の目を向ける。  
「じゃあこの獣たちもあんたが?」  
「違うわ。彼らは封印の副産物。王の力が漏れ、形を得た祈りの屑。  
私はただ、彼らを通じて生者が近づかぬよう見張っているだけ。」  

風が鳴り、灰の樹々が軋む。  
イシュアはリラの胸元に光る壺を見つめた。  
「その光……あなた、聖女の継承者ね。」  
「はい。聖女リサリアの祈りを受け継ぎ、灰の王を鎮めに行きます。」  
「ならば、通るがいい。」  
イシュアは静かに杖を掲げた。  
森を覆う灰が揺れ、灰獣たちが霧のように消えていく。  
「王はこの先、“獣の塔”の根に近い場所で眠っている。けれど、祈りを携えた者が通れば目覚める。」  

「目覚める?」リラが眉をひそめた。  
「聖女の祈りは封印でもあり、呼び水でもある。光を掲げれば闇も呼ぶ。」  
リラは静かに頷いた。  
「それでも進まなければ。止まってしまえば、灰はすべてを呑み込むから。」  

イシュアの口元にわずかな笑みが浮かぶ。  
「聖女の面影を感じる。……彼女も同じ言葉を言った。」  

カイルはその言葉にわずかに背筋が震えた。  
「彼女を見たことがあるのか。」  
「ええ。灰が国を覆う前、私は聖堂の修道士だった。あの日、聖女は王を止めようとしていた。」  
「王を止める?」  
「そう。王が“光の祈り”を兵器に転じようとした時、彼女は泣きながら彼の前に立った。  
“祈りは誰かを救うためのもの、誰かを裁くためのものではない”と。」  

沈黙。  
灰の森が息を潜めたかのような静けさが包んだ。  
リラの瞳に光が宿る。  
「彼女もまた、人を信じようとしたのね。」  
「愚かとも言えたけれど、それが唯一の真。……だから私は、その祈りを守りたかった。」  

イシュアは深く息を吐き、杖を地に突く。  
地面が震え、彼らの進む先の灰が裂ける。  
そこには細い道がまるで導くように現れた。  
「この道の先、灰の王の匂いが濃い。気をつけなさい。」  
「あなたは?」リラが尋ねる。  
「ここを離れれば、封印は崩れる。私は森と運命を共にする。」  

風の中、イシュアの外套が灰に溶けるように揺れた。  
「聖女の継承者よ。王を討つのではなく、王の祈りを解き放ちなさい。それが本当の救い。」  
その言葉を最後に、イシュアの姿は霧のように消えた。  

残されたのは、静まり返った森の道。  
リラは小さく頭を垂れた。  
「ありがとう。必ず……導きを無駄にしない。」  
カイルは剣を握りしめ、足を踏み出した。  
「進もう。灰の王を終わらせるのは俺たちだ。」  

森を抜ける途中、灰獣の遠吠えがまだ木々の奥で響いた。  
リラがそっと胸の前で手を組むと、壺の中の光が淡く脈打つ。  
「この光は恐れない。灰の闇が近づくほど、強く輝く。」  
ナトが頷く。  
「だったら信じるさ。この道の先に、きっと空の色が戻るんだろ。」  

木々の間から見える空は淡い灰色。  
けれどその中心に、ほんのひと筋だけ青が差していた。  
それはまだ弱く、けれど確かに生きている空の色だった。  

三人はその光を目指して、森の出口へと歩みを進める。  
灰の風が再び背中を押し、遠い鐘の音のような響きが聞こえた。  

(続く)
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