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本当に欲しいもの 〜火星に行くのは拗ねたからじゃない

スキャンダルになり得ない

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 デバイスの呼び出しベルがどこか遠くで聴こえていた。
 出なければ、と思う。思うのだが心地よいばかりの充足感に、身体が動きを止める。

「ショーティ」

 ついと耳元で響く呼び出し音に、ショーティは気だるげな表情で名を呼ぶ人を見上げていた。音は変わらず鳴り響いており、やや苦笑を噛み締めるアーネストの顔がショーティの視界に映る。

「ショーティ・アナザーともあろう者が連絡を無視するのかい?」

 差し出されたそのデバイスとアーネストを交互にみつめ、

「……それ、…いやみ?」

 軽いため息をついたショーティが受け取るために腕を伸ばすと、アーネストはゆっくりそれを手渡した。
 その仕草さえきれいだな、と思いながら軽く肩を竦めて身を起こすと通話をオンにする。途端、

「ショーティ!今、どこにいる?繋がるってことは地球にいるんだな!家にいるのか?」
「…あのねぇ。……先におかえりの一言はないわけ?」

 通話の相手を声だけで判断し、その仕事仲間の焦りように、しかし、ショーティにとっては今アーネストといる時間だけが何事も優先するので、ややゆったりとした口調で問い掛けていた。が。

「んな、悠長なこと言ってられねぇんだよ!今すぐホテルシェントランに来い」
「え?」
「スクープだよ!スキャンダル!!あのアーネスト・レドモンが女を連れ込んでるって!」
「…え?」

 一瞬、意味が解せず、それから視線だけをアーネストに向けると、気付いたようにふっと笑みをこぼす。湿り気を帯びた髪にどこかそそられる気がして軽く喉を鳴らすが、

「おい、聞いてるのか?お前が火星くんだりまで行ってる間に変化してんだよ、地球はよ!さっさと来い!…それとも、お前には事前承諾か?何しろ友人だもんな」
 からかうような男の声が耳元で響き、あ、そうだ、とショーティは通話に気を向ける。

「あのさ、…言っとくけど、それ、ガセだよ」

 そして、邪魔をされたことに対し、少しだけ不快を含ませ言い放った。
 バスローブを羽織ったアーネストに、自分はどのくらい寝ていたのか、もとい、気を失っていたのか聞いてみたい思いが溢れていたが、

「ガセぇ?ばっか言うな。あのアーネスト・レドモンを見間違うかよ。数人の言質も取ってるって、もう大騒ぎだ」

 相手の男はショーティの一言を切り捨てるように続け、

「へぇ。僕の言うこと信じないんだ?」

 ことアーネストに関するものならこちらの方が先をいっているために、ショーティはあくまで余裕を持って問い掛ける。

「それとこれとは別だろ?写真を押さえたのはキューブだぞ。今ごろあちこちに売りまくりだ」
「————あ~ちょっと待って」

 やや悪質な手口を使う同僚の名に、それでもどこかゆったりとした口調で友人の言葉を遮ったショーティは、通話を保留にしてひょいとその場に投げ出し、両手を伸ばして上半身だけの軽い伸びをした。そして、アーネストを見上げるようにして、

「…アーネスト、フォーカスされたって。空港かホテルの入り口かさっきのラウンジかわかんないけど。……どうする?」

 ホテルシェントランとはまさに二人がいるこのホテルのことで、フォーカスと言うのが先ほどのトレイシー・リスキーとの写真であろうことはすぐに理解でき、どこか楽しそうな表情を隠せずに問い掛けると、目の前のアーネストは更に優雅な笑みを口元に浮かべ、

「別に。どうもしないよ。…それとも…二人で出ていくかい?」とさらりと言って退けた。無論、冗談のつもりだろうが、それもいいなとショーティは思ってしまう。もちろん、そんなことができるはずもないのだが。

「————僕、こんな髪なのに?」

 軽いため息を交えて、ざっくりと切り取った毛先を持ち上げるようにおどけた様子で問い掛けると、

「それも君らしくていいと思うけれど?」

 くすくすとおかしそうにアーネストが答える。
 ずるいなぁ、とショーティは素直にこぼしていた。
 アーネストが意図して告げているとは思えなかった。そんなことをする理由がないからだが、思わず出るため息が、深く、足元を覆うシーツに消えていく。

「ところでショーティ。通話は?」
「あ」

 アーネストの問い掛けに通話中だったことを思い出したショーティは、めんどくさそうに放り出したそれを持ち上げると保留を解除した。

「ごめん。危うく忘れるところだった」
「あ、や、ち、ちょっと待て、ショーティ」
「うん。ま、別に構わないって言ってるから」
「だから、ショーティ?…もしかして、今一緒にいるのか?」
「It’s Secret」
「ショーティ!?」
「信用してくれていいよ。それ絶対ガセだから。そんな暇あったら上院議員を狙えって、キューブに」
「…OK」

 仲間の返事を待たずして通話を終えると、

「僕が記事になるとは考えられないけれどね?」

 ミネラルウォーターを手にしたアーネストが、それを差し出しながら告げた。

「アーネスト…」

 さすがにがっくりと肩を落とすショーティは、ミネラルウォーターを受け取りながら、

「昔っから、アーネストって自分のことわかってないよね」とやや怒りを交えて言い放つ。
「それが不思議でならないよ。それに、今はあのサリレヴァントのトップだよ?少しは自覚したら?アーネストの写真の表紙雑誌は、良くも悪くも売上最高をたたき出すよ?それだけ世界が注目してるんだって」
「へぇ」
「へぇって……ほんとにさぁ。アーネスト、他人の情報に敏感なくせに自分の対して疎すぎる!それって危険!めちゃめちゃ危険!絶対!!」
「ショーティ」

 基本的なところは、本当に昔から変わっていないのだと思えるアーネストの性格に、ショーティはつくづく思う。

 そういうところも好きなんだよね、と。

 周囲には切れすぎる頭脳も、自分のことになると全く働きもしない。なのに、まるで全てを把握しているかのように危険を回避する。
 それが英才教育によって培われたものなのか、生来の野生の勘なのかショーティにはわからないけれど、アーネスト・レドモンの魅力の一つではある。

「ほんと、僕に手伝えることってあるのかなぁ」



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